ルシオ、部屋にて 中編
理解力のないネズミ。
それが誰のことを指しているのか、わからないはずがない。
「小さなネズミでも、現状を理解することはできるんですよ、お嬢さん」
小ばかにしたような言い方なのに、重い。
後ろに座っていたルシオは、ぴりっと震えた空気に息をひそめる。
目元を隠した仮面の下に浮かんでいるであろう瞳を思い、ぐっと堪える。
正面から向き合っている彼女に向けられた圧は、想像以上だろう。
父親は、面倒そうに足を組んだ。
椅子が軋む音がする。
「私が嘘をついていたら、何だっていうんです?」
「何、って……」
明らかに変わった空気に、彼女が震える。
先ほどまでの気の強い瞳が、あっという間に揺らぐ。
戸惑いの中に不安が生まれる。
先ほどの強気な態度が、一気に消え去ってしまった。
「嘘だと思うのならば、どうぞご自由に」
彼女に圧をかけたまま、父親は体を起こす。
仮面の奥の瞳は見えないだろうが、向けられた鋭い視線は彼女に真っすぐに刺さる。
「それで、何か変わりますか?」
父親は、両手を広げた。
小首を傾げる仕草は、どことなく馬鹿にしているようにも見えるし、遊んでいるようにさえ見える。
何も言わずに動かない彼女を眺め、困ったように笑う。
「今、あなたはここにいて」
軽い口調で、父親の指先が壁へと伸びる。
そのまま、すっと彼女へ移った。
「鎖に両手足を縛られたまま、小汚い檻の中だ」
わざと言葉を選ぶ父親に、彼女の顔に怒りが浮かぶ。
この状況に至ってもなお、こちらに向ける怒りがあるとは驚きである。
まだまだ余力がありそうで、何よりだ。
彼女は、伯爵家の娘であり、王女殿下のお気に入りとされる侍女でもある。
プライドは人一倍高いだろう。
そこを刺激するように、父親はわざと言葉を選ぶ。
右手を上へと向けて、鉄格子を示して口を開く。
「先ほど牢屋とおっしゃっておられましたが、これは檻ですよ」
父親は、鋭い視線の彼女に笑いかける。
目を見開く彼女に、もう一度繰り返す。
「檻なんです、お嬢さん」
牢屋ではなく、檻。
その言葉の違いを、ルシオの父親は明確にする。
鉄格子の中を牢屋と呼ぶのか檻と呼ぶのか、どちらにしても現状は変わらない。
彼女は四肢をそれぞれ鎖でつながれて動きを封じられ、鉄格子の中から出られない。
牢屋だろうが檻だろうが、たいして変わらない気がしなくもない。
それでもルシオの父親は、わざわざ時間をかけて、彼女にここが檻だと示した。
牢屋とは、罪人を捕まえて入れておく場所のことだ。
罪人ということは、入っているのは人になる。
一方の檻は違う。
もちろん、罪人を捕まえておく場所のことを檻と呼んでもいい。
だた、檻は動物に対しても使う。
動物を閉じ込め、監視することはもちろん、第三者に見せる晒しものにするときにも利用する。
ルシオの父親は、はっきりと区切った。
彼女を人間扱いするつもりはないという、明確な意思の表れだ。
「檻の中に、あなたはいる」
しつこいほど、繰り返す。
彼女は、短く息を吸い込んだ。
父親の言葉の意味を、理解できたのだろう。
「これだけが、事実です」
堪えた様に、彼女は黙り込んだ。
だが、優しく問いかけるルシオの父親を睨む瞳は、折れない心の表れだ。
彼女はこの現状はもちろん、父親の発言も含めて、何も受け入れてはいない。
だた、受け入れようが受け入れまいが、関係ない。
ルシオの父親が告げた通り、彼女の気持ちや考えなどはどうでもいいのだ。
この幾重にも重なる鉄格子を挟んだ先にあるのは、ただの蹂躙でしかない。
彼女の心がどこにあり、この場を何と呼ぼうとも、現実は何も変わらない。
変わらないのだから、無視しておいても良かっただろうに、父親はあえて檻と何度も口にした
繰り返し、人でもなく動物扱いされた彼女の心境は、いかほどだろう。
「では、改めて」
何も言わない彼女に、ルシオの父親は口調を変える。
少し高めの声が、軽い。
「フェアスーン王女殿下になさっていることを、詳しくお話頂きましょうか」
ゆらりと彼女が動く。
重たい鎖の音が聞こえたものの、彼女は黙ったままだ。
父親は、ふぅ、と一度息を吐く。
「王女殿下に仕えてから得た、おいしい汁のお話のことですよ」
「……何のことか、わからないわ」
震えながらも静かな返事に、父親は困ったように肩を竦めた。
