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マスコミの逸材

 オーエン・ハーグの雑貨店は、その日も一見すると、南部の片隅にあるごく平凡な店だった。軒先には安い布、干した薬草などが陳列されてある。雨の後で少し湿った石畳の匂いに混じって、煮出した茶葉の香りが薄く漂っている。表向きは教会系の慈善雑貨店だが、最近では近所の子どもがふらふら寄ってきたり、南部の住民が「ちょっと話を聞いてくれ」と愚痴を言いに来店したりと、だんだん地域に溶け込んできている。


 昼下がりの店内には、オーエンとリュシエンヌ・ファルがいた。今の彼女は、客のいない時間帯を見計らって、オーエンの前でぎこちなく食器類を並べている。雑貨店の手伝いという名目で店へ出入りするようになってまだ日が浅くできることは少ないが、その実彼女は思った以上に店へ馴染んでいた。


「それはもう少し右へ寄せた方が見栄えがいいですね」


 オーエンが穏やかに言う。


「は、はい」


 リュシエンヌが慌てて木皿の位置を直す。


「そんなに緊張なさらなくても大丈夫ですよ。お客様へ笑いかける時のように、自然体を心がけてみてください」


 その言葉に、少女は少しだけ困ったように笑った。オーエンは、それを冷静に観察していた。


 笑い方や困った時の視線の流し方、そして相手が何を言われたら安心するかを読む速度が、十五歳の範疇をはるかに超えている。リュシエンヌ本人は、自分のそれを才能とは思っていないのだろう。劇場で、先輩に怒鳴られ、酔客に絡まれ、支配人の機嫌を見ながら生きてきた結果、自然と身についた技術だと思っている節がある。


 ――だが、あれは磨けば武器になる


 オーエンは帳場の奥で売上を計算しながら、心の中では別のことを考えていた。


 ――主人はかなり喜ばれるだろう


 オーエンはもう、主人が保護や慈善という言葉を口にする時、その裏でだいたい何を考えているか、かなりの精度で理解できるようになっていた。あの人は、とにかく人材を拾いたがる。しかも、ただ有能なだけでは満足せず、癖があり、伸びしろがあり、局面を大きく変える可能性を持つ人材を異常に喜ぶ。リュシエンヌはいかにもそれっぽい人材であった。


 オーエンは、リュシエンヌとの距離を慎重に詰めていこうと思っていた。いきなり聖女へ引き合わせるのは、少女を怖がらせるだけだし、何より悪目立ちもするので悪手だ。まずはこの店を安全地帯だと思わせ、そして自分とブラヒムが敵ではないと理解させることから始めることにした。


 リュシエンヌは最初こそ怯えていたが、今では営業中の店内の空気を読む余裕すら見せ始めている。たとえばさっきも、南部の酔っぱらいが一人、昼間からふらりと入ってきて、買いもしないのに店先でぶつぶつ文句を言い始めた。普通ならオーエンが軽くいなして終わる場面だったが、その前にリュシエンヌが動いた。


「あの、それ、濡れてますよ」


 彼女は酔っぱらいの袖を見て、そう言った。


「……あ?」


「外、まだ寒いですし、お茶、飲んでいかれませんか」


 酔っぱらいは一瞬きょとんとして、自分の袖を見た。そこでようやく、自分がこぼした酒か何かで濡れた袖のまま寒空の下を歩いていたことに気づいた。


「ちっ……ああ、そうだな」


「でしたら、こちらへどうぞ」


 言われるまま、なぜか男は素直に従った。


 オーエンは、その一連の流れを見て少しだけ感心していた。あまりにも自然で、本人もたぶん自覚していないレベルで相手の視線をずらし、感情の行き先を変え、居心地の悪さを別の行動へ転化させる。しかも、命令や説教ではなく気づかせて従わせる形になっている。これからの伸びしろも感じさせる優秀な人材に間違いない。


 だがその一方で、オーエンは別の不足をはっきり感じていた。


 ――この店は人を保護し隠すことができる。王都市中の噂も集めることができる。しかし、情報は集まるだけでは意味をなさないこともある。


 ――情報を広げる者が必要だ。


     *


 数日後、オーエンは中央区域寄りの通りにある、少し古びた酒場で一人の男と向かい合っていた。


 少し長めの黒髪で痩せ型の青年。目つきは鋭いが、どこか疲れたような顔をしている。服装はきちんとしているのに、着慣れているという感がない。


 彼の名前はイバン・コナン。王立中央新聞社所属の記者だった。


 王都南部出身だが、勉学の才能があり大学にまで進学できたことで、今は中央で働いている。記者としての能力は高く、文章は巧みだし現場での取材の粘りもある、そんな有能な若手記者だった。だが、貴族の機嫌を伺いながら上品に事実を捻じ曲げる中央新聞社特有の空気にずっと馴染めずにいることが、少し調べてみると明らかになっていた。


 オーエンは最初、イバンの存在をリュシエンヌの何気ない一言から拾った。公開ミサの帰り際、彼女がぽつりと「後ろの方に、南部訛りの記者さんみたいな人がいました」と言ったのだ。実はオーエンにも記憶があった。以前に南部貧困層の生活実態調査との名目で、雑貨店の周りをうろついていた男だ。


 当時は気にしていなかったが、南部出身にも関わらず中央新聞社所属ということは、組織に馴染みきっていない可能性がある。そう直感したオーエンは、その記者とコンタクトを取り、まずは軽く飲みながら話す場を作ったのだった。


