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人生をやり直しまくる令嬢、サリーナ  作者: 高杉 涼子
おまけ(婚約後のルシオとサリーナ)
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サリーナ、思考を堕とす

サリーナは、目に飛び込んできたものに息を飲む。


ルシオの右手首の内側。

うっすらと、薄い痣のような物がちらりと見えた。


「わっ!」


ルシオが声をあげたのも気にせずに、サリーナはぐいっとルシオの服の袖をめくった。

手を引こうとしたルