ルシオ、戻る
父親が何も聞かないので、ルシオはそのまま口を閉じたままだ。
自分の中に沸いたものを一つ一つ握りつぶして、ゆっくりと目を開けた。
手を伸ばして、机の上におかれてあるティーポットを引き寄せる。
「あの女、躊躇なしか」
「思い切りがいいよね」
父親は軽く笑う。
「目覚めてまず確認したことが、身に着けている魔道具の有無だったからなぁ。さすが、選抜されただけのことはある」
彼女が目覚めときには、ルシオの父親も誰も、檻の前にはいなかった。
だからといって、本当に放置していたわけではない。
魔法石で映し出された彼女は、自分の状況を素早くし、すぐに身につけている魔道具の確認を行っていた。
攫われて両手足をそれぞれ鎖でつながれている中で、なかなか出来る事ではない。
彼女は王女殿下の侍女ではなるが、伯爵家の御令嬢なのだ、
パニックになってもおかしくない中、彼女はとても冷静だった。
それは、ルシオの父親が隣国の関係者かどうかを確かめたところからでもわかる。
「あー、気持ち悪かった」
乱暴な手つきでお茶を淹れたルシオは、ぐいっと一気に飲み干した。
苛立ちを隠そうともしない息子に、父親は片手を振る。
「いいタイミングで鳴らしただろ」
父親のにやついた笑い顔に、ルシオは渋面である。
鐘を鳴らしたのは父親だ。
魔法石の使用を確認するだけならば、彼女が防御壁を張ったときに慣らせばよかった。
父親が鐘をならさずそのまま様子を見ていたのは、ルシオにその先を望んでいたからである。
それがわかっていたルシオは、彼女が例え一人になっても逃げないように、枷をかけた。
「お前のこと、頼りにしているみたいじゃないか」
「どーも」
にやにやしながら、父親は机の上においてある大きな魔法石をこつんと叩く。
ルシオも視線を向けた。
石から映し出されているのは、あの檻の中だ。
ルシオがいなくなって一人になった彼女が、あちこち動き回っているのが見える。
落ち着かないのだろう。
だが、逃げようとはしていない。
魔法を使えば逃げられると言っていたが、その様子はない。
ルシオが戻ってくるのを、待っているのだろう。
この檻から出られたとしても、また捕まってしまったら意味がない。
確実に逃げるためにはルシオが役にたつことを、今の彼女は知っている。
父親は、魔法石を指先で転がした。
「で? 実際に、魔法をかけられた感想は?」
「粗悪な媚薬に酔った感じに近い」
ルシオは一言で返す。
自然と眉が寄った。
「一気に魅了魔法をかけようとしたからだろうけど、鈍った」
「解毒薬、一応飲んでおくか?」
「俺はいいけど、慣れてなかったらキツイと思う」
平然としたルシオが二杯目のお茶に口をつけている様子を、父親は眺める。
顔色も言動もおかしなところはないし、呼吸も落ち着いているので、本当に問題なさそうだ。
お茶を飲み干したルシオを眺めていた父親は、魔法石に目を向けた。
カップを机においたルシオの視線が向いたのを感じる。
「欲しい情報は、とれたの?」
「それは、しっかりと」
父親は頷く。
彼女が魔法石を使ったことで、その痕跡を追うことができる。
実はすでに想像はついているが、王家が関わっている以上、目に見える証拠が必要なのだ。
何と言っても、こちらは犯罪に手を出している。
明らかな成果を出さなくては、これを理由に弱みを握られかねない。
父親は「それにしても」と口を開いた。
「あっちでもこっちでも人を思い通りに操ろうとして、魔法使ってさぁ。この世の中はどーなってんのかねぇ」
「王家がやらかしてるから、どうしようもないな」
魔力があれば、魔法を使うことは簡単だ。
ただ、人の精神に左右する魔法ともなれば、その魔力はもちろん、操る術を持たなくてはならない。
それがあまりに難しいからこそ、魔法石で不足分を補っているのだろうが、一人では無理だ。
王家同様、彼女にもそれを支持し、支えている相手がいる。
そうやって魔法ばかりに頼るから、墓穴を掘るのだ。
魔法はあくまで道具に過ぎないというのに。
第一王子を思い出したルシオは、その影を頭の片隅に追いやって父親を見た。
「他に何かある? 必要があれば、もう一度戻るけど」
檻の中にいる彼女は、ルシオを待っているだろう。
もう少し信頼を勝ち取った方が良ければ、それでもいい。
おそらく魔法をかけてはくるが、欲しい情報が取れたらしいので、次は防ぐ。
そう思いながらの発言だったが、父親は「いいや」と即答した。
肩を竦める。
「お前は、ここまでだよ」
さらりと線を引く。
反射的に、ルシオがムッとしたのがわかったが、気にしない。
「お前は帰れ。結果は報告する」
「ここまできて、蚊帳の外に置く気かよ」
「こらこら、喧嘩腰はよくないよ、お前」
「だったら何でだよ。今更だろ?」
ルシオの視線に鋭さが増す。
父親はやれやれ、とばかりにソファに背を預ける。
聞き分けのない子どもに見せる態度に、ルシオの眉が寄った。
