サリーナ、試して 前編
ルシオの私室に入ったサリーナは、ぱちぱちと瞬いた。
いつもある小さな机はなく、色々な物が壁に押しやられている。
その空いたスペースに、大きなテーブルがどーんと幅をとっておかれてある。
ルシオからは事前に「部屋が狭い」とは聞いていたが、狭いと言うよりもテーブルが大きいだけではないだろうか。
「椅子はあるから、座って」
ルシオが椅子を引いてはくれるけれど、そこにいくまでの道も細い。
これ以上になると、お腹が引っかかりそうな気がしなくもない。
「はい、どうぞ」
ルシオが出してくれたのは、レモンだけを入れた水だ。
サリーナがお願いしていたもので、これからのために必要なものだ。
「ありがとうございます」
「こっちこそ、時間取らせてごめんね」
「やめてください、私にできることがあって良かったと思っているぐらいですから」
大きな机を挟んでいるので、いつもより少しルシオが遠い。
同じようにレモン水を飲んだルシオは、苦笑する。
「ありがと」
サリーナは嬉しくなって、カップを持ったまま笑った。
今日は、疑似薬物を使った試作品を作ることになっていた。
支店には広い部屋もあるのだが、決して広くはないルシオの私室に、無理やりテーブルを押し込んで、ここにサリーナを呼んだのには理由があるのだろう。
時間を歪める気なんだろう、とサリーナは尋ねはしないが、確信がある。
レモン水と、コーヒーの入った粉がテーブルの端におかれてあるのが見える。
サリーナは机に並べられた茶葉を眺めて、ゆっくりと息を吐いた。
頑張らなくては。
それが今、サリーナに求められていることならば。
薬物は、まず匂いで気づく。
実はお茶によく似た香りがあるのだが、それよりも甘くて重たい匂いが強い。
特に初めて嗅いだ人間は、それ以上に臭さを感じてしまうだろう。
だが、臭いを消すのは結構簡単だった。
ルシオがクズ石を使って、花の匂いを集めていたことが大いに役に立った。
魔法石を一つ一つおいて様子を見るだけで、匂いが変わっていくのを観察するだけでよかったからだ。
問題は、味である。
独特な苦味があるのに、一方で甘いのだ。
薬草茶が恐ろしく草の味がするので誤魔化すことができるものの、本来はかなり草の味がする。
甘味を足すだけでは、どうにもならない。
元々の甘味がしつこくなるほどで、たいして効果は得られない。
塩を入れて辛味を出せば苦味は抑えられるが、お茶として飲むことを考えると落第である。
「……とても、出せるようなものではないわ」
量を変える。
使う茶葉を変える。
淹れた後の時間を変える。
少しずつ試しても、うまくいかない。
お茶の組み合わせは無限にあり、それだけでも気が遠くなりそうだ。
試飲する量は少ないとはいえ、種類が多ければ自然と飲む量が増えるので、お腹の中に水分がたっぷりである。
「はい、そこまで。一度、休憩しよう」
ルシオがサリーナの目の前に手を差し入れた。
ぱっと顔をあげるサリーナに、ルシオは苦笑した。
「難しい顔してるよ」
「すみません、いろいろと考えてしまいまして」
「根詰めすぎたら駄目だよ。ほら、カップ貸して」
「え、あ……」
サリーナが声を上げるよりも早く、ルシオがどんどんとカップを押しのけてしまう。
白い箱で蓋をしてしまえば、サリーナの周辺だけはスッキリとして見えた。
「休まないと、頭が働かなくなるよ」
「……はい」
ルシオの言っていることも最もだ。
素直にこくりと頷いた。
メモをまとめる時間も、改めて考える時間も欲しいので、一度休むことは大切だと思う。
「苦みが消えないんですよね。これ以上は甘みでは何ともならないので、酸味を足してみたいと思うのですが……」
「候補はあるの?」
問われて考える。
イチゴやハーブ、花を使う方法もあるが、まずはやっぱりレモンだろうか。
この国ではレモンティーは多く飲まれていることもあり、レモンが一番受け入れやすそうだ。