仮面で表情が見えない分、一つ一つ態度で示さないと、うまく伝わらない。
大きなため息が響き、彼女の方が小さく跳ねた。
周囲の物音にそこまで敏感になるぐらいならば、さっさと口を開けば早いだろうに。
そうは思いつつも、ここで終わってしまっては困るので、ルシオは息を殺したままだ。
気配を消して壁の一部になりきり、仮面の下の瞳は彼女の動きを観察する。
父親は「そうですか」と、悲しそうな口調である。
「先ほどの私の話を、聞いていなかったようだ」
追加で苦笑を交えると、彼女が身を縮ませた。
父親は少しだけ身を乗り出して、笑顔を見せる。
彼女の視線が父親に向けられた瞬間、父親は首を傾けた。
「理解力のないネズミは嫌いだと、申し上げたはずですよ」
父親が、右手の人差し指をくるりと振った。
それを合図に、ルシオの背後にある壁の隙間からネズミが何匹も飛び出してくる。
「ひっ」
反射的に奥へと逃げる彼女の前で、もう一度父親は指を振る。
何重にも重なった一番手前の鉄格子の間に、集まったネズミが綺麗に横一列に並んだ。
そのまま一言も鳴くことなく、蹲ったままじっと彼女を見つめている。
明らかに統率のとれた動きに、彼女は背を壁に押し付けて父親を見上げた。
「な、何!?」
さすがに、声にはっきりと脅えが含まれた。
じゃらじゃらを音を立てながら、彼女が両手で体を抱きしめて、そろそろと隅まで歩く。
その動きすら、ネズミの黒い瞳が離れることなく追いかけている。
壁にぶつかった彼女は「ひぃ」と小さな悲鳴をあげた。
あれ以上は動けないけれど、さらに身を壁につけて小さくなろうとしているようだ。
彼女の視線は父親にもルシオにも向かず、並んでいるネズミに向けられたままだ。
小さく丸くなって動かないネズミを、震えながらも見つめる。
その様子を気にすることなく、父親は左手で頭をかく。
「ご覧の通り、ネズミですよ」
「こ、んなっ……」
「そこまで怯えずとも、大丈夫ですよ」
震える彼女に向って、父親は軽く左手を振る。
「彼らは、現状を理解しているネズミですから」
かぁっと彼女の顔に赤みがさした。
怯えている中でも、実際のネズミを前にして、バカにしているのだと伝わったらしい。
それでも父親に対して何も言わないのは、ただただネズミが恐ろしいからだろう。
視線は一瞬だけ父親の方には向くが、すぐに並ぶネズミに戻される。
尻尾一つ動かすことなく、自分を見つめ続けるネズミから動かせないのだろう。
ルシオのことなど、頭の片隅にもなさそうだ。
「どうやら、私の勘違いだったようですね」
ひじ掛けに左手を乗せたまま、父親は人差し指だけ出した右手首を振る。
指先は動いていないけれど、気を抜けばすぐに動いてしまいそうだ。
聴き手の人差し指。
それが、魔法を使うときの動きだということは、彼女もよくわかっている。
ふるふると小さく首を横に振る彼女の顔色は、青白い。
「檻の中にいるのは、理解力も想像力もないネズミだったようだ」
「……や、めて」
擦れた声でも、父親は笑みを浮かべたままだ。
椅子ごと彼女の方へと向け、頷く。
「やめて、ですか?」
完全に上から面白い物をみるように、父親は声をたてて笑う。
返す言葉も見つからない彼女が震えたまま動かない中で、父親の抑えた笑い声だけが響く。
レンガ造りの部屋の中では、それが反響して大きくなった。
「やめる方法など、すでにご承知でしょう?」
右手の人差し指を軽く振りながら、父親は楽しそうに問いかける。
震えながら、彼女はきゅっと唇を噛んだ。
ネズミを引かせることができるのは、父親だけだ。
その父親が、どうすれば人差し指を振ってくれるのか。
答えは簡単だ。
求めているものを、差し出せばいい。
フェアスーン王女殿下にしてきたこと、その理由を含めて口を割ればいいだけだ。
そうすれば、このネズミの集団は目の前からいなくなる。
ただ、その後はどうなるというのか。
秘密を漏らしたことが発覚すれば、伯爵である父親は決して許さないだろう。
王女殿下どころか、彼女を害したとして、隣国からも狙われてしまう。
この国はもちろん、王女殿下が嫁ぐ予定のかの国も同様だ。
助けてくれる人はいない。
「あ……」
小さく呟いた彼女に向って、ネズミが数匹、数歩前へ進んだ。
「いやっ!」
「こらこら、止めなさい」
焦りもない父親の言葉で、ネズミはぴたりと動きを止める。
