最悪のデートと魔族襲来
勇者とのデート当日、富士宮ひとみは、ここ数週間で一番やる気のない朝を迎えていた。
もちろん外から見れば、黒髪の聖女は今日も静謐そのものだ。侍女たちが衣装を整え、髪を整え、馬車の時刻を告げても、ひとつひとつに淡々と応じる。大聖堂の朝の光に照らされるその姿は、たぶん信徒たちから見れば絵画のように美しいのだろう。だが、中身は違う。
いやだ
どうして私は、あのアホと一日を過ごさなければならないの
王と教皇は一回ちゃんと反省してほしい
特に教皇、あのジジイ、一日だけならとか言って私を売ったこと、まだ忘れてないからな
そう思いながら馬車へ乗り込む。同行者はナビル、イニゴ、ハリーの3名で、アントニオは当然留守番だ。別荘地に連れて行ったら、風紀と建物とたぶん何人かの命が危ない。
馬車が王都の大きな門をくぐって街道に出る。勇者が指定してきた場所は、王都から約二十五キロ離れた別荘地で、カロリーナ湖の湖畔に広がる貴族向けの避暑地だという。
到着してまず思ったのは、軽井沢みたい、だった。瀟洒な別荘が何百棟も立ち並び、湖畔には高級商店街があり、避暑客向けのカフェやレストランが軒を連ねている。馬車道は広く、街路樹はよく手入れされ、使用人や庭師の数まで多い。王都の喧騒とは違う、洗練された静けさがある。
しかし、富士宮の内側では《タナトス》がずっと不穏に震えていた。
ここ、ただの避暑地じゃない
表向きは優雅な保養地。でも実際には、別荘の奥で、そのカーテンの向こうの暗がりで、いくつもの取引や密談や脅しや懐柔が行われている。見た目の美しさの下に、濁ったものが沈んでいる感覚があった。
貴族の権謀術数が渦巻く、政争の中心地のひとつ
《タナトス》はそう認識していた。
ああ、なるほど
そりゃこの辺、死体の処理場所も多そうだしね
湖は深いし、別荘は人目が届かないし、使用人はいくらでも口を塞がれる
ほんと、綺麗な場所ほど面倒くさい
そう考えているうちに、あの勇者――相変わらず名前を即座に思い出せない男――が、湖畔中心のカフェで待っていた。今日も軽薄な笑顔である。
「待っていたよ、聖女」
うん、知ってる、待ってたんでしょうね、迷惑だけど。
富士宮は薄く会釈し、席についた。ナビルは少し後ろで控えているが、今日の彼は普段以上に感情が顔へ出ていた。勇者に向ける目がかなり冷たく、温度で言えば冬の石壁くらいに感じる。対して、イニゴは無表情、ハリーは緊張して姿勢を固くしている。
勇者はそんな周囲の空気をまったく読まないまま、上機嫌にコーヒーを勧め、自分の武勇伝を語り始めた。
魔王領で遭遇した魔物、その時の激戦、自分がどれほど危険な役割を果たしたか、自分がどれほど鮮やかに勝ったか。
確かに、話の内容自体は嘘ではないのだろう。出てくる魔物の名前や特徴はかなり厄介そうだし、戦ったことも本当のはずだ。勇者の実力が本物なのは、もう鑑定済みである。
だが、語れば語るほど、富士宮はしんどくなった。
戦いの話が、すごく薄い
結局、全部、火力ゴリ押しなのだ
強い敵が来た、殴った、光の大技を使った、勝った、ハッピー
そこに戦略がない
スキルビルドの妙もない
パーティとの役割分担もない
ジョブのシナジーもない
ただ強いから殴って勝った話を、ずっと聞かされているだけ
富士宮は、内心でかなり本気の苦痛を覚えていた。
何も面白くない
いや、強いのはすごい
でも、育成者として聞いてて何も楽しくない
もっとこう、工夫とか発見とか、そういうのがほしい
全部「俺の光がすごかった」話で終わるじゃない?
勇者は楽しそうだったが、富士宮は時間がもったいなくて仕方なかった。
その後も無駄な時間は続いた。
湖畔のレストランでフレンチっぽい薄味ランチを堪能した後、奴隷が操作する魔導船で湖を一周した苦痛クルージングと洒落込んだ。高級商店街では、黒髪に似合う服だとか、聖女にふさわしい装飾だとかを大量に贈られた。
いらない
富士宮はずっとそう思っていた。
服より個体がほしい
装飾よりスキルがほしい
私は今ごろ、イニゴがナビルやアントニオやハリーをしごいてるのを見ながら、ビルド構成を考えていたかったんだけど
夕刻が近づくにつれ、ようやくこの無為な時間も終わるのか、と少し安堵し始めた、その時に勇者が言った。
「最後に、湖畔沿いの別荘でディナーをどうかな」
富士宮は一瞬、聞き間違いかと思った。
「帰る時間がなくなります」
「大丈夫。泊まればいい」
ぜんぜん大丈夫じゃない
聖女が、若い男とお泊まり
どう考えても駄目でしょう
富士宮は即座に断った。
「それはできません」
「もう話は通してある」
そう言われた時点で、背中が冷えた。
「……誰に」
「教皇にも」
その瞬間、《タナトス》が急激に疼いた。
勇者を殺せ、今すぐ、そのまま王都へ戻って、教皇も殺せ。殺せ殺せ殺せ。
あまりに鮮明な衝動に、富士宮は一瞬、呼吸を止めた。
まずい、だいぶまずい。最近、タナトスの活性化が激しい。
おそらく、マリア・ゴールドを殺した時の経験値が大きかったのだろう。
ユニークスキルは格上を倒さなければ伸びない。
マリアはあまりに手応えがなかったが、ステータスもスキルも、不埒な謎スキルを除けばたしかに優秀だった。暗殺者との相性が悪すぎて簡単に殺せただけで、本来なら簡単に沈む相手ではなかったのだ。
つまり、タナトスは確実に育っている。問題は、その結果としてこの殺意が、以前よりずっと生々しくなっていることだった。レベルが上がったら、私はこの衝動を抑えられるのかしら。
ほんの少し、不安になる。
だが今ここで勇者と教皇を消すわけにはいかない。さすがに王国と教会の両方が燃える。
富士宮は理性を総動員し、無表情のまま頷いた。
「……わかりました」
*
宿泊せざるを得ないと告げた時、ナビルはまた冷たい目になった。
すごく冷たい目
この子、暗殺者の適性もあるのでは?
