チュートリアルで出ていい個体じゃない
「……いない」
黒髪の聖女は、朝から静かだった。
いや、朝から静かなのはいつものことなのだが、その日の富士宮ひとみは、いつも以上に口数が少なかった。侍女たちはそれを、聖女らしい厳かな沈黙だと解釈していたし、案内役の若い司祭などは、ひとみが誰かをじっと見るたびに「祝福の眼差しだ」と感激していた。
実際のところは、違う。
全然違う。
ひとみは朝から、教会内の人間を《鑑定眼・宵》で見て回っていた。
昨日の祝宴で得た感触からして、この世界にはジョブとステータスがある。そして、それがある程度の法則性を持っている。ならばまずは、初期拠点――つまり教会内部で、数を見て傾向を掴むのが定石だ。
チュートリアルでいきなり外へ出るのは悪手。まずは安全圏で、システム理解。
富士宮ひとみ、元・廃ゲーマーとしての基本方針である。
その方針自体は間違っていないはずだった。
問題は――。
「……いない」
もう一度、今度は心の中で呟く。
いない。
何人見ても、良い人材がいない。
さっき見た若い侍女は、魅力C、精神D、幸運D。侍女としては悪くない。十分実務に使える。笑顔も可愛いし、愛想も良い。だが、だからどうしたという話だ。
その前に見た下級神官は、精神C、知力D、魅力C。こちらも神官としては平均点。祈る、説く、書く、そのへんはそこそこやれるだろう。だが伸びしろを感じない。
書記見習いは知力C。護衛騎士は武力C、精神C。写本室の年長修道女は精神Bで少し目を引いたが、他が平凡。施療室の薬師補助は知力D、精神C。悪くないが、やはり“普通”の域を出ない。
富士宮の内心は、かなり辛辣だった。
なんで全員こんなに丸いの。
もっといないの。こう、見た目はモブなのに内部パラメータが壊れてる個体。
序盤マップにだって一人くらいは仕込んであるでしょう、普通。
あってもいいじゃない、チュートリアル用の当たり個体。
それなのに現実は、CとDの行列だった。
もちろん、現実の組織がそうそう化け物だらけでないことは知っている。前の世界の病院だって、皆が皆、突出した天才ではなかった。むしろ凡庸な人間が、凡庸なまま日々の業務を回しているから組織は成り立つ。
それはわかる。
わかるが、面白くはない。
「聖女様、この先は孤児たちの学び舎となっております」
案内役の司祭が、柔らかな笑みでそう告げた。
ひとみは無表情のまま頷く。
「……そう」
その短い返答に、司祭は感動したように頭を下げた。
「幼き者たちの場の見学をわざわざお望みとは……やはり聖女様は慈悲深く――」
違う。
単に孤児の方が当たり個体が埋まっていそうだからだ。
口には出さない。出さないが、内心では真顔でそう思っていた。
孤児院でも、ひとみは静かに子どもたちを見て回った。
祈りを捧げている子。ぼんやり外を見ている子。隠れて菓子を食べている子。喧嘩しかけて修道女に止められている子。
表から見れば、黒髪の聖女は、幼い者ひとりひとりの顔を丁寧に見ておられる。
実態は、完全に査定である。
この子は統率F、魅力D、精神E。末っ子気質。
こっちは知力D、精神D、幸運C。雑務系ならそこそこ。
あの子、魅力Cか。踊り子か接客系ならワンチャン……いやでもまだ幼いし、現時点では誤差。
そっちの子は――うん、普通。普通の元気な子。
「聖女様があの子の頭を……!」
「まあ、祝福を……!」
頭を撫でたのは、泣きそうな顔の子どもを黙らせるにはそれが早かったからだ。
すると子どもはぴたりと泣き止み、周囲は「聖女の慈愛だ」と勝手に感動した。
便利な世界だな、とひとみは思う。
中身がゲーマーであることさえバレなければ、だいたい何でも美談にできる。
孤児院を出て、施療室へ行き、写本室へ行き、祈祷堂へ寄り、炊き出し場も覗いた。誰も彼もが、聖女の巡回に恐縮し、感動し、やたらと丁重だった。
ひとみは終始、低い声で、短く答えた。
「ご苦労さまです」
「続けてください」
「丁寧ですね」
「よく整っています」
そのどれも、周囲にはありがたい御言葉として受け取られたらしい。
だが内心は、ずっと違う。
いない。
いないいないいない。
本当にいない。
これ、もしかして今の私、普通に聖女業をして終わる流れ?
