歌劇の幕間に
勇者レナート・カールが死んでから、一か月が過ぎていた。
王都中央劇場は、今夜もまばゆいばかりの光に包まれている。高い天井には金の装飾が巡らされ、赤い緞帳は深く重たく垂れ、無数の照明が舞台へ惜しみなく光を注いでいた。貴賓席から見下ろすその光景は、いかにも王都の文化の中心という感じで、金も権力も名声も、全部まとめて舞台芸術という一枚の薄絹で包み込んだような華やかさがある。
舞台上では、色とりどりの衣装をまとった踊り手たちが、幻想的な群舞を見せていた。
くるりと翻るスカート、きらりと跳ねる足先、それに重なるように美声の歌い手が古い愛と伝承を歌い上げる。
舞台装置も見事だ。薄い幕を何枚も重ねることで遠景を作り、灯りを変えるだけで森にも宮殿にも星空にも見える。煙の使い方も巧みで、現実と物語の境目が、観客席からはだんだん曖昧になっていく。
普通の人なら、たぶん見とれる。現に、富士宮ひとみの周囲に座る貴族たちや高位聖職者たちは、皆いかにも満足げだった。美しいものを美しいと感じる感性くらいは、さすがに王都の富裕層も持っているらしい。
だが、貴賓席の最前列へ静かに座る黒髪の聖女が、何を見ているのかといえば、それは主役でも、名高い歌手でもなかった。
彼女の視線は、舞台の端で踊る一人の少女へ向けられていた。
小柄な黒髪黒瞳の少女。しなやかな身体を舞い踊らせるその姿は、群舞の中では脇役に過ぎない。だがその脇役が一歩足を運ぶだけで、なぜか目が吸い寄せられる。
リュシエンヌ・ファル、勇者を破滅へ追い込んだ稀代のハニートラッパーだ。そして今は、劇場街から中央劇場へ這い上がりつつある踊り子だ。
もちろん、まだ主役ではない。小劇場で少し名が売れた程度の若手が、王都中央劇場の華やかな歌劇でいきなり主役を張れるほど、表の芸能界は甘くない。今の彼女に回ってくるのは、あくまで脇役であり、群舞の中の一人に過ぎない。台詞も少ない、添え物みたいな立ち位置だ。
だが、富士宮にはわかる。あれは、そのうちトップまで行く。舞台慣れの速度が、視線の集め方がどれも違う。
あの子、絶対いくな
富士宮は静かな顔のまま、胸の内でだけ確信していた。
ほんとに育ってきた
しかもここから主役の階段を登っていくの、普通に楽しみすぎる。
推しが伸びるのって、何でこんなに楽しいんだろ
ちなみに彼女は、リュシエンヌの後援会へ名前を連ねている。もちろん本名で、堂々と、である。聖女が若手芸術家の保護と支援に関心を示すこと自体は、別におかしくない。むしろ善行とされているっぽい。つまり、公然と推せるわけだ。
富士宮は微動だにしないまま、内心で満足していた。
しかも推しが実用品でもあるからな
表の人気がそのまま裏の偽装になるの、強すぎる
芸能トップ兼ハニートラップ要員とか、設定盛りすぎか?
