表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/12

教皇と神の眼

 侍女たちに囲まれて身支度を整えられているあいだ、富士宮ひとみは終始おとなしかった。

 

 白い衣。薄い金糸の刺繍。肩にかかる布の重さ。髪を梳かす櫛の感触。どれも高級なのはわかるが、率直に言って動きにくい。


「聖女様、少しだけ腕を」


「……はい」


「まあ、なんてお美しい……」


「光が、まるで」


 いや、ただ着せ替えられてるだけなんだけど。


 そう思いはしたが、口には出さない。出したところで面倒になるだけだ。彼女の表情は相変わらず薄く、返事も最低限だったが、それがかえって侍女たちには“俗世に染まらぬ神秘性”として映るらしい。便利な解釈である。


 部屋を出て、大聖堂の回廊を歩く。


 高い天井。磨かれた石床。色硝子から落ちる淡い光。壁際に立つ聖職者たち。礼を取りながらも、視線の端でこちらを盗み見る者が多い。


 聖女様。黒髪の。噂どおり。ほんとうに。


 そんな小さな囁きが聞こえる。


 ひとみは表面上、少しも気にしていないふうを装って歩いた。実際のところ、気にしていないわけではない。ただ、いちいち反応しても情報は増えない。それよりも目につくのは、護衛の配置や扉の数、柱の陰、廊下の見通し、窓の高さだった。


 《タナトス》のせいか、自分でも嫌になるほどそういうものが気になる。


 正面から来るなら三人まで。左右の回廊から挟むなら、あの柱の位置が使いやすい。ここは逃げるには向かない。音が響く。


 我ながら、聖女らしさがない。


 まあ、最初からなかったけれど。


 やがて侍女が足を止め、大きな扉の前で深く頭を下げた。


「教皇猊下がお待ちです」


 扉が開く。


 中は謁見の間というより、格式の高い応接室のような空間だった。赤い絨毯、重厚な机、壁に掛けられた聖像。奥の高背の椅子に、一人の老人が座っている。


 教皇。


 ひとみは一目で、ああ、なるほど、と思った。


 好々爺だ。


 柔らかい笑み。ゆるやかな仕草。声を荒げたことなどなさそうな、穏やかな雰囲気。年を重ねた者らしい落ち着き。いかにも“善良な老人”という見た目をしている。


 そして同時に、その目だけは違った。


 笑っているのに、値踏みしている。


 品定めではない。もっと実務的な、冷たい査定だ。この娘はどれだけ使えるか、どれだけ危ういか、どこまで手元に置けるか。そんな計算をしている目だった。


 ひとみは内心だけでため息をつく。


 優しそうな老人、ではない。

 優しそうに見えることを知っている老人、だ。


「よく来てくださいました、聖女様」


 教皇は椅子から立ち上がることなく、穏やかに言った。


「目覚めの報告を受け、胸を撫で下ろしました。お加減はいかがですかな」


「問題ありません」


 短く返す。


 すると教皇は満足げに目を細めた。たぶんこの程度の簡潔さも、勝手に聖女らしさへ変換してくれるのだろう。


「それは何より。では、改めてお尋ねしても?」


「何を」


「あなた様のお名前を」


 少しだけ間が空いた。


 富士宮ひとみ、ではいかにも日本人すぎる。とはいえ別の名前をでっちあげる必要もない気がした。ひとみはほんの一拍考えてから、言葉の調子だけ少しこの世界に寄せる。


「……ヒトミ・フジノミヤ」


「ヒトミ・フジノミヤ」


 教皇はその音をゆっくり繰り返し、噛みしめるように頷いた。


「美しい名です」


 社交辞令だろう。だが声音は柔らかく、嫌味はない。


 ひとみは返答の代わりに、ほんのわずかに顎を引いた。


 その時だった。


 ふと、思いついた。


 この老人を《鑑定眼・宵》で見たら、何が見えるのだろう。


 好奇心に近いものだった。異世界に来てからの自分は、だいぶ順応が早いと思う。普通ならもっと動揺してもよさそうなのに、気がつくと新しいシステムの確認に意識が向いている。


 試しに、くらいの気持ちで、ひとみは教皇へ視線を向けた。


 半透明の表示が浮かぶ。


【現職:教皇】

【統率:C】

【武力:F】

【知力:C】

【精神:A】

【魅力:C】

【幸運:D】


 へえ。


 思わず感心した。


 精神だけが突出している。あとは凡庸。知力も魅力も平凡より少し上程度。なのにこの地位にいる。


 つまりこの老人は、単純に頭が切れるとか、人を惹きつけるとか、そういうタイプではない。もっと別の、折れなさや信念の維持や、あるいは己の役割を演じ続ける力でここまで来た人間だ。


