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処女のサキュバス

 朝の光が、聖女の私室へやわらかく差し込んでいた。白い薄布越しに入る日差しは、どこか神々しい雰囲気すら帯びている。窓辺に置かれた花瓶の水面がきらりと光り、その反射が壁や天井へ揺れていた。


 そんな部屋の中央で、富士宮ひとみは一人、深く黙考していた。


 長い黒髪へ朝の光が差し込み、艶やかにきらめいている。横顔は整いすぎていて、近くで見れば見るほど現実感が忘れさせる美貌だ。感情を表へ出さない静かな表情も相まって、今の彼女はほとんど宗教画の一場面のようだった。


 紅茶を運んできた若い侍女は、足を止め、しばし呆然としていた。朝の光に彩られた黒髪の聖女は、もはや一種の暴力みたいな美しさを持っている。毎日見ている侍女ですら、不意にその光景を見ると息を呑むほどだ。


 侍女はすぐにはっと我に返り、慌てて姿勢を正してから丁寧にカップを置く。


「し、失礼いたしました……紅茶をお持ちしました」


「ありがとうございます」


 富士宮は目を閉じたまま、低い声で応じる。それだけで、侍女は内心さらに感動していた。


 何て厳かで、何て神秘的なお方なのだろう。今日も聖女様は、こうして朝から偉大なる神へ深い祈りを捧げておられるのだ――と。


 しかし、もちろん実態は違う。富士宮の頭の中は、ゲームの攻略を考える廃人そのものだった。


 富士宮の目の前には、大きく分けて三つのタスクがある。


 まず一つ目は、エリー・カーペンターの勧誘と運用の確立。


 地下迷宮に潜り、護衛組をさらに伸ばすためには、まともなヒーラーが必要不可欠である。ハリーが多少自己回復できるとはいえ、それでは数日に及ぶ探索は無理だ。そして昨日の五百連ガチャ――もとい大聖堂祭の視察で引き当てたエリー・カーペンターは、その条件を満たすどころではない化け物だった。絶対に確保しなければならない。


 そこで富士宮は、大聖堂祭の後すぐに教皇へ願い出て、エリーとの個別面談をセッティングしてもらっていた。


 富士宮は机上のカップへ手を伸ばしながら、静かに考える。


 男を与えると約束すれば、そう難しくないはずなのよね


 【サキュバス】というユニークスキルは、継続的な肉体関係のある男性というリソースが運用条件そのものになっている。であれば、そこを保証すれば落ちるという簡単な話だ。


 イニゴ、ごめんね

 あなたのことは忘れないわ 


 富士宮はそう考えつつ、二つ目のタスクへ意識を移す。


 地下迷宮へ潜るための王国の規則への対応、これもかなり面倒な話だ。聖女の従者だからと言って、誰でも王都地下迷宮へ入れるわけではない。潜るためには王国騎士団上層部の複数決裁が必要であり、普通は明確な実績――たとえば冒険者ランクB以上など――が求められる。


 だが、今から真っ当にBランク冒険者を目指していたら遅い。ルイ・ムラサメの動きを考えると、そんな悠長なことはしていられないからだ。


 となれば、必然的に政治的手段か、あるいは賄賂という話になる。だが賄賂は発覚した時のリスクが大きすぎる。いくら聖女でも大きすぎる政治スキャンダルを起こせば身の破滅を招く。


 なので政治方面から攻略するしかない。そこで富士宮は前世のルナアリス知識を思い出す。公的機関や特殊施設を利用するには、政治系統に長けたキャラを交渉役とすることで解放条件が緩くなる仕様があった。それは恐らくこの世界にも適用されるはずだ。


 すでにイバン・コナンには、宵闇のスポンサーとなり得る政治家の発掘を命じてあるが、その成果は芳しくない。イバンは確かに優秀だ。だが本来の強みは大衆を動かすことであって、人材の発掘ではない。でも現状、表の世界で富士宮の代わりに人材を探してくれるのはイバンしかいない。


 そして三つ目、これが一番頭が痛い。


 異端審問局が、聖女の異常に気づいてしまった件だ。


 大聖堂祭で隣に座っていた男、ジェンナーロ・ガットゥーゾ。


 富士宮が鑑定したところ、ステータスは知力A、その他は概ねBかC。高位聖職者として見れば、かなり優秀だ。だがあの男の本質はそんなところにはない。


 とにかくジョブが最悪だった。


 【チェイサー】、レア度SRの捜査官系統ジョブ。追跡、証拠発見、痕跡読解――そういったものへ極端に特化した、追うためだけのジョブだ。しかもジェンナーロは、そのジョブランクがSに達していた。ごく一部のレアスキルを除けば、ほぼすべてのチェイサー用スキルを獲得済みなのだ。ここまで一点集中で育成が仕上がった個体も珍しい。


