サリーナ、明かされる 前編
今日のサリーナは、支店にあるルシオの私室にいた。
横からティーカートを運んできてくれたルシオが、サリーナの前にカップをおいてくれる。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
カートの上には白い箱が二つおかれてある。
ルシオが意味もなく持ってくるとは思えないので、おそらくこれも大切な何かなのだろうと思う。
向かいの席にルシオが座ったのを確認して、サリーナはカップに手を伸ばす。
温かさにホッとしてしまった。
同じようにお茶を飲んだルシオの視線がこちらを向いた。
それを受け止めて、サリーナは背筋を伸ばす。
カップをおいてから、両手をお腹の下で組む。
「お話を、お伺いできますか?」
サリーナのセリフに、ルシオが薄く笑った。
事の始まりは、ルシオからもらったネックレスによる魔法石を使った連絡だった。
最近は直接顔を合わせることが多かったので、久しぶりの連絡である。
何かあったのかと思ったサリーナだったが、ルシオはいつも通りだった。
だが、ルシオのセリフはいつもとはかけ離れていた。
「急で申し訳ないんだけど、話しておきたいことと、相談というか、お願いがあって」
いきなりの言葉に、正直に言えば、かなり驚いてしまった。
まず、ルシオがこんなに改まって話しておきたいと言うほどの内容が、思いつかない。
それから、ルシオから相談を受けることなど、初めてではないだろうか。
「わかりました、日程を合わせましょう」
理由も聞くことなく頷くと、ルシオが通信機の向こうで笑ったのがわかった。
何かおかしかっただろうか。
「ルシオ様?」
「いや、ありがたいなと思ってさ」
「私にお役にたてることがあればおっしゃって頂きたいと、お伝えしていたと思いますが」
「そうなんだけど、実際の話は別だから。ありがと」
ルシオの柔らかい声に、サリーナは全力を尽くそうと心に決めた。
何のことかさっぱりわからないけれど、ルシオが頼ってくれたことが嬉しい。
そうして、この後すぐに、サリーナはルシオと会う日を最短で取り付けたのである。
基本的に、学院の授業後のサリーナは暇だ。
サリーナは放課後にチェルシーと遊びに行くことが多かったけれど、社交シーズンまではお預けだ。
その分、ルシオとの時間が取れたと思う。
ルシオが商会の後を継ぐ予定なのは知れ渡っているので、その勉強という名目で商会に通うことは特に注目されてはいない。
その他の用事と言えば、お茶会ぐらいだ。
お茶会と言っても、爵位の高い貴族の御令嬢が主催する、放課後に学院で開かれる座談会のようなものだ。
子爵令嬢のサリーナは招待を受ける立場ではあるが、ルシオとの予定を優先しているのでほとんど参加していない。
基本的には高位貴族からの誘いには断れないのだが、学院内においては許されている。
それもあって、サリーナはほとんど茶会に参加することなく過ごしてきている。
ルシオ様のおかげだな、とサリーナは改めて目の前に座るルシオを見た。
一方で、ルシオはもう一度カップを手に取る。
話をするような雰囲気には見えない。
「サリーナ、手、出してくれる?」
「え、あ、はい」
言われたまま、サリーナは右手をルシオへと向けた。
その手をぎゅっと握られて、思わず手を引きそうになる。
それを強い力で押さえつけられた。
顔をあげたルシオの紫の瞳が、真っすぐサリーナを捉えた。
握られた手が、熱い。
「話をする前に、はっきりさせておきたいんだけど」
「は、はい」
「サリーナは、俺の婚約者だからね」
「ん、え?」
「俺、婚約を解消する気はないから」
きっぱりと言い切るルシオのセリフが、何故かとても遠く聞こえた。
ルシオが何を考えているのか、さっぱりわからない。
サリーナだって、今更ルシオに婚約を解消されても困るし、そんな気はない。
それなのに、まるでサリーナが婚約を解消するかのような言い方をしている。
一体、何の話をしているのだろう。
握られた手を見下ろしたサリーナは、ルシオの手を握り返した。
視線だけをあげる。
「私は、ルシオ様の婚約者ですよ」
ルシオが「はっきりとさせておきたい」とのことなので、こちらもはっきりと伝えなくては。
不本意だと、唇を震わせる。
「おそばに、います。ずっと」
自分の口から出た声が、想像以上に低い。
それがまるで自分自身に言い聞かせている決意のように感じて、サリーナの体の奥が熱くなる。