考えながら告げると、ルシオが頷いた。
「わかった、持ってくる」
「え、あ、あるんですか!?」
「それぐらいはね。準備してくるから、ちょっと待ってて」
「は、はい」
立ち上がって奥の部屋に入っていくルシオの背中を眺めながら、サリーナは息を吐く。
相手はルシオなのだ、サリーナが考えるぐらいのことは試しているような気がする。
レモン水を口に含む。
ケーキ一つとはいえ、食べたいとは思わない。
「魔法を、使えないかしら」
サリーナの持つ人並外れた魔力と術を使えば、薬物入りのお茶を作ることなど簡単だ。
だが、それをルシオは許さない。
ルシオが許さないのは、その魔法がこの世界にとって異常だからだろう。
であれば、少なくとも学院で習う魔法の範囲内であれば、許されるのではないだろうか。
魔法はあくまで道具であり、使い方は指示する人間によって変わる。
解析の魔法があるのだから、それを使えばもっとシンプルに、ピンポイントに結果が出るかもしれない。
そこまで考えていたサリーナは、首を傾げた。
そういえば、今更なのだが。
「サリーナ」
カップを見つめたままあれこれ考えていると、ルシオが戻ってきた。
机の上に、小皿がおかれる。
「こっちは輪切り。こっちはレモンを絞ったから、使ってみて」
「ありがとうございます」
「ちょっと酸味が強いかも。酸味が少ないヤツもあるから、声かけて」
「はい」
よくよく考えれば、レモンだって種類があるのだ。
薄く輪切りされたレモンは、枚数を変えられるようにしてくれたんだろうと思う。
「何考えてたの?」
向かいの席に座ったルシオを、ちらりと見た。
この考えを口にしていいものかどうか、ちょっと迷ってしまうところである。
サリーナの考えたことなど、ルシオが気づいていないとは思えないのだが。
「あの、ルシオ様」
「どうしたの、そんな顔して」
「お伺いしたいのですが、その。お茶を作る際、魔法を使われましたか?」
きゅっと指先に力を込めて顔をあげると、ルシオがきょとんと瞬いた。
サリーナの気持ちに反して、いつも通りのルシオがいる。
ルシオは、並べられた小箱を指先でつついた。
「まぁ、多少はね。商会内には、魔法が使える人間もいるから」
「……そうですよ、ね」
人材豊富なコンラード商会である。
平民であったとしても、魔法が使えないわけではない。
身分は一つのくくりでしかなく、サリーナ自身、魔法がどれほど使えたとしても、ルシオと結婚すれば平民になるのだ。
あっさりと答えてくれたルシオに、ホッとしてしまう。
「どのような魔法を使ったのか、教えて頂いても?」
「相性をみる魔法だよ。味の相互作用で、どれだけ苦味が消えるか試しただけだから、分析に近いかな」
「苦味は消えましたか?」
「消えたら早いけど、お茶だけだと難しいね。マシにはなったし飲めるぐらいにはできた者もあるけど、それ以上は厳しかったかなぁ」
「そうですか」
「結局味が独特過ぎるんだろうなぁ。だから、それ以上の強烈な味で誤魔化すのが、一番早いんじゃないかな」
それが、薬草ということか。
薬草茶の味を知っているサリーナからすれば、何となく納得してしまう話だった。
「……他に、何かありましたか?」
「混ぜる前の組み合わせをみたぐらいかな」
そう言ったルシオが、一度言葉を切った。
本当は、もっといろいろと魔法を使ったのだろうと思う。
それ以上何も言わないということは、目立った成果がなかったということか。
だが、ここまできたのならば、どうしてもきいておきたいことがある。
「……認識疎外の魔法は、試されましたか?」
薬物入りのお茶は、匂いは問題ないところまできているが、味に難がある。
苦味が強く、甘ったるさも残っている。
おいしいとはとても言えない。
それを一発で解消するには、飲む前に相手に認識疎外の魔法をかけてしまうのが一番早い。