嫌なんだけど。それだけだと困るんだけど。
システムがあるのに、活かせる個体がいないなんて、それはもう宝の持ち腐れでしょう。
そんなことを思いながら中庭へ出ると、空気が少し変わった。
静かな回廊の向こうから、荷車の軋む音と、人の怒鳴り声が聞こえる。食料搬入だろう。司祭もそちらへ目を向け、「定期の納入でございます」と説明した。
教会の裏手に近い搬入口には、数台の荷車が並んでいた。小麦袋、干し肉の樽、野菜を詰めた籠、布包み、飼料。商人らしい男たちが帳簿を確認し、荷運び人たちがせわしなく動く。家畜の鳴き声も混じり、さっきまでの静謐な空気とはだいぶ違う。
ひとみは、少しだけその場に足を止めた。
表面的には、聖女が教会の庶務にまで目を向けているように見えただろう。
実際には、なんとなく見ただけだ。
いや、なんとなく、でもないかもしれない。商隊や荷役の場には、たまに妙な人材が埋もれている。兵站、交渉、統率、現場判断。ルナアリスでも、序盤の商隊イベントは意外と侮れなかった。
そこまで考えた瞬間、自分がまたゲーム脳で考えていることに気づく。
まあいい。
役に立つなら、何脳でも。
ひとみは《鑑定眼・宵》を軽く走らせた。
商人。知力C、魅力C、幸運D。
荷運び人。武力D、精神D。
商隊護衛。武力C、精神C。
雑役奴隷。全部F寄り。
……はいはい、兵站モブね。
内心で雑なラベリングをしながら視線を流していた、その時だった。
ひとりの青年に目が止まる。
黒髪。短髪。長身細身。
痩せている。けれど、妙に姿勢が崩れていない。
衣服は粗末で、首には奴隷用の識別帯らしき革紐。手首にも古い擦れ傷がある。荷を運んでいる姿からして、商隊に紛れた奴隷だろう。
だが、何より目を引いたのは、眼だった。
鮮やかなエメラルド色。
明るすぎる、宝石みたいな色だった。この世界では忌まれる色だと聞いている。誰もが目を逸らしたくなるような、禁忌の明るさ。
それなのに彼は、その眼を目立たせないように動いていた。視線を伏せ、音を立てず、荷を持つ時も無駄がない。目立つ色を持ちながら、存在感そのものは薄い。
ひとみは、ほんの気まぐれに思った。
……何か、変。
差別されているから気になった、というのもある。
ただそれ以上に、動きが、少しだけ引っかかった。
そこでひとみは、その青年へ《鑑定眼・宵》を向けた。
瞬間。
視界が揺れた。
半透明の表示がぶれ、世界の輪郭が一瞬だけ深く沈む。熱にも似た圧がこめかみを打ち、頭の奥で何かが噛み合う感覚が走った。
え。
何これ。
次の瞬間、表示が切り替わる。
【ユニークスキル:《鑑定眼・宵》Lv2】
ひとみは、表情ひとつ変えずに固まった。
立ち止まった時間は、おそらくほんの二秒か三秒だ。侍女たちは「聖女様が何かを感じ取られた」としか思っていない。司祭はむしろ畏敬の目でこちらを見ている。
しかし、内心では大騒ぎだった。
は?
上がった。
今、上がった?
レベルアップした?
何を踏んだの?
イベントマス?
いや違う、目の前のこの子がトリガー?
そして、新しく開かれた情報欄を見て、富士宮ひとみは本気で壊れかけた。
【ナビル・ユーラッハ】
【年齢:18】
【現在ジョブ:奴隷】
現在値:
【統率:F】
【武力:F】
【知力:E】
【精神:F】
【魅力:F】
【幸運:F】
ここまではまだよかった。
よくある底辺スタート個体だ。ひどいが、珍しくはない。
問題は、その下だった。
潜在値:
【統率:A】
【武力:A】
【知力:S】
【精神:A】
【魅力:A】
【幸運:A】
そのさらに下。
【潜在上級ジョブ候補:複数】
【奉仕系統適性:極大】
【補佐系統適性:極大】
【護衛系統適性:高】
【兵站系統適性:高】
【特異派生候補:【神々の執事】】
――は?
