ルシオ、部屋にて 前編
監禁表現が含まれます。
ご理解のうえ、お読みください。
すっかりと凝り固まった肩をほぐしながら、ルシオは私室へと戻ってきた。
持っていた書類を机にぽいっと投げ捨て、乱暴に椅子に座る。
「疲れた……」
机の端においてある箱の蓋を取ると、温かな湯気が広がる。
中に入っていたティーポットを取り出して、お茶を淹れた。
くるりと一度手の中で回して、口をつける。
温かさにホッとする。
サリーナがルシオのためにとくれた茶葉は、今ではすっかりと馴染んでしまった。
カップの中で揺れるお茶を見つめる。
サリーナの秘密に触れてから、一週間以上が過ぎた。
あんなことがあっても、サリーナは何事もなかったかのようにルシオのそばで笑っている。
相変わらず無防備にすり寄ってくるし、嬉しそうにしている。
「……本当に、どこまで甘いんだろうねぇ」
そうやって赦してしまうから、自分はそれに甘えて知らないふりをする。
一瞬、ぐんと引き込まれる気がした。
「ま、いっか」
ルシオは軽く頭を振って、思考を切り替える。
疲れたときの思考の堕ち具合は、よくわかっている。
考えてもどうにもならないことは、一言でまとめてしまう。
サリーナの行動と発言は、ルシオの想像を軽々と超えていくだけではなく、攻撃力も強い。
思い出す度に結構なダメージをくらうので、いちいち黒い感情が湧き出てしまう。
どうしたものかと悩んだルシオは、わからないことは「やり直しをした結果」で終わらせることにした。
一気にお茶を飲み干したルシオは、引き出しに手をかけた。
カチ、と反応した音がしたので、そのまま開ける。
引き出しの中は、魔法石が詰め込まれている。
その中から、薄く光っている物だけを取り出した。
「こっちも光ってるなぁ」
石が光っているということは、何かあったという証拠だ。
一つ一つの石の中には、それぞれ別の報告書が入っている。
人に見られては困る報告書は、魔法石を通すのが基本である。
紙は破っても焼いても、優秀な人間がいれば復元ができるので、上書きできる魔法石が適しているのだ。
読み終わったら、さっさと上書きである。
あげてくるのは遠方にいる相手、顔を合わせることができないような相手だが、その内容は大きく二種類に分けられる。
一つが、フェアスーン王女殿下関係。
もう一つが、王家の関係だ。
「……どうするかなぁ」
報告書をさっさと読み切ったルシオは小さく嘆く。
魔法石にくだらない内容を上書きしながら、考えていく。
フェアスーン王女殿下の輿入れは、未だに正式には発表されてはいない。
取り巻き集団やその親には伝えられているとはいえ、事情が外部に漏れているようなこともない。
そして、今でも令息数名たちは、学校を休んだままだ。
王女殿下の取り巻き集団が、そろって休みを重ねているのだ。
休む日が長くなるほど、噂がたつのは避けられない。
一応対外的には集団感染による体調不良となっているし、それぞれの家庭も医者を呼んでいる。
だが実際にはフェアスーン王女殿下の扱いを不遇と思い、ひたすら声をあげて訴えているらしい。
無駄に爵位が高いのも、彼らの行動に拍車をかけているのだろう。
早くしなければ、全員そろって、綺麗さっぱりといなくなってしまうかもしれない。
自分がやり出したことだ、最後までやりきらなくては。
手を出したことには、責任が伴う。
自分の欲望のままに走ったのは、ルシオである。
父親を含めて多くの人間を巻き込んだ以上、何があっても逃げ出すわけにはいかない。
どこから手をつけるのか。
どこから攻めれば、早いのか。
魔法石の奥でゆらゆらと揺れる明かりを見ながら、ルシオはゆっくりと息を吐く。
深く呼吸を繰り返すと、考えがまとっていく。
温かくなれば、社交シーズン到来である。
逆算すると、本当に時間が足りない。
目を細めたルシオの視界の端で、魔法石が光る。
父親からの連絡だ。
引き寄せて起動すると、数字の羅列が広がる。
暗号文だ。
流れて消えていく暗号文を、素早く追いかけていたルシオの眉が寄った。
テ ノ ナ カ
抑え込むように、ゆっくりと目を閉じる。
深く息を吐き切った後に目を開けたルシオは、奥におかれてあった魔法薬を一気に煽った。
レンガ作りの部屋の奥。
ドアの前に立ったルシオは、瞬く。
瞬くたびに、呼吸数を落としていく。
手に持っている仮面をつけて、もう一度呼吸を整える。
猫の耳のようなものがついている仮面は、顔の上半分だけしかない。
