ルシオ、応える 前編
ルシオは、腕の中で安心したように笑っているサリーナを見下ろしながら、どうしたものかと考えていた。
サリーナは話は終わったとばかりの様子であるが、ルシオの方はそうもいかない。
ルシオは先ほど、本気でサリーナを押さえつけようとした。
理性と本能の狭間を行き来した挙句、本能が勝ることを、媚薬を飲んだルシオは知っている。
サリーナが魔法を使おうとした瞬間、頭の奥で何かが弾けた感覚が消えない。
抑えがきかない感情が競りあがり、頭の奥がガンガンとなった。
どうしたらいいのかわからず、心臓を捻り上げられるようだった。
あそこで未遂に終われたのは、ある意味奇跡だと思う。
新しく付け替えた魔法石には、当然サリーナを守るための防衛魔法が付与されている。
それが全く反応しなかったのだから、本当に訳がわからない。
最近、やけにサリーナを泣かせてしまっている。
父親に嚙みついたけれど、それ以上にサリーナを泣かせているのはルシオだ。
ルシオは、だんだんと自分のタガが外れかかっている自覚がある。
きっかけはサリーナになるのだろうが、最悪な方法でしか返せないのは自分の落ち度だ。
大切だ、傷つけたくないと言っていた自分は、どこへいったのだろう。
真っ赤に目を腫らしたサリーナを思い出すだけで、胃が締め付けられる。
ルシオは顔には出さないようにと食いしばっているというのに、サリーナは腕の中で笑ってさえいる。
先ほどルシオに何をされたのか、忘れてしまったのかと思うほどだ。
ルシオの方は、腕の中のサリーナに喜んでいいのかどうかも迷っているというのに。
ルシオが何をしても、何を言っても、どうして受け入れてしまうのだろう。
泣き腫らした瞳で、真っすぐにルシオを見てくれるのは、どうしてなのだろう。
甘やかし、赦してしまって、また笑ってくれるサリーナが、大切すぎて怖くなる。
耐えられずに漏れた弱音さえ、ひょいっと軽く受け止めてしまわれて、笑ってくれる。
サリーナが持つ価値観は、ただの子爵令嬢とはかけ離れている。
あまりにも異質で、どこまでも際限がない。
人生を繰り返しているうちに、だんだんと考え方が変わり、染まっていった故なのか。
これも、何度も人生をやり直しているからこそなのか。
寛容と言う言葉で括るには足りないな、とルシオはサリーナの頭を撫でた。
それに甘えてしまっているのがわかっている以上、何も言えない。
迷っていてもどうしようもないのならば、さくっと丸ごと「そういうものだ」とまとめてしまう方が楽だ。
ただ、これだけは言いたい。
「サリーナ、もっと俺のせいにしなよ」
サリーナの頬はすっかりと乾いているけれど、目元は真っ赤だ。
罪悪感がせり上がり、謝りたくなるのを堪える。
目の端を手の甲で撫でると、少しだけ濡れた。
「変に過去を知ってるから、比べるんだろうけどさ。この手首の痕だって俺の判断だし、痩せたのだって俺の自己管理の問題だ」
「それ、は」
サリーナはぐっと黙る。
本当は否定したい気持ちが伝わってくる。
それを無視して、ルシオは「何度も言うよ」と、さらに言葉を被せる。
「サリーナじゃなくて、俺なの。俺はしたいようにするし、勝手もする。それは、サリーナには関係ないことだよ」
「そう、でしょう、が」
「俺がやったことの責任は、俺だよ。サリーナじゃない」
ルシオは、サリーナのためにと思って行動いるわけではない。
打算で「できるな」と判断したからアレコレしているだけで、できなければ手は出さない。
サリーナが本当に望まない限り、ルシオはあくまで自分の為にしか考えていない。
数ある手段の中でサリーナを優先する方法を選んでいるのは、ルシオにとってサリーナが大切だからに過ぎない。
しかも、喜んでもらいたい、笑ってもらいたい等という、純粋な気持ちだけではない。
恩を感じ、感謝することで、自分のそばにいてくれるのではないかという、ある意味打算的で見返りを求めた行動だと思う。
だからこそ、失敗した責任は自分である。
決してサリーナのせいではない。
「納得できなくてもいいから、俺はそう思っているってことだけ、覚えておいて」
「ルシオ、様」
「きっとこれからも、同じようなことが起こると思う。でもそれは、俺がしたいから、しているだけだからね」
「……はい」
これ以上は認めないと、圧をかける。
唇を結んで黙り込んだサリーナは、ルシオがこれだけ言っても、すぐに自分を持ち出そうとするだろう。
人が持つ価値観は、そう簡単には変わらない。
だからこそ、ルシオは別方向から牽制しておくことにする。
