聖女は表で動かない
王都へ戻った翌日、富士宮ひとみは珍しく、かなりはっきりと文句を言った。相手は国王と教皇だ。
場所は大聖堂内の応接室ではなく、もう少し格式の高い会談室だった。王城からの護衛も教会側の側近も控えていて、外から見ればずいぶん穏やかな対話に見えただろう。実際、富士宮自身も声を荒げたわけではなく、表情は薄いままだ。だが内容はまったく穏やかではなかった。
「勇者レナート・カールによる夜間の私室侵入、未婚の女性に対する接触の強要、ならびに危険時の単独逃走と聖女の護衛任務放棄について、王国と教会の見解を伺いたいです」
空気が少し固まる。国王は困ったように咳払いをし、教皇は内心を隠すように目を細める。
富士宮はさらに続けた。
「私は聖女として王国との関係維持に協力しました。しかし、その結果が夜這い未遂と魔族襲撃時の置き去りでは、さすがに納得できません」
国王は、ほんとうに心底気まずそうな顔をした。この人、ステータスはオールCの凡人だけど、こういう時にちゃんと困った顔ができるあたり、悪い人ではないんだろうなと富士宮は少し思う。思うが、だからといって許すわけではない。
「……申し開きのしようもない」
国王は低くそう言った。
「今回の件は、勇者の軽率としか言いようがない。王国としても、そなたに対して謝罪する」
国王はそうやってちゃんと謝った。横では教皇も、珍しく明確に頭を下げた。
「わたくしとしても、判断が甘かったと認めざるを得ません」
このジジイ、ちゃんと謝れるんだ
教会の保身を最優先するこの人が、ここではきちんと非を認めたのは少し意外だった。きっと勇者のやらかしが、思っていた以上に取り繕えない水準だったのだろう。
それでも、謝られて全部が丸く収まるわけではない。むしろ問題は、その後だった。
勇者レナート・カールは反省しなかった。どころか、王国最高の弁護士ジョルジニオ・メンデスを雇い、富士宮に対するネガティヴキャンペーンを始めたのである。
最初に聞いた時、富士宮は少しだけ感心した。
あ、そういう方向へ行くんだ
もっと単純に、もう一回押しかけてくるのかと思っていた
いやそれも嫌だけど、今回は一応、知恵を使う気になったらしい
ただし、その知恵の方向がだいぶ鬱陶しかった。流れてくる話は、露骨な誹謗ではない。そこがまた嫌だった。
「黒髪の聖女は気位が高い」、「王国への協力姿勢に欠ける」、「勇者の誠意を冷たくあしらった」、「教会の中で増長している」、「鑑定眼の奇跡に酔っているのではないか」、etc
どれもこれも、真正面から叩いてそれ自体で民衆の興味を惹きつけるほどの強い嘘ではない。だが、印象をじわじわ悪くするには十分な言葉選びだった。さすが王国最高の弁護士である。言葉を汚さずに、相手の印象だけを下げるのがうまい。
とはいえ、聖女そのものへの評判はあまり揺らがなかった。富士宮には、これまで積み上げてきたものがある。今日関係者でも誰もやりたがらない孤児院や工房の巡回は、低所得層の国民から圧倒的な支持を得ていた。鑑定眼による利益は、一部の聖職者と貴族にとってすでに失い難いほどの利権となっている。さらに表向きは静かで神秘的な振る舞いと圧倒的な美貌による、一般民衆からの支持も非常に厚い。だから勇者の策略程度では致命傷にはならない。確かにならないのだが、影響がゼロというわけでもなかった。
視察候補のいくつかが、聖女の来訪を断るようになったのだ。名目はさまざまで。曰く「時期が悪い」、「準備不足」、「受け入れ体制が整っていない」などなどである。
しかし富士宮にはわかる。これは、勇者側の工作が地味に効いている。こうやって地味に効く攻撃を放置すると、じわじわと自分が弱っていってしまう。本当に面倒だ。
富士宮はそこで、ようやく本格的に理解した。「自分の周囲を固めるだけでは足りない」、と。
ナビルたちのような優秀な個体を拾い、育て、自分の近くへ置くというのは、確かに王道の攻略法だ。でも、それだけだと線にしかならない。王国全体へ攻略の腕を及ぼすには、面となる人材と戦力が必要だ。政治、商業、密偵、情報、そういうもの満遍なく押さえなければ、勇者程度のアホが起こした面倒ごとですら、いちいち表の立場からチマチマ対処しなければならない。
富士宮はそんな無駄を許せなかった。国王との謁見の後に自室へ戻った後も、時間がもったいない、私はもっと育成計画やスキルビルドのことを考えていたいというのに、と思ってしまう。
そこで、富士宮ひとみの頭にふと思いついたことがある。
「……義賊」
ぽつりと呟く。架空の義賊を作ればいい。表向き、王国のあちこちで悪徳貴族や腐敗官僚、裏社会の汚れ仕事に楔を打つ何者かがいることにする。そして、その義賊を中心に、秘密組織を張り巡らせる。しかも、その構成員たちにも、トップが聖女だとは悟らせない。
表では聖女、裏では正体不明の義賊を頂点とした組織の首領。これなら、聖女としての名声を傷つけずに、王国全体へ手を伸ばせる。しかも、情報網が広がれば《タナトス》の活用幅も増す。
富士宮は、そこで目を細めた。
かなり名案では?
