リヴァイアサン
月光が窓からこぼれ落ち、聖女の寝室の床へ青白い帯を作っている。昼間は神秘的な調度品として扱われている薄い帳も、夜になるとどこか現実感を失って、影の層みたいに揺れて見えた。
その寝室で、富士宮ひとみは寝台の上へ浅く腰掛けたまま、今日の出来事を一つずつ思い返していた。
護衛組とエリー・カーペンターの初対面、あれは中々に見ていて面白かった。
イニゴ・マルティネスはさすがに大人だった。新しい従者候補だろうが何だろうが、まずは無表情で受け入れてくれる。対して健全枠三人(ナビル、アルバロ、ハリー)は揃って妙にぎこちなかった。ナビルは視線の置き場に困っていたし、ハリーは露骨に赤くなっていた。アルバロに至っては、最初から最後まで何となく所在なさげだった。
若いねえ
富士宮は心の中でちょっとだけ微笑む。
ああいう健全さは、できれば失わせたくない
この世界、放っておいても汚いものが勝手に寄ってくるし
その一方で、アントニオだけはまったく別方向の反応を見せた。驚くほどエリーに興味を示さないのだ。その代わり、なぜか富士宮へばかり話しかけてきた。
曰く、刀の使い方がわかってきたとか、今は居合抜きの修練の途中だとか、だ。
刀マスターへジョブチェンジしてから、アントニオは少しずつだが確実に変わってきている。ギャングマスター由来の荒っぽさはまだ抜けないが、型の概念を身につけ始めていることが相手との間合いの取り方などからわかる。そして、鑑定した時に精神値がワンランク上がっていた。
順調だ
燃えるような赤毛の侍
うん、ちょっと萌える。
なので富士宮は、少し優しく褒めてやった。
「順調ですね。とても良いと思います」
そう言っただけなのに、アントニオは意外なほど嬉しそうな顔をした。
そこは素直なんだ
いや、最近この子ほんとによくわからないな
しかしその直後、富士宮がナビルに向かって、
「新しい軽鎧の色合い、ピストルとよく似合っていますね」
と話しかけた瞬間、アントニオのヘイトが十上がって八十五になった。
もう深くは気にしない
考え始めると負けだ
コイツはそういう生き物
そう思っておくのが一番精神衛生にいい
さて護衛組の訓練の話に戻ると、スティーナに鍛えられて魔法の練度が上がったアルバロも合流し、護衛組の集団戦は新しい戦術を組み立てることができるようになった。アルバロが複数属性魔法を状況に応じて発動するだけで戦術の幅が格段に広がったのだ。
加えてエリーも意外なほど早く順応した。見た目と反応だけなら、完全にただの田舎の純朴シスターだ。だが、地方教会で実際に働いていた経験があり、その教会が魔王領に近かったこともあって、意外に実戦経験がある。現時点でも、中級に近いレベルの回復魔法を使えていた。本当はもっとぶっ壊れた性能へ至るのだけれど、現段階ではこれで十分だ。
富士宮は、今度は明けの商店街の雑貨店店主――死の事務次官オーエン・ハーグから届いた私信を手に取った。
内容は二つ、まずイバンに命じていた政治家探しはやはりうまくいっていないとのこと。そして私信の後半、政治家と同時並行で探させていた商人候補が見つかったらしい。
イバンが接触していた貴族の厨房で働いていた下級市民の少年。イバンが取材と称して屋敷へ足繁く通っているうちに、廊下でその少年と何度か顔を合わせた。そして会話の中で、その少年がイバンの名前や所属を完璧に覚えていることに気づいた。しかも数字に異常に強いらしい。
オーエンは、明日の大聖堂ミサにその少年をイバンと一緒に行かせるから、能力を見てほしいと書いている。
ちなみに雑貨店組で宵闇の正体を知っているのは、オーエン、ブラヒム、カディジャの三人だけだ。イバンもリュシエンヌもニコラスも知らない。だからイバンにとって明日の件は、ただの自己啓発イベントか、聖女に顔を売る機会ぐらいの認識なのだろう。
富士宮は、その少年に正直そこまで期待していなかった。
有能な商人は必要だ。ゲーム攻略、もといルイに勝つためには、戦闘要員だけでは足りない。製造、流通、資金などを回せる商人系人材は絶対にいる。
だが、ルナアリスで最上級の商人に求められるスキルは多岐にわたる。単に数字に強いだけでも商売上手なだけでもだめだ。国家規模の製造と流通を見通し、戦争や外交すら手筋に織り込める異才でなければならない。
その観点からすると、今のところこの下級市民の少年のエピソードは弱い。数字に強い程度では、せいぜいオーエンのいい補佐役になれば御の字かな、というレベルだ。
そこまで考えたところで、屋根裏からジェシカのすぅ、という小さな寝息が聞こえてきた。
富士宮は思わず内心で苦笑した。
あなた護衛なんじゃないの?