父親は「うーん」と唸った後、ちらりとルシオを見た。
これを口にすれば、ルシオが怒り狂いそうなので言いたくはない。
だが、言わないと納得しそうにないルシオには、むしろはっきり教えてやるべきか。
言い方さえ考えれば、うまくいくような気が、しなくもないような、どうだろうか。
とりあえず、反らしてみる。
「お前さぁ。最近、すぐに理由を聞くよね。言わない理由があるとは考えないわけ?」
「それって、オトウサマの優しさとかいう、無駄な気遣いのこと?」
「無駄じゃないからな!」
酷い言われようである。
繰り返すが、優しさであり、気遣いだ。
ルシオはじっと父親を見つめて、口を開く。
「別に、素通りして良いものならするよ。でも、ラインがわからない」
「ヤだねぇ、わざわざ知らなくてもいいのにさぁ」
「結局、俺だろ。俺がそこまで至ってないから、切るんだろ」
ルシオの声が低くなる。
鋭い視線を気にすることなく、父親は頬杖をついて、息を吐いた。
誤魔化されてはくれないらしい。
ルシオをこれ以上踏み込ませない理由。
それは父親としての想いもあり、一方で会頭としての判断でもある。
「まぁ、正直に言えばそうだな」
ルシオは、ちゃんとわかっている。
父親がルシオに何かを任せるのは、出来ると判断したときで、無理難題を押し付けることは決してない。
膨大な仕事を押し付けることも、無茶苦茶なことを要求することもあるけれど、よく考えた上でルシオに振ってきていることは知っているのだ。
ルシオが許容を越えて危険なことに巻き込まれないようにと、その一線はしっかりと引いて守っている。
だからこそ、今ここで父親が線を引いたのは、今の自分がそのラインを超えるだけのモノがないからだと、理解している。
だが、どこから父親がそう判断したのかがわからない。
どうすればその先に踏み込めるのか、そこが知りたい。
父親は、少しだけ視線を下げた。
未だに落ち着かない様子で動き回っている、御令嬢が見える。
自分で考えろ、と突き放してもいいけれど、ここには父親の情が含まれている分、辿り着くには時間がかかりそうだ。
やむなし、と父親は大きく息を吸い込んだ。
「お前さぁ。サリーナ嬢と寝てないだろ」
ルシオが、ゆっくりと瞬いた。
途端に、表情がすこんと抜ける。
そんなことは予想しながらも、あえて直球で攻めた父親は、慌てることなく口元に手をあてた。
指先を、御令嬢が写っている魔法石に向ける。
「コレは、予定通り、薬も使って快楽に沈める。御令嬢の経験値なんぞ、知れてるしな」
彼女は隣国の伯爵令嬢であり、王女殿下の侍女を務めるような女性だ。
不特定多数を相手にしていたら、それこそ驚きどころでは済まされない。
ルシオの父親は「ただな」と、言葉を切った。
「魔法石を突っ込んで平然としている女だ、正攻法じゃどこまでいけるかわからない」
「……だから?」
「今はまだ、余計な知識を入れるなってことだよ。お父様の優しさってヤツだ」
「何言ってるかわからないんだけど。サリーナとこの女、関係ないだろ」
「関係づけるのはお前だよ、ルシオ。公私が混ざりかねない」
ぶわり、とルシオの瞳に怒りが灯った。
馬鹿にされていると思ったのだろうが、ルシオは魔道具において、実際に公私混同した事実がある。
「サリーナ嬢まで巻き込む可能性があるぞ」
父親は、無表情の息子を見た。
ふっと息を吐く。
「媚薬は自身の性欲の限界は見せるが、単独じゃ快楽までは満たせない。求め求められ、与え与えられる先にしかない快楽を、お前は知らない」
だって、一番大切な存在と褥を共にはしていないのだから。
年頃になり、ルシオの周辺でそういった話が出た頃、父親は時期が来たのかとハニートラップについては教えた。
追加でルシオに言ったことは「変なのにひっかかるな」と「避妊だけはしろ」の二点だ。
あとは実際に抱いているうちにわかるだろうと思っていたのだが、淡泊なルシオは早々に女性関係には手を出さなくなった。
本人曰く「面倒になった」とのことで、男として大丈夫か心配になったほどである。
一瞬性欲がないのか、と思ったのだが、どうやらそうでもないらしい。
あくまでも「面倒」で片づけるルシオに、父親はそれ以上気にしないことにした。
こんなことを突っ込むような親子関係ではない。
ルシオがそこまではっきり割り切っているのならば、後は年齢が追い付いたときに、快楽については、あてがって教えて終わりだなと思っていた最中のことだった。
サリーナと出会った。
ある意味、出会ってしまったと言うべきか。
出会ったぐらいならば良かったが、そこからルシオは彼女を婚約者にして譲らないし、牽制するし、危ないことも平気でやるようになってしまった。
公私の線引きが難しくなってきた今、女性に快楽だけを与えるやり方を教えるのは後回しにしようと、判断したのは父親だ。
今のルシオに、これ以上立ち入らせるつもりはない。
