サリーナ、試して 中編
ぼんやりと周囲を見渡したサリーナは、気づいたように正面を向いた。
ルシオはきっと、ティーセットを持ってくる。
ということは、机の上は片付けておいた方がいい気がする。
サリーナは立ち上がり、自分の周辺にあったカップや茶葉を隅へと並べていく。
わからなくなってしまっては困るので、上から順番においていけばいいだろうか。
手を伸ばして、正面に座っていたルシオの周辺も広げた。
そうしながらも、考える。
暗示をかけて欲しいといったのは自分だし、ルシオのことは信用している。
どうやって暗示をかけるのだろう。
眠たくなるとか、そういう類のものだろうか。
面白半分に、コインを使ってやったことはあるけれど、うまくいった覚えなどない。
こんなもので、と思っていたから、かからなかっただけなのか。
「……不思議ね」
ぽつりと声が漏れた。
サリーナは、人生を何度もやり直してきた。
この世界の何もかもを操れるだけの魔力を持って、知りたければその起源までも遡れる魔法を使えるサリーナは、この世界で出来ないことはない。
それでも尚、知らないことがあり、不安に思うことがあるのだから、不思議だと思う。
「あれ、片付けてくれたの?」
「ルシオ様」
顔をあげると、ルシオがお盆を持って立っている。
横にお盆をおいたルシオは「ありがと」と言って座った。
ちらりとお盆を見たサリーナは、ぱちくりと瞬いた。
お盆の奥に、トランプが置かれているのが見える。
暗示に使うのだろうか。
ルシオが、一つのカップを手に取った。
ティーカップよりもかなり小さな、試飲するレベルのカップだ。
「これならいいかなと思って。お茶、飲めそう?」
「はい、頂きます。お気遣い、ありがとうございます」
お茶を飲むカップではないけれど、量が少ないのはありがたい。
ルシオは小さなカップに、上手にお茶を注いだ。
置かれたのは、澄んだ茶色のお茶だ。
カップ自体は小さいけれど、飲み口は広いので香りがよくわかる。
「どうぞ」
「……頂戴致します」
一口目から、コクが感じられる。
おいしいとはとても言えないお茶ばかり試していたので、思わずホッと息をはいた。
何も混ざっていない、ストレートなお茶の味と香りがする。
「おいしいです」
「良かった」
笑ったルシオは、向かいに座る。
そのまま、トランプを手に取った。
「何をなさるんですか?」
「ちょっとした、ゲームかな。付き合ってよ」
「は、はい」
断ることはないものの、何となく、ソワソワしてきてしまう。
暗示をかけるというのは、いつどこで行われるものなのだろうか。
「机の上を片付けてくれたから、広げようかなぁ」
嘆きつつ、ルシオは慣れた手つきでトランプをきっていく。
ちらりと見上げると、楽しそうなルシオと目が合った。
「そんなに緊張しなくても」
「え」
「暗示はかけます、ちゃんとね」
流れるような作業でトランプをきっていきながら、ルシオが顔をあげた。
紫色の瞳に、吸い込まれそうになる。
「サリーナが気づかないうちに、そっと」
「……そっと?」
「うん、こっそり」
きゅ、と心臓を掴まれたような気がした。
唇を結んだサリーナは、そのまま視線をトランプに戻す。
とりあえず、自分はいつも通りにしておくしかない。
ただ、せめていつどのようにかけるのかぐらいは、教えてほしいと思ってしまう。
「ちなみに、サリーナはさ。軽めの暗示と重ための暗示と、どっちがいい?」
「……もう少し細かく分けてはもらえないのでしょうか」
「んー。じゃぁ、中の上ぐらい?」
トランプを遊ぶように混ぜていくルシオが、小首を傾げた。
暗示の中の上と言われても。
それがどれぐらいなのか、サリーナには想像もできない。
ただ、せっかくかけてもらえるなら、もう少し欲を出してもいいのだろうか。
「上の下ぐらいで、お願いしたいです」
ルシオが噴き出した。
堪えたように笑いだす。
「何それ、中の上とは違うの?」
「せっかくお手をわずらわせるのであれば、上がいいなかと思いまして」
「そっか。じゃ、上の下ということで」
