ルシオ、部屋にて 後編
壁にへばりついて顔を背けている彼女は、未だに落ち着かないようだ。
ルシオは左右を確認するように、大きく首を振った。
「だ、大丈夫なわけがないですよね、す、すみません」
仮面をつけたまま、ルシオはおろおろと立ち上がる。
どうしたいいのかときょろきょろとして、口を噤む。
そのまま、そろそろと座っていた壁の近くまで歩く。
隅の方に立って、体を小さくした。
ルシオが男だということは彼女にもわかるだろうけれど、小柄で口元しか見えないルシオは、かなり幼く見えるだろう。
不安そうに視線を下に向け、組んだ指先をもじもじと動かしてみる。
やがて、鎖の音が聞こえた。
「……ここは、どこなの」
ルシオはパッと顔をあげる。
壁から少しだけ離れた彼女が、じっとこちらを見ている。
「申し訳、ありません。お答えは……」
言葉を切ってきゅっと黙ると、彼女はそろそろと近づいてきた。
探るような瞳が、ルシオに向けられる。
「あなたたちは、隣国の、関係者なの?」
ルシオは、ぱちりと瞬いた。
まずは確認するべき、一番大切なことを質問してきている。
震えてはいるけれど、精神的には、そこまで混乱していないのか。
答えはもちろん「いいえ」になるが、すぐには答えない。
視線を下げて黙り込むと、彼女が鎖ギリギリまで近づいてくる。
鎖をめいっぱい伸ばしても、一番手前の鉄格子にすら届かず、胸の前で手を組んだ。
「お願い、答えて」
ルシオは視線を下げたまま、ソワソワと首をあちこちに向ける。
もう一度わかりやすく彼女の方に視線を向けると「お願いだから」と重ねられた。
それでも、数秒は迷う素振りを見せる。
ふ、と呼吸を整えてちらりと彼女を見てから、ルシオはゆっくりと首を横に振った。
ホッとしたような吐息が、彼女の口から漏れる。
「……そう」
落ち着いた口調に、ルシオも小さくなっていた肩の力を抜いた。
先ほど父親には、あれだけ嘘かどうかわからないと叫んでいた割には、ルシオの態度はあっさりと信じたようだ。
それだけ、隣国の関係者だと信じたくない気持ちが強いのか。
もしくは、ルシオの態度によるものなのか。
彼女は周囲を見渡す。
毛布変わりとなる布と、色が変色して割れている洗面台が見える。
驚くことに、奥には用を足す容器もある。
だが、壁はなくルシオから丸見えだ。
手首と足首には、それぞれ鎖が繋がれている。
鍵穴のようなものがないので、魔法を使っているのだろう。
足の鎖を見ようと思えばスカートをめくらないとできないが、おそらく手のものと同様だ。
意識を足首に向ければ、鎖の冷えた感触がわかる。
鎖そのものは重たそうだし、持ち上げれば鈍い音がするものの、実際のところは軽い。
やはり、こちらも魔法か。
「ねぇ」
優しい声に、ルシオは驚いたように体を跳ねさせた。
慌てて檻の前に膝をついて、身を乗り出す。
「どうかされましたか?」
「喉が少し痛いのだけど。何か飲み物を頂けないかしら」
彼女の声は、少しだけ高い。
震える事もなく、落ち着いている。
どうやら、ひとまず立ち直ったらしい。
ルシオは困ったように、胸元で手を握った。
「申し訳ありません、それは……」
「無理をお願いしているわけではないの、何でもいいのよ」
そういうわけではないと、ルシオはふるりと首を横に振る。
項垂れるように、頭を下げた。
「不要なものは、お渡しするなと。強く、言いつけられており、まして」
「不要じゃないわよ」
彼女は大げさなほど驚いて、目を見開く。
その後、ゆるゆると瞳を歪めた。
「喉が痛くて痛くて。本当に、辛いのよ」
ルシオに見せつけるように、上を向く。
ほっそりとした喉に指先を滑らせ、顔をしかめた。
指先が白い喉から、鎖骨まで下りた。
ルシオは、仮面から見えている唇をもごもごと動かしながら、彼女の動きを見る。
強い口調が戻っているし、とても元気そうである。
檻の中にいるとはいえ、彼女の方がルシオに対する口調が強い。
ルシオがそわそわと落ち着きなく動いていること、彼女に対する声音や口調により、鉄格子の中と外の立場が逆転している。
ルシオは仮面の下の瞳を細めた。
うまくレールの上に乗ってくれたようで、何よりである。
「ねぇ、お願いよ」
彼女は胸の前で手をぎゅっと握り、小首を傾げてルシオを見上げる。
髪が揺れ、不安そうな瞳や寄せられた眉は、今にも泣き出しそうに見える。