苦味も甘ったるさも感じないように、感覚を変えてしまえばいい。
「奥の手だね」
ルシオが少しだけ笑った。
やはり、気づいていたか。
「継続性に、問題があると思われますか?」
「まぁね。そこが一番の壁だよね」
認識を阻害すれば、お茶はぐいぐいと飲めるだろう。
だが、継続的に摂取することを考えると、毎回魔法をかけて認識を阻害させるわけにもいかない。
周囲に気づかれる可能性もあるし、誰がかけるというのか。
相手の認識に影響を与える魔法は、とても高度で難しい。
薬物をいつまで摂取していくのかはわからないけれど、事実を知っておきながら、魔法をかけられる人間など少ないだろう。
となれば、やはり根本的に何とかするしかないのか。
ここにきてルシオが何も言わないということは、そういうことなのだ。
責任は重大である。
俯きそうになったサリーナに、ルシオは苦笑する。
「認識を阻害するだけなら、催眠による暗示だけでもいけるよ」
「それ、だけで。薬物が入ったお茶を、飲めるようになるものでしょうか」
「あの侍女だって、最初は暗示をかけたんだよ?」
つまり、出来るらしい。
そういうもの、だろうか。
暗示はあくまで人が行うことであり、魔法のような強制的な力はない。
ルシオがそう言うのならばそうなのだろうが、魔法を使い、魔法に頼って生きてきたサリーナからすると、暗示の効果は何ともわかりづらいものだった。
「ただ、どのみち難しいと思うよ。薬物入りのお茶をおいしく飲むほどとなると、誰でもできるわけじゃない」
「それも、そうですよね」
誰でも簡単にほいほいと、暗示をかけられるようになってしまっても困る。
認識を阻害する魔法をかけるのが難しいように、暗示だって相当な力量がいるのだろう。
同時に、何となく。
ルシオはできるのだろうな、と思ってしまった。
だが、やっぱり不思議に思う。
サリーナ自身魔法が使えるので、魔法に頼らない世界が見えてこない。
味を変えるということは、味覚を変えることになる。
苦い物を食べて甘く感じることなど、本当に出来るのだろうか。
特に苦味は人が持つ味覚の中でも、最も感度が高い。
苦味は、人にとって毒物を判断する一つの指標なので、とても大切なものだ。
食経験を積むことで苦味を美味しく味わえるようになるものの、薬物ほどともなれば別である。
「本当に出来るのかなって、思ってる?」
「……え」
「暗示だけでそこまでできるのかなって、考えてるでしょ」
笑いながら言われてしまい、思わず頬に手を当てた。
言い当てられたのと、ルシオの言葉を否定するようなことになってしまったことで、顔に熱がこもるのがわかる。
だが、気になってしまう。
「すみません、疑っているわけではないんです。ただ、不思議に感じまして」
「サリーナからしたら、そうなるかもね」
たいして気に留めてもいない様子のルシオは、小首をかしげた。
「興味があるなら、かけてみようか?」
「え!?」
サリーナはぎょっと身を引いた。
ルシオが、さらりととんでもないことを言い出した。
「い、今ですか?」
「簡単なものでいいなら、今すぐにでもできるからさ。どうする?」
どうする、と言われても。
まるでお茶を淹れるかのような気軽さに、サリーナの方が慌ててしまう。
「そ、れは。準備などは、必要ないのでしょうか」
「何でも良ければね。サリーナ、かけられたことないでしょ」
「そう、だと。思い、ます」
個人的にはそう思っているのだが、口にしながら怪しくなってきた。
気づかないうちに暗示にかけられている可能性は、正直に言ってしまえば否定できない。
その辺りのことを考えると、いまいち自信を持って頷けない。
だだ、二回目以降の人生はおそらく大丈夫だろう。
魔力が格段にあがってからは、全部弾いているので、催眠も暗示も、魔法による意識変動もないはずだ。
「本当に、暗示をかけて頂けるんですか?」
「サリーナがかけてほしいなら、だよ」