軽く言うが、たいした準備もしていないのに、そんなにすぐに出来るものなのだろうか。
一瞬だけ後悔しそうになるのを、押し殺した。
じっとルシオを見てみるが、何もわからない。
ルシオはトランプをまとめて、机の上においた。
どこかの人生で出会った大人のルシオとはボードゲームはいくつか対戦したことはあるが、トランプは初めてだ。
とても素人とは思えない手つきで、ルシオがトランプを裏向きにしたまま、机の上に広げた。
幾何学模様をした柄がしたトランプが重なり、綺麗な半円を描く。
「ここから一枚選んで、俺に見えないように抜いて。そのまま、マークと数字を覚えてくれる?」
「……はい」
頷いたものの、どこから選んだらいいのか。
迷ったものの、真ん中から少し右にあるカードから、一枚引き抜いた。
ちらりと見たトランプの表には、クローバーのマークと、数字の5が見えた。
このカードは、サリーナが自分で選んだものだ。
だが、実はすでに暗示をかけられており、気づかないうちに誘導されたのだろうか。
ルシオは右手でカードを一つにまとめたかと思うと、山なりにカードをしならせて混ぜる。
くるくるとカードを回しながらきった後、机の上においた。
「好きなだけ混ぜた後、さっき取ったカードを入れて。一番上以外だったら、どこでもいいから」
「……わかりました」
そろそろとカードを手に取った。
紙のカードには違和感はないものの、何か仕掛けられていても気づけるとは思えない。
とりあえず何度かカードをきってから、そっと抜いたカードを戻しておく。
「これで、いいのでしょうか」
「混ぜなくてもいいの?」
問われると、もう少し混ぜておいた方がいいのかなという気持ちになってしまう。
これが暗示なのだろうかと思いつつも、サリーナは数回きってから、机の上にトランプの束をおいた。
「見てて」
一言だけ口を開いたルシオは、一番上のカードを手にしてひっくり返した。
カードは、ダイヤの9だ。
サリーナが引いたカードではない。
「え、と」
どうしたらいいのだろう。
このカードは引いていないと、言ってしまっていいのだろうか。
「よく見て」
ルシオの名前を呼ぶよりも早く、ルシオがカードの上に手をおいた。
一度ぎゅっとトランプを上から押さえつけると、カードが隠れてしまう。
それから、ルシオはゆっくりと手を離した。
「え!?」
「これ、サリーナの引いたカード?」
「そ、そう、です」
先ほどまではダイヤの9だったトランプが、クローバーの5に変わっている。
サリーナはまじまじとトランプを見つめた。
訳が、わからない。
「あ、あの、これ。暗示でした?」
「違います。ただの手品、マジックだよ」
右の手のひらを見せたルシオが、もう一度トランプを押さえつける。
本当に上から一度押さえただけなのに、今度はダイヤの9に戻ってしまった。
「ルシオ様、ルシオ様は手品師だったんですか?」
「そんなわけないでしょ。話題作りのためです」
「えぇ……!?」
マジックが必要な、話題とは。
商人として生きたことがあるサリーナでも、マジックを披露したことなどないのだが。
それは、どこかで出会った大人のルシオからも聞いていない。
ルシオがマジックまでできるとは、知らなかった。
「貴族は魔法が使えるからだと思うけど、あんまりマジックに興味ないよね」
「そうかも、しれません」
確かに、魔法が使えないルシオがさらりとやるからこそ、驚くのだろう。
これがサリーナや身内がやったのなら「魔法を使った」で終わってしまいそうである。
ただ、周囲に気づかれずに、一瞬で魔法を使うとなると、相当難しい。
その点、ルシオの方が鮮やかだったと思う。
「サリーナは、反応がいいなぁ」
「こうやって近くて見たのは、初めてですので……。本当に、魔法のようです」
「これはマジックだから、ちゃんとタネがありますよ」
ルシオの言葉に、サリーナは引きつった。
実際には、マジックと呼ばれる手品も奇術も見たことがある。
ただ魔法が使えてしまうサリーナにとっては、驚くべきことでもなかったのだ。
あくまでも遠くから眺めていただけである。
それが、目の前であっさりと見せられると、驚いてしまう。