だが、視線はこちらの動きをしっかりと見ているし、わざとらしさが抜けない。
何とも白々しく感じてしまうのはどうしたことか。
下手すぎるな、とルシオは口を開く。
「あ、の」
まずは、時間を稼ぐ。
体の方はしっかりと管理していたのだ、喉が痛いはずがない。
この部屋はひんやりとしていて湿っぽく、カビ臭いけれど、すべて手をかけて作り上げたものだ。
わざと冷やして湿度を調整し、臭いも調合して出している物で、本物ではない。
ルシオは決意したように、顔をあげた。
唇を引き結び、黙ったまま右手で洗面台を指さす。
その先を追いかけた彼女は、身を引いた。
臭く汚れている洗面台。
小さな洗面台はヒビも入っており割れてはいるが、そこからは、ぽたりぽたりと水滴が落ちている。
蛇口をひねれば水が出そうだ。
「待って……。この水を飲めっていうの!?」
しっかりと洗面台を眺めた後、彼女は呆然と嘆く。
彼女は伯爵家の娘であり、王女殿下付きの侍女だ。
平民が使うただの水道など利用したこともないだろうし、ましてはその水を飲むことなどあり得ないだろう。
洗面台の汚れも臭さもわざとだし、出てくる水も匂いをつけただけの綺麗な飲料用の水だ。
例え手ですくって飲んだところで体に影響はないけれど、彼女からしてみれば、手で触れることだけでも、相当な覚悟がいるだろう。
彼女はルシオを顧みる。
その表情は、焦っているようにも見える。
「お願い。コップ一杯だけでいいの」
「その。お、お持ちしたいのは、山々なのですが」
ルシオは体の前で組んだ手を、もじもじと動かした。
言いにくそうに「えっと」と言葉を挟む。
「こ、ここは。檻の、中、なので……その」
消え入りそうな、ギリギリと声ではあるが、静かな部屋の中ではしっかりと届く。
驚愕の瞳がルシオに向けられた。
檻。
ルシオの父親は、先ほどはっきりと「ここが檻である」と宣言した。
牢屋ではなく檻だと言い、彼女を人間扱いする気はないのだと示した。
コップで水を飲むのは、人間のすることだ。
彼女が檻の中にいる以上、コップ一杯だけの水でも持ってくるわけにはいかない。
ルシオは素早く頭を下げる。
「申し訳ありません!」
叫ぶような声に、彼女は「申し訳ないって……」と呆然と呟いた。
ルシオは、そろそろと檻の前に膝をついた。
鉄格子の隙間から覗きこむように、体を傾ける。
「えっと。その水は、飲料できるものですから。あの、手ですくって頂ければ」
「ふざけないで!」
鋭い叫び声だ。
肩を跳ねさせて、ルシオはぴょこんと立ち上がる。
「も、申し訳ありません」
おどおどと謝る。
体を小さくして、不安そうに視線を下へと向けた。
「……何なのよ」
苛立ちを隠さないまま、彼女は髪をかきあげる。
じゃらじゃらとした鎖の音だけが、レンガ造りの部屋の中で響く。
結局、彼女は水を飲むことなく、固い床の上に座り込んだ。
それをちらりと確認したルシオは、両手を胸元できゅっと握った。
怯えを声にのせて、ゆっくりと口を開く。
「ほほ、本当に何も、ご存じないのでしょうか」
「何のこと?」
「その。王女殿下のこと、とか」
「知らないって言ってるでしょ!」
強い口調に、ルシオは急いで立ち上がる。
「す、すみませんっ……」と小さく叫び、慌てて先ほど立っていた場所まで戻り、背筋を伸ばした。
ぜぃぜぃと息を荒げる彼女に「申し訳、ありませんでした」と再度謝る。
「何か、少しでもお伝えすることが、あれば。お水をお持ちできるのではと、思っただけ、です」
「知らないものは、知らないわよ」
「そ、そうですよね。失礼致しました」
ルシオはぺこぺこと頭を下げた。
そのまま後ろに下がり、影になるところに戻る。
「何なのよ、もう!」
鎖の音を鳴らしながら、彼女が叫ぶ。
その後は頭を下げて、動かない。
ルシオは横目で、その姿をじっと見つめる。
彼女は父親に脅され怯えながらも、現状を理解しようとする冷静さも持っている。
もう少し振らないとダメかな、とルシオが考えたときだった。
「信じない。私が死んだことになっているなんて、信じないわよ!」
俯いた彼女の口から、言い聞かせるような言葉が漏れた。
気持ちを保とうと思ってやっているならば、いい方法だ。
彼女の言うことは、実を言えば当たっている。
誘拐してからは数時間しか経過していないし、事故にもあってはいない。