「うん」
サリーナの言葉に、ルシオが低く笑った。
それだけでルシオに伝わった気がするのだから、どうしようもない。
ルシオのもう一方の手も、サリーナの手に重なった。
両手でサリーナの手を包み込んだルシオは、ゆるりと顔をあげた。
その瞳が真剣さを帯びているのがわかり、自然と口元に力が入る。
ルシオが話をしてくれようとしているのが伝わってくる。
ルシオが口を開いた。
「サリーナさ。フェアスーン王女殿下の周囲が、いつの間にか王女贔屓になる理由、知ってる?」
「……んん?」
言われて首を傾げた。
確かに、フェアスーン王女殿下は、何故か周囲を惹きつけて心棒者を作る。
それは男女問わすであり、サリーナの元婚約者でもあるザイードも同様だ。
しかもそれは、魔法を使っているわけでもない。
隣国はもちろん、この国でも、その不思議な力の原因はわかっていなかった。
と同時に、気づいた。
「ま、さか。原因が、わかったんですか!?」
目を見開いて尋ねると、ルシオの瞳が細くなる。
それが肯定の意だとわかり、サリーナは血の気が引いた気がした。
この国でも隣国でもわかっていない、フェアスーン王女殿下の持つ魅力の秘密。
そんなものがわかったとしたら、それはとても恐ろしいことではないだろうか。
文字通り、今まで誰もわからなかった秘密である。
それを知っているような存在を、隣国が放置しておくはずがない。
もしやルシオの身の上が危険に晒されているのでは、と息を飲む。
「最初に伝えておくと、この件はね。俺だけじゃなくて、父さんと王家も絡んでるから」
「は!?」
「王家もわかった上でのことだから、大丈夫」
「……え?」
いきなり、訳の分からない言葉が出てきた。
ぽかんとしたサリーナの手を握りしめて、ルシオは繰り返す。
「俺のことは、心配しなくていいよ」
「ど、どういうことですか!?」
コンラード一家として、ルシオの父親が知っているのは、納得できる。
だが、王家とはどういうことか。
近づきたくない王家がいきなり目の前に現れて、サリーナの思考が一気に冷静になる。
サリーナは、熱くなっていた頭を軽く振る。
浅い呼吸のまま、目の前で唸るルシオを見つめた。
思えばここ最近、フェアスーン王女殿下の周囲は、話題に事欠かない。
最初は、王女殿下の取り巻きの令息たちがこぞって休みだしたことだった。
一応流行り病ということになってはいるが、一番近くにいるザイードは元気そのものだし、御令嬢たちは荒れている。
流行り病が表の理由であることは明確で、何かあったのだろうと噂していたときである。
フェアスーン王女殿下と、かの国の第二王子との婚約が発表された。
しかも彼女はこの春を待たずして、かの国へと旅立つという。
理由は「かの国の風習に慣れ、教育を受けるため」ということになっている。
かの国へ向かった後は、そこで学校に通ってしっかりと勉強をするようだが、政治的な意図が働いたのではないかと思うのは当然のことだった。
あまりにいきなりすぎる話に、祝福のムードすら作るのが難しい。
さらに、サリーナの元婚約者でもあるザイードまでが、彼女と一緒にかの国へ向かうという。
かの国では王女と同じように学校に通うと聞いてはいるが、立場は護衛どころか第二の夫だというのだから、意味が分からない。
予想の斜め植えすぎて、何から言えばいいのか迷うほどである。
よくよく考えれば、それを事前にルシオが知らないはずもない。
一体何が起きているというのだろう。
ぐるぐると考えているサリーナの向かいで、ルシオは包み込んだサリーナの手を撫でた。
「王女殿下にさ、専属の侍女が付いているのは知ってる?」
「はい、隣国からご一緒にいらした方々ですよね」
「そう。その中に一人、伯爵家の女がいるんだけどさ。原因は、その女だよ」
「……え?」
まさかの原因に、頭がついていかない。
もう、意味が分からなくてどうしたらいいのやら。
呆然としているサリーナに、ルシオは事実だけを告げる。
「その女は、王女が六歳のときに専属の侍女に就任。今では、王女の一番のお気に入りだ」
「え、と」
「彼女は、最初は自分の領地で栽培している薬草茶を優遇してもらおうと思っただけらしいよ。不味くて売れないけれど、一応の需要があるのと健康にいいことを理由に、王女を釣ったんだ」
「あ」
サリーナは、フェアスーン王女殿下に呼び止められた日のことを思い出した。