リュシエンヌの出番が終わり、舞台は大きく転換していよいよクライマックスへ入った。主役のソロ歌唱が始まる。それは悲恋と運命と許しを歌う、いかにも王都で好まれそうな大仰で美しい旋律だ。観客席の空気が、すっと集中する。皆、陶酔しているのだ。
だが富士宮は、そこで舞台への興味を失った。飽きたというわけではなく、単に今彼女の頭の中を占めているのは歌劇よりはるかに重要で、はるかに面白い別件だからだ。
思考は自然に、昨日届いたオーエンからの手紙へ移った。
*
どうやら、宵闇について教会の異端審問局が特別チームを結成したらしい。
手紙にはそう書かれていた。
淡々と、簡潔に、しかし重要なところは一切落とさずに。
異端審問局はまだ容疑者は絞り込めていないが、勇者殺害の際の動きの一部が察知され、王都南部の雑貨店周辺が捜査候補へ上がった。しかし実際には、店に辿り着くには至っていない。オーエンが死の事務次官のスキル【エビデンスデリュート】を使って、痕跡を希薄化させたからだ。
富士宮は歌劇の音楽を背景に、静かに考えた。
まあ、そりゃ来るよね
勇者まで落としたんだから、さすがに本腰入れてくるに決まってる
むしろ一か月保っただけ優秀まである
異端審問局について、富士宮に直接の面識はない。そもそも、あれは教会の裏組織だ。表向きの聖女が、そこで働く人間の名前や顔を知っている方が不自然である。だから彼女は、個々の構成員については知らないが、組織としての性質はわかっている。
組織全体として苛烈で一切の容赦がない。その捜査能力の高さは王国の各組織の中でも群を抜いており、恐らく犯罪捜査や追跡に特化したジョブ持ちがいるのだろうと噂されている。敵に回すには厄介な相手だ。
本当に面倒だけど……まあ、いつかまとめて殺せばいい
まだオーエンのスキルで捌けるはず
まだこちらは、向こうからすれば霧の中だ
思考はそこまで滑り、そこで一度止まる。舞台の上では主役が高らかに愛を歌っている。対して貴賓席の黒髪の聖女は、未来の異端審問官殺しを想定していた。
富士宮は内心でだけ小さく笑った。
殺すことになったら仕方ない
敵なのであれば処理するだけだ
ゲームでも追跡特化エネミーは放置したら面倒なんだよ
先に落とせるなら落とす、これ基本
*
そこまで考えたところで、彼女の思考は次の題目へ移る。
人材の配置と今後の編成、これが目下の本題だ。ちなみに育成そのものには、今のところ大きな問題はない。
ナビル・ハリー・アントニオという護衛組の三人は、イニゴとのトレーニングで順調に伸びてきている。ナビルは銃の扱いがさらに洗練されてきたし、ハリーは壁としての自覚が出てきた。アントニオは相変わらず面倒だが、面倒なりに暴力の質が上がっている。……ヘイト管理は難航しているけど。そこだけはほんとどうしようもない。
アントニオ、お前なあ……
ほんと、なんであんなにすぐ沸騰するの
でもあの暴力は惜しいんだよな
最近は王都郊外のクエストも、少しずつ増やしている。近場の討伐や護衛だけではなく、外へ出て戦場の広さや連携行動を経験させる段階へ入ってきた。そろそろ、もう一段階難度を上げてもいいかもしれない。
迷宮などのいわゆるダンジョンや中規模の魔物討伐、もしくは護衛対象が重要な遠征などだ。経験値効率と危険度のバランスを考えると――などと、富士宮の頭の中ではもう完全にゲームの中盤育成フェーズみたいな計算が始まっていた。
一方、雑貨店組のオーエン・ブラヒム・リュシエンヌ・イバンは純粋な戦闘員というわけではない。だから南部の教会クエストを定期的に受けていけばいいし、むしろ本業そのものが経験値になるタイプでもある。
だが、ブラヒムだけが特殊で仕様が読めない。ステータスだけ見れば武力は一応Cである。でも、そんな数字で説明できる戦闘能力をしていない。実際、初対面の頃と比べても格段に強くなっている。
詳しいところはわからないけど、まあ今のところ強くなってるならよし
こういう謎成長枠、嫌いじゃないんだよな
ロマンあるし
さて、ここまでは順調、のはずなんだけど――
富士宮は、そこで舞台の上の歌を完全に聞き流しながら、本題へ入った。
やっぱり、アレが足りないんだよな〜〜
*
まず、護衛組については全体的にかなり良くなってきたし、物理戦力は十分に見栄えがすると言っていいと思う。だが、決定的に欠けているものがある。そう、魔術師だ。後衛の魔法職がいない。ここはぶっちゃけとてもデカい。
物理寄りの編成だけで押せるのは序盤までなんだよな
この世界、どう考えても後で魔法と状態異常と範囲攻撃が飛んでくるだろ
そしたら物理だけじゃ対応の幅が狭くなる
つまり魔術師が要る
しかも一人じゃ足りない
最低でも三人いる
富士宮は頭の中で、必要職を順に並べていく。
まずは、攻撃役の黒魔導師。役割は遠距離高火力、範囲攻撃、属性魔法による遠距離攻撃。要するに、敵の群れをまとめて焼く役だ。ナビルの物理だけでは届かない領域を消し飛ばせる人材が必要。
次に、回復役の白魔導師。役割は回復、状態異常解除などの継戦補助。ハリーがどれだけ優秀でも、ヒーラーなしだと長期戦が不安定すぎる。そもそもタンクを活かすには回復がいる。
最後に、育成役の魔術師。何ならここが最重要かもしれない。イニゴは戦闘でも育成でも優秀で、現時点で物理系の支柱として完璧に近い。でも、あれは物理と軍事特化だから、魔術師は育てられない。だから魔術師の即戦力であり、なおかつ後進を育てられる存在、要するにイニゴの魔法版が必要になる。
要求高いな!?