どうやっているのか、全然わからない。
「んー、じゃあ。もうちょっとだけ、続けようかな」
そう言ったルシオは、ダイヤのカードを裏に向けて、束に上に乗せてしまう。
束を手にして何度かきったあと、机の上に広げる。
「全部、裏」
ルシオの言葉に、小さく頷く。
トランプの裏の模様がそろっており、綺麗に見える。
それを一つにまとめたルシオは、そのままもう一度トランプを広げた。
「あ!」
何故か、一枚だけ、表になっている。
左端の一枚だけ、明らかに柄が違う。
そのカードを、人差し指でルシオが抜いた。
クローバーの5だ。
「えぇ……? どうなっているんですか?」
サリーナはトランプを見つめてみるが、わからない。
トランプを一つにまとめて広げただけで、サリーナが選んだ一枚だけが表になった。
本当に一瞬すぎて、呆然である。
「おもしろかった?」
「おもしろかったと申しますか、驚きました」
「そっか」
ルシオはタネがあると言っていた。
ということは、練習すれば誰でもできるようになるのだろうか。
サリーナでも。
ルシオは、トランプを一つにまとめてサリーナを見た。
瞳が優しい。
「気分転換になったのなら、良かった」
柔らかな声に、サリーナは胸がぎゅっと痛くなった気がした。
同時に、泣きたくなってしまう。
優しい人だと思う。
気づかないところで、いつもサリーナを助けてくれるのだ。
「ありがとう、ございます」
「何もしてないよ」
「おもしろかったです、とても」
振り返ったルシオが、きょとんとしているのを見て嬉しくなる。
この人の期待に答えたいと思う。
「また、頑張れそうです」
「頑張りすぎはダメだからね」
「はい、わかっております」
心配をしてくれていることも、嬉しい。
サリーナは、小さなカップを手に取って、ゆっくりと飲んだ。
何も混ぜていないお茶だからか、落ち着きを取り戻してくれる。
「あ、そうだ」
思い出したかのようなルシオが、小さな小皿を机においた。
薄いピンク色をした、小さな魔法石がころりと乗っている。
「これは?」
「魔法石だよ。匂い、確認してみて」
「は、あ……」
ルシオがそう言うなら、とサリーナは小皿を手に取る。
顔を近づけて、石の上の方を手であおる。
ふわりと桃の香りがする。
「桃、でしょうか」
「そう、桃の果汁を吸わせたんだ」
サリーナは一瞬固まった後、視線だけルシオに向けた。
「匂いではなく、果汁も?」
「そうだよ」
そう言いながら、ルシオは新しいカップを取り出した。
先ほどと同じ、小さなカップである。
ルシオは平然としているが、魔法石に果汁を吸わせるなんて、一般的なことではない。
少なくとも、人生をやり直しまくっているサリーナですら、初めて聞いた。
香水を兼ねて匂いを吸わせることはあっても、まさか果汁を含めているとは。
これをどうするのだろうか。
「貸してくれる?」
言われて小皿を手渡すと、ルシオはティースプーンで石をすくって、ゆっくりとお茶に入れた。
お茶の中に、石全体が沈む。
「大丈夫、ちゃんと洗ってあるから」
ルシオがスプーンを少しだけ左右に振った。
小さなカップの中で、石が揺れる。
サリーナは、波立つ水面をただただ眺めるだけだ。
何がしたいのだろう。
「これぐらいかな」
そう言ったルシオが、石を取り出した。
石を乗せた小皿を、もう一度サリーナの目の前におく。
「どう? 匂い、消えてる?」
「え、あ……」
問われて、慌てて小皿を取る。
先ほどと同じように、手で仰いだ。
お茶の匂いはするが、先ほどまで香っていた桃の匂いは消えている。
「桃の香りが、しません」
「だったら、ちゃんと溶けだしたってことかな」
サリーナは反射的にカップを見る。
溶けだしたということは、このお茶に桃の果汁が混ざったということだろうか。
「飲んでみる?」
ルシオがくるりとカップを回して、サリーナの前においた。
手のひらを向けられたので、そろそろとカップを手に取る。
例え洗ってあったとしても、魔法石が入っていたお茶を飲むなんて初めてである。
それでも、ルシオが淹れてくれたお茶だ。