「快楽の基本がわかっていないヤツに、一方的に与えるだけの術を教えるつもりはない。勝手に解釈されても困るんだよ」
ルシオの目がすっと細くなる。
無表情だった瞳に、静かな熱がこもった。
「……公私混同して、俺がサリーナを沈めるとでも?」
「そういうことは、実際に手を出してから言え」
出せるはずもない今、ルシオに出来ることはない。
想像だけなら、いくらでも好きに解釈できるし、何だって言える。
これは会頭としての決定でもあるので、父親は全く動じない。
「第一な。沈むのはどっちになるのか、わからないぞ」
本当にわかっているのかどうか、念のため父親は釘を刺す。
ルシオは性に関して淡泊だし、サリーナの方は子爵令嬢なので経験があるはずもないだろう。
特にサリーナは、色恋に対しては驚くほどの純粋さをお持ちのようなので、無駄に経験があるルシオの方が、分が悪いと思われる。
これまでとは全く違う快楽を知り、得たときに、どれだけ理性が働くのかは誰にもわからないのだ。
彼女への独占欲と、執着心の底が見えないルシオの方が、父親としては心配である。
心も体も手に入れたところで、生物である人間のすべてを手に入れることは、決してできない。
触れて、溺れて狂うのは、果たしてどちらになるのやら。
引きずり込まれてしまえば、抜け出せなくなる。
きゅ、とルシオの瞳が細くなった。
「……あっそ」
舌打ちしたルシオは、とりあえず引くことにしたらしい。
表情は全然納得していないようだが、頭では理解したと信じたい。
この息子は全く、と父親は笑いそうになった。
とりあえず言葉だけでも否定してもいいのに、飲み込んで黙ってしまうあたり、彼女を前にしたルシオは本当にわかりやすい。
プライドが無駄に高いと大変だ、と父親はルシオを眺めた。
このまま終わってもいいけれど、せっかくなのでもう一つ。
「あれはな。支えがないと、キツイぞ」
その意図するところを、ルシオは正確に読み取った。
顔をあげたルシオが落ち着いているのを感じ取り、父親はむっと唇を結ぶ。
「言っておくけどなぁ。俺だってやりたくはないんだからな」
父親が好きでやっていると思われていたら、大変な誤解である。
知っているからこそ、わかる。
「あんなものは、早く知ったところでいいことなんかないぞ」
「よく言うよ」
「お前はまだ、いいんだよ。幸せを堪能しておけ」
男女問わず、目の前の相手を狂わせて沈めていくのは、決して気持ちのいいものではない。
それが薬や快楽だろうと関係なく、己が何をしているのか自覚がある分、強い自我を持っていないと精神を食われる。
いくら自分にとってどうでもいい相手だとしても、知らずに生きていければその方がいい。
知ったとしても、やる必要がなければ手を出さなくていい。
これは、父親としての本心だ。
「子供を甘やかすのが、上手なことで」
「はっはっは。いい父親だろ」
「……そうですね」
能面のような顔になるルシオに、父親は声をたてて笑った。
そして、一瞬にして呼吸を整える。
「立ち入るのは簡単だが、踏み入れたら戻れないからな」
ルシオは、ひっそりと笑う父親を見た。
良く知る瞳が、どろりと影を作った。
「……母さんを大切にしろよな」
「そういうのはね、いらぬ心配ってヤツだよ、お前」
呻くように落ちた言葉に、父親がにやにやと笑った。
先ほどまでのルシオは、理解はしているものの表情は苦々しいものが浮かんでいたようだが、それが消えている。
どうしたって、ここから先に、今のルシオを踏み込ませる気はない。
今はまだ、と言い訳をしてしまうのは父親だからか。
「じゃ、頑張りますかねぇ」
父親はのんびりとした口調で、手を天へと向けて伸ばす。
謎のストレッチをしている父親を見ながら、ルシオも机の上を片付け始めた。
立ち上がって肩を回し始めた父親は、ルシオを振り返る。
「終わったら報告する。時間がかかるだろうから、とりあえず休め」
「それこそ、いらぬ心配ってヤツだろ」
休むべきは自分だろうに、とルシオは苦々しく唇を噛む。
今から、父親が何をするのかはわかっている。
わかっていても、今のルシオはそのやり方を知らない。
魔法石で記録は取るだろうが、それを見ていいかどうかは父親の判断になる。
父親だってやりたいわけではないだろうに、その行動や言葉からは余裕すらある。
こういうとき、ルシオは父親との距離がぐんと開くのを肌で感じ取ってしまう。
それが、とても悔しい。
仮面を持った手をひらひらと振りながらドアの中に消えていく父親の後ろ姿を、ルシオは息を顰めて見送った。
大変な作業になるからこそ、手を必要としているだろうに。
決して商会を裏切ることのないルシオが戦力になれば、楽になるのは父親だ。
わかっているはずなのに、すぱっと線を引いて、ルシオを追い出した。
ルシオのために。
「……馬鹿じゃないの」
静かな部屋の中で、ルシオは小さく呟く。
握られた拳には、力が入っていた。




