再び廃城へ
夜の森は深く、冷えていた。アウロラ村から少し離れた野営地には、木々の間を抜ける風の音と、鍋の中身が煮える小さな音だけが落ちている。つい先ほどまで、魔王ヴィヴィアンとアントニオが武器と筋肉の話で異様なほど意気投合していたが、さすがに夜も更けてきたせいか、いまは全員それぞれの位置で静かに休息へ移りつつあった。
富士宮ひとみは、焚き火越しにカイと視線を合わせた。
「では明朝の出発でよろしいですね?」
カイは即座に頷いた。
「ええ、こちらとしても異論はありません。ヴィヴィアン様の当初の調査目的を果たすには、その廃城の地下へ潜るしかないでしょう」
「私の方も同意見です」
富士宮はそう返しながら、火の向こうに視線を落とす。
富士宮たちの利害は綺麗に一致していた。
富士宮としては、あの城の地下にアルゴンの痕跡に繋がる何かが残されている可能性を無視できない。ヴィヴィアンとカイは不死者の王復活の兆候を調べるために来ている。互いの目的は完全には同じでなくとも、向かう先が同じなら十分だった。
富士宮は内心でそう思いながらも、表面上はいつもの穏やかな聖女の顔を崩さない。
「それでは準備を進めましょう。地下の様子はまだ不明です。こちらも万全の準備を整えます」
カイは短く「助かります」と答えた。ヴィヴィアンの方は、離れたところで薪をいじりながら「うむ!余も万全である!」などと言っている。たぶん彼女は最初からずっと万全のつもりなのだろう。心配なのは、万全の定義がこちらと一致しているかどうかだ。
話し合いを終えた富士宮は、まずアントニオの方へ向かった。
赤毛の青年は、さきほどまでの魔王との盛り上がりが嘘のように仏頂面へ戻り、太腿へ布を巻き直しているところだった。ヴァルター戦で受けた傷は浅くない。短槍による貫通と捻りを含んだ傷で、見た目よりずっと痛んでいるはずだ。
「アントニオ」
「あぁ?」
「明日は廃城の地下に潜ります。今夜のうちに、その脚を完璧に治しておいてください」
アントニオは一瞬だけ眉をしかめたが、すぐに鼻を鳴らした。
「言われなくてもやる。あんなトリ野郎とのやり合いを次の戦いに引きずるのは気分悪いしな」
「結構です」
富士宮は小さく頷く。
アントニオの現在ジョブは《薬師》だ。最初は明らかに不本意そうだったが、調剤系スキルに加えて自己回復の初級スキルまで覚えてからは、継戦能力が目に見えて上がっている。前衛剣士が自分で自分をある程度回復できるのは、想像どおりに大きい。
富士宮がそんなことを考えていると、アントニオは薬瓶を見下ろしたままぼそりと呟いた。
「……薬師のこと、笑うんじゃねえぞ」
「私は笑っていませんよ?」
「あの軟弱王子が笑うんだよ」
視線の先ではナビルが鍋をかき混ぜながら、こちらを見ていないふりをして肩を震わせていた。やっぱりまだ面白いらしい。
富士宮は少しだけ口元を緩める。
「その点は保証できませんね」
「くそが」
短いやり取りを終えたあと、富士宮は次にナビルのところへ向かった。
ナビルは焚き火の明かりを頼りに、小さな木片へ何かを書きつけていた。地図というほどのものではないが、廃城内部の概略と射線、立体機動を取り得るルートを整理しているようだ。
「ナビル」
「はい、聖女様」
「もし地下にネクロスが待機していた場合に備えて、戦術を練っておいてください。特にあなたの《霊波感知》と《次元跳躍》は切り札になります」
ナビルは素直に頷いたが、その目は少しだけ真剣さを増した。
「承知しました。ただ……再現できるかどうかは、まだわかりません」
「ええ、それで構いません」
富士宮はそう言いながらも、内心では恐らくもうネクロスはいないと思っていた。
あの最後のネクロスが消える瞬間に感じた意識の残滓。言葉になったわけではないし、理屈として説明できるものでもない。だがその時富士宮が受け取ったのは、あれが最後の個体である、という奇妙な納得感だった。
もう終わりだ、と。これで役目は尽きた、と。そういうひどく静かで、少し寂しげな感情を発していた。
もしそれが本当なら、不死者の王は地下で復活の兆しを見せていたとしても、側近による護衛すら失っていることになる。
それはなぜだか、少しだけ哀れなことのように思えてしまった。
富士宮はその感傷を意識的に振り払い、静かに話を終えた。
「明日はよろしくお願いします」
「はい」
ナビルは短く、しかし力強く答えた。




