サリーナ、茶会へ 後編
サリーナは、先ほど話に出た「醜悪な噂」が何を指しているのかわかっている。
わからないと口にしたが、それは嘘だと皆わかっているだろう。
先ほどとは違い、噂を面白く話の話題にするような雰囲気はない。
隙の無い笑みを見せるサリーナは、今この茶会の中心にいる。
婚約の解消についてサリーナから言葉にするのは、実は初めてのことだ。
いつもは笑顔で受け流し、交わしていたサリーナの言葉である。
聞き漏らすまいと、隣の子爵令嬢が小さく身を乗り出している。
彼女たちの興味をさらに煽るように、サリーナは「そんな、大した話でもないのです」と、綺麗に笑う。
ゆったりと呼吸をしてから、口を開いた。
「皆様に堂々とご説明できれば良いのですが……私たちの婚約解消の経緯については、お話することはできない約束になっております」
サリーナの言葉に、彼女たちの表情が、あからさまにがっかりしたものになる。
だがその中で、侯爵令嬢だけはサリーナを見つめたままだ。
サリーナは、もったいぶった様子で声を潜める。
「ただ。あくまでも、経緯だけです」
サリーナ個人の判断で、約束を破ることはできない。
最初は、サリーナの個人的な思いのためからだった。
婚約を解消したいと申し出たのは自分だが、周囲に身を引いたと思われても嫌だという、身勝手なものである。
だが今は、フェアスーン王女殿下の第二の夫となるザイードに繋がってしまうので、やはり経緯を広めるわけにもいかない。
今更揉めても困るのだ。
経緯は話せない。
それはつまり、経緯以外ならば、話しても問題ない。
「それ以外については、何の約束もございませんので」
サリーナは首を引き、上目遣いで楽しそうに笑った。
落胆して落ちた視線を、もう一度自分に向ける。
彼女たちをぐるりと見渡して、サリーナは目を細めた。
まずは、結果から。
「婚約の解消は双方の同意です。どちらかに過失があったわけではありません」
「……そうでしょうね」
侯爵令嬢が頷く。
サリーナとザイードの婚約の解消の経緯や約束事などは表に出てはいないが、金銭的な受け渡しがなかったことは知れている。
それぞれの家も何も変わった様子がないことから、慰謝料などは何も発生していないことがわかる。
それぐらいのことを今更、と侯爵令嬢の瞳が物語っている。
強い視線を受け止め、サリーナは彼女を見つめた。
侯爵令嬢からの圧にも動じることなく、笑ってみせる。
「私たちは、幼少期に婚約を結びました。えぇ、皆さまも同じかと思います」
話を終わらせるつもりはない。
サリーナの意志を感じ取り、周囲が静かになる。
全員、貴族の令嬢である。
サリーナと同じように、それぞれが幼い頃に親が決めた相手と婚約をしている。
「幼い頃は、一緒に遊ぶことも多くありましたわ。月日が過ぎれば、お茶なども。もちろん、互いにプレゼントを贈りあうこともありました」
婚約をしたばかりのザイードとの関係は、良好だった。
互いの家に行き来し、遊んだり本を読んだりと、時間を過ごした。
年齢を重ねるにつれて、遊びまわる代わりにお茶を飲み、話をすることが増えた。
プレゼントだって同じだ。
最初は小さな物だったけれど、そのうち宝石を含むアクセサリーになった。
誕生日はもちろん、外遊などで遠出をしたときには、その土地の物を買ってきてくれていた。
婚約者として、何もおかしなことはない。
本当に、ごくごく当たり前のことだ。
「……ただ、それだけでした」
サリーナの口調が少し沈む。
斜め向かいに座った令嬢が、不思議そうに首を傾げたのが見えた。
サリーナの口にしていることは、何もおかしなことがない。
幼い頃は一緒に遊び、それがそのうちお茶会になり、一緒に出掛けることにつながる。
プレゼントを送りあうことも、婚約者である証拠だろう。
そうやって、関係を築いていたのだ。
最初の人生をなぞる様に、今世も同じような流れを辿った。
違うのは、そこにサリーナの気持ちがなかったことだ。
サリーナにとっては、本当にそれだけである。
人生を何度も何度もやり直したサリーナは、そこに何も感じなかった。
白々しい気持ちさえ沸き立つこともなく、静かだった。
一応頑張ったこともあるけれど、成果は特に得られなかった。
それだけでは、どうしようもない。
ただの婚約者と言う役割を果たす、他人である。
「そのような相手とでは、貴族としての義務が果たせないと思ってしまったのです」
「サリーナ様、それは……」
「触れるのも、触れられるのも。どちらにしても、意志がありませんもの」
言葉を漏らした令嬢に、サリーナは優しくほほ笑んだ。
貴族としての義務。
それはもちろん多くあるけれど、触れて、触れられなければ出来ないことは、一つだけだ。
後継ぎ、つまりは子どもを作ることである。