記憶を混乱させてるようにさらったが、死んだことになっているということも嘘だ。
だが、彼女がここにいるからといって、何の混乱も起きてはいない。
この誘拐が表に出ることはない。
絶対的な、協力者がいるからだ。
そもそもの目的は、フェアスーン王女殿下の信奉者を正気に戻す方法を探すことである。
男女問わず、いつの間にか周囲を惹きつける彼女の持つ何かは、隣国でもこの国でも、その原因は突き止められていない。
だからこそ、ルシオは唯一自我を取り戻しつつあるザイードを中心に考えたのだが、父親は全く別だった。
「隣国もこの国も。王女サマ自身のことは、とっくに調べただろうさ」
この国は王家の影という諜報機関を持っているし、隣国だってやっていることは変わらない。
彼女が持つ何かを探る一番の手段は、魔法だろう。
人を操るには、魔法を使うのが一番早い。
現に、この国の王も王妃も、そうやって貴族を縛っている。
だが、どれほど高度な魔法を使ったところで、王女自身には何も出なかった。
怪しい所さえ見当たらない。
重ねて、侍女や友人関係も同じように探ったものの、結局何もわからない。
魔法を重ねてかけても緩めても、彼女の周辺には何もない。
そうして、この国も隣国も、今でも王女を持て余している。
ルシオの父親からすれば、これこそが答えなのだと思う。
魔法を使って調べても、何もない、何も出ないという結果があるのだ。
魔法でわからないならば、他から探るしかない。
ルシオの父親は、まず王女殿下の幼少期からこれまでの人生を細かく調べ上げた。
王女殿下は、生まれたその日から周囲を引き寄せてはいなかった。
それだけでも成果は大きい。
一体、いつから周囲を惑わすようになったのか。
彼女の周囲に何が起き、何がきっかけになったのかを考え、可能性を潰していく。
彼女に惹きつけられた、初めの一人を追いかけた。
そうして浮かび上がったのが、侍女である彼女の存在だったのである。
本当は、彼女を監禁する必要はなかった。
時間をかけて良ければ方法はいくらでもあったし、もっと詰められただろう。
ただ、ルシオは社交界前に成果を出そうとしており、とにかく時間が限られている。
王女殿下の身に何が起きたのか、調べていくうちに推測はできる。
ただ細かなやり方を追うには時間がない今、当事者本人の口から聞くのが一番早い。
誘拐は、犯罪である。
さらに相手は隣国の伯爵家の娘であり、フェアスーン王女殿下の侍女だ。
バレたら大変なことになるのは、ルシオも父親もわかっている。
犯罪スレスレのことは日常茶飯事ではあるが、コンラード家は裏社会の中で生きているわけではないのだ。
バレない自信はあっても、確実なことはない。
だったら、王家を巻き込んでしまった方が早いという結論に至った。
今、この国に留学中のフェアスーン王女殿下の粗い密偵行動を監視しているのは、王妃だ。
一方のルシオも、第一王子から、かの国に嫁いだ後の王女殿下の行動の監視を頼まれている。
第一王子からの依頼となってはいるが、裏には王と王妃がいることは間違いない。
後ろ盾になる権力も含めて、引き込むには丁度良い。
王妃とこっそりと密会したルシオの父親は、集めたデータから必要な箇所だけ抜いて、報告をあげた。
そこまで土台を作ったからこそ、公然と彼女を誘拐できたし、その後の彼女の身柄はルシオの父親に一任されたのである。
今、フェアスーン王女殿下の側には、彼女の顔をした王家の影がいる。
彼女になりすまして、何事もなかったかのように王女の側にいるのだ。
だが、それら事実が何だというのか。
嘘だろうと何だろうと、今この瞬間に、彼女を探している者はいない。
父親の言った通り、この檻の中にいることが、彼女にとってはすべてだ。
「ねぇ、あなた」
やがて、彼女はゆっくりと口を開いた。
体ごと視線を向けると、スカートを寄せて膝をたてた彼女は小さく微笑んだ。
たてた膝の間に顔を乗せて、下からルシオを見上げる。
ルシオは仮面の下の冷めた瞳とは対照的に、わかりやすく唇を震わせた。
その様子を見て満足そうに唇をあげた彼女は、小首を傾げる。
「あなた、名前は?」
その声に、心臓が大きく跳ねる。
ルシオは小さく息を吐きながら、彼女と向き合った。
ここからが本当に重要だと、ぐっと足先に力を込めた。




