地下診療所の再会②
毒矢によって一行の足が鈍り、グールクイーンの周囲へ新たな紫光が集まり始めたことで、富士宮は一点突破のために残された時間が急速に失われていることを悟った。
ラウルが解毒の魔術書を開くたび、傷口から広がった紫色の侵食はいったん薄れていくものの、後列の弓兵は間を置かずに次の矢を射かけ、グールクイーンもまた芝生の上へ紫色の霧を吐き出し続けている。毒を消した直後に新たな毒が入り込み、鈍化を解除した次の瞬間には倦怠が重なるという悪循環によって、一行の身体は少しずつ本来の反応速度を失っていた。
ヴィヴィアンが聖剣で矢を弾く動きにはまだ余裕が残っていたが、グールクイーンへ向けた踏み込みは明らかに浅くなっている。カイの光線も狙いを定めるまでにわずかな遅れが生じ、ナビルは痺れ始めた右腕を庇いながら銃を構え直していた。ラウルが使っている解毒の魔術書にも限界があり、頁に刻まれた術式は発動するたびに光を失い、緑色の文字列も少しずつ薄れている。
状態異常を治療する手段があっても、それを上回る速度で毒を塗り直されれば、いずれ回復が追いつかなくなる。
その停滞を最初に断ち切ったのは、前線で刀を振るっていたアントニオだった。
「いつまでも鬱陶しい真似を続けやがって」
アントニオは低く吐き捨てると、目の前の骸甲兵を蹴り飛ばして間合いを作り、刀を持たない左手を地面へ向けた。彼の足元から淡い緑色の光が染み出し、芝生の表面を円形に走ると、その範囲を覆うように半透明の膜が立ち上がっていく。
薬師系統スキル、《浄障薬圏》。
毒や麻痺を受けた者を直接治す能力ではなく、一定範囲に侵入する有害な魔力を分解し、状態異常が付与される前に弱める結界型のスキルだった。
能力だけを聞けば便利に思えるが、実際の運用は容易ではない。展開する範囲を広げれば、それだけ薬力の密度が下がり、高位の毒や呪いを遮断できなくなる。反対に狭くすれば防御力は上がるものの、激しく動く前衛や離れた後衛を同時に守れない。さらに術者自身が結界の中心となるため、位置を誤れば味方を範囲から外し、敵に押し込まれれば結界ごと隊列を乱される。
それにもかかわらず、アントニオが展開した薬圏は、前へ出ているヴィヴィアンの背中から、後方で射撃を続けるナビルとカイの位置までを、ぎりぎり一つの円へ収めていた。しかも味方が動くのに合わせて彼自身も細かく立ち位置を変え、結界の縁が誰かを置き去りにしないよう維持している。
剣士として敵を斬りながら、薬圏の範囲と味方全員の位置まで計算しているのか
富士宮は、アントニオが薬師ジョブの能力を使ったことよりも、その扱い方にこそ感心していた。彼は理論を好んで学ぶような性格ではないが、戦場で必要な距離と間合いを感覚的に把握する能力は極めて高い。その剣士として培った空間認識が、範囲型の薬師スキルと恐ろしいほど噛み合っている。
新たな矢の雨が降り注いだが、紫色の毒を帯びた矢尻が薬圏へ触れると、表面を覆っていた濁った魔力が緑光に溶かされ、ただの錆びた矢へ変わった。グールクイーンの放つ霧も結界の外側で薄れ、内部へ到達する頃には、状態異常を与える力の大半を失っている。
再付与が止まったことで、ラウルの解毒魔術がようやく本来の効果を発揮した。
ラウルは魔術書の残存回数を無駄にしないため、全員を一度に治療するのではなく、毒の進行度と役割を見極めながら効果を配分していた。最初に踏み込みを担うヴィヴィアンとアントニオの脚から毒を抜き、続いて照準へ影響が出ていたナビルの右腕とカイの指先を回復させ、最後に自分の肩へ残る痺れを取り除く。
魔術書は、開けば誰にでも同じ効果を与えられる便利な道具ではない。内蔵された術式を読み取り、対象、範囲、出力を使用者が適切に指定しなければ、力を必要のない場所へ浪費する。特に戦闘中は味方の位置が絶えず変わるため、発動の瞬間に対象が効果範囲から外れれば、一回分の術式を丸ごと失うことさえあった。
ラウルは敵の攻撃をトンファーで防ぎながら魔術書を宙へ浮かせ、頁を操作し、味方の状態を判断し、必要な者へ必要な量だけ薬力を送っている。複数の処理を同時に行っているにもかかわらず、その動作には迷いがなかった。