富士宮は少し本気で思った。
そういえば、密偵系統ジョブも高適性だった
向いてるのかもしれない
本当は向いてほしくはないんだけど
イニゴはわずかに眉を動かしただけで、すぐに頷いた。
「仕方ないでしょうな」
声は低く、現実的だった。
ハリーは明らかに動揺していたが、それでも「見張りは自分たちでやります」と真面目に言った。偉い子だ。
苦痛なディナーは、案の定、苦痛だった。
勇者は湖畔の夜景がどうだの、運命がどうだの、自分のそばにふさわしい女がどうだの、そういう話を延々と続けた。富士宮は途中から、自分がどこまで聞き流しても礼儀を失わずに済むかを真剣に計算していた。
予想よりも苦痛だったディナーを何とか終え、部屋へ戻る。
部屋の外では、ナビル、イニゴ、ハリーが見張りをしてくれることになった。
みんなありがとう
大好き
富士宮は本気でそう思った。ナビルは夜目にもわかるほど真剣だし、イニゴは壁にもたれて静かに周囲を見ている。ハリーは緊張してはいるが、目は逸らしていない。
ほんとうに、いいパーティだ
そう思いながら寝台へ入ってわずかに寝入った深夜、屋根裏から急に気配が降ってきた。
《タナトス》が先に察知する。
富士宮は反射で体を転がした。その直後、天井板を押し破るようにして勇者が降ってくる。最初の突撃は避けたが、近接の体捌きではさすがに勇者に分がある。
床板を踏み、腕を取られ、体勢を崩される。
「っ――」
あっという間に押さえ込まれた。
まずい
貞操の危機だと、半ば本気で覚悟した、その瞬間だった。
別荘の一部が爆散した。
轟音が鳴り、建物全体が揺れる。壁が軋み、窓ガラスが砕け、天井から粉塵が落ちる。
勇者が驚いたように飛び退き、その隙に富士宮はも身を起こす。
助かった
心の底からそう思ったのは、かなり久しぶりだった。外へ飛び出すと、ナビル、イニゴ、ハリーもすでに動いていた。全員が別荘の爆心へ向かう。
そこに立っていたのは、魔族だった。
全身を紫色の鎧で覆い、肌まで紫、黒と黄色の縞が特徴的な二本角、そして、鮮やかなエメラルドの瞳。
富士宮は一瞬、息を呑んだ。
目の色がナビルに似ている。それだけで、理屈より先に印象へ残った。
《鑑定眼・宵》を向ける。
【リー・ラン】
【武力:A】
【その他概ねC】
【ジョブ:魔先将】
さらに詳細を読む。
単騎突撃時、全能力へ大幅バフ。
そして、やっかいなのが――【光耐性・極大】。
勇者殺しの構成だった。
案の定、勇者は怒鳴りながら光の大技を連発した。
光の剣、光の連撃、光の斬波。どれも以前見た通り、火力だけは高い。
だが、効かない。
リー・ランは大きくも怯まず、真正面から耐え切った。光耐性・極大がきれいに刺さっている。
勇者は見る間に焦り、苛立ち、そして逆上した。
「お前たちが弱いせいだ!」
ヒステリックな声が夜へ響く。そして次の瞬間、勇者は光転移を使って自分だけ逃げた。
富士宮はしばらく、呆然とその光の残滓を見た。
口説きたいんじゃなかったんかい
そこは守るところでしょう
なんで一番に逃げるの
ほんとに最低だな、この男
結果、残されたのは富士宮のパーティだけだった。
イニゴ、ナビル、ハリー、そして富士宮が魔族と対峙する。
ゴブリンの比ではない圧力が、夜気の中で軋んでいる。
ハリーはまだタンク初心者で、ナビルはガンナーとしては駆け出し。イニゴは頼れるが、相手は格上寄り。こんな時に無駄に頼りになりそうなアントニオは、よりにもよっていない。普通なら、恐怖が先に来る場面だった。
だが富士宮の思考は、別の方向へ走っていた。
どう戦うか
イニゴを前へ
ハリーは無理に前面固定せず、時折横から攻撃を受けさせて経験を積ませる
ナビルの射線はどこへ通す?
魔先将の単騎突撃バフをどう崩す?
自分はどこまで介入する?
タナトスは、使うならどの瞬間か
考えが回り、思考が広がる。手持ちの個体をどう組めば、この格上と渡り合えるか。シミュレーションゲームトッププレーヤーとしての脳がめくるめく快楽物質を吐き出し続ける。
その思考の最中、富士宮ひとみはつい、暗く凶暴な笑みを浮かべていた。




