サリーナ、知らぬ間に 前編
サリーナは、本当に久しぶりにチェルシーと帰宅していた。
最近は放課後にルシオと一緒にいることが多かったので、チェルシーと歩くのは久しぶりである。
チェルシーは、形の良い眉をきゅっとしかめる。
「侍女に聞いたの。この間、また新しいフルーツケーキが発売されたんですって」
「わぁ。そんなのを聞いたら、食べたくなっちゃう」
「本当よ。まだ、新作のパフェも食べていないのに」
「もう、新作とは言えないんじゃない? いつ発売されたのか覚えてる?」
「嫌よねぇ。季節が巡るのは、本当に早いわ」
大げさにため息をついたチェルシーは、肩を竦めた。
社交界シーズンが日に日に近づいている。
甘い物を控えるだけのサリーナとは違い、辺境伯爵令嬢のチェルシーは家であれこれと運動をしているらしく、全体的にすっきりとしてきている気がする。
「チェルシー、これ以上頑張りすぎると、ドレスサイズの調整が必要になるんじゃない?」
「そのときは、そのときよ」
ドレスの見た目など気にせずに言い切るチェルシーを、サリーナは凄いと思う。
自分をしっかりと持っているチェルシーは、にっこりと笑ってみせる。
「テスト勉強の息抜きに、運動しているだけだもの。たいしたことはないわ」
「また、そんなことを言って」
本当だとしたら、随分と息抜きをしていることになるなと、サリーナは思わず笑ってしまった。
とにもかくにも、チェルシーが元気ならばいいのだ。
「第一ドレスはね、合うように縫えばいいのよ、縫えば」
「嫌だわ、チェルシー。そんなことを言ったら、悲しまれるわよ」
社交界向けのドレスは、婚約者からの贈り物である。
当然、伯爵令嬢のチェルシーも同様だ。
チェルシーに似合う、最高のドレス一式をプレゼントしていることだろう。
それを「縫えばいいのよ」と一言で片づけてしまったわけだが、肝心のチェルシーは気にもとめていない。
「私のやる気を見抜けなかった、彼が悪いのよ。婚約をしてから、何年たっていると思っているの? こういうことまで見越して、贈ってきてもらわないと」
「もう、チェルシーったら」
サリーナは、呆れた声を出した。
わかっている、これはただの惚気だ。
チェルシーの婚約者は、格上貴族の公爵家の次男である。
辺境で育った元気で優しいチェルシーをとても大切にしており、子爵令嬢でしかないサリーナに対しても、とても丁寧で紳士的に接してくれる人だ。
辺境伯爵家であるチェルシーの領地の近くに公爵家が管理をしている土地があり、結婚した後は伯爵の名をもらい、そこに住む予定である。
金銭的にむしろ裕福すぎる侯爵家の次男からのドレスは、さぞチェルシーに似合うに違いない。
それを縫うと言ってしまうチェルシーは、とても一般的な御令嬢とは言い難いだろう。
だが、彼はそんなチェルシーを好意的に受け止めて、大切にしている。
チェルシーはスカートを翻し、口元に手を当てる。
「サリーナの方こそ、大丈夫なの? 注目の的でしょ?」
「やめて、考えたくないわ」
「あら、堂々としていればいいのよ。その他は芋みたいなものなんだから」
「芋って……」
あまりの言いように、サリーナは力が抜けてしまう。
だが、チェルシーの言葉の通り、注目の的なのは間違いない。
ただ、実際に注目されているのはサリーナではなく、婚約者であるルシオの方だ。
サリーナとルシオは婚約を結んでいるが、立場的には大きく違う。
貴族と平民の差は、言葉にするよりもはるかに溝があるのだ。
学院内でのパーティーや、サリーナが招待されるレベルのパーティーならば、平民であるルシオがパートナーでも問題ないのだが、今回だけはそういうわけにもいかない。
今回は、第一王子の即位式がある。
即位式自体は、当主とその妻のみの参加なので、令嬢であるサリーナには関係がない。
問題は、その後に開かれる祝いのパーティーである。
お祝いの席には、サリーナやチェルシーたち、貴族の令嬢も令息も参加するのだ。
婚約者をパートナーとして伴う席になるので、サリーナもルシオと参加することになる。
「即位式後のパーティーに出席できるなんて、平民の立場だったらありえないから、仕方がないでしょうけど」
「……そうよね」
「学院内ならともかく、公式の場で第一王子のお顔を近くで拝見できるわけでしょう? 私でも緊張しちゃうもの」
そう言いながらも緊張の欠片もないチェルシーに、サリーナは曖昧に笑っておいた。
コンラード商会が王宮に呼ばれたことは、貴族であれば誰もが知っている。
その場にはルシオも同席したものの、メインは会頭であるルシオの父親だと思われているせいか、ルシオは完全におまけの扱いだ。
ただ、サリーナはルシオと第一王子が対面したことも、魔法契約を結んだことを知っている。
意地の悪い貴族の中には、平民であるルシオが参加することに不満を持っており、あら捜しをしようとしていると聞く。
隙あらばルシオをきっかけに、コンラード商会にまで責任転嫁をするつもりらしい。