「サリーナさ。どこかで、成長した俺と会ったことがあるでしょ」
「ふぁ!?」
「俺は多分、商会の後を継いでいると思うから。そのときは同業だったのかな」
「な、ななっ」
さらさらと軽く続けて言えば、サリーナの口がぽかんと開いた。
大変わかりやすく、顔に「何で、そこまで!」と書かれてある。
その反応から、自分の発言が当たっているのだとわかる。
目を見開いて、あわあわとしているサリーナを見て、思わず吹き出した。
「いろいろな魔法を使ってたんでしょ。悪いなぁ」
「や、なっ、え!?」
からかうように、瞳を覗き込んだ。
戸惑った声をあげながら、サリーナの顔が一気に赤くなる。
言葉よりも素直な反応に、ルシオは笑いが止まらない。
「わかりやすいねぇ、サリーナ」
「ど、ど、どうして」
「どうしてか知りたい?」
にやりとしながら問いかける。
ぎくりと肩を震わせたサリーナは、ぶんぶんと首を横に振った。
真っ赤になったサリーナの目元に、また涙が浮かんできたのを見て、ルシオは口の端をあげた。
何をどう言えばサリーナが口を紡ぐのか、手に取るようにわかる。
サリーナは、何でもかんでも自分のせいにする。
自分が干渉しない世界を知っている分、変えてしまった結果に対する責任を自分に置き換えてしまう。
だからこそ、どこかで成長した自分と会ったことがあるのだろうと予測はついた。
それも、今のルシオと比べるほど、ある程度の関係があったはずだ。
サリーナの様子から考えて、婚約者ではなかったのはすぐにわかった。
もしも婚約者という間柄だったのなら、サリーナはもう少し色恋に慣れていてもいいと思う。
ルシオの一挙一動に反応するサリーナは、ルシオの距離感にも言動にも慣れていない。
元々ルシオを含めてコンラード商会は、シュベルグ家とは関係がない。
シュベルグ家というよりも、そもそも貴族との関係が築けていなかった。
今はサリーナの伝手のおかげで貴族との取引も増えてきてはいるが、本来であればそこに切り込むためには、時間も労力も手段も必要だったはずだ。
学院では科も違い、貴族と平民という身分も違う中、サリーナがルシオと出会う理由等ない。
一方で、サリーナはコンラード商会の内部について、大分詳しい。
数人しか知りえないことも平然と受け入れているし、何より話したことがないのに、動物を子飼いにしていることを知っている。
それだけ商会と関わっていたとするならば、相当深い間柄だったはずだ。
ただ、ルシオの父親については知らないようなので、関わったのはルシオ自身だろう。
顧客か取引相手か競合相手か、従業員として雇ったか。
成長したサリーナの立場が何だったとしても、やり直しをしているとすれば、生まれは子爵令嬢だ。
従業員を雇う時には徹底的に調べ上げるはずなので、そもそも子爵家の御令嬢を雇うとは考えにくい。
没落したのならわからなくもないが、王家の秘密に近い位置にいるシュベルグ家が没落するとは考えにくい。
いなくなっては困るのだから、王家が救済するだろう。
サリーナ自身だけが籍を抜いたとしても、わざわざ商会で働く理由もない。
特に目を惹く採用基準もないので、もっと他に良い職場があるはずだ。
サリーナが顧客だったとしたら、コンラード商会の裏を知る必要はない。
貴族にとって大切なのは、購買意欲をそそられるものを提示され、必要な時に必要なものを購入できる相手である。
そこには信頼関係が必要ではあるが、表は健全に見せているコンラード商会なので、わざわざ手間暇かけて調べるとは思えない。
法のギリギリを攻めるぐらいは見せてはいるが、裏の真っ黒すぎる実態を知っている者は、ほとんどいないのが実情なのだ。
仮にサリーナが平民だったとしたならば、余計に商会の裏事情等興味もないだろう。
平民にとっては数ある店のうちの一つなのだから、直接商会に足を運べば購入できる。
取引を行う相手だとすれば、専用業者か、目を引く品物を独占販売しているか。
サリーナはシュベルグ家の御令嬢なので、魔法石関係の仕事であれば業者扱いになる可能性はある。
だがその技が目を引けば、サリーナの父親はもちろん、国が目をつけないはずがない。
一定の基準以上の技がある人間は取られてしまうか、別の仕事についてしまうので、見つけるのは大変難しい。
魔法石に関して優秀な術を持つ元侯爵家の弟の存在が気づかれなかったのは、彼自身がこそこそと隠れていたからである。
独占販売している商品があり、それをコンラード商会が卸していた可能性もあるが、これもなかなか難しい。
