赤毛のサムライ
大聖堂の訓練所には、朝の冷たい空気がまだ残っていた。
石畳の床はひんやりしていて、壁際に立てかけられた訓練用の木剣や槍には、早朝の光が細かく反射している。外から差し込む光の筋の中で、砂埃がゆっくり舞っていた。
その中央で、イニゴ・マルティネスがいつものように腕を組んで立っている。
「もう一回」
低い声が訓練所へ響く。その一言で、ナビル、ハリー、アントニオが動いた。
前へ出るのはハリー、少し遅れて左からアントニオ、さらにその後ろ、やや距離を取った位置でナビルが二丁拳銃を構える。
今やこの三人の基本配置は、かなり板についてきていた。
単体性能だけを見れば、まだイニゴの完成度には及ばない。イニゴは地味に見えて、間合いの管理も、受けや崩しの技術も、全部が高水準でまとまっている。いわば物理軍事系の完成形の一端みたいな男だ。
でも、パーティとして見た時、この三人はかなり良い。
富士宮ひとみは訓練所の端に立ちながら、その動きを静かに眺めていた。
ハリーが一歩前に踏み込む。以前よりも、明らかに腰が落ちて重心が定まった突進だ。盾の出し方にも迷いがない。前は「頑丈なだけの若者」感が強かったのに、今は受けるという役割に体が慣れてきている。
イニゴの剣が流れるようハリーの上に落ちるが、それをハリーが受け止めた。
「フォートレスヴェール!」
短くスキル名を吐く。その瞬間、ハリーの周囲に淡い膜のような防御魔力が走った。目に見えるほど派手ではないが、イニゴの打ち込みを受けた衝撃の散り方が変わる。
フォートレスヴェール、自身と周囲の防御性能を一時的に押し上げる防御バフをかけるスキルだ。ハリー本人だけでなく、近くにいる味方の防御も安定させる優等生。今の段階ではまだ効果範囲は狭いが、前衛の密着戦では十分効果的だ。
いいですねえ
富士宮は心の中で頷いた。
単なる盾役じゃなくて、前線の防御力全体を底上げするタイプ
こういうタンク、終盤まで腐らないんだよな
次いで、イニゴの二撃目が飛ぶ。今度はハリーが半身を引き、真正面で受けずに流す。その動きに合わせるように、右側からアントニオが踏み込んだ。
「ブレイクスラッシュ!」
木刀なのに重く力任せに振り抜いた一撃は、剣技というより喧嘩の延長みたいな雑さを残していた。だが、その雑さの中に、相手の構えごと叩き壊す危険な圧力がある。
ブレイクスラッシュ、ギャングマスターのスキルで、綺麗さはないがとにかく重たい斬撃を叩きつける技だ。相手の防御や受けを正面から破壊することにかけては実に優秀なスキルだった。
もっとも、相手はイニゴなので、剣の腹で軌道を変えられて軽くいなされる。木刀が横へ流され、アントニオの体勢がわずかに崩れた。
そこへ追撃――と行こうとして、イニゴがわずかに踏みとどまる。
次の瞬間、後方から銃声、
「ハイスピードバレット」
ナビルがスキル名を発声していた。乾いた魔力音を伴って放たれた弾丸は、以前の銃撃よりも明らかに速い。イニゴですら避けるのではなく、剣で逸らす方を選ぶ程度には、弾道が鋭くなっていた。
ハイスピードバレット、弾丸速度を大きく底上げし、相手が回避する猶予を削るスキル。ナビルはこのスキルと相性が良すぎた。もともと敵の動きを読むのが上手いのに、そこへ弾速まで乗ると、敵は回避がとても難しくなる。
イニゴが弾を逸らした瞬間、ハリーが前へ出て盾で押し返すように体をぶつける。
「リベンジリフレクト!」
リベンジリフレクト、カウンター攻撃の成功率と威力を引き上げるスキルで、シールドバッシュ系との相性が非常に高い。今は訓練なので単体で発動しているが、受けた直後に押し返すという練度がかなり高くなってきている。
その押し返しへ、アントニオが横から乗る。イニゴが振り切ってくる剣を超至近距離でいなしながら、何とか攻撃の糸口を探ろうとする。
「ダーティステップ!」
足払い、肩入れ、体当たりといった搦手を使って相手との距離を支配しようとするステップ系統のスキル。いかにもギャングマスターらしい、喧嘩殺法の延長らしい足技である。
イニゴは感嘆の息をつくように半歩引き、全員の攻撃をまとめていなしきった。
「動きは悪くない」
それでも、その評価は以前より良くなっている。モンスター狩りを王都郊外で何度も重ねた結果、三人とも着実に伸びていた。
特にナビルは、火力不足を補うスキルを得てから一段上がった感じがある。