だが、実際にはルシオの立ち振る舞いが何も問題にならないことも、ルシオがむしろ注目されることで商会の名前を売ってやろうとしていることも、サリーナはちゃんとわかっている。
「無事に、終わるといいのだけれど」
ぽつりと落ちた本音に、チェルシーが瞬いた。
ふわりと微笑み、サリーナの手を取る。
「大丈夫よ。彼ならきっと、サリーナをしっかりとエスコートしてくれるわ」
「え、えぇ、そうね」
「少なくとも、私はね。あの、過去の不誠実な男よりは、ずっと彼の方が素敵だと思うわ。サリーナのことを大切にしてくれていることが、私にもわかるもの」
「ありがとう、チェルシー」
以前の不誠実な男こと、ザイードに対しては、言いたい放題だったチェルシーである。
ルシオと婚約をしたときには驚いていたが、紹介をしてからは一気に好意的になった。
身分よりもサリーナを軸に考えてくれるチェルシーに、嬉しくなる。
「何度もドレスの打合せもしているんでしょう? サリーナのドレス、楽しみだわ」
「もう、やめてよ」
そう言いながら、サリーナは「そう言えば」と思い出していた。
薬物入りのお茶のことなどで、放課後ルシオと過ごすことが圧倒的に多かった最近である。
対外的には「社交界の打合せ」と「新作のお茶の試作」で通していたことを忘れていた。
「あとは、テストだけね。しっかりと終わらせて、思うことなく社交界を迎えたいわ」
「そうね」
テストは、もうすぐ始まる。
数日かけて、いくつもの科目をこなすのだ。
それが終わってからは、貴族たちは一気に社交界へと向けて動き出す。
サリーナもチェルシーも魔法科に所属している学生だが、今はまだ座学と言うことでペーパーテストが多い。
実技ではない分、テスト範囲は広い。
基本を理解していない人間に、実技を行う資格はないのだ。
決して成績が悪くないどころか、むしろ好成績を収めているチェルシーは、頑張り屋だと思う。
一方で、人生をやり直しまくって学院での座学などすべて終えているサリーナは、勉強をしているふりをしながらペラペラと教科書をめくっている始末だ。
とりあえず今回も、平均よりも若干上ぐらいを目指そうと思っている。
そんなサリーナだったので、テストにはたいした思い入れもない。
学院内のイベントの一つとしてしか捉えておらず、結果にはさらに興味もなかった。
テストの結果は、基本的には個人にのみ伝えられる。
だが成績優秀者だけは別で、各科目はもちろん総合計に至るまで、上位十位までの氏名は、貼りだされるのだ。
場所は生徒ならば誰もが通る一番大きな廊下なので、自ずと目に入ってくる。
だがいつも通りの成績を収めたサリーナは興味がないので、いろいろなところで人だかりができているのを眺めながら素通りしてしまっていた。
上位成績者ではないチェルシーも、元々の性格上、貼りだされた順位などは見ていなかった。
だからこそ、気づくのが遅れた。
「サリーナ様の婚約者でしたわね。本当に凄いですわ」
隣に座るクラスメイトに話しかけられたサリーナは、すぐには反応できなかった。
凄いというのは、婚約者であるルシオのことだろうか。
「……まさか、ご覧になっていらっしゃらないの?」
いまいちわかっていない様子のサリーナに、クラスメイトの令嬢の方が驚いた様子である
サリーナが「お恥ずかしいです」と認めると、彼女は詳しく話をしてくれた。
その情報を胸に、授業が終わるや否や、サリーナは廊下まで急いだ。
見上げると、成績上位者の名前が書かれた紙が、ずらりと並んでいる。
人がほとんどいない廊下の端で、サリーナは立ち止まった。
視線をあげて、確認する。
一番手前から、魔法科に始まり騎士科、それから教養科と並んでいる。
視線を滑らせるように、教養科の総合計、その一番上の名前を見て、サリーナは目を丸くした。
どう見ても「ルシオ・コンラード」と書かれてある。
しかも恐ろしいことに、それぞれの個別の科目の一番上に、ルシオの名前がある。
どの科目でも首席なのだから、総合計の一番上に名前が記載されているのも当然だろう。
「……えぇ?」
ルシオのこれまでの成績など、聞いたことがない。
しかし、これほどまでの成績は収めていないことだけはわかる。
通常でこの成績であれば、父親やクラスメイトを通じて、耳に届くだろう。
同時に、サリーナはゾワリとした。
ルシオは以前に、学院での授業内容はすでに履修済みの様な話をしていた。
だからこそこの成績なのだろうが、すべて首位を取るとは相当である。
教養科のテストは知らないが、細かなところまで理解していないとこの成績にならないことはわかる。
改めて、勉強をしたのではないだろうか。
元々忙しいルシオである。
時間を歪めたのだろうと思い、サリーナはきゅっと唇を結ぶ。
一体、何故そこまでしなくてはなからなかったのか。
首位を独占することに、何の意味があるというのだろう。
何か、あったのかもしれない。