 そう結論づけた瞬間、教皇の目がすっと細くなった。


「……今、神の眼をお使いになりましたな」


 ひとみは一瞬だけ黙った。


 ばれた。


 けれど、教皇の口ぶりは責めるものではなかった。むしろ確信と、少しの期待が混ざっている。


「神の眼?」


「ええ。歴代の聖女の中には、まれに眼にまつわる奇跡を授かる方がおられました。聖遺物の真贋を見抜き、呪いの痕跡を見つけ、穢れのありかを暴く。そうした御業を、我らは古くより神の眼と呼んでおります」


 教皇はゆっくりと言う。


「そして眼の奇跡は、同じく神に仕える者なら、発動の気配だけはわかることがある」


 そこでひとみは、電流が走るみたいに気づいた。


 なるほど。


 この世界では、“眼のスキル”自体は知られている。

 でも、それは物の真偽や呪いを見る聖なる奇跡として認識されている。


 つまり、人間の情報を見る用途は想定されていない。


 思い返せば、スキル名も《鑑定眼》ではなく《鑑定眼・宵》だった。聖女らしい神々しさより、どこか影がある。正統な奇跡に見えて、その実、少しズレた性能なのだろう。


 その推測を悟られないよう、ひとみは視線を教皇の手元へ滑らせた。


 老いた手に握られている錫杖。


 今度はそちらへ《鑑定眼・宵》を向ける。


【教皇錫杖】

【材質:聖銀・白樫】

【状態:中度消耗】

【付与:浄化/威圧】

【備考:先端部内側に微細な損傷、長期使用により芯材疲労あり】


 ひとみは淡々と口を開いた。


「……その錫杖、古いですね。聖銀製。浄化の加護が残っています。けれど、先端の内側に細かい損傷があります。今すぐではありませんが、長く使うなら芯の補修が必要です」


 教皇が固まった。


 周囲の聖職者たちも息を呑む。


 数秒の沈黙のあと、教皇はゆっくりと錫杖を見下ろし、そして破顔した。


「おお……素晴らしい。まさしく聖女の御技」


 嬉しそうですらある。老人の目の奥にあった打算が、一段深く沈んだのをひとみは見た。


 価値が確定したのだ。


 黒髪であろうが何であろうが、この聖女は使える。少なくとも今この場で、教皇はそう判断した。


「ヒトミ・フジノミヤ。あなた様の再臨は、やはり神の御意志であった」


 それからの流れは、やや強引だった。


「聖女再臨を祝う小さな会がございます。ぜひ、お顔をお見せいただきたい」


 小さな会と聞いていたのに、案内された先はどう見ても小さくなかった。


 高い天井の広間。磨き上げられた床。光る燭台。音楽。整然と並ぶ料理と酒。高位聖職者、貴族らしき男女、軍服姿の男、刺繍の多い長衣を纏った魔術師風の人物。どう考えても、重要人物の見本市である。


 教皇は満面の笑みでひとみを連れていき、朗々と告げた。


「皆の者、聖女ヒトミ・フジノミヤ様である」


 拍手が起きた。


 ひとみは内心で思う。


 マスコットだ。


 完全にマスコット扱いだった。


 だがここで逃げ出しても状況は悪くなるだけなので、ひとみは大人しく立っていた。返事は短く、笑顔も控えめ、動きも少なめ。しかし、その全てが良い方向へ誤読される。


「まあ……なんて静謐な」


「俗世の喧噪に動じておられぬ」


「神に近しい方は、やはり違う」


 違わない。単に知らない人の多い場が苦手なだけだ。


 だが便利なので否定しない。


 挨拶に来る人々を、ひとみはさりげなく《鑑定眼・宵》で見ていく。


 まず、教皇の隣に立つ将軍らしい男。


【現職:王国将軍】

【統率:A】

【武力:A】

【知力:C】

【精神:B】

【魅力:C】

【幸運:D】


 わかりやすい。


 見るからに軍人で、実際に軍人向けの数値をしている。


 次に、細身で目つきの鋭い宮廷魔術師らしき女。


【現職:宮廷魔術師】

【統率:F】

【武力:F】

【知力:A】

【精神:A】

【魅力:D】

【幸運:C】


 これも納得だ。知力と精神が高い。魔術師はこのあたりが要なのかもしれない。


 さらに、笑顔のうまい若い貴族。


【現職:宮廷貴族】

【統率:D】

【武力:E】

【知力:C】

【精神:D】

【魅力:A】

【幸運:B】


 社交向き。


 ジョブとステータスは、やはり無関係ではないらしい。


 騎士なら武力と精神。

 魔術師なら知力と精神。

 貴族なら魅力と幸運。

 そういう基本形が存在するのかもしれない。


 その推測に至った瞬間、ひとみの脳裏に懐かしい感覚がよみがえった。


 ステータス。ジョブ。適性。


 前の世界で、彼女はそういうものに異様に強かった。


 総合病院の臨床心理士。黒髪で、愛想が薄くて、やさぐれ気味。周囲から見える富士宮ひとみはそれだけだ。だが、その内側には誰にも知られていない顔がある。


 重度のシミュレーションゲームオタク。


 とくに、ランダム生成された人材を発掘し、育成し、配置し、組織や国家を強くしていくオンラインゲーム――『ルナアリス』。


 彼女はそのゲームに人生をだいぶ持っていかれていた。仕事が終わればログインし、休日は育成ルートの検証に消え、個体値の偏りと隠れ適性について何時間でも語れた。世界ランキングトップ10に入ったこともある。廃人である。