一番早いのはサリーナが世界初の何かを開発し、その市場を一気に開拓する方法だろう。
サリーナの持っている知識を総合すればありえる話ではあったが、貴族である以上、まずは王家が出てくるはずだ。
そこにコンラード商会が口を出す隙間があるとは思えない。
一瞬芸術面でも考えたが、どのみち答えは同じである。
となれば、競争相手、つまりは同業だったのではないか
貴族でも会社を運営している人間はいるので、可能性としては一番高い。
同業であれば、サリーナが商会を探る理由は十分だろう。
ただ、いくら魔法を使ったところで商会の裏に当たる真っ黒な部分は、そう簡単にわからないように罠を張っている。
いくつも張った防御魔法を越え、罠を潜り抜け、内部にまで入り込んだということは、それだけサリーナの魔法のレベルが高いという証明でもある。
ルシオの父親はもちろん、ルシオが、ただの同業相手に目をつけるはずもない。
ドレス、宝石、アクセサリー、茶葉、茶器のどれをとっても、サリーナが知っていることは幅広く深い。
持っている多くの知識量を考えると、そのときサリーナが率いていた商会は、かなり大きなものだったと想像できる。
一方で、サリーナは恐ろしいほどわかりやすい。
子爵令嬢としてふるまうときには、それなりの仮面をつけてはいるものの、商会の会頭としては致命的なほどだ。
サリーナは、とても商会を率いるような立場には向いていない。
そんな中で問題なく経営していたとなれば、どう考えても魔法を使わないと無理だ。
腕の中でプルプルとしているサリーナは、子犬のようだ。
ルシオは熱を持ってきたサリーナの目元に親指で触れ、小首を傾げた。
悪かったかなと思いつつも、おもしろくなってしまうのは、どうしたらいいのやら。
ここまできたのなら、もう少しつついてしまおうかなと、口を開く。
「俺、独身だったよね」
確信を持って問いかけると、サリーナは考えるそぶりを見せながらも「はい」と頷いた。
プルプルとした中でも、ルシオの質問には相変わらず真面目に答えるサリーナに、笑ってしまう。
ここまではっきりと答えたということは、出会ったどこかのルシオは成人済みか。
「やっぱりなぁ」
「何でそんなに、わかるんですか……」
「こっちは簡単だよ。まぁ、一応、自分のことですから」
指にサリーナの髪を絡ませながら、ルシオはくつくつと笑った。
恥ずかしさからか瞳を揺らすサリーナの腰に回した手を、少しだけ引き寄せる。
ぴったりとくっついたところから、熱が伝わる。
柔らかくて、温かい。
ルシオはふ、と遠くを見つめる。
「成人した俺ねぇ……」
とりあえず想像してみたが、うまくいかない。
サリーナが言うルシオとは、何歳ぐらいの話なのだろうか。
学院は卒業しているだろうが、卒業したからといって商会を継げるわけではない。
正直なところ、サリーナが出会った成人したルシオが、コンラード商会の会頭かどうかまでは確信がなかった。
だが、先ほどのルシオの発言に、サリーナは何も言わなかった。
ということは、間違いなくルシオは後を継いで会頭となっていたのだろう。
父親を蹴落としていたらおもしろいなと、不穏なことすら浮かぶ。
どれを引っかけて、何をネタにしたのだろうか。
成長したルシオ。
成人して、大人になる自分。
とりあえず思ったことは。
「可哀そうなヤツ」
「あの……?」
ぱちぱちと瞬くサリーナに、ルシオは気にしないようにと頭をなでた。
それでも優越感が胸を包む。
大人のルシオ。
どこかの成長した自分だとはわかっていても、笑ってしまう。
元々異性に、たいして興味のないルシオである。
むしろ、いちいち面倒くさいなと思っていたほどなのだ。
サリーナと出会っていなければ、見合いなども蹴って独身を貫いていただろう。
どこかの成長した自分は、知らないのだ。
何よりも、欲しくてたまらない存在があること。
そのためなら、平気で無茶をするような激情が自分にもあったということも。
あるのかないのかもよくわからなかった自分の理性が、全然役にたたないこと。
時に、流されて、負けそうになることがあることも。
そんな自分を丸ごと信じて受け入れて、赦して甘やかしてくれる存在がいるということも。
彼女が与えてくれる、溶けるような心地よさも。
一方で、とろとろに溶かしてしまいたくなる、独占欲も執着心も。
伸ばした手を、躊躇なく取って引き寄せてくれる小さな温かな手も。
笑って、名前を呼んでくれる幸せも。
何も知らず、手に入れることさえ、ないのだ。
「哀れだねぇ」
自然と嘆きが漏れた。




