サリーナ、明かされる 後編
顔色が明らかに悪いサリーナだが、ルシオは何も言わない。
見つめられたまま、手の中の瓶をルシオに向ける。
「偽物でしたら、口に入れても、大丈夫ですよ、ね?」
「え。まさか、飲む気!?」
さすがに顔をしかめたルシオに、サリーナの方が慌てた。
「い、いえ、飲むほどではなく。ただ、味を確認したいと申しますか」
「……まぁ、ちょっと含むぐらいなら」
偽物と言いつつも、あまりサリーナに触れさせたくないと言っていたルシオである。
渋い顔をしつつも、一応許可をくれた。
「これ、使って」
「ありがとうございます」
小さなスプーンを差し出されたので、瓶を少しだけ傾けた。
競りあがってきた液体の中に、その先をちょん、とつける。
持ち上げて滴り落ちないかを確認してから、口に含んだ。
独特な香りが鼻から抜けた。
同時に、ぶわりと背筋が粟立つ。
これは、やはり。
ぱっとルシオの方を見ると、ルシオがゆっくりと目を細めた。
紫色の瞳に見透かされるような気がして、サリーナはその視線から逃げるように、慌てて手元の瓶に視線を下ろす。
ぎゅ、と瓶とスプーンを握りしめた。
部屋の中が、一瞬にして静かになった。
ルシオが、そっと息を吐いたのがわかる。
「それが、何か、知ってるんだ」
「…………はい」
一瞬あれこれ言葉が出そうになったが、結局頷いた。
青色の瓶を机の上におき、スプーンはソーサーの上におく。
視線をあげられない。
かつて、この匂いの近くにいたことがある。
それを知られたくなくて、サリーナは膝の上の指先を見つめた。
青色の小瓶の中に入っていたものが、偽物。
一方で赤色の小瓶の中に入っているのが本物だとすれば、あれほど厳重な扱いをされているのも納得できる。
ルシオの言っていることは、間違いではない。
薬の一種なのは、確かだ。
しかし、ただの薬ではない。
病気や怪我を助ける者でもなければ、予防をするようなものでもない。
あれは。
薬物の一つ。
しかも、依存性のある物の一種だ。
どうしてこんなものを、ルシオが持っているのだろう。
何のために、こんなところに持ってきたのだろうか。
「サリーナ、摂取したことがあるでしょ」
静かな声に、心臓が痛いほど音をたてた。
尋ねるのではなく断定した言い方には、嘘も誤魔化しもきかない気がする。
どう答えたらいいのかわからずに、口からは「あの」と意味のない言葉が漏れた。
「今は、大丈夫なの?」
重ねられたのは、はっきりとした問いかけだった。
頭の奥が痛くなってきたサリーナは、のろのろと顔をあげた。
紫色の瞳が、じっとサリーナを見てくる。
こちらを見る瞳が鋭い。
「俺が知りたいのは、昔のことじゃない。今のことだけだよ」
昔のこと。
サリーナが、人生をやり直しまくって経験してきたこと。
手を握りしめたまま、サリーナは大きく息を吸い込んだ。
ルシオに、嘘をつきたくない。
いつだって、正直でありたい。
その思いを胸に、何とか声が震えないように力を入れる。
「昔、頂いて、一度だけ接種したことがあります。そのときは魔法を使ったので、特に影響はありませんでした。今世では、全く無関係です」
「誘いを受けたことは?」
「ありません」
「摂取したいと思ったことは?」
「ないですよ! 一度とは言いましたが、好き好んで手にしたわけでは、ありません!」
思わず声が大きくなったサリーナに、ルシオは小さく笑う。
探るような視線が柔らかくなり、優しさが戻る。
その表情に、力が抜けた。
「本当に、一度だけですよ」
「今摂取してないなら、どっちでもいいよ」
「してませんからね!」
もう一度しっかりと叫びつつ、サリーナはじとりとルシオを見た。
サリーナの方こそ、確認しておきたい。
息を吸い込んだ。
「ルシオ様、は?」
「俺?」
「摂取されたことが、あるのでしょうか」
これだけよく知っているルシオが、何も摂取していないとは思えない。
一度だけでも摂取すれば、気づかないけれど体に痕跡は残る。
もしも摂取していたら、魔法で痕跡を消してしまおうと、サリーナは右手を握りしめた。
ルシオは青い瓶を引き寄せて、蓋を思いっきり閉めた。
「俺、こういう薬物系は摂取したことないよ」
ルシオはぐいっとお茶を飲み干して、考えるように口元に手をあてた。
青い瓶を指先で、コンコンと叩く。
「父さんが許さないってこともあるけど。薬物依存になって、乱用してどうなるか、その先も知ってるからね」