とりあえず、ルシオに話を聞かなくては。
不安な気持ちがぬぐえないまま、サリーナは無意識に胸元を握りしめた。
ルシオに話をする機会は、思ったよりも早く訪れた。
テストも終わった今、次は社交界へ向けた準備の大詰めである。
それを口実に、久しぶりに顔を合わせたルシオは元気そうで、何事もなかったかのように普通だ。
ルシオの私室に招かれてお茶に口をつけたサリーナは、モヤモヤとした気持ちをさっさと解決しておくことにする。
どうせ、何かを抱えていることは早々にルシオにバレるだろう。
だったら、自分から切り込んでしまった方がいい。
サリーナはカップをおいて、顔をあげた。
まずは、簡単な話からである。
「先日、テストの成績を見ましたよ。首席、おめでとうございます」
「あー、うん、あれね」
サリーナの言葉にも、ルシオは小さく笑うだけだ。
特に変わった様子はなさそうだが、とサリーナは口を開く。
「今までの順位は、あえてですか?」
「そうだね、変に目立っても面倒だし。サリーナだって、同じでしょ?」
「私は、元々の実力に合わせているだけです」
サリーナの成績は、人生をやり直す前のものに近くなるようにしている。
可もなく不可もなく、平均を少し超えるあたりだ。
上位成績者の名前は貼りだされるので、どうしても名前が売れる。
それを避けるために、これまで上位成績を取りながらも名前が貼りだされないように調整していたルシオである。
何故今になって、首位を独占するような成績を取ったのだろう。
疑問に思うが、それよりも先に確認したいことがあった。
「時間を歪めたんですか?」
「まぁ、多少はね」
やっぱり、とサリーナは目を細めた。
高額な魔道具を使って、一体何をしているのだろうか。
そう思うと同時に、気になることもある。
このままでは心配なので、最後まで言ってしまおうと、サリーナは背筋を伸ばした。
「ルシオ様。お気を悪くされたら大変申し訳ないのですが、魔道具を使ったことで、心無い言葉を言われるようなことがあるのではないかと。その、余計なことを考えてしまいました」
時間を歪めて勉強するのは、特に禁止されているわけではない。
ただ、実際に使用するかは別の話だ。
魔道具が高価なので簡単に手を出せるものでもないというよりも、ただのズルという考えが根本的にあるからだ。
勉強時間が確保できるのならば、好成績なのも当然だろうということである。
資金的に問題がない高位貴族の令息や令嬢が魔道具を使わないのも、そこを突かれたくないためだ。
万が一使用していることが世間に広がってしまえば、そのレベルの家柄だと揶揄され、想像以上の被害が出かねない。
コンラード商会は、接客業である。
おかしな噂がたてられでもすれば、大きな損害になりかねない。
商会の後継者として名前を背負っているルシオは、大丈夫なのだろうか。
サリーナの視線を受けても、ルシオはけろりとして「あぁ、そっか」と言うだけだ。
「まだ、魔法科までは届いてなかったね」
「何のことですか?」
「噂、もう流れてるよ。俺が魔道具を使ったんじゃないかって」
「えぇ!?」
「商会の名前とはいえ、魔道具を購入していることは隠してないし。当然じゃない?」
「……えぇ?」
話はサリーナが思っている以上に進んでいたようであり、悪い気がする。
事実をおかしな方向に捻じ曲げてしまえるのが、学院での噂である。
コンラード商会としても、不名誉すぎる噂のはずだが、どうするのだろう。
「それよりも、俺が不正したんじゃないかって話の方が面倒かなぁ。まぁ、あれだけ一気に点数をあげたから、言われると思ったけど」
考えてもみなかった話に、サリーナはあんぐりと口を開けた。
「そ、れは。あの、でも、不可能ですよね」
魔法が使える学院である。
不正など、何人もの教員が魔法で見張っているのだから、出来るはずもない。
ルシオは、うんざりしたように顔をしかめた。
「そうなんだけどねぇ。文具関係でクズ石を山盛り取り扱ってるからさ、あれこれ違法な手を使ったんじゃないかとか、こそこそと言われてますよ」
「冤罪じゃないですか!」
「こっちは下手すると学院の教師の力量を疑っていることになるから、表立っては言えないみたいだけど。ひっそりと広がってるねぇ」
「何て酷い……」
「ホントだよ。時間は歪めたとはいえ、俺はちゃんと勉強したのにさぁ」
不満そうな言い方ではあるが、切羽詰まっているわけでもないのが不思議である。
というよりも、思えばルシオが何も考えずに行動するはずもない。
サリーナは首を傾げた。
「……すべて、予想済みですか?」
「これぐらいはね」
きっぱりとルシオが言うので、サリーナは黙った。
予想済みということは、当然対応策も考えてのことなのだろう。
どうするのか想像もつかないが、魔法科のサリーナの耳に届くよりも早く収束しそうだ。
だったら、サリーナがこれ以上することも、出来ることもない。
うまくいくといいな、と願うだけだ。