 極めつけが、恐らく本人も自覚していないであろうユニークスキル、【蔓延る(はびこる)者】。


 効果は複数あるが、その内の一つ、自分と同じ組織の構成員と認識している者に異変があると、その異変の真相を直感的に理解する能力が、本当に最悪だった。つまり、宵闇が異端審問局の職員をどれだけ巧妙に始末しても、ジェンナーロだけは真実に辿り着いてしまう可能性が高い。恐らく、先日ジェシカに殺させた情報屋の件も、あの男だけは最初から騙されていない。


 教会内で少し探りを入れてみると、ジェンナーロは異端審問局の中でもさらに異質な存在らしいことがわかった。


 組織へ迎合しないのに、組織そのものには狂信的なほどに従順。要するに、神を信じている狂信徒ではない。制度と機能を信じている、もっと厄介な種類の狂信者だ。


 たちが悪いのに絡まれた


 富士宮は率直にそう思う。本来なら真っ先に始末したいが、下手に動くと反撃をくらう可能性が高い。スキルとは予想外の相性や噛み合わせを見せることがあるので、想定外のスキル効果の綾により、こちらが致命傷を受けるかもしれない。こういった手合いは、能力が強力だけど単純だったレナート・カールやマリア・ゴールドよりも暗殺が難しい。実行に移すのは慎重にも慎重を期して敵の戦力を見極めてからだ。


 そこまで考えたところで、部屋の扉が控えめにノックされた。


「どうぞ、お入りください」


「し、失礼いたします……」


 入ってきたのは、エリー・カーペンターだった。昨日と同じ、どこか燻った印象のローブ姿とまとっている空気はどこまでも地方の田舎シスターであった。


 ものすごく緊張していてどうして自分が呼ばれたのか、本当にわかっていない顔だ。


 富士宮はそれを見て、少しだけ目を細めた。ユニークスキルと潜在能力の壊れ方からして、てっきり自覚的な淫乱シスターだとばかり思っていた。ところが実際には、拍子抜けするほど普通の田舎シスター感がある。


 富士宮は、表向きには優しく語りかける。


「エリー・カーペンターさん」


「は、はいっ」


「昨日の大聖堂祭であなたをお見かけして、大変有能な方とお見受けしました」


 エリーの肩がびくっと跳ねる。


「よろしければ、私の従者の一人としてお迎えしたいと考えております」


「…………え?」


 ぽかん、という擬音が似合いそうな顔だった。


「私の従者には、あなたにふさわしいと思われる男性もいますし」


 富士宮は内心で「はい、決まった」と思っていた。


 本人の能力も認め、居場所も与える

 トドメで男も供給可能と示す

 これで落ちないわけがない


「ぜひ、私のもとで働いてもらえないでしょうか」


 しかし、エリーは予想外の反応をした。


「わ、わわわ私が、ですか!?」


 顔が真っ赤になっている。


「そ、そんな……孤児だった私が、聖女様にお迎えいただけるなんて、そ、そそそんな……!」


 あれ

 雲行きが変だぞ


「わ、わたし、そんな大層な人間じゃありませんし……! そ、それに、殿方なんて一度も、その、ふ、触れたことありませんし……!」


 富士宮は一瞬、思考を止めた。


 何て?


「わ、私は生涯を神に捧げようと思っておりましたので、そ、そそそんな男性と、だなんて……!」


 エリーはもう、どもり散らかしていた。耳まで真っ赤で視線は泳ぎ、手はぎゅっと胸元で握りしめられている。どう見ても、純朴で、真面目で、ちょっと田舎臭いシスターだ。


 富士宮は、そこでようやく理解した。


 あぁなるほど

 潜在値に自分で気づいてないパターンね


 それ自体は別に珍しくないし、むしろ普通だ。大半の人間は、自分の本当の適性も、将来の到達点も知らずに生きている。最初っから根拠のない自信に満ちていたアントニオみたいなバカの方が例外なのだ。


 でも、

 自分の淫乱さにもまだ気づいてないですって?

 しかもこの反応、たぶん……処女?

 実にもったいない

 男と寝るだけで最強の戦士になれるのに

 最終的には近接、高火力、広範囲回復まで全部載せなのに

 何その宝の持ち腐れ


 富士宮は内心で頭を抱えた。


 いや、能力に無自覚なのはいいのよ

 でもこの反応だと、男と関係性を持たせるのが相当難しいわね

 聖女の体面もあるから、「あなたは肉欲に走りなさい」とは口が裂けても言えないし

 あーあ、簡単な達成条件だと思ったのに

 どーしてこういっつも、障害が出てくるのかしらねー


 富士宮は表面上は穏やかな微笑みを保ったまま、心の中で大きくため息をついていた。

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