「以前、南部の商店街へもいらしていましたね」


 オーエンが穏やかに切り出したところ、イバンは少しだけ肩をすくめる。


「取材になりそうならどこでも行きますよ。中央じゃ拾えない話もありますから」


「ですが、あの時に取材した記事は載りませんでした」


「……よく覚えてますね」


「ええ、もちろんです」


 イバンは苦く笑った。


「ええ、確かに載りませんでしたよ。南部での生活や教会の慈善事業なんて、紙面の片隅にも載らないってことです。もっと金になる貴族の婚礼とか、中央劇場の新演目とか、勇者様の武勇伝とか、そういうのの方が大事らしいので」


 最後の一言にオーエンはわずかに眉を動かした。イバンはそれに気づいたのか、少しだけ声を落とした。


「ああ、すみません。別に雑貨店の方へ言うことじゃなかったですね」


「いえ、お気になさらず。もしかして、勇者殿に関して思うところがおありなのですか」


 問われて、イバンは少し黙った後、少し経ってから諦めたように息を吐く。


「そりゃあ、たくさんありますよ」


 そう言ってから、彼は苦笑した。


「南部出身だと、中央じゃずっと二線級の扱いなんです。仕事ができても、言葉遣いを整えても、服をちゃんとしても、どこかで生まれが違うって線を引かれる。そこまではまだ我慢できます、でも」


「でも?」


「勇者レナート・カールみたいな男が、王都で好き放題やってるのに、それを誰も書かないんですよ」


 イバンの声は、怒鳴るほどの声量ではない。だが、自分でも抑えきれない苛立ちが滲んでいた。


「書けないんじゃなくて、書かないんです。皆、知ってるくせに。劇場街で女性を漁ってるのも、怪しい連中とつるんで女性を半ば無理やり館へ呼び込んでるのも。知ってるのに、勇者の看板があるから誰も触らない」


「それは、お辛いですね」


「ええ、向いてないんでしょうね、俺」


 その一言に、オーエンは小さく頷いた。


 向いてない、その感覚はよくわかる。できるし、こなせるし、なのに馴染まない。それはオーエン自身が官僚街で嫌というほど味わった感覚だ。


「場が合っていないだけ、ということもございます」


 彼は静かに言った。


「能力の有無とは、必ずしも一致しません」


 イバンは少し驚いたように顔を上げた。たぶん、そんな方向でのフォローをされたことがあまりないのだろう。


「……あんた、変わってますね」


「よく言われます」


 オーエンは微笑み、内心思う。こういう少しだけ場に馴染めない才人は、使いどころを間違えなければ極めて有用な武器になる、と。オーエンはこの新たな才能を主人に見せるため、翌日の公開ミサに共に行くことを提案した。イバンは、ちょうど公開ミサに参加する貧民層の実態調査をしている最中らしく、オーエンの提案にあっさりと応じたのだった。


     *


 公開ミサの日、富士宮ひとみはいつものように聖女として民衆の前へ立っていた。


 静かな所作と神秘性に溢れた外見はいつもと何も変わらない。だがその内側で、彼女はオーエンの居場所を気にしていた。


 今日オーエンが連れてくるという南部出身の新聞記者のことが頭の片隅にあったからだ。情報操作に向いた匂いのする男だとオーエンからは聞いている。リュシエンヌの時みたいなイベント産レア個体ではないだろう。でもこういう表社会に紛れ込んだちょうどいい才能も、局面を打開するには必要だった。


 ミサが進み、聖職者の祝詞と共に参列者が一斉に頭を垂れる。その隙に、富士宮は静かに視線を流し、見つけた。オーエンの隣に座っている黒髪、痩せ型で目つきに疲れがある男。


 富士宮はそのまま《鑑定眼・宵》を起動する。


【イバン・コナン】

【年齢:25】

【所属:王立中央新聞社 記者】

【出身:王都南部】


 現在ステータス


【統率:D】

【武力:F】

【知力:B】

【精神:C】

【魅力:C】

【幸運:C】


 うん、普通

 少し頭のいい文系男子って感じ

 前線には出られないけど、今欲しいのはそういうのじゃないから問題なし


 現在ジョブ


【新聞記者】

【ジョブランク:C】


 ここも妥当


 本番はここから、と富士宮は潜在ステータスを開いた。


【統率:C】

【武力:F】

【知力:A】

【精神:B】

【魅力:B】

【幸運:B】


 ほう

 数値としては、やはりただの秀才だ

 怪物ではないし規格外でもない

 でも、それでいい


 潜在獲得ジョブ候補

【世論編者】


 富士宮は心の中だけでうなずいた。欲しかった方向にきれいに刺さっている個体だ。新聞記者という皮をかぶったまま、真実の見え方をいじれるタイプで、地味だが大変危険な存在だ。怪物ではないが、こういうただの秀才が結局一番使い勝手がいい。


 リュシエンヌは勇者の欲望へ触れるための手、イバンはその汚泥を社会へ拡散するための口だ。つい最近まで足りていなかった二枚が、ほぼ同時に手元へ現れたことになる。


 聖女としての祈りの言葉を口にしながら、静かな雰囲気の顔つきのまま、富士宮の心の中だけは騒がしかった。


 ようやく、準備と駒が整った

 ようやく、勇者を落とせる

 ここからは配置とタイミングの問題だ


 ミサの最後の祈りが終わり、人々がゆるやかに顔を上げる。会場後方では、オーエンが何も知らないふりをして静かに立ち上がった。イバンとともに会場を退出する際、聖女に視線を飛ばす。まるで、自分の仕事の仕上がりを確認するかのように。


 良いよ、オーエン

 とても良い個体だ


 オーエンを返す視線にそんな思いを込めながら、富士宮は祭壇の前で聖女らしく静かに頭を垂れた。


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