目元だけ銀色の縁があるものの、全体的に真っ黒だ。
ドアに手のひらをつけると、鈍い音がして魔法が発動する。
淡く光るドアを、ルシオは開けることなく、そのまま一歩踏み出した。
するりとドアを抜ける感覚は、何度経験しても気色が悪い。
肌を刺す空気が一段と冷えたのを感じて、ルシオは息を吸い込んだ。
カビ臭さが鼻をつく。
レンガ造りの狭い廊下。
色はあせており、ところどころ欠けている。
ここに入ったのは、いつぶりだろうか。
ルシオはそのまま廊下を抜ける。
「聞いてるの?」
角を曲がると、甲高い女性の声がした。
広がった部屋に出る。
部屋の真ん中には、縦にも横にも重なっている鉄格子が備え付けられている。
その奥に、一人の女性が立っていた。
手にも足にもそれぞれ鎖がつながれており、その鎖の先は壁に固定されている。
鎖の長さは短くはないのでそこそこ動けるようだが、一番近くの鉄格子にはぎりぎり届かない。
「これはこれは、随分と元気なお嬢さんだ」
鉄格子を挟んだ手前には、上等な椅子にゆったりと座った父親がいた。
ルシオとは違うものの、同じように仮面をつけており、口元しか見えない。
「早くここから出しなさい!」
ヒステリーに叫ぶ女性が、後ろから入ってきたルシオに気づいた。
気の強そうな瞳で、ルシオを睨みつける。
後ろにいるルシオを見ることなく、父親は口を開く。
「いやはや、どうしたものか」
ルシオは黙ったまま、壁の隅に重なって置かれている丸椅子を片手で取る。
小さく音をたてながら、父親の少し後ろに座った。
薄暗い明かりの中、鎖の音が響く。
ルシオは改めて、女性を真正面から見る。
彼女は薄汚れた服を着ているが、とても元気そうだ。
顔も泥がつきすっかりと汚れてしまっているが、拭ってもいない。
鎖でつながれた手首をさすりながら、彼女はぎろりと父親を睨む。
「こんな牢屋に閉じ込めるなんて、私が誰かを知らないのかしら」
首を傾げながら「おやおや」と、父親が笑う。
楽しそうな様子が、背中から伝わってきた。
「当然、存じ上げておりますよ」
「だったら、わかるでしょう? 私は隣国の、伯爵家の娘よ!」
「それが何だと言うのです? 私たちにとっては、たいしたことではありませんね」
叫ぶ彼女に、父親が静かに答える。
彼女の喉がひくりと震えた。
「あなたの出自など、興味はありません」
「だったら、何? 何だって言うのよ」
本当にわかっていない様子の彼女の口調が弱くなる。
父親を見る瞳に、少しだけ脅えが混ざる。
父親はわざと時間をかけて、右手を彼女の方に向けた。
「私たちの興味は」
彼女は、間違いなく隣国の伯爵家の娘だ。
だが、それだけではない。
「あなたが、フェアスーン王女殿下付きの、侍女だということですよ、お嬢さん」
父親の言葉に、彼女の顔色が変わる。
唇が震えたのを、ルシオは見逃さなかった。
「それも、相当お気に入りの」
フェアスーン王女殿下付きの、侍女。
伯爵家の次女である彼女は、王女殿下よりも七歳年上だ。
隣国の貴族学校を卒業した後、王女殿下の次女として働きだしたという。
そこから今日まで、王女に献身的に仕えた彼女は、今では彼女専属の侍女だ。
王女殿下が隣国から留学という名目でこの国に来た時も、当然のように一緒についてきた。
かの国へ嫁ぐときも、一緒についていく予定だと聞いている。
「どうして、そんなことを……」
彼女は、やっと気づいたらしい。
伯爵家の人間だということはもちろん、フェアスーン王女殿下の侍女であることまで知っている人間など、ほとんどいないはずだということに。
どこからか、内部の事情が漏れているのだ。
だが彼女が怯んだのは一瞬だけで、すぐにまた父親を睨む。
鎖に繋がれているというのに、あくまでも強気だ。
「わかっているのなら、尚更今すぐに、ここから私を出す方が賢明だってことぐらい、わかるでしょう?」
「何故です?」
「私に何かあれば、外交問題になりかねないってことよ!」
隣国の伯爵家の次女。
そして、フェアスーン王女殿下付きの侍女。
どちらかだけでも、身分的には何も申し分ない。
彼女に何かあれば、隣国から彼女を預かっているこの国は、窮地に陥るだろう。
大切な侍女に何かあったとなれば、王女殿下自身も動くはずだ。
通常であれば、大問題である。
だが、父親は考えるように口元に手を当てただけだ。
「なりませんよ」
余裕を持って、平然と答える。