思えばあのとき、やけに薬草茶の話をしていた気がする。
「彼女は、どうにか幼い王女に薬草茶を飲ませたかった。ただ、薬草茶は臭いし味も酷い。魔法で何とかしようとしても、王女殿下の前では魔法は厳しく制限されている」
「そう、ですよね」
「だから、暗示をかけたんだよ。これはおいしくて、体に良くて、素晴らしいお茶だって。民の為になるものであり、必要なものだ、って」
「ま、待ってください! そんなに簡単にいくとは思えません」
サリーナは、信じられない思いでルシオを見つめた。
暗示とは、つまりは思い込みのようなものである。
いくら何でも、味覚や嗅覚にまで左右するとは思えない。
だが、ルシオは首を振る。
「条件さえクリアすれば出来るよ。味覚や嗅覚だけじゃない、視覚さえも暗示で思い通りにできる」
「……本当に、そんなことが、可能なんでしょうか」
「まぁね」
ゾッとしてしまい、思わず胸元のペンダントを握りしめる。
魔法とは違う、人を操る方法が、本当にあるのか。
それが出来ると言うルシオもまた、その条件とやらを知っているのだろう。
ルシオだけではなくルシオの父親も、同じように暗示をかけることができる気がした。
「魔法ではわからないはずだよ。王女殿下自身には自覚もないし、暗示は悪いものじゃない」
サリーナは息を吐きだして、目を閉じた。
震える唇を開く。
「で、では、王女殿下があそこまで薬草茶の普及にこだわっていらっしゃるのは……」
「その侍女の刷り込みが実を結んだ、ってところかな」
「そんな……」
声が震える。
ルシオに握られた指先が冷えていく気がした。
サリーナは、王女殿下との接点は最初の人生ぐらいしかない。
もしも最初の人生のときに、今のような魔力があったのなら、王女の持つ秘密を探ったかもしれない。
そうするだけの理由が、ザイードと婚約をして、彼を想っていたサリーナにはあったと思う。
だが実際は、やり直しをしてから手に入れた。
人生をやり直している間に、王女殿下のことなど頭の片隅にもなくなってしまっていた。
何も、知らなかった。
「ここまでは前提。問題は、ここからだよ」
そう言ったルシオが、ティーカートの上に置かれてあった白い箱を取った。
赤いガラス瓶と青いガラス瓶が見える。
ルシオは青いガラス瓶を手にし、丁寧に机の上においた。
青色の瓶の中に入っているのは青色の液体だが、赤色の瓶の中には透明な液体が入っている。
ティーカートの上に残された赤色の瓶の上には、薄いピンク色の魔法石がついている。
サリーナは、青い瓶をまじまじと見つめた。
「これは、何でしょうか?」
「薬の一種ってところかな」
ルシオは青色の瓶を軽く叩く。
「こっちの青色の方は、味と香りを寄せた偽物だよ。害もない。わかりやすく色はつけてるけど、本当は無色だから」
「では、赤色の瓶は……」
「あっちの中身が本物。開かないように魔法石がついているけど、危ないから」
言いながら、ルシオは赤いガラス瓶の上に白い箱をかぶせた。
はっきりと「危ない」と言ったのだ、無理に手を出さない方がいいだろう。
薬の一種と言っていたが、偽物を作るぐらいなのだから、扱い方を間違えると危険なのかもしれない。
もしくは効能の出方が激しいのだろうか。
青色の液体からは、何も想像ができない。
これは一体、何なのだろう。
サリーナは右手を青い瓶へと向けた。
「こちらは偽物ということですから、開けてもいいんですよね?」
「一応ね。開けたいの?」
「香りを確認させて頂ければと、思いまして」
「それはいいけど、少しだけだよ。偽物だけど、心配になるから」
あまり気の進まない様子のルシオの心配に、サリーナは心が温かくなってしまう。
口にすればルシオから倍以上に返されそうなので、神妙な顔をしておく。
繋がれていた手がほどけて、ルシオが瓶を両手で包む。
蓋の所に親指で少しだけ力をかけて、隙間を作った。
そのまま「はい」と、サリーナに瓶を差し出してくれる。
「ありがとうございます」
両手で瓶を受け取ったサリーナは、少しだけ鼻に近づける。
甘く、重たいような香り。
だが、少し臭みもあるような。
かつて嗅いだことのある匂い。
過去を辿っていたサリーナは、蘇ってきた記憶に固まった。
手の中の小瓶を見つめる。
まさか。
これは。
動きを止めたサリーナの顔色は、若干青白い。
そのまま視線だけを、ルシオへと向けた。




