地下庭園の女王①
100体近いアンデッドを殲滅したあとも、富士宮ひとみたちの探索は終わらなかった。
赤い警報灯がいつの間にか明滅を止め、再び冷たい暗闇に沈んだ地下通路を一行はさらに奥へ進んでいく。行く手に現れるのは、それまでと変わらない死霊研究施設の残骸だった。割れた培養槽の底には黒く干からびた液体が残り、錆びた手術器具が棚からこぼれ落ち、壁には意味を失った魔導刻印が傷痕のように刻まれている。通路は緩やかに下り続けており、すでに地上からどれほど深い位置まで降りてきたのか、富士宮にも正確にはわからなくなっていた。
やがて、前方を歩いていたヴィヴィアンが足を止めた。
通路がそこで途切れたわけではない。むしろ、それまで一行を圧迫していた壁が唐突に左右へ開き、視界が一気に遠くまで抜けたのである。
その先に広がっていたのは、アンデッドを造り出すための研究区画とはあまりにも不釣り合いな光景だった。
広大な芝生が、一行の前に広がっていた。
地下の最奥に造られた空間は、地上の競技場を丸ごと収められそうなほど広く、その一面を淡い緑色の草が覆っている。天井には太陽光を模した白い魔導灯が無数に埋め込まれ、柔らかな光を均一に降り注がせていた。その光を受けた芝は鮮やかすぎず、くすみすぎてもおらず、春先の公園を思わせる穏やかな色合いを保っている。
右手には小さな池があり、そこから延びる細い水路が芝生の間を緩やかに流れていた。水面には白い人工光が揺らめき、底まで透き通った水が静かに循環している。少し離れた場所には朽ちかけたベンチと東屋の骨組みが残り、かつては誰かがこの庭園で休息を取っていたのだと想像させた。
外見だけを見れば美しい場所だった。
だからこそ、富士宮は強い気味の悪さを覚えた。
芝生には誰かが歩いた痕跡が一つもなかった。獣が地面を掘った跡もなければ、枯れ葉が積もった場所もなく、すべての草がまるで測ったように同じ高さで揃っている。丹念に刈り込まれているのではない。葉の断面には刃物を当てられた痕跡がなく、一本一本が自然な形のまま同じ高さで成長を止めていた。
それでいて枯れてはいない。指先で触れれば水分を返しそうなほど瑞々しく、白い光を受けた葉先には小さな艶さえ浮かんでいる。しかし風のない地下空間では一枚の葉も揺れず、草の香りも土が呼吸するような湿った匂いも感じられなかった。
生きているように見えるのに生きているものの気配がない。
池の水も同じだった。水は澄み切っているが、魚の影も水草の揺らめきも、虫が水面へ触れる波紋も存在しない。水路は一定の速度で流れているはずなのに、せせらぎの音さえ不自然なほど小さく、庭園全体が音を吸い込んでいるようだった。
綺麗だけど、気持ち悪いな
富士宮は聖女らしい静かな表情を崩さず、内心で率直な感想を漏らした。
地下の死霊研究施設を何時間も歩かせた末に、最後に出てくるのが手入れの行き届いた公園というのは、趣味が悪いという言葉では足りない。血と腐敗の跡が残る通路の先にあるからこそ、この庭園の整いすぎた美しさは、死体の顔へ生前の化粧を施して微笑ませているような不自然さを帯びていた。
「妙な場所ですね」
ナビルが声を抑えて呟いた。
「地上を再現したつもりなのだろうが、気に入らんな」
ヴィヴィアンも聖剣を肩へ担いだまま、先ほどまでの楽しげな様子を消して庭園を見渡している。彼女の隣では、カイが天井の魔導灯や周囲の壁へ鋭い視線を走らせていた。
富士宮にはこの場所が単なる休憩用の庭園とは思えなかった。