互いの協力がなければ絶対に出来ない子作りは、触れて触れられなければ成り立たない。
「幸いなことに、あの方も同様の思いをお持ちでした」
サリーナはそこに意思を求め、ザイードとはその義務が果たせないと、はっきりと口にした。
そして、ザイードも同じ気持ちだと。
本当のところを言えば、ザイードは貴族の義務と心の中は切り離せていただろうと思う。
心を大切にする人ならば、最初の人生でサリーナがあんなに苦しむことはなかった。
最初の人生のザイードは、婚約を解消、破棄することなく結婚まで至り、貴族としての義務を果たすために初夜にサリーナを抱いた。
心ではフェアスーン王女殿下だけを思っていても「貴族の義務」の前には、好きでもない相手を抱くことができるのだ。
心と体は別物なのだと、あのとき理解した。
当時はザイードが好きでたまらなかったサリーナも、何も言わないままそれを受け入れた。
心変わりを期待して精一杯尽くしていたあの頃は、今思えば何の時間だったのだろうと思ってしまう。
無駄だったなと思うし、自分も周囲が見えていなかった。
表面上の付き合いになってしまったのは、いつからだろう。
特に今世のサリーナは、贈り物も手紙も最低限のことしかしていない。
もらったネックレスをつけることもなく、学院では会いに行くこともしなかった。
だからなのかもしれないが、ザイードの方も同じだった。
婚約者として最低限の付き合い以外、特に何もなかった。
だが、ザイードと改めて話をした今なら、別の思いも湧いていくる。
原因は、サリーナにもある。
二人して、表面上だけの婚約を続けていただけだ。
話をしているのは、婚約解消の経緯ではない。
これはあくまで、サリーナ個人の気持ちだ。
決定的な出来事でも、積み重なったものでもない。
王女の話もルシオの名前も出すことはなく、解消を言い出したのがどちらかなのかも言っていない。
サリーナが持つ、ただの感想である。
「どちらかに、非があったというわけではありません。ただ、最善を選んだ結果です」
どちらか一方が悪いというわけではないと、しっかりと強調しておく。
ここで変な受け止められ方をすれば、また変な噂を流されかねない。
特に、もうすぐこの国を離れるザイードの悪い噂だけは避けなくては。
噂の元がサリーナになってしまったら、この国だけではなく、隣国からもかの国からも手がかかってしまう。
「貴族の義務だなんて。いずれ平民になる私には、過ぎたる話だったのかもしれませんけれど」
「サリーナ様……」
「お恥ずかしながら、婚約を解消するまで、気づきませんでしたわ」
サリーナは、頬に軽く手をあて、困ったように微笑んだ。
静かになった彼女たちには、どこまで伝わっているだろうか。
婚約の解消は、あくまでも貴族の義務を考えてのこと。
平民であるルシオと婚約を結び直してからは、それが自分には関係ない話になったこと。
ザイードとは違い、ルシオならば触れるのも触れられるのも、互いの意思があるのだと。
あくまでも、ルシオとの関係は婚約の解消後だということを、繰り返しておかなくては。
サリーナのせいで、ルシオに迷惑がかかるのは嫌だ。
「そう、でしたのね。とても素敵なことだと思うわ」
それまで黙って話を聞いていた侯爵令嬢が、お茶を飲んで吐息を漏らした。
口調は穏やかだが、表情はどこか硬い。
探るような視線が、サリーナへと向けられた。
「本当に、大変な決断だったでしょう?」
「そうですね。本当に多くの方々にご迷惑をおかけしてしまいました」
互いの両親を含めて、多くの人生を変えてしまった。
よくよく考えればこの世界の理から動かしたのだから、いずれ大きな影響を与える可能性もあるだろう。
それは、この目の前の侯爵令嬢にも言えることだ。
彼女はサリーナの話を聞いて、何を思っているのだろう。
サリーナが三回目の人生であの男と結婚したとき、彼女は何をしていたのだろうか。
好き放題できるし、その力があるサリーナは、そこまで考えてはいなかった。
あくまで自分を中心に考えてしまっていたなと、震えそうになるのを堪える。
今世では、彼女の思うように生きていければいいと思う。
貴族として、このまま現状を受け入れるのもよし。
やっぱり結婚は嫌だと、逃げてもいい。
世界は変わった。
サリーナが、変えた。
「振り回してしまった皆様には、申し訳なく思うと同時に、本当に感謝しております」
苦笑を交えて、視線を下げる。
堂々と口にできるようなことではない。
侯爵令嬢が少しだけ息を吐いたのがわかった。
「サリーマ様は……振り返ることはなかったの?」
じっと値踏みするかのような視線は、気持ちのいいものではない。
隠すこともできるだろうに、あえて問いかけてきていることがわかる。
振り返ること。
後悔したことはないのか、と。
婚約を解消した後、どうなるのか。