アーマーピアス・ハイスピードバレット・アドバンスドマガジン、この三つがナビルの戦術の核となっている。アーマーピアスは、銃弾の貫通力を引き上げるので、軽装甲や骨格、粗末な盾ごとダメージを通しやすくする。ハイスピードバレットは訓練で披露したとおり、相手の回避率を下げる。アドバンスドマガジンは、より高位の銃弾や特殊弾の運用を可能にするスキルだが、まだ本格的な属性弾や対魔物弾までは使いこなせていない。もっとも、ナビルのガンナー理論に対する理解の速さは目を見張るものがあった。
「……もう一回、今度は回復込みでかかってこい」
イニゴの指示に、ハリーが息を整えて頷いた。
「リカバリーウォーム」
淡い回復の気配が走る。
リカバリーウォーム、回復系効果の受け取り効率を高めるスキルで、自身への回復量上昇と、ごく軽い自然回復補助を持っている。今は地味だが、タンクにとって継戦能力はそのまま生命線になる。こういう地味スキルほど、後で効いてくる。
他方、アントニオはジョブがギャングマスターのままなので、覚える技もいちいち荒っぽい。
ブレイクスラッシュ、ダーティステップ、ブラッドドライヴなど、名前からアウトだ。ブラッドドライヴは特にひどい。怒りや被弾をきっかけに、一時的に攻撃力へ強いバフが乗るスキルだ。いかにも喧嘩上等、痛みも怒りも全部火力へ変えます、みたいな性能をしている。強いんだけど、危ないので安定運用が難しい。
だからこそ、そろそろ正統ジョブへ寄せよう、と富士宮は決めた。
*
「アントニオ、今日はジョブチェンジを行います」
訓練の区切りで富士宮がそう告げると、アントニオの顔が露骨に歪んだ。
「はぁ?」
反応が素直でよろしい
「元々あなたは武力Aなので、上級職への昇格条件は満たしています。ですので、ここで正統剣士系統へ移ります」
「剣闘士がいい」
「却下します」
「バンデットでもいい」
「却下します」
「何でだよ」
何でってお前
富士宮は表面上は静かだが、内心では廃人ゲーマーとしての分析をぶちまけていた。
何でって、そっちへ行ったら今よりもっと雑に暴れるからだよ
お前、ただでさえ火薬庫なんだわ
そろそろ知力と精神へ補正かけないと、将来面倒すぎるんだよ
富士宮が選んだジョブは刀マスター、要するに侍系ジョブである。武力だけでなく、知力と精神への補正が高いので、アントニオにもっとも足りない二つをちゃんと補うルートとして選択した。
アントニオは露骨に不服そうだった。
「刀とか、柄じゃねぇだろ……」
そこで富士宮は、にっこり笑った。聖女らしく、美しく、優しげに。
「あなたには、こちらが合っています」
するとアントニオは意外にもすぐ引いた。
「……わかったよ」
富士宮はアントニオの態度に若干の違和感を覚えつつも、ジョブチェンジの儀式自体は滞りなく進んだ。
ジョブチェンジ後、変化はこれまた意外にもすぐにうかがえた。何と言ってもアントニオの立ち姿からしてどこか違う。ギャングマスター由来の荒さはまだ抜けないが、体幹の置き方に妙な芯が通っている。刃物を振るうための重心が、喧嘩ではなく剣技へ少し寄った感じだ。
そして、富士宮がこっそり確認したヘイト値は――六十八。
下がってる
何で?
予想では不服で上がると思っていたのに、むしろ落ちた。アントニオ本人は微妙に不満そうな顔をしている。それなのにヘイトは減っている。
ジョブ気に入った?
いや、顔がそうじゃないんだよな
じゃあ何、もしかして、もしかしてだけど、私に決めてもらったのが嬉しかった、とか?
……いや、まさかね
*
問題は、アルバロ・レコバの方だった。
早朝訓練を見終えたあと、富士宮は少し離れた場所で腕を組み、内心で唸る。
アルバロは、今のところ雑貨店で働きながら、下町の魔術塾へ通わせている。基礎教育としては悪くないし、ないよりはずっと良い。だが、成長補正としてはかなり弱い。本当にないよりマシといった程度だ。
早く師匠を見つけないといけないのだが、魔法版イニゴなんてその辺に落ちているわけがない。
ほんと困る
アルバロ、メテオ候補なんだぞ?
そんなやつを下町の魔術塾で基礎からどうぞって、もったいなさすぎるだろ
でもいないものはいないしなぁ、ああもうどうしよう
そこで訓練所の外から、来客の報せが入った。スティーナ・ブラックステニウスが、また大聖堂を訪ねてきたとのこと。しかも今回は、一人ではないらしい。