富士宮は最近すっかりジェシカのことを妹のように感じ始めていた。危うくて、でも素直で、ちょっと変に育ってしまったところも含めて、妙に放っておけない。
ジェシカを起こさないよう、富士宮は静かに灯りを落とし、翌朝の早朝ミサに備えて自分も眠りについた。
*
翌朝の四時、富士宮ひとみはまだ夜の名残が濃い時間に目を覚ました。
聖女用の紫紺のドレスを身に纏い、髪を整え、大聖堂内の礼拝堂へ向かう。月に不定期で行われる市民向けミサの日だ。これは慈善活動の一つであると同時に、教会の威光を広く知らしめる舞台でもある。
礼拝堂にはすでに市民が大勢詰めかけていて、富士宮はその中列にイバン・コナンを見つけた。
イバンはまさか自分が聖女の隠れた配下などとは思っていない。だから富士宮と目が合った瞬間、素直に驚き、そしてちょっと嬉しそうな顔をした。
その横には、例の少年が座っている。見た目はナビルと同じ二十歳前後、もしかするともう少し若いかもしれない。金髪碧眼で、この世界では珍しくもない容姿。顔はそこそこ整っているが、よくいる金髪イケメンという感じで、逆に印象に残りにくい。
うん、常識人のイケメンが増えるのはいいことよね
富士宮は軽くそう思って、いつものように《鑑定眼・宵》を起動した。
その瞬間、世界が歪んだ。
黒い雷光が縦横無尽に走る。一本や二本ではない。何十、何百という黒い閃きが、空間を塗りつぶすように暴れ回る。景色そのものがぐるぐると回転し、現実の礼拝堂がそこにあるはずなのに、鑑定眼の中だけ別の世界みたいになっている。
エリー・カーペンターを見た時と同じ現象だ。今回も完全な不意打ちだった。
「……っ」
富士宮はつい目を押さえて、椅子の上でうずくまってしまう。
大聖堂付きのシスターたちが慌てて駆け寄ってきた。礼拝堂の空気がざわつく。侍女の格好で付き従っていたジェシカが、すぐに背中へ手を当ててくれた。
ありがたいけど、今はそれどころじゃない
富士宮は即座に聖女の仮面を被り直し、顔を上げる。
「大丈夫です。どうか私を気にせず、続けてください」
低く穏やかな声で応える。すると会場のざわめきは徐々に収まっていった。むしろ「やはり聖女様は神秘的だ」「神と通じすぎておられるのでは」とか、そんな方向の称賛めいた声まで混ざっていた。
富士宮の視界には、エリーの時と同じ漆黒の円柱が立っていた。イバンの隣にいた少年のステータス表示だ。
富士宮は呼吸を整えながら、その情報を読む。
【トーマス・トゥヘル】
【19歳】
【ジョブ:小姓】
【ジョブランク:B】
【現在ステータス】
【統率D/武力D/知力C/精神C/魅力D/幸運D】
……高い。小姓でこれなら十分すぎる。
全体的に高水準でまとまっている。王国の中央官僚や大聖堂の神官クラスの地力だ。確かに、小姓で留まっていていい人材ではない。
だが常識的なのはここまでだった。
【潜在能力値】
【統率C/武力D/知力S/精神A/魅力S/幸運A】
富士宮の目がわずかに見開かれる。
Sが二つ、この時点で大当たりだ。だが方向性は予想していた商人や事務方とは違った。知力が高いだけなら商人や事務系の可能性もある。しかしトーマスは魅力がSなのだ。この数値は、宮廷貴族たちやリュシエンヌのような剣を持たない戦いを主戦場とする者に現れやすい。
しかしトーマスは貴族ではないし、芸術家の雰囲気もない。となれば、さらに上の政治家系統か。
富士宮は続きを読む。
【潜在取得可能ジョブ】
【グレートプレジデント】
【ジョブレア度:UR】
【潜在ジョブランク:S】
政治家系統の天才発見!!
小姓って何よ、すぐやめなさい!
あなたはもっと上に行ける逸材よ!!
富士宮は内心で絶叫した。だが、もっと特異なのは次の表示だった。
【ユニークスキル:リヴァイアサン】
効果が、頭おかしい。
【効果①:派閥形成行動を取る時の補正値が極大】
【効果②:軍事・経済・公共工事・外交など国家級の策謀、政治的な行動の成功率が極大上昇】
【効果③:一定以上の敵対行動を取った相手に対する暗殺もしくは失脚行動の成功率が極大上昇】
富士宮は震えた。
チートだ、政治系チートだ!!
こんなド平民から天才為政者が出た!!
しかもイケメンの常識人!!
いや待って、何この引き。
この間エリー引いて、今日これ!?
運が偏ってない!?
でもありがたい!!
最高!! ありがとう世界!!
富士宮の思考は一気に加速する。この個体をうまく運用できれば、王国を牛耳るどころではない。国際社会ですら優位に立てる可能性がある。
富士宮は思いがけず最適の個体を引き当てた喜びに、ひどく静かに震えていた。
礼拝堂では、まだ朝の祈りが続いている。だがその上段の席で、黒髪の聖女は、祈りとはまるで別の熱量で、次の一年の勝ち筋を考え始めていた。




