廃城地下①
翌朝、森の上には雲一つない青空が広がっていた。夜の冷気をわずかに残した空気は澄み切っており、木々の間から差し込む朝日が、野営地に残された焚き火の灰や踏み荒らされた地面を柔らかく照らしている。前夜の騒動など最初から存在しなかったような穏やかさだったが、富士宮ひとみたちは日の出を待つことなく起き出し、すでに廃城地下へ向かう準備をほぼ終えていた。
ナビルは使用した調理器具を手早く片づけたあと、地下で必要になりそうな食料や水、照明具を分けて背負い袋へ収めていた。ラウルは野営地周辺に新しい足跡や魔物の気配がないことを確かめながら、残していく物資へ簡易的な隠蔽処理を施している。アントニオも昨夜まで庇っていた脚を何度か踏み込み、傷が戦闘の妨げにならないことを確認していた。その傍らでは、聖剣を腰へ下げたヴィヴィアンが準備を終えたつもりなのか胸を張って立っており、カイが彼女の荷物に抜けがないかを確認しながら、主が勝手に森の奥へ走り出さないよう目を光らせていた。
その中で、ヴァルターだけは焚き火の残り火の近くへ横たわったままだった。
昨夜より顔色は多少ましになっていたものの、胸から腹部にかけて巻かれた包帯にはまだ薄く血が滲んでいる。アントニオとの一騎打ちで受けた傷は深く、薬師系統の処置を受けたからといって、翌朝には完全に治っているようなものではない。本人は上半身を起こして自分もついていくと言い張ったが、富士宮はその要求を穏やかな微笑とともに退けた。
「今回はこちらでお休みください」
「こんなところに一人で残れってのか」
「周辺にはラウルが警戒用の道具を設置しています。昨夜現れた規模の敵でなければ、異変が起きる前に気づけるでしょう。それに、移動するよりもここで静養された方が安全です」
「安全かどうかを聞いてるんじゃねえ。俺を置いていくつもりかって聞いてんだ」
「はい。そのつもりです」
富士宮が丁寧に答えると、ヴァルターは明らかに腹を立てたようだった。しかし立ち上がろうとして傷の痛みに顔を歪めたため、自分が同行できる状態ではないことは本人にもわかっているらしい。富士宮はその姿を見て同情するより先に、無理をして傷を悪化させられては困ると考えていた。
せっかく拾った限定個体を、加入前イベントでロストさせる馬鹿がどこにいるんだ
こいつが根性を見せたいのはわかるけど、負傷状態で高難度ダンジョンへ連れていくのは勇気じゃなくて舐めプだからな
大人しく寝てろ、野良鳥
内心ではそう吐き捨てながらも、富士宮の外見は傷ついた青年を気遣う聖女そのものだった。
「地下から戻りましたら、改めてお返事を伺います」
「何の返事だよ」
「昨夜お話しした件です。私たちとともにデミトリスを目指すかどうか、そして《冥羽王》へ至る道を歩む意思があるかどうかについてです」
その名を聞いた瞬間、ヴァルターの目がわずかに動いた。顔には反発が浮かんでいるものの、《黒羽刃》と《冥羽王》という言葉が、すでに彼の中へ深く入り込んでいることを富士宮は見逃さなかった。
「勝手に話を進めんな。俺はまだお前らについていくなんて言ってねえぞ」
「進めてはおりません。判断を保留しているだけです」
「同じだろ」
「異なります」
富士宮はにこやかに言い切ると、それ以上は答えを迫らなかった。今ここで強く勧めれば、ヴァルターは意地になって拒絶するだろう。しかし昨夜の時点で彼は、自分が黒羽の刃を操る姿を想像してしまっている。一度見てしまった未来は、簡単には頭から離れない。
もう針には掛かってる
ここで糸を乱暴に引けば切れるけど、少し泳がせれば勝手に食いついてくるはず
高レアだけに勧誘難度が面倒くさいけど、まあそのくらいの方が燃えるよね
「それでは行ってまいります。無理に動かず、お待ちください」
「子ども扱いすんな」
「承知しました。ですが、無理に動かないでください」
「何も変わってねえじゃねえか」
背後から不満そうな声が飛んできたが、富士宮は振り返らなかった。その返答の調子からしても、少なくとも勝手に姿を消す可能性は低い。結論を出すまでこの場所を離れることはないだろう。
ヴァルターを野営地へ残し、富士宮たちは朝の森を廃城へ向かって進んだ。
同行するのは、富士宮、ナビル、アントニオ、ラウル、ヴィヴィアン、カイの6人である。人数だけを見れば小規模な探索隊だが、魔王本人とその側近に加え、富士宮が育ててきた主力が3人も揃っている。一般的な冒険者の一隊と比較する方が間違っているほどの戦力だった。
森を抜けると朝日に照らされた廃城が姿を現した。崩れた塔や半ば倒壊した城壁、草木に覆われた中庭には、長い年月に晒された遺跡らしい寂しさがある。前日にも見た光景だったが、その下に巨大な施設が隠されていると知った後では城全体の印象がまるで違って見えた。
地上部分は本体ではない。地下に存在するものを覆い隠し、人の目を欺くために置かれた巨大な蓋のようなものだ。
上層は雰囲気づくりで、地下へ入ってから本番というタイプか
王都の地下迷宮もそうだったけど、こういう構造は嫌いじゃない
地上で終わったと思わせてから倍以上の規模の本編を出してくるのは、攻略する側としては結構テンションが上がる
だいたい中にいるものはロクでもないけど、それはそれとしてダンジョン設計者の性格の悪さは好意的に評価したい
ラウルが見つけていた入口は、崩れた壁の陰に隠れるように口を開けていた。石材の間から下方へ続く階段には、地上の朝とはまるで異なる空気が漂っている。湿っていて冷たく、わずかに甘ったるい匂いが混じっていた。新しい腐敗臭ではなく、死や血や薬品の残滓が長い年月をかけて染みつき、別の臭気へ変化したようなものだった。
ヴィヴィアンが当然のように先頭へ立とうとしたところで、カイがその肩を掴んだ。
「お待ちください。今回は討伐ではなく調査ですので、勝手に先行しないでください」
「わかっておる。余とて、目的くらいは理解しておるぞ」
「その言葉を信じて何度失敗したか、ヴィヴィアン様は覚えていらっしゃいますか」
「細かなことを気にする男は好かれんぞ」
「好かれるために申し上げているのではありません」
二人のやり取りから、これが日常的なものだということがよくわかった。富士宮は口を挟まず、カイがヴィヴィアンを抑えているうちに階段の前へ立った。
「それでは参りましょう。内部ではできるだけ隊列を崩さないようお願いいたします」
富士宮の言葉に、ナビルとラウルが頷き、アントニオは刀の柄へ手を添えた。一行はそのまま、地上の光が届かない地下へ足を踏み入れた。