表の身分をカモフラージュにしながら裏を動かす
構成員にもトップの正体を伏せるから、いざという時に切り離しも効く
情報が増えれば、暗殺の効率も上がるし、人材発掘の精度も上がる
完璧では?
そう思った次の瞬間、彼女は現実的な問題にも気づいた。
こういう秘密組織は、作るだけなら簡単だ。問題は運営である。
帳簿管理、構成員間の連絡網の整備、指示系統の確立、表向きの商売の維持、裏向きの金の流れの把握と隠蔽、人の管理と処分といった組織を回すために必要な事務を確実にこなす人材が必要不可欠。つまり必要なのは、管理系統の逸材。それも、普通の文官では駄目だ。表の書類仕事に強いだけの人材ではなく、裏の組織を違和感なく回せる適性が必要。
富士宮はそこで、ふっと視線を上げた。
そうだ
官僚街に行こう
もちろん名目は視察
実際には、ただの人材ガチャである
*
王国の官僚街は、想像していたよりずっと整然としていた。
整備された石畳と区画整理された街路の両脇にずらりと並ぶ役所棟。行き交う文官たちは、派手ではないがそれぞれにきちんとした服装をしている。
聖女の視察とあって、案内役の官僚がつき、各部署を丁寧に回っていく。
富士宮はその合間に《鑑定眼・宵》を起動し、すれ違う文官たちを片っ端から見ていた。
そこそこ優秀な人材は多い。
知力B
精神B
統率B
そういうちゃんとした文官はいくらでも見つかる。
でも違う
欲しいのはそれじゃない
秘密組織の運営に向く人材とは、表の顔と裏の顔を両方回せるような、少し世界へ馴染みきらない種類の有能さを持った個体でなければならない。しかし、そういう個体は、なかなかいなかった。
富士宮は少しずつ諦めかけていた。
やっぱり、こういう特殊なのは簡単には落ちてないか
戦闘職みたいに、突出した能力が見えやすいわけでもないし
うーん、でも絶対どこかにはいるのよね
官僚機構って広いし、変な適性の人材が埋もれててもおかしくないし
そう思いながら視察を終えかけた、その時だった。ふと、案内役の官僚のことが気になった。ほんとうに、ふと、だ。さっきまで、完全にモブだと思っていた。案内をするためにそこにいる、ただの便利な役人。だが、立ち止まって思い返してみると、導線が妙に滑らかだった。
歩く順番の正確さと待ち時間のなさは逆に不自然と言っていいぐらい見事な差配だった。誰に会わせ、誰を避けるかの自然な誘導も効いている。余計な説明の切り捨て方も、今思えば見事だった。視察そのものが、やけにストレスなく進んでいるのに、それを表面上は感じさせないのはひとえに案内役の力量の高さゆえだ。
これ、逸材では?
富士宮は足を止めた。それに気付き、案内役の男が振り返る。
「聖女様、いかがなさいましたか」
年齢は二十代後半くらいで地味な顔立ちの男だ。服装も目立たつようなものではなく、いかにもいても印象に残らない官僚という感じだ。だからこそ、逆に気になる。富士宮はその場で《鑑定眼・宵》を向けた。
【オーエン・ハーグ】
【年齢:28】
基礎ステータスはオールC
そこそこ優秀
文官としては十分に使える
潜在も、知力がBに上がる程度で、数字だけ見ればよくいる有能な実務官だった
だが、その先を見た瞬間、富士宮の内心は大爆発した。
【ユニークスキル:死神の輪】
は?