 もちろん、そんなことは職場の誰にも言っていない。言えるわけがない。


 でも、今この場の光景は、その記憶を強く刺激した。


 ジョブがあって、ステータスがあって、見た目と中身が一致しない個体がいる。しかもそれを実際に“見られる”。


 ……ちょっと、似すぎじゃない?


 ひとみは表情ひとつ変えずにグラスへ口をつけた。中身は薄い果実酒だった。


 まだ確信はない。今見えているのは基本ステータスだけだ。潜在能力や取得可能ジョブみたいな核心部分までは見えない。けれど、感触がある。


 リアル版ルナアリス。


 そんな馬鹿みたいな発想が、頭の中で小さく形を取り始める。


 そして、その考えは、ひとみの心拍を少しだけ上げた。


 面白いかもしれない。


 パーティはそのまま続いた。


 高位聖職者が丁寧に言葉をかけてくる。貴族の婦人が遠慮がちにほほえむ。将軍がぎこちなく頭を下げる。ひとみは必要最小限で応じる。そのたびに勝手に神秘性が増していくのだから、いっそ楽だった。


 そんな終盤。


 ふいに、背筋が冷えた。


 ぞわ、と皮膚の裏を撫でるような感覚。


 《タナトス》が反応していた。


 殺意。


 間違いない。誰かが、自分に向けて明確な敵意を持っている。


 ひとみはグラスを置く手を止めない。視線も動かさない。聖女として静かに立ったまま、意識だけを研ぎ澄ます。


 どこから。


 誰だ。


 近い。広間の中か、それとも入口側か。視線ではなく、もっと曖昧な気配として感じる。だが、特定まではできない。レベル1の《タナトス》では、危険の存在を察知するのが精一杯らしい。


 なるほど。

 歓迎ムード一色じゃないのは知っていたけど、早い。


 ひとみは内心でだけ呟いた。


 その殺意は長く続かず、気づけば薄れていた。相手が撤回したのか、隠したのか、それとも機会を見送ったのかはわからない。


 いずれにしても、この場所はチュートリアルのくせに治安が悪い。


 ようやく祝宴が終わり、専用の自室に戻った時には、ひとみもさすがに少し疲れていた。


 重い衣を脱ぎ、寝台の端に腰を下ろす。


 今日は情報が多すぎた。


 教皇は使えるものを見逃さない。

 《鑑定眼・宵》は聖女の奇跡として誤認されている。

 人を見る用途は知られていない。

 ジョブとステータスには相関がある。

 そして、もう自分に殺意を向けている相手がいる。


 ひとみは組んだ指に顎を乗せ、しばらく考えた。


 この世界で生きるには、能力を隠しながら、ルールを把握していくしかない。何が見えて、何が見えないのか。誰が使えて、誰が危ないのか。教会は味方なのか、それとも一時的な保護者に過ぎないのか。


 やることは多い。


 でも、最初にやるべきことは、意外と単純だった。


 人を見ること。


 明日、教会の中を見て回ろう。

 聖職者、侍女、騎士、雑役、誰でもいい。基本情報だけでも数が増えれば、この世界のジョブ体系や数値感覚が読めてくるかもしれない。


 いきなり本番へ行くのは悪手だ。

 まずは安全圏でシステム理解。

 初期拠点の把握。

 チュートリアルでできることを試す。


 思考がそこまで進んだところで、ひとみは自分が完全にゲーマーの発想へ切り替わっていることに気づいた。


 まあ、仕方ない。


 異世界で聖女になったのに最初に考えることがチュートリアルの最適攻略というのはどうかと思うが、少なくとも自分にはしっくりくる。


 ひとみは寝台にもぐり込み、天井を見上げた。


 見知らぬ石の天井。知らない神。知らない国。知らない敵。


 それでも、ほんの少しだけ高揚している自分がいる。


 怖くないわけではない。

 でも、システムがあるなら読める。

 読めるなら、勝ち筋はある。


「……まずは、教会の中から」


 誰に聞かせるでもなく呟く。


 そして、最後に心の中でだけ付け足した。


――チュートリアル開始、ね。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