返事をするように鳴いてから、戻ってくる。
一番手前の鉄格子の前で丸くなってから、ゆらりとしっぽを振った。
「すみません。甘かったようで」
そう言いながら父親が指先を振ると、ネズミが顔をあげてぴくぴくと耳を動かす。
一度短く鳴いてから、身を低くし、その瞳が彼女に向けられた。
ずらりと並んだネズミの視線は、鋭さが増している。
「どうやら、お腹が空いているようですね」
低く笑う父親の言葉に、彼女がさらに身を引いた。
かたかたと口から音が聞こえる。
「や、めて」
「お話頂ければ、すぐにでも」
ひくりと喉が震えた。
怯えた視線がネズミを見渡した後、父親へと向く。
先ほどまでの気の強さはどこへやら、身じろぎ一つできないようだ。
「勘違いしないで頂きたいのですが、私はね。本当は、怯えさせるようなやり方は、好きではないんですよ」
ここまでしておきながら、どの口が何を言っているかわからない。
父親は、立ったままの右手の人差し指を折る。
彼女が驚いたように跳ねたが、ネズミは動きを止めたままだ。
「しかし、お嬢さんは、何も話してはくださらない」
大げさに困った様子を見せて、父親は腕を組む。
椅子に背をあずけ、顔だけ彼女に向けた。
組んだ腕の中から、右手の人差し指をたてた。
「魔法で自白させてもいいんですが、無理やり記憶をこじ開けるのはリスクが高い。殺してしまっては意味がないですからね」
彼女が目を見開くのを見ても、父親は言葉を止めない。
人差し指でトントンと腕を叩きながら、続ける。
「恐怖で縛る方法が一番早いと思ったのですが、私はやり方にはこだわりません」
どこか軽い口調だった父親は、体を起こす。
浮かんだ笑みは、どこか歪んでいる。
「薬漬けにしても狂わせても、快楽に溺れさせてもいいですよ。道具を使った方がお好みであれば、そちらでもかまいませんし、組み合わせてもいい」
父親は考えるように口元に手をあてた。
「何を選んだとしても、変わりませんからね」
父親が話している間にも、ネズミの鋭い視線は離れない。
言葉を切った父親が、椅子に深く腰掛けた音が聞こえる。
「結果を得られれば、手段は問わないということです」
その後は何も言わないので、部屋の中を静寂が包み込む。
一言も鳴くことなく動かないネズミも、全く気にすることなくそこにいる。
彼女が身じろぎするたびに、鎖の音だけが響く。
唇を開いては閉じ、胸元で重なった手をさする彼女は、とても小さい。
ぎゅっと服を握りしめた彼女が、口を開こうとしたときだった。
「まぁ、いいですよ」
「……え」
「考える時間が必要ならば、差し上げましょう」
父親は、足を組み替えた。
「あなたはすでに死んだ身だ。時間はたっぷりとあるわけですから」
そう言いながら指を振ると、ネズミが一気に散った。
音を立てながら、あっという間に消えていく。
そこにネズミがいた痕跡などなかったかのように、本当に一瞬のことだった。
父親は視線を彼女に向けたまま、立ち上がる。
「よく、お考え下さい」
「あ」
彼女が何か言うよりも前に、父親は両手を広げて背を向ける。
ルシオを見ることなくそのまま奥へと入っていって、いなくなってしまった。
呆然として固まっている彼女は、のろのろと視線を動かす。
壁の側にいたルシオを見て、ぴくりと跳ねた。
壁となっていた自分の存在を、今更のように思い出したことを確認したルシオは、ゆっくりと立ち上がる。
腰かけていた丸い小さな椅子を押しやり、音をたてることなく檻の前まで歩いた。
膝をついてしゃがみ込み、壁に貼りついたまま固まっている彼女を見上げる。
少しだけ体を傾けた。
「……大丈夫、ですか?」
優しく、柔らかく、丁寧に。
精一杯の心配を込めて問いかけると、彼女の唇が震えた。
ハッとしたように、視線が勢いよく反らされる。
心配しているように見えるよう、ルシオはわざとそわそわと体を揺らした。
彼女から見える唇も震わせ、何か言いたいけれど黙り込む様子を見せる。
一方で、その仮面の下では、冷めた瞳でその動きを追う。
この、目の前にいる女が、すべての始まりだ。
フェアスーン王女殿下の心棒者が、増えていく理由。
それを、この女が握っている。
ルシオは、口元だけは不安さを感じさせてつつも、ひたりと彼女を見据えた。
何のために、父親の後ろに控えていたと思っているのか。
ここからは、ルシオの役目だ。