何それ
さらに見ていくと、細かい枝分かれは多いものの、総じて意味するところははっきりしていた。
裏社会系統ジョブの人員配置の最適化/危険任務の優先順位付け/情報の集約と遮断/失敗時の切り捨て/痕跡の隠蔽/命令系統の圧縮/実行役の負担軽減のいずれも適性極大。
つまり――裏社会集団の事務方適性極大ということ
何これ
ちょっと待って
すごく欲しい
ものすごく欲しい
さらに潜在取得ジョブを見る。
【闇の事務次官】/レア度SSR相当のジョブ/潜在ジョブランクA
闇の組織をまとめ上げるためのスキルを多数取得する、あまりにもピンポイントな裏組織運営特化ジョブ
富士宮は危うく、その場で息を呑むところだった。
来たーーーーーーっ!!
事務方SSR!
しかも秘密組織運営特化!
そんな都合のいい個体ある!?
あるんだ……。
だが、そこで富士宮は少しだけ、気持ちを持っていかれた。
オーエン・ハーグの適性は、あまりにも裏向きだった。表向きの官僚組織にも一応は溶け込めるし、実際、今も溶け込んでいる。けれど、それは完全に合っているからではない。むしろ、組織適性が表の世界では少し歪んで発現しているだけだ。ちゃんと優秀なのに、官僚街というまっとうな世界にはほんの少しだけ馴染みきらない。世界に居場所はあるのに、心からハマる場所ではないという鬱屈した違和感。
その感じが、富士宮には妙に刺さった。
少し、わかる
オーエンを見ていると、なぜか前世の自分を思い出す。社会に全く適応できないわけではないけれど、綺麗に噛み合っていたかと問われるとそうでもない。与えられた役割はこなせるのに、本当に向いていた場所かは最後までわからなかった。だから富士宮は、オーエンへ少しだけ柔らかい興味を抱き、声をかけた。
「今のお仕事は、お好きですか」
突然そう聞かれて、オーエンは一瞬だけ目を瞬かせた。
「好き、というほどでは」
少し考えたあと、彼は寂しそうに笑った。
「そもそも、来月にはここを去る予定です」
富士宮は即決した。
来た
タイミングまで完璧
もう取るしかない
「でしたら」
富士宮は静かに言った。
「私のところで働きませんか?」
オーエンは、明らかに戸惑った顔をした。
「……聖女様の、ところで?」
「ええ」
もちろん、本当の仕事内容をここで言うわけにはいかない。だから富士宮は、あらかじめ用意していた表向きの顔を使う。
「聖女直轄の雑貨店があります。そこの店主をお願いしたいのです」
雑貨店とは、富士宮が以前から持っていた、教会直轄の申し訳程度の権限だった。教会は、俗世との関わりも修行のひとつと考え、高位聖職者にごく小さな規模の商売を持たせることがある。だが大半の聖職者にとって、それは単なる雑務でしかない。祈りと権威に浸っていたい人間にとって、日用品の売り買いなど無駄な時間だ。
だが、富士宮だけは違った。
王国南部の貧困地域にあるボロい雑貨店を運営できたとしよう。表向きは普通の店だし、教会直轄とは知られていない。一方で、教会の関心は薄く、監督もほぼ及ばない。これ、最高の隠れ蓑ではないか?以前からそう思っていたのだ。人材ガチャの機会が増える、くらいの感覚で持っていたが、今この瞬間、その価値は一気に跳ね上がる。
ボロい雑貨店で、店主は闇の事務次官候補
表では生活用品を売り、裏では義賊ネットワークを回す
夢がある
富士宮は、内心でほくそ笑んでいた。
これなら自由に秘密組織を結成できる上に、教会はどうせ興味を示さないから物事が発覚する心配もない。しかも南部の貧困地域なら、人も噂も物資も自然に集まる。
オーエン・ハーグは、まだ半信半疑の顔をしていた。
「なぜ、私を」
その問いに、富士宮は少しだけ考えたあと、正直すぎない範囲で答えた。
「あなたは、組織を回すのが上手い方だと思ったので」
オーエンは、それを聞いてしばらく黙った。やがて、小さく笑う。それは諦めの笑いではなく、少しだけ救われた人間の笑いだった。
「……喜んで、お受けします」
富士宮は静かに頷いた。
よし
これで局面が変わる
これまでは、自分の周囲の個体を拾って育てるだけだった
でもこれからは違う
王国全体へ根を張る裏組織を作る
その始まりが、この今は冴えない官僚と南部のボロい雑貨店
枯れてる感じも何かいい
富士宮ひとみは、聖女らしい静かな顔のまま、心の中だけでひっそりと笑っていた。