ザイードと婚約を解消した後、サリーナの元には新しい婚約の話が舞い込んできていたのは知っている。
だがその相手は爵位の低い相手か、四男だったり平民落ちした相手だったりと顔も名前も知らない相手だったはずだ。
結果的にサリーナはルシオと、ザイードは王女殿下と婚約、いずれは結婚することになるが、それは完全に結果の話である。
婚約を解消したときいは、何も考えていなかった。
サリーナは、笑みを深めた。
「今となっては些細なことですわ」
実際はこれっぽっちも振り返ったことなどないけれど、はっきりとした回答は避ける。
彼女が本当に知りたいのは、後悔したかどうかではないだろう。
知りたいのは、不透明で先の見えない、解消した後のことだ。
「大変ありがたいことに、散々と迷惑をかけても、変わらずに手を伸ばしてくださる方々に恵まれました。改めて、お礼を申し上げなければなりませんわ」
一人ではない、とサリーナは伝える。
実際のところは魔法が使えまくるので、その後のことなんて何も気にしていなかったけれど、侯爵令嬢の彼女は違う。
サリーナよりも爵位が高く、貴族として育てられてきた彼女にとって、婚約を解消することは恐ろしいことだろう。
これまでの考え方も生き方も、根本的に変わる可能性すらある。
解消した後のことなど全くわからない今、継続するにしても解消するにしても、一歩を踏み出すのはとても勇気のいることだ。
だが、彼女の周囲には、手を貸してくれる人が大勢いるはずだ。
彼女の家族はもちろん、この場にいる御令嬢たちもそうだろう。
彼女たちは、決して上辺だけで付き合っているわけではない。
表面上の付き合いしかない相手を、サリーナを招待するような茶会に呼ぶはずがないのだ。
「月日を重ねていくというのは、選択の結果でもあるかと」
全員の意識が自分に向いているのを感じながら、サリーナはわざと一人一人と視線を合わせる。
そうして、最後に侯爵令嬢を見つめた。
「私は元来の性格ゆえか、その先を楽しみだと思ってしまいました。歩く先が、どこまでも広がっていると思えた故です」
あのとき、こうしておけば良かった。
やっぱり、こっちを選んでおけばよかった。
思うことは自由だし、考えて悔しがったとしてもかまわない。
ただ、その先は誰にもわからない。
少なくとも、サリーナは足元から延びる先の道を、楽しみだと思ってしまった。
「私は、自分が思い選んだ日々の先を、見失わないようにと思っているだけです」
侯爵令嬢に向けて、口を開く。
穏やかに見えるよう、サリーナは薄く微笑んだ。
侯爵令嬢は、艶やかに口の端をあげる。
「その結果が何をもたらすことになっても、後悔をなさることはないと?」
「後悔なんて、日常茶飯事です。ただ、重きを置く場所を、先へと変えているだけのことに過ぎません」
人生を何度やり直したって、今でもやっぱり後悔する。
少し何かに手を出しただけで、一気に動くこともある。
特にルシオに対しては、散々と迷惑をかけているとわかっている分、後悔ばかりだ。
「ただ、悔いることのないように」
祈るように、サリーナは言う。
公爵令嬢が「……そうね」と、返してくれた。
「後悔ばかりは、つまらないわね」
彼女の言葉に、隣にいた御令嬢がさっと両手を合わせる。
パッと顔を輝かせて、笑顔を見せる。
「その通りですわね。これからのことを考える方が、ずっと有意義ですもの」
「未来を考えるなんて、素敵な話だわ」
「その方が、楽しいに決まっていますね」
話がつながった。
これからの未来。
一番身近な未来である、もうすぐ行われる学院でのテストのことに話が移った。
話に混ざりながら、侯爵令嬢の瞳が柔らかく細くなったのを見て、サリーナはゆるりと力を抜いた。
今を大切にしているサリーナだから、ルシオとの婚約も望んだものだとわかるだろう。
そして、その思いも侯爵令嬢に伝わったはずだ。
これからどうするのかは、サリーナには関係がない。
あくまでもこの場は、関係性を築くための茶会なのだ。
話が社交界へと向けられる。
目の前にいる女性たちは、サリーナよりも爵位の高い貴族の御令嬢である。
当然のように貴族の婚約者がおり、ドレスの話やダンスの話が飛び交った。
ドレスを含め、身に着ける物は、婚約者からのプレゼントだ。
特に今年は、第一王子の即位式後のパーティーがある。
それぞれが家名に恥じぬ資金力、横の繋がりをアピールするために、全力で準備中だろう。
彼女たちは、サリーナへと話を振ってくる。
「商会の方では、また新しい布を売り出していると聞きましたわ」
「私は、宝石の話を耳に挟みました」
「私はお茶についてお伺いしたいですわ。サリーナ様も携わっていらっしゃるのでしょう?」
全員、コンラード商会に興味があるようだ。
せっかくなので上手く誘導できないかなと思いつつ、サリーナはにっこりと笑みを浮かべた。