迷いなく頷くルシオは、本当に、暗示をかけてしまえるのだ。
胸元で組んだ指先が冷える。
ルシオのことは、信じている。
だからこそ、自分の方がどうなるのか怖い。
暗示など、かけられたことがないのだ。
手を伸ばしたルシオの指先が、頬に触れる。
温かさに、落ち着く気がした。
「無理をさせる気はないよ」
その声音に、こちらを心配してくれているのだとわかる。
ふにゃりと力が抜けた。
「無理はしていませんよ」
「不安そうな顔して、何言ってるの」
「これは、その。暗示をかけられる自分を、想像できないせいと申しますか」
「……俺が、サリーナの意志に反することをするかもって?」
「ちちち、違います! そんなことは思っていません!」
ルシオの想像が、はるか彼方だった。
重ねるように声をあげたサリーナは、息を一度はいた。
心音を落ち着かせるように、ゆっくりと息を吸い込む。
「私自身が変わってしまいそうで、怖いだけです」
「俺が、そんなおかしな暗示を、サリーナにかけるわけないでしょ」
ゆっくりと話すと、ルシオの瞳が柔らかくなる。
頬に触れていた手が、頭に乗った。
優しく髪を滑る。
「サリーナを傷つけるようなことは、しません」
「……そこを疑ったことなど、ありませんよ」
いつだって、サリーナのことを考えてくれている人だ。
本当に一度も疑ったこともないというのに、ルシオは何故か少しだけ困ったようにほほ笑んだ。
その瞳を真っすぐに見返して、サリーナは笑いかけた。
「ルシオ様、暗示をかけて頂けますか?」
「そんな顔されると、抱きしめたくなるんだけど」
「んん!?」
「部屋が狭くて、すぐにそっちに行けないのが辛いなぁ」
「今、そういう話ではなかったと思います!」
ルシオが、おかしな方向に行きかけている。
慌てて修正したサリーナは、ちらりとルシオを見上げた。
「あの。暗示をかけて頂く前に、一つよろしいでしょうか」
「うん、もちろん。気になることがあるのなら、ちゃんと言って」
「えぇと、その。私が、暗示にかからない可能性も、ありますよね?」
一応そろそろと告げてみると、ルシオが目を丸くした。
だがすぐに、細くなった。
「それはそれでいいんじゃない? 暗示にかかりにくいってことでしょ?」
「もしもかかっていないとしても、わかるものなのでしょうか」
「俺にはわかるから、サリーナは気にしなくていいよ。そのまま、普段のサリーナでいてくれたらいいから」
そういうものなのか、とサリーナは「わかりました」と答えた。
ルシオの指先が離れていくのを、自然と追ってしまう。
そのまま、優しく笑うルシオを見た。
ルシオは楽しそうに「ただねぇ」と口の端をあげる。
「多分、サリーナはかかると思うよ」
「どうしてそう思われるんですか?」
何となく、自分でも暗示にかかりやすそうだという気がしなくもないが、ルシオに言われると気になってしまう。
特徴があるのだろうか、例えば単純だとか。
サリーナの質問に、ルシオは苦笑して眉を寄せた。
「前提条件が、そろってるからね」
「……何ですか、それは」
「信頼関係ってところかな」
思わぬ言葉に「え」と呟いたサリーナの前で、ルシオが立ち上がる。
こちらを見て笑っているルシオは、それ以上何かを言うつもりはないらしい。
「ルシオ様?」
「話が長くなりそうだから、お茶淹れようかな。待ってて」
「え、お、お茶ですか!?」
少量ずつとはいえ、試作の飲み過ぎで、お腹の余裕はあまりない。
一杯飲めたとしても、まだまだこの後には試作が残っている。
「今後のことも考えると、あまり飲めないと思うのですが」
「少しだけだから、大丈夫だよ」
ルシオは止まる気はないらしい。
背中を向けられたので、それ以上は何も言わずに黙り込んだ。
そろりと自分の腹部を見つめたサリーナは、とりあえず両手を組んでおく。
緊張からか、組んだ指先が冷えているのが分かった。