富士宮の脳内で、何かが爆発した。
いやいやいやいや。
待って。
ちょっと待って。
知力S、他A?万能型?
しかも奉仕・補佐・護衛・兵站の複合適性?
なにそれ。何その理想個体。
しかも【神々の執事】って何。
何それ何それ何それ。
そんなジョブ、ルナアリスに実装されてなかったんだけど。
未実装? 没データ? 隠し? リアル専用?
いや違うそうじゃない。今それどころじゃない。
いる。
いた。
序盤で。
チュートリアル搬入口に。
URどころか、設定資料集にしか載ってないやつがいた。
表面上の富士宮は、静かに目を細めただけだった。
周囲から見れば、黒髪の聖女は、差別されし奴隷の青年に憐れみを向けておられるようにしか見えない。
実際の中身は、完全に廃ゲーマーの絶叫である。
いた!
いたいたいた!
当たり個体!
大当たりどころじゃない!
チュートリアルで出していい個体じゃない!
何これ、運営のミス?
いや現実に運営って何。落ち着け私。
でも拾う。
これは絶対拾う。
逃したら一生後悔する。
ひとみは低い声で言った。
「……あの子は?」
たったそれだけだ。
なのに、司祭も侍女も、ひどく神妙な顔になった。
「あ、あれは……商隊に紛れている奴隷でございます」
「奴隷」
「は。南方の被差別部族の出だとか。あの眼の色ゆえ、忌まれております。聖女様がお気に留めになるような者では――」
違う。
そこではない。
そこではないが、同時に、その説明に軽い不快感も覚えた。
あっさりと、価値のないものとして切り捨てる声。
能力がないからではなく、環境に押し潰されて低く見積もられているだけの人間を、当然のように「そういうもの」と扱う感じ。
前の世界でも、そういうのは嫌いだった。
発達検査だって、本来は子どもを序列化するためのものではない。見えにくいものを見えるようにして、接し方を考えるためのものだ。
まあ、今はそんな綺麗事だけでもないのだけれど。
ひとみは青年から目を離さず、淡々と告げた。
「呼んでください」
周囲は一瞬ためらったが、聖女の命令に逆らうほどではないらしい。商隊側へ声がかかり、青年が荷を置かされ、こちらへ連れてこられる。
近くで見ると、やはり痩せていた。背は高いのに、肉が足りない。だが歩き方は静かで、足元がぶれない。眼は伏せられているが、周囲の気配をちゃんと拾っているのがわかる。
いい。
良い。
今の時点でも挙動がいい。
表情を変えずに、ひとみは問いかけた。
「名前は」
青年はわずかに顔を上げた。鮮やかなエメラルドの眼が、一瞬だけこちらを見る。
「……ナビル・ユーラッハ」
声は低く、かすれているが、発音が整っている。
ひとみの内心のテンションがまた一段上がった。
声もいい。
落ち着いてる。
無駄に媚びない。
いい。
「字は読める?」
周囲がざわついた。奴隷に向ける質問ではないと思ったのだろう。
ナビルは少しだけ間を置いてから答える。
「少しなら」
ひとみの脳内で、効果音が鳴った気がした。
よし。
「痛みに強い?」
「……慣れています」
よし。
「黙っているのは得意?」
そこでナビルはほんのわずかに眉を動かした。驚いたのかもしれない。だが返答は短い。
「はい」
最高。
富士宮ひとみは、内心で完全に拍手していた。
ありがとう。
ありがとうこの世界。
まだチュートリアルは見限らない。
ちゃんと当たり個体は埋まってた。
しかも何これ、序盤の従者枠で出していい性能じゃない。
これ、攻略wikiなら最優先確保対象って太字で書かれるやつ。
表面上は、あくまで静かに。
「……この子を、私付きにしてください」
その一言で、空気が止まった。
司祭の顔が引きつる。侍女たちは息を呑む。商隊の責任者らしい男が、目を丸くしたまま固まる。
「せ、聖女様?」
「その者は奴隷にございます」
「しかもあの眼です」
「おそばに置くなど――」