スキルが便利だから強いんじゃない
面倒なスキルを実戦で使える形に落とし込むのが異常に上手いんだ
富士宮がそう認識した時、薬圏によって毒の影響から解放されたナビルが、二丁の銃を構えた。
銃へ装填されているのは、通常の弾丸ではない。ナビルが新たに用意した爆発弾、《バーストシェル》だった。
着弾と同時に内部の魔力を炸裂させ、周囲へ破片と衝撃を撒き散らす弾丸であるため、密集した敵に対して極めて高い効果を発揮する。しかし、威力の大きさと引き換えに扱いは難しく、敵との距離が近すぎれば前衛まで爆発へ巻き込み、遠すぎれば狙った位置へ着弾させる前に軌道がずれる。さらに通常弾より反動が強く、一発目の衝撃を制御できなければ、続く射撃の照準は大きく乱れてしまう。
現在の戦場では、ヴィヴィアンとアントニオが敵陣へ深く入り込んでいる。爆発地点をわずかに誤るだけで、2人を吹き飛ばしかねない状況だった。
それでもナビルは躊躇しなかった。
ヴィヴィアンが聖剣を振り下ろし、正面の盾兵を右側へ弾き飛ばす瞬間を見計らい、空いた左側の敵集団へ最初の一発を撃ち込む。弾丸は骸甲兵の足元へ突き刺さり、爆発によって3体の体勢をまとめて崩した。強い反動で銃口が跳ね上がるものの、ナビルは肘と肩で衝撃を逃がし、銃身が戻るより早く2発目の照準を定める。
次の弾丸は、アントニオが姿勢を低くした一瞬だけ開いた頭上を通り、後列の弓兵たちの中央へ着弾した。爆風が腐った弓をへし折り、矢をつがえていた腕を吹き飛ばす。3発目は敵を直接狙うのではなく、崩れた骸甲兵が逃げ道を塞がないよう側方の地面へ撃ち込まれ、その衝撃によって残骸を左右へ押し退けた。
ナビルは敵を倒すだけでなく、爆発の方向と味方の動きを読み、前線に一本の進路を造っていた。
強い弾を持たせれば強くなるという単純な話ではない。爆発範囲を理解し、一瞬ごとに変わる味方の位置を把握し、反動を制御しながら連射できる技量がなければ、《バーストシェル》は味方まで危険に晒すだけの欠陥武器になる。
しかしナビルは、その扱いにくい弾丸を、一点突破のための精密な道具として使いこなしていた。
連続する爆発によって敵陣の中央が崩れ、グールクイーンまで続く細い道が姿を現す。その瞬間を逃さず、ラウルは解毒の魔術書を《インベントリ》へ戻し、代わりに風属性の補助術式が刻まれた別の魔術書を引き抜いた。
補助呪文は、対象の脚力を単純に強化する能力ではなく、踏み込み、重心移動、次の一歩へ移るまでの動作を魔力で加速する術式だった。対象の身体能力を超えて出力を上げれば、関節や筋肉が加速に耐えられず、自らの勢いで負傷する危険がある。また、発動する時機が早すぎれば突破口へ到達する前に効果時間を浪費し、遅ければ敵に道を塞がれてしまう。
ラウルはナビルの3発目が爆発し、敵の残骸が左右へ飛ばされた瞬間まで術式を待った。そのうえで、走り出そうとするヴィヴィアンの身体能力を即座に見積もり、彼女ならば制御できる限界近くまで出力を引き上げる。
「《アクセル・チャント》」
淡い風がヴィヴィアンの脚へまとわりつき、彼女が地面を蹴った瞬間、その姿が白い残光を引いて前方へ飛び出した。
アントニオが薬圏によって全員の足場を守り、ナビルが爆発を精密に並べて道を造り、ラウルが最適な一瞬へ加速を重ねる。どの能力も発動するだけなら難しくないが、戦場で最大限に活かすには、味方の位置、敵の動き、効果範囲、残された時間のすべてを正確に読み切らなければならない。
その困難な運用を、3人は言葉を交わすことさえなく成立させていた。
富士宮は聖女らしい静かな表情の奥で、思わず口元を緩めそうになるのを堪えた。
いいじゃん
誰か一人がぶっ壊れてるんじゃなくて、面倒な性能を持った連中が、ちゃんと自分の手で強さへ変えてる
こういうパーティ、使っていて一番楽しいやつだ
3人の能力が作り出した一本の道を、加速したヴィヴィアンが駆け抜ける。グールクイーンが紫色の爪を広げて迎え撃とうとした時には、魔王の聖剣がすでにその間合いへ届いていた。




