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強化の道

 大聖堂の一角にある魔術訓練室は、他の訓練所とは少しだけ空気が違う。剣や槍の訓練場みたいに汗と土の匂いが濃いわけではなく、代わりに焦げた紙みたいな匂いが壁や床へうっすら染みついている。


 そんな部屋の中央で、アルバロ・レコバは今日も怯えていた。


「もう一度、炎から」


 スティーナ・ブラックステニウスが、柔らかい声で言う。柔らかいのに、逆らえる感じがまったくしない。アルバロは、そんな彼女の前で両手を前に出した。


「は、はい……」


 本人にも自覚はあったが、自分は根暗で自己肯定感が低い方だ。床を這っていると言って良いほどに低い。そもそも、元は魔道具屋見習いだ。店の端で部品を磨いて、管理簿の数字を眺めて、たまに変な魔女に怒鳴られて、でもそれが自分には合っていると思っていた。


 そんな自分が、今は聖女の保護下にいて、しかも黒雷の魔女みたいなすごい人に指導されている。アルバロは、自分へ向けられる期待の大きさに、正直まだ全然慣れていなかった。


「炎を恐れないこと」


 スティーナが言う。


「あなたは炎と相性が悪いのではなく、炎を暴れるものだと思いすぎていますの。あなたが扱うなら、炎は従いますわ」


「……は、はい」


「もっと自信をお持ちなさいな。気の持ちよう一つですぐにできるはずですのに。あなた、本当に面倒な子ですわね」


 呆れたような言い方なのに、不思議ときつく感じない。スティーナは、アルバロの才能を一切疑っていなかった。そこだけは揺るがない。


 アルバロには、それがまだ少し怖かった。でも、怖いだけじゃない。胸の奥がじわじわ熱くなるような感覚もある。


 期待されたことなんて、今までほとんどなかったからだ。


     *


 最近のアルバロの悩みは、スティーナとの訓練だけではなかった。


 ジェシカ・パークもまた、自分と近い時期に聖女の保護下へ入った人材だ。性格は暗いし、痩せてるし、目がどこか死んでるし、何を考えているのかよくわからない。だから最初は怖かった。でも、少し慣れてくると、逆に目が離せなくなった。


 壊れかけたガラスみたいな危うさと綺麗さが同居していると感じた。そして何より、ジェシカは聖女のことになると急に目が輝く。


 アルバロは、そんなジェシカへほのかに恋心を抱いていた。でもジェシカは、まるで振り向いてくれない。別に振り向いてもらえるようなことは何もしていないのだが、それでも少しくらいこう、優しい笑顔とか、そういうのがあってもよくないだろうか。


 アルバロが本を運べば「ありがとうございます」と声をかけてくれるし、水を渡せば「助かります」と言ってくれす。でもそこに特別さは何も感じない。


 対して聖女の話になると、目の輝きが三段階くらい増す。


 どうやって勝てばいいんだ?

 いやそもそも勝負なのかこれ?


 アルバロは自問し、勝手に落ち込んでいたのだった。


     *


 雑貨店裏の訓練場では、カディジャがニコラスに訓練を付けていた。ただ人によっては、訓練の前に「地獄の」と付けずにはいられないだろう。


「もう一回!」


 カディジャ・ショーの声が飛ぶ。彼女は完全無欠の脳筋である。訓練の信条は、


 一つ、基本は体で覚えろ

 一つ、訓練では死なない程度に潰すまでやる

 一つ、潰れたらとりあえず立て

 一つ、立てなきゃ引きずって立たせてもう1戦、立ってももう1戦


 そんな調子で、ニコラス・フュルクルクとブラヒム・ディアスは、毎日のように半殺しにされていた。


 ニコラスは好青年だったが、カディジャと相性抜群のいわゆる脳筋の好青年であった。


「まだいけます!」


 顔はボコボコで原型がわからず、腕も足もガクガクブルブル震えている。なのに満足そうに笑っているのが、奇妙を通り越して恐怖すら感じさせる。しかし、カディジャはそういうのが嫌いではなかった。