富士宮は内心で自分にツッコミを入れて苦笑した。
いや、わかるよ?
欲しいに決まってるよ
でも要求値高すぎるだろ
黒魔、白魔、魔法版イニゴ
全部別で必要って、普通に贅沢編成なんだわ
でも仕方ない
中盤以降、こういうところで差がつくんだよな
*
次に、雑貨店組について考察する。こちらは基本、武力以外の手段で勝つのが前提だ。情報や噂、社交を武器にして知略で勝っていくタイプだ。とは言え、それでも武力という保険は欲しい。ブラヒムはいるけれど、あれは特殊すぎるロマン個体だ。だから別方向の単純火力が欲しい。重火力型のハンマーや棍棒使い、鈍器系の圧殺役をイメージする。
シンプルに、重くて、痛くて、わかりやすい暴力。雑貨店組が非戦闘員主体だからこそ、一枚そういう脳筋でわかりやすい暴がいると安定する。交渉が決裂した時、情報戦が不発だった時、最終的に壁ごと潰してくれる役だ。
それと、もっと重要なのが商人。ここは絶対妥協できない。金策・流通・裏資金・物資の確保・情報網の確立など求められる役割は多岐にわたる。
ルナアリスでは有名な格言がある。
『商人を制する者が世界を制す』
富士宮は、その格言をわりと本気で信じていた。
これマジなんだよな
どれだけ強い前衛いても、金と流通と市場情報を握ってる奴が最後に勝つんだよ
商人枠、下手なSSRより重要まである
ここはほんと妥協できん
そのため雑貨店組に必要なのは、重火力枠と超優秀な商人、さらにもう一つ。
富士宮はそこで、ほんの少しだけ笑みをこぼしそうになるのを抑えた。
自分と同系統の暗殺者、これは絶対必要だ。いつでも自分が動けるわけじゃない。聖女の立場がある以上、自由に打って出られない局面は増えるから、その時の実行役が必要になる。宵闇の指先を量産するつもりはないが、影の手足になる暗殺者は必要だ。
この役をどう拾い、どう育てるか。それを考えるだけで、胸が高鳴る。
やること多すぎて、普通ならクラクラするはずなんだけどな
富士宮は主役の歌が最高潮に達する中、静かに目を細めた。
足りない役割が見えてるってことは、伸びしろが見えてるってことだ
ここまでの局面、確かに楽しかった
勇者暗殺も、宵闇始動も、ナビルたちの発掘も、全部イベントとして美味しかった
でもあれはまだ、チュートリアルだったんだよな
今やっと、本格プレイが始まる感じがする
その感覚が、たまらなく好きだった。
舞台の上では、歌劇がついに大団円を迎える。罪は許され、登場人物たちは運命を乗り越え、観客たちは大きな拍手を送る。貴賓席の周囲でも、貴族たちが満足げに手を叩いていた。
その中で富士宮ひとみも、静かに拍手を送った。表面上は歌劇への賛辞として、しかし実際にはそれはもっと別のものに向けられていた。
自分の世界が、ようやく本格的に動き出す、その感触に向けて黒髪の聖女は、わずかに笑んだ。