顔を近づけると、桃の香りがした。
躊躇したのは一瞬だけで、サリーナはぐいっとお茶を飲み込んだ。
「……あ」
小さく言葉が漏れた。
桃の香りがしただけではなく、味そのものが違う。
薄っすらと甘酸っぱさを感じるし、何よりもさっぱりとした後味も全然違う。
「果汁が入るだけで、全然違うでしょ」
「はい」
目を丸くしたサリーナは、手元のカップを見つめた。
色はストレートのものと変わらないと思う。
言われた今でも、やっぱり見た目は同じでしかない。
それなのに、口にすると全然違う。
「サリーナ、一口だけでいいからレモン水飲んでみてくれる?」
「え」
「それで、味覚がリセットされるから」
「は、はい」
サリーナはカップをいて、レモン水が入ったコップを手に取った。
未だに少し冷えているレモン水を少しだけ飲んでから、前を向く。
「ルシオ様?」
ルシオは、何がしたいのだろう。
サリーナの目の前で、ルシオは笑いながら手を合わせる。
「では、問題です」
「え」
「この二つのカップのうち、どちらが果汁入りのお茶でしょうか?」
いきなりの謎をかけられた。
訳がわからずに、サリーナは数回瞬いた。
ルシオが意味もないことはしないと思いつつも、何故今そんなことを言い出したのかがわからない。
「え、えぇと」
それでも、サリーナは二つの小さなカップを見下ろした。
カップは同じなので、見た目では判断ができない。
ただ、香りは全然違う。
果汁入りのお茶を当てるなんて簡単だろうと思いつつ、一つ目のカップを手に取った。
桃の香りはしない。
ということは、もう一つのカップだろうか。
手を伸ばして反対側のカップを手に取ったサリーナは、ぴたりと固まる。
「……え」
香りがしない。
ぱっとルシオの顔を見るものの、にこにこと笑っているだけなので何も教えてもらえそうにない。
慎重に、もう一度香りをかいでから、口をつけてみる。
両方のカップどちらからも、先ほど感じた甘酸っぱさは得られない。
「ちょ、ちょっと待ってください……」
二つのカップを見比べながら、サリーナは心のままに嘆く。
おかしい。
匂いだけならば飛んでしまった可能性も否定できないが、味まで消えてしまうなんてことがあるのだろうか。
混乱気味のサリーナに、ルシオは目を細めた。
「わかった?」
「あの。どちらからも、桃の香りも味も感じられないんです」
「うん」
「少々お待ちください、そんなはずは……」
味覚も嗅覚も、人より鋭いはずなのに。
小さなカップとはいえ、お茶の香りも味もわかるので、自身がおかしくなったわけではなさそうだ。
「どちらも同じお茶だから、桃の香りも味もしないと思うよ」
「う、え!?」
必死でカップを見つめていたサリーナは、聞き捨てならない台詞が飛び込んできて、身を震わせた。
椅子が音をたてる。
ぽかんと目を見開いたまま、サリーナはルシオを見つめた。
「どういう、意味でしょうか。どちらも同じお茶、とは。ベースの話ではなく?」
「そうじゃなくて。そのカップに入っているお茶は、全く違いのない、同じお茶って意味」
「も、桃の果汁は……?」
「一滴も、入ってないよ」
サリーナは目を見開く。
桃の果汁の話は、嘘だったというのか。
「香りも味も、確認しましたよ」
「うん、だからね。暗示をかけたってこと」
「……え、え!?」
「暗示をかけたんだよ、今」
暗示をかけた。
さらりと何を言い出すのか。
「元々、どちらのカップにも桃の果汁なんか入ってない。サリーナは、同じストレートのお茶を二回飲んだだけ」
「で、ですが! 一方からは、桃の香りもさわやかな後味も、確かに感じました」
「俺がそうなるように、サリーナに暗示をかけた」
暗示をかけた、本当に?
桃の果汁なんか入ってないなんて、そんなことが。
「あの桃の果汁が入っているという魔法石は、一体……?」
「都合のいい、ただの小道具だよ」
ルシオは一度目を伏せて、薄く笑った。
「ね? 味覚も嗅覚も、暗示で簡単に変わるんだよ」
サリーナは、小さく息を飲む。
驚きからか熱くなる体とは反対に、背筋に冷や汗が流れた。