「よし!来い!」


 白い大剣を軽く振るい、振りに見合わない重たい一撃を叩き込む。ニコラスはそれを訓練用の斧で正面から受け止め、意識を飛ばしながらも本能で持ち堪える。


 ニコラスのフォームはまだ粗いが、言われたことをそのまま体へなじませようとする素直さがある。技術の洗練は遅いかもしれないが、力の使い方と根性は劇的な成長を見せている。


 対して、ブラヒムはいつも静かだった。仮面の向こうで息も乱さず、ただ繰り返し刃を繰り出してくる。死者だからか、疲れの種類が人間と少し違うのだろう。しかしそれ以上に、カディジャはブラヒムの剣が日に日に威力を増していっていることを不思議に感じていた。


 ステータスだけ見れば、それは説明がつかない。筋力が増したとかスキルが身についたとか、そういう単純な感じではない。カディジャの直感では、元の姿に戻りつつも、再度新たな形を取ろうとしているような、そんな曖昧なイメージだけが見てとれた。


 そんなある日、ニコラスの振るう斧が、ほんのわずかだけ変わったことがあった。いつものとおりカディジャの剣で半分意識を飛ばしながらも、ほぼ本能で無意識に斧を振るい返してきたのだ。


 本来ならカディジャが軽く受け流して終わる程度の攻撃だったし、実際彼女もそう思っていた。


 だが、斧が落ちてくる一瞬、空気ごと潰すような圧が迸った。


「っ!?」


 カディジャは反射的に踏み込みを変え、全力に近い受けで対応した。鈍い衝撃が両腕を伝い、地面が少し沈む。カディジャは真っ白な愛剣を取り落とし、両腕に受けた衝撃を吸収しきれずにうずくまった。


 ほんの一瞬の出来事だったが、その一瞬だけは確かに、人間の範疇を少し越えた膂力をニコラスは発揮させたのだ。


 意識を取り戻したニコラス本人がいちばん驚いていた。


「えっ!? な、何が起こったんですか!?」


 本人は、自分がカディジャを沈めたことも覚えていない。カディジャはつい口の端を上げ、意地悪げにニコラスに告げた。


「今のだ」


「今の?」


「それをもう一回出せ」


 ニコラスは半泣きになった。


「だ、だから何のことですか?む、無茶言わないでくださいよ!」


「出せる、答えはお前の中にある」


「ま、またそんなテキトウなー」


 URランクジョブ『ティターン』、その可能性の系統に連なる者が持つ身体能力の片鱗を、カディジャははっきりと見た。ニコラスはまだそれを自分の意志で引き出せない。だが間違いなく、あの中に眠っているあれが育てば、とんでもない怪物になる。


 カディジャは嬉しくなってしまった。脳筋が育つのを見るのは、単純に楽しい。


 

     *


 カディジャは、富士宮への定期報告で、ブラヒムの成長に関して感じたことを述べた。さらに、あくまで推測であるとしながらも、生者と密に交流しながら過ごすことで魂が元の形を取り戻そうとし、その上でさらに新たな段階に至るのではないか、と告げた。カディジャたち獣人は、元来自然の中での生活と、魂の有り様に信仰を求める部族であるので、単なるスピリチュアルと切って捨てることはできない。またカディジャの推測は、富士宮の考察と全く同じだったからだ。


 ブラヒムの不死者の王ルート、やっぱりそういう条件なの!?

 いかにもありそうだし、めちゃくちゃゲームっぽいじゃない

 死者が生者と絆を結ぶことで封じられていたルートが開くとか、隠しジョブ条件として満点じゃん

 ルナアリス運営、こういうの好きそうだもんなあ!

 

「興味深い報告です」


 低い声で、静かに言う。


「ニコラスの方は、今後もカディジャさんの指導を継続してください」


「わかった」


「ブラヒムについても、観察を続けます。……生者との交流、ですか」


「たぶんだ。少なくとも、死者のくせに一人で鍛えて強くなるタイプじゃない」


 富士宮はゆっくり頷いた。


「ありがとうございます。非常に有益でした」


 カディジャが去ったあと、富士宮は一人、考え込んだ。


 この世界、本当にルナアリスの延長線上にあるんだな

 だったら、全員もっともっと伸びる。


 黒髪の聖女は窓の外を見た。聖堂内の昼下がりの光は静かで、平和そうだった。でもその裏で、彼女の手札たちは、着実に、そして異様な速度で育ち始めているのだった。

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