ひとみは視線だけを上げた。
「問題が?」
それだけで、周囲がひるむ。
声を荒げたわけでもないのに、なぜか“聖女の不興”として機能したらしい。便利な世界だと二度目の感想を抱く。
司祭が慌てて取り繕う。
「い、いえ。しかし、身元も低く、穢れの懸念も――」
「なら尚更、私の目の届くところに置いた方がいいでしょう」
淡々と告げる。
建前としては十分だ。差別された者への慈悲、聖女の監督下での保護、あるいは管理。
だが本音はもちろん違う。
管理したい。
育てたい。
今すぐ囲いたい。
逃したくない。
ナビルは黙って立っていた。表情は硬い。だが、ひとみはその目の奥に戸惑いとは別のものを見る。
警戒だ。
そして、観察。
この青年は、いきなり選ばれた理由がわからない。哀れみでも気まぐれでもなく、もっと別の理由で自分が見られた気配を感じている。だからこそ、完全には安心していない。
それでいい、とひとみは思う。
むしろ、その方がいい。
考える頭がある証拠だ。
「……異論があるなら、教皇猊下に伺ってください」
そう付け足すと、もはや誰も強くは反対できなかった。
聖女の意向であり、しかも教皇の名まで出されたのだ。下の者が押し返せる話ではない。
こうして、ナビル・ユーラッハは、ほとんど半ば強引に、聖女付きの雑務係として引き取られることになった。
その一部始終のあいだ、富士宮ひとみの表情はほとんど変わらなかった。
侍女たちは後で口々に言うだろう。
黒髪の聖女様は、差別された哀れな青年をご覧になり、深いお考えの末にお救いになったのだ、と。
実際のところは、かなり違う。
黒髪の聖女様の中身は、序盤で未実装級の当たり個体を引き当てた廃ゲーマーである。
自室へ戻った瞬間、さすがにひとみは寝台に腰を下ろした。
そして、無人の部屋でようやく、内心の抑制を解いた。
やばい。
やばいって。
何あれ。
富士宮ひとみは額に手を当てた。声には出していないが、気分としては床を転げ回りたいくらいだった。
《鑑定眼・宵》がレベル2。
潜在値解放。
万能型超当たり個体。
奉仕・補佐系極大適性。
【神々の執事】候補。
意味がわからない。
いや、意味はわかる。
わかるからこそ意味がわからない。
なんでそんな個体が、商隊の隅で荷物運んでるの。
どういう世界設定。
しかも奴隷スタートって何。
落差が極端すぎるでしょう。
いや、だから埋もれてたのか。
環境で潰されてる。現在値が死んでる。
わかる。わかるけど、拾えて良かった。本当に良かった。
ひとみは深呼吸した。
落ち着け。
落ち着け私。
浮かれるのはいい。でも整理しろ。
今のナビルはまだ何も育っていない。
能力は抑圧されていて、信頼もない。
環境を整える必要がある。食事、睡眠、教育。
まずは自分に慣れさせる。
それから、何をどう伸ばすか。
奉仕系を先に取るか、補佐系を回すか、それとも知力Sを活かして文官ルートも――
そこまで考えて、ひとみはふっと息を吐いた。
楽しい。
認めたくないが、ものすごく楽しかった。
前の世界で、画面の向こうにしかいなかった“当たり個体”が、今はここにいる。名前があり、眼の色があり、警戒した表情があり、これからどう育つかを自分が考えられる。
それが恐ろしくもあり、同時にどうしようもなく心を引きつけた。
「……面白すぎる」
珍しく、声に出た。
もちろん部屋には誰もいない。
いたらたぶん驚かれただろう。聖女様が低い声で、かなり危ない感じのことを呟いたのだから。
ひとみはもう一度、頭の中でナビルの情報を呼び出した。
知力S、他A。
【神々の執事】候補。
そして静かに笑った。
それは人前では決して見せない、廃ゲーマーの笑みだった。
「……いいわ。育てがい、ありそう」
黒髪の聖女は、誰にも見えない部屋の中でだけ、ほんの少し機嫌よく目を細めた。
チュートリアルは、大成功だ。




