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元聖女も訪ねてきて忙しかった

 勇者レナート・カールの求婚騒ぎは、案の定あとを引いた。


 大聖堂の中は表向き静かだった。聖職者たちはみな、「いやはや困りましたな」、「若い勇者殿は情熱的ですな」などと、いかにも上品に処理しようとしている。けれど、空気の内側ではちゃんとざわついている。


 そりゃそうだろう

 聖女に、勇者が、初対面同然で求婚した

 しかも国王に直訴すると叫んで猛ダッシュで帰った

 意味がわからない


 富士宮ひとみは、聖女の個室で紅茶を飲みながら、まずそう思った。


 そして、意味がわからないのは周囲の反応も同じだった。


 ナビルは、なぜか少し落ち込んでいた。普段より返事が遅いし、声をかけると視線が少し泳ぐ。いつも静かであるが、それにしても黙っている時間が普段より長い。


 富士宮は最初、本気で理由がわからなかった。勇者がアホだったことにショックを受けたのかと思ったが、ナビルはそこまで勇者という存在に夢を見そうなタイプではない。では何だろう、としばらく考えて、ふと、何気なく言った。


「私は、結婚なんかしませんから」


 するとナビルの顔が、ものすごく分かりやすく、ぱっと明るくなった。


 あ、そういうこと


 理由がわかった途端、なんだか急に可愛く見えてくるから不思議だ。


 いや、普段から確かに可愛い寄りではある。真面目だし、素直だし、変に擦れていないし、最近は銃火器の図鑑まで読み漁っていたし、全体的にかなり好ましい個体だと思っていた。けれど今のは、露骨に安心したといった雰囲気、そこに感じるのはもう少し別種の可愛さだった。


 すごい

 そんなにわかりやすく顔に出るんだ


 富士宮は平静を装ったまま紅茶を飲み続けていたが、ナビルは気持ちを表情に出しすぎたと気づき、少し気まずそうに目を逸らした。


 一方、イニゴはその横で、落ち着き払った様子で立っていた。


「まあ、あの勇者のことなら、そう驚く話でもありません」


 昼下がりの応接室で、彼は壁にもたれてそう言った。


「そうなのですか?」


「ええ。王都じゃ結構知られてる話です」


 何が、と富士宮が目で促すと、イニゴは少しだけ肩をすくめた。


「パーティの女剣士、女魔導師、女神官、全員に手を出そうとして全員に振られたって話です」


 富士宮はしばらく黙った。


 そして内心で、深く納得した。


 だから一人で来たのか

 なるほど

 人望がないというか、自業自得だった

 思っていた以上にアホだった


 勇者という言葉には、もう少しこう、英雄的な理性とか節度とか、そういうものがついてくるのかと思っていたのだが、どうやらそうでもないらしい。実力と人格は別だということを、またひとつ学んだ。