「そう、です、か」
サリーナは黙り込んだ。
これはおそらく、コンラード商会の裏に当たる部分だ。
聞かなかったことにしようと、頭の片隅においやった。
静かになったところで、ルシオが青いガラス瓶をティーカートの上へと乗せた。
「え、と。それで、この薬物がどうされたのでしょうか」
「これが、王女贔屓になる理由だよ」
「……え。これ、薬物ですよ!?」
カートの上に乗っている、青色のガラス瓶を見つめる。
これは偽物だとわかってはいるが、さきほど嗅いだ匂いと味は本物だった。
「薬物だから、いいんでしょ」
ルシオは椅子に背を預けた。
顔色の悪いサリーナは、視線を彷徨わせて息を潜めるだけだ。
「侍女の女は、王女が暗示にかかったのをいいことに、他にも手を出した。王女からの勧めとして周囲にも薬草茶を広げると同時に、継続的に薬草茶を飲むようにと薬物を混ぜた」
「こんな、依存性の高い薬物を!?」
「依存性がなければ、意味がないからね」
薬草茶は、強い臭いだけではなく、味も酷い。
薬物独特の臭いも味も、打ち消してしまうほどである。
王女から勧められたら、周囲も飲まざるを得ない。
お茶の時間と称してしまえば、どうしても巻き込まれてしまう。
そこで出す薬草茶に、少しだけとある花から抽出した成分、つまりは薬物を混ぜた。
依存性を引き出すために。
彼女はわかっていて、やったのだ。
少しずつとはいえ、体の中には毒が貯まっていき、そっと脳を侵していく。
気づかないうちに、取り返しのつかないことになる。
「彼女は決して、自分が表には立たなかった。あくまで薬草茶の販売推奨をしているのは王女で、購入するためには王女を通すよう仕向けた。王女を隠れ蓑にしたんだよ」
何かあっても、自分に非があるとバレないように、侍女の女は何も知らない王女を盾にした。
「……王女殿下に、何て、ことを」
サリーナは、握った指先が冷えていくのを感じた。
侍女の女性がしていることは、王家に対しての反逆行為であり、許されるものではない。
サリーナは、最初の人生で、彼女のあの不思議な魅力が、憎らしくてたまらなかった。
婚約者であるザイードが彼女を見つめ、想っているのが辛く、何度恨めしく思ったかわからない。
そのフェアスーン王女殿下が、ただただ、いいように操られていたなんて。
「サリーナ」
聞こえてきた声に、はっと顔をあげる。
ルシオの紫色の瞳が、きゅっと細くなった。
「王女への恋慕は、純粋なものじゃない」
「……え」
侍女は、王女が自ら薬草茶の販売に力を注ぎ、周囲がそれを後押しするよう、そろりそろりと追い詰めていった。
王女殿下がいなければ薬草茶は手に入らないのだから、気づかないうちに周囲は気持ちが向いていってしまう。
薬草茶を手に入れるためには、王女殿下の許しがなければならない。
少しでも安く、多く手に入れるためには、王女殿下の機嫌を取り、アピールする必要があった。
そうして気づけば、王女の周囲は彼女の慕い、その願いを叶えようとする者ばかりになっていく。
薬草茶を飲み続ければいくほど、慢性中毒の症状は悪化する。
「王女への気持ちは、ただの中毒に暗示をかけただけで、本人の意思とは別物だ」
「あ……」
「ザイードだって、同じだよ」
サリーナは息を飲んだ。
目の前のルシオが、ぐっと眉を潜める。
「婚約を解消した原因、王女なんでしょ?」
「それ、は」
そうなのだが。
ぶるり、とサリーナは震えた。
言いようのない不安と、言葉にできない思いだけがから回る。
確かに、確かに。
王女殿下のことを想い、慕っていたザイードだったが、最初の人生では婚約したままにサリーナと結婚した。
心の中では王女を想う気持ちは変わらなかったけれど、結婚した後はサリーナを大切にしてくれた。
周囲から見れば、幸せな家庭だと見えるほどには、優しかった。
「……好きだったの?」
「え……」
「昔かな。心に残ってる感じがする」
ルシオの声が揺らいだ。
視線がふっと反れた瞬間、サリーナは立ち上がった。
「ち、違います!」
悲鳴が漏れた。
思わず椅子から体を乗り出す。
「違います、誤解です、ルシオ様」
じっと見上げてくるルシオに、心の中で焦る。
どういえば、何を言えばいいのだろう。
本当は、違わない。
心に残っていないと言えば、嘘になる。
ザイードのことが好きだった。
それは確かにサリーナの過去で、積み重ねてきたものだ。
でも、今は。