目を見開いて拳を握る彼女を見ながら、父親は椅子に背をあずけた。
「あなたはすでに、この世にはいない身の上です。王女殿下はもちろん、隣国にも関係はありません」
「何を、言っているの……?」
「言葉の通りですよ。どうやら、何が起きたのか覚えておられないようだ」
少しだけ体を起こし、口元を楽しそうにほころばせる。
父親の言葉に、彼女は記憶を引っ張り出す。
今日は、フェアスーン王女殿下から頼まれて、薬草茶用の茶葉を取りに行っていた。
この茶葉は、伯爵家である彼女の領地で多く栽培されている。
薬草茶の普及を目指している王女のために、わざわざ父親から茶葉を取り寄せているのだ。
薬草茶は葉だけでも、かなりの匂いを出す。
そのため、一度別のところで検品を行ってから、持ち込むことにしているのだ。
今日もいつものように、王女が手配してくれた馬車に乗って出かけたはずだ。
そうして検品済みの茶葉を馬車の中に乗せ、帰った。
「……あ」
彼女は小さく呟いた。
御者と二人、いつもの帰り道。
大通りは人が多いので裂けて、裏通りを抜ける。
途中で一度、馬車が止まった。
前で何か起きたらしく、迂回して帰宅すると御者から聞き、了承をした記憶がある。
そこからの道は不安定で、かなり揺れた。
道が悪いせいか、馬の様子がおかしいからと言い、御者は一度馬車を止めたようだった。
それから。
大きな、音がした。
驚いたと思ったら、ここにいた。
嫌な臭いのするレンガ造りの部屋、否、牢屋の中で、両手足を鎖に縛られて寝かされていたのだ。
「何……何なの。一体、何が起きたの?」
「あなたは、不運な事故に巻き込まれたんです、可愛そうに」
「事故ですって!?」
「そうですよ。そこで、大変残念なことに、息を引き取られてしまわれたのです」
「ふざけないで!」
「ふざけてなどいませんよ。世間的には、そうなっているというだけです」
「何が世間よ!」
顔を真っ赤にして叫ぶ彼女に、父親は肩を竦めただけだった。
その二人のやり取りを、ルシオは静かに眺める。
この御令嬢をこの部屋に連れてきたのは、ルシオの父親の子飼いだ。
フェアスーン王女殿下からの信頼が厚い侍女を攫うために、父親がすべてを仕組んだ。
「大変長く眠っておられたようですから。記憶が混乱しているのも無理はないことです」
暗に、すでに事故からかなりの日が過ぎていることを伝える。
唇を震わせた彼女は、項垂れた様に頭を下げる。
これで折れてもらっても困るなと、背筋を伸ばしたままルシオは思う。
せっかくここまで来たのだから、もう少し頑張ってほしい。
静まった部屋の中、彼女はゆらりと顔をあげた。
その瞳には、強い意志が見える。
「……信じ、ないわよ!」
ぎり、と拳を握って彼女が叫ぶ。
「私は事故で死んだことになっているようだけど、死体があるわけでもないのに、お父様がそんな茶番を信じるとは思えないわ!」
声を上げながら、彼女は一気に言い切った。
体が前へと動き、鎖の音が鳴る。
「大体、その事故とやらから数日は経過しているみたいだけど、それも本当なのかしら。ずっと眠っていたにしては、体力も問題なさそうだわ」
彼女はそう言いながら、見せつけるようにさらりと髪を撫でた。
汚れてしまい絡まっているものの、指はするりと通る。
眠っていただけかもしれないが、痩せているわけでも喉が渇いているわけでもない。
声もしっかりと出るし、立ち上がる体力だってある。
ルシオの父親の言葉をそのまま信じるほど、愚かではない。
粗い呼吸をする彼女は、目の前の父親を睨みつけながらも、後ろに座るルシオを含めてしっかりと観察していた。
こんな状況でも負けずにいるとは、さすがというべきか。
「……それで?」
口を引き結んだ彼女に向けられたのは、父親の静かな一言だった。
父親は正面から彼女の視線を受けて、そっと笑う。
彼女は怯んだように、少しだけ身を引いた。
「それで、って」
「あなたが信じないから、何だというんです?」
「だっ、だから、あなたたちが嘘をついているってことよ!」
再び叫ぶ彼女に対し、父親は大げさにため息をついた。
大きな呼吸音に、彼女の方が小さく跳ねた。
父親は、ゆったりとした仕草で両手を組む。
「私はね、お嬢さん」
柔らかい声。
優しそうな雰囲気に、彼女がごくりと息を飲んだ。
父親の口元が、ゆっくりと綺麗な弧を描く。
「理解力のないネズミは、嫌いなんですよ」
発せられたのは、恐ろしいほどに冷えた一言だった。