 アントニオの反応は、少し意味がわからなかった。


 勇者の求婚の話題が出た時、彼は不機嫌そうに眉をひそめ、ぼそりと言ったのだ。


「なんでこんな災厄みたいな奴と」


 富士宮はゆっくりと顔を向けた。


 アントニオは言い終わってから、しまったという顔をした。


 その顔を見て、富士宮の中で何かがすっと整列した。


 今、めちゃくちゃ失礼なことを言ったな

 災厄とは何か

 誰が災厄か

 こんなに穏やかで、静かで、面倒見がよくて、衣食住まで整えてあげている美しい聖女に向かって


 富士宮は、普段の彼女には珍しく、アントニオに向けてにっこりと笑った。それはまさに聖女の笑顔だった。


「信仰が足りないみたいですね」


 アントニオの顔が引きつる。その横でナビルが小さく肩をすくめ、イニゴは、ああ始まった、みたいな顔をする。


「聖書の写本を百冊、お願いします」


 室内の空気が固まった。


 富士宮は、心の中でだけ少しうなずく。


 そう

 これでいい

 ちゃんと反省してもらわないと


 アントニオは本気で嫌そうな顔をした。

 ナビルはなぜか、自分が命じられたわけでもないのに少し青ざめているが、イニゴだけが、達観したような苦笑を浮かべている。


 最近、パーティメンバーたちは富士宮の機嫌や心の動きを、直接言葉にされるより先に、直感で感じ取るようになってきている。


 だからもう、変に「神秘的だ」とか「神聖だ」とかいう敬い方はしていない。


 その代わりにあるのは、もっと生々しい感情だ。


 畏れ、警戒、うっかり踏み込むとまずい相手への本能的な理解という類のものだ。


 ただイニゴだけは、富士宮がそういう存在だと受け入れたうえで、あまり構えずに接してくれる。


 大人って偉いな、と富士宮は少し思った。


     *


 その後、王城から使者が来た。


 勇者の直訴を受けて困った国王が、富士宮との謁見を希望しているという。命令ではなく、あくまで要請という形なのは、教会への配慮だろう。


 富士宮はその話を聞いた時、表面上は静かに頷いた。


「そうですか」


 内心では、かなり面倒くさかった。


 面倒ね

 でも断ったらもっと面倒なことになりそう

 王様に呼ばれるイベントって、だいたいトラブルの前振りなのよね


 だが、王城に行くより前に、別の来客があった。


 勇者一行の女性神官が、大聖堂を訪れたのだ。


 名を、マリア・ゴールド。


 富士宮はその名を聞いた瞬間、内心で少しだけ遠い目になった。


 名前までコテコテだな


 実際に会ってみると、見た目もかなりわかりやすかった。


 外見は分かりやすく金髪碧眼、肌は白く、姿勢が良く、スタイルは抜群。なのに下品さはなく、清楚な雰囲気まである。まさに「ザ・聖女」という感じの美人である。


 しかも、彼女は富士宮の前の代の聖女だったらしい。


 そう聞けば、なるほどと思うしかない。見た目だけなら、とても納得できる。


 マリアは大聖堂の応接室で、教会側に向かって静かに願い出た。


 聖女に戻りたい、と。


 だが、それは認められなかった。


 教会の戒律により、勇者一行に迎え入れられた聖女は、もはや俗世の人間と見なされる。たとえ今になって戻りたいと言っても、聖女には復帰できない。


 マリアはその説明を聞いて、静かに俯いた。


「……そう、ですか」


 声はか細く、いかにも傷ついた女のそれだった。


 そのまま立ち上がり、礼をして、部屋を辞そうとする。だが去り際、彼女はなぜか富士宮を睨んだ。


 富士宮は内心で肩をすくめる。


 まあ、そうなるよね


 自分が戻れない場所に、今は別の聖女がいる。感情としては理解できる。


 ただ、理解できるのと放置していいのは別問題だ。


 富士宮は、その場でマリアへ《鑑定眼・宵》を向けた。


【マリア・ゴールド】

【ジョブ:大神官】

【ジョブランク:A】


 ここまでは順当。


 ステータスもかなり聖女らしい。


 武力C/統率C/知力A/精神A/魅力S/幸運A


 魅力S

 なるほど、そこは最高値なのね


 これは納得できる。聖女には人を惹きつける力も要るのだろうし、元聖女ならなおさらだ。


 問題は、その先だった。


 強力な回復系の魔法スキルが並ぶ中に、妙なものが混じっている。


 破戒/夜伽の真髄/淫魔の再来


 富士宮はしばらく無言になった。


 何このスリーコンボ

 聖女の“せ”の字もない

 いや、ほんとうに

 どうしてこうなった

 どう考えても勇者との痴話喧嘩か、それに準ずる何かでしょう

 清楚な見た目に騙されかけたけど、中身がだいぶ俗世を通り越してる


 富士宮が内心で呆れていると、マリアの方から強烈な殺気が飛んできた。


 びり、と空気が鳴るような感覚がし、内に秘めるタナトスが敏感に反応する。富士宮の心に自然と殺意が芽生え始める。


 富士宮は心の中だけでため息をついた。


 まあ、そうなるよね。


     *


 夜の王都、その風俗街は、昼間の教会周辺とは別の世界だった。


 灯りは華やかで、笑い声は大きく、酒と香水と汗の匂いが混じる。道行く男たちは酔っているか、酔う気満々か、その両方だ。


 富士宮ひとみは、その喧騒の上を歩いていた。


 正確には、娼館の天井裏を。


 移動経路はすでに確認済み。出入口の数、使用人の動線、窓の位置、換気口の構造、全部頭に入っている。


 今回の標的は二人。


 マリア・ゴールド、それから彼女が会っている裏社会の大物。


 大物の名前はどうでもよかった。どうせこれから死ぬし。


 天井裏の板の隙間から室内を覗く。


 大きな部屋だった。絨毯が敷かれ、酒瓶と果物が並び、成金趣味の装飾がうるさい。中央には長椅子が置かれ、そこにマリアが座っている。


 昼間の清楚な雰囲気は、もうどこにもない。


 目は苛立ちで濁り、声は低く湿っていた。


「拉致して」


 富士宮は静かに聞く。


「犯しまくって、壊してから殺して」


 裏社会の大物が、いやらしい笑いを浮かべる。


「なかなか良い趣味だな」


 富士宮は天井裏で思った。


 ああ、そう

 そこまで行くのね

 なら、もう迷う理由はない


 彼女はすでに準備を終えていた。部屋は密閉されている。換気の流れは止めた。窓の鍵も、外側から細工済み。逃げ道はない。


 富士宮は小型の容器の栓を静かに抜き、独自配合の致死性毒霧を、隙間から室内へ流し込んだ。


 最初は誰も気づかない。


 少しして、マリアが咳き込む。

 大物の方も喉を押さえる。


「……何、これ」


「おい」


 立ち上がろうとして、すぐにふらつく。

 呼吸が浅くなり、手足に力が入らなくなる。


 富士宮は上からそれを見下ろしていた。


 感情は切っている。手順だけを実行する。


 相手が十分に動けなくなるまで待つ。その間、逃げ道や助けがないことを再確認する。


 やがて二人とも床に崩れた。


 そこで富士宮は、特殊マスクをつけて室内へ降りた。足音はほとんどない。


 まず大物の方へ歩く。


 相手は目だけでこちらを追う。助けを求める余裕も、声を出す力もない。


 富士宮はためらわず、ナイフを喉へ差し入れた。


 速く、深く、確実に。


 次にマリアへ向かう。


 マリアは苦しげに顔を上げ、そこでようやく富士宮の顔を見た。


 最初は驚き、次の瞬間には強烈な憎悪を向けてくる。


 だが、富士宮は何も感じなかった。


 興味がないから。


 マリアが何を恨んでいようと、どんな感情を抱こうと、今ここで重要ではない。


 富士宮は手を止めない。


 ナイフを首へ走らせ、肉を裂き、血が溢れる。マリアの目から光が消えていく。


 それで終わりだった。


 部屋は急に静かになった。


 さっきまでの毒と欲望と憎悪の気配が、ひどく薄く感じられる。


 富士宮はマスク越しに息をつき、床の上の死体を見下ろした。


「これで少しは穏やかになるといいんだけど」


 誰に聞かせるでもなく呟く。


 そうして、彼女はまた静かに闇へ溶けていった。


 昼には求婚騒ぎの後始末をし、夜には元聖女と裏社会の男を消す。


 黒髪の聖女の毎日は、今日もなかなか忙しかった。


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