「私の婚約者はルシオ様です。何度もお伝えしています!」
ルシオに少しでも近づきたくて、サリーナは机の上に手を乗せた。
反対の手は、胸元のネックレスを握りしめる。
ペンダントトップが手のひらに食い込んで痛い。
その瞬間、気づいた。
話をする前に、ルシオが何と言っていたか。
サリーナが、婚約を解消するかのような話をしていたのではなかったか。
「わ、私は。婚約を解消する気など、ありませんからね!」
先ほどはっきりと、そう言ったはずだ。
もう一度、強めに伝える。
「ありませんよ、そんな、こと……」
ひくり、と喉が震えて目頭が熱くなった。
慌てて下を向いて、唇を噛む。
「……それは、わかってる」
机の上においた手の上に、ルシオの手が重なった。
優しくきゅっと握られる。
「るしお、さま」
「婚約を解消する気なんて、俺もないよ」
「もう、もう。やめて、くださいよぅ……」
ホッとしてしまって、視界が歪んだ。
ルシオが「ほら、座って」と言うので、不格好になりながら、ごそごそと椅子に腰かける。
握られた手は、そのままだ。
片手でスカートを整えて、目元を服の袖でトントンと叩いた。
本当はハンカチが必要なのだが、ルシオが手を離してくれそうにもないので、とりあえず。
呼吸を整えるように、大きく息を吐いた。
同時に、握られた手に力がこもる。
「苦しく、なるんだよね」
「え……?」
「あの男。何かにつけて、サリーナの中にいるから」
顔をあげると、苦笑したルシオがいた。
落ち着いたからか、ルシオの様子が少し違うように見える。
「え、と」
「ザイード。頭ではわかってるんだけど、何だかなぁ……」
「もはや、何の関係もありませんよ! 昔の、遠い遠い知り合い程度です」
「そうなんだろうけどさ。これは、俺の問題なんだよね」
ルシオが顔を伏せた。
黒髪しか見えなくなって、サリーナはおろおろと視線を彷徨わせてしまう。
どう言葉をかけていいのか、わからない。
「もう少しだけ、手、繋いでてもいい?」
「も、もちろんです」
食い気味に頷くと、ルシオが肩を震わせて笑った。
するりとルシオの手が下に回って、指先を掬いとられる。
「……好きだよ」
「わ、私だって、好きですからね」
口にすると、恥ずかしくなった。
指先に力を入れると、ルシオのひんやりとした体温がわかる。
「変なこと言って、ごめん」
「い、いえ」
サリーナはふるふると首を横に振りながらも、ちらりとルシオを見た。
ぱちりと瞬いたルシオの様子は変わらないように見える。
ザイード。
サリーナの、元婚約者。
それをルシオがどう思うかなんて、これまで考えてきたことがなかった。
特に今世では、婚約を解消することを含めての日々だったので、あまり気にしていなかったこともある。
ただ、逆を考えると体が冷えていく
ルシオに、婚約を考えるような相手がいて。
今は違うとはいえ、昔は好きで、彼女と結婚していたような記憶があるとすれば。
ふんわりとした優しい瞳が、他の女性に向けられて。
とろりとするような甘い声が、ゆっくりと別の名前を呼んで。
骨ばった、少し低い温度の手が、知らない手を取って。
細身で薄さも感じるのに、温かくて安心する腕の中に、誰かを閉じ込めて。
楽しそうに笑いながら、あやすように頭を撫でて、髪をすいて。
その気持ちも言葉も態度もすべて、他の誰かに向けたとすれば。
想像しただけでも、胸が痛い。
浮かんだイメージを振り払うように、ぎゅっと目を閉じる。
息が詰まりそうだ。
ルシオにだって、サリーナが知らない過去がたくさんあるだろう。
その経験が今のルシオに繋がっているからといって、男女関係のことは別の話だ。
つないだ手から、体温が重なっていく気がした。
ルシオは言わないだけで、ちゃんとわかっている。
申し訳ないと思うけれど、それを口にするのは違う気がした。
ザイードとのことは、どうあがいても消せないのだ。
サリーナのこれまでのことを丸々受け止めてくれるルシオの優しさに、泣きたくなった。
過去をわかっていても、今を大切にしてくれるルシオに何が出来るだろう。
「ルシオ様」
声が震えた。
きょとんと顔をあげたルシオに、身を寄せたくなる。
ただ声に反応してくれただけだというのに、じんわりと温かくなる。
「大好きです」
「……知ってる」
薄く笑ったルシオは、もう一方の手を伸ばす。
少しだけ湿ったサリーナの目元に触れ、あやすように優しく頬を撫でた。