死を研究する施設の最奥で、誰かが地上の風景を再現しようとした。空の代わりに人工灯を置き、川の代わりに水路を造り、自然の草原の代わりに永遠に伸びも枯れもしない芝を敷き詰めた。
そこにあるのは生命への敬意ではなく、変化そのものへの拒絶だった。成長も老化も腐敗も許さず、ある一瞬の美しさだけを切り取り永遠に固定しようとした者の執念が、この静謐な景色を形作っている。
死を克服したかったのか、それとも死んだ誰かに永遠に同じ景色を見せ続けたかったのか。どちらにしても、まともな精神で造った場所じゃない。
富士宮が庭園の目的を考えながら奥へ視線を向けると、芝生の向こうに一軒の建物が見えた。
二階建ての小さな建物で、外壁には白い塗料の名残が残っている。窓枠は歪み、壁には黒い染みとひびが走り、入口の上に掲げられた看板は傾いていたが、建物自体は地下施設のほかの区画に比べて驚くほど形を保っていた。
富士宮には、それが診療所のように見えた。
庭園の一角に設けられた療養施設。病人や負傷者を外へ出さず、この人工の自然を眺めさせながら治療するための場所だったのかもしれない。しかし死霊研究施設の最奥にある以上、そこで行われていたことが穏やかな治療だけだったとは考えにくい。
建物の前には、黒い布に包まれた細長いものがいくつも転がっていた。
近づくにつれ、それが枯れ枝のような腕であることがわかる。昨日富士宮たちが戦ったネクロスと同じ特徴を持つ残骸だったが、どれもはるかに古く、黒ずんだ骨や黒い布には長い年月を経た乾燥と劣化が見られた。
500年前、この場所へ攻め込んだ者たちが破壊した個体なのだろう。
それでも残骸が診療所の周囲へ集中しているということは、この建物が地下施設の中でも特に重要な場所だった可能性が高い。不死者の王が最後まで守ろうとした区画か、あるいはその王が最も完成させたかった何かを収めた場所なのかもしれない。
富士宮がそう考えた直後、診療所の正面扉が内側からゆっくりと開いた。
錆びた蝶番が擦れる鈍い音が、静まり返った庭園の隅々まで広がっていく。穏やかな白い光の中へ、ひとりの女が姿を現した。
女は、看護師を思わせる衣服をまとっていた。かつて白かったはずの布地は黄ばみ、袖や裾には黒い汚れが染みついている。長く波打つ黒髪と浅黒い肌、均整の取れた顔立ちは、遠目にはこの不気味な庭園に置かれた彫像のように美しかった。
しかし、その美しさは女が光の下へ踏み出した瞬間に崩れた。
右腕は肩口から失われ、左目の周囲は何かに抉られたように大きく欠けていた。眼窩の周辺には乾いた血が黒くこびりつき、頬から首にかけて深い裂傷が走っている。生者であればとうの昔に命を失っている傷を負いながら、女は不自由を感じている様子もなく、庭園の入口に立つ富士宮たちへ顔を向けた。
残された眼球が白く濁り、整った唇の間から異様に長い犬歯が覗く。左手の指先からは、硬いものを引っ掻くような音とともに黒い爪が伸び始めた。
富士宮は即座に《鑑定眼・宵》を発動した。
視界の中へ浮かび上がった情報が、目の前の女の正体を示す。
女性型グールの上位種、《グールクイーン》。レア度SRの上級個体であり、毒や麻痺、感染といった状態異常と、近接戦闘に必要な身体能力の強化を得意とするアンデッドだった。
しかもジョブランクはSで、すでに上限まで成長している。
最奥に着いた途端、状態異常特化のカンストボスか
静かな庭園を見せて油断させた直後にこれを置くとか、設計したやつの性格、本当に腐ってるな
富士宮は内心で毒づきながらも、表面上は聖女らしい冷静な眼差しを保ち、白い光の中で牙を剥く地下庭園の女王を静かに見据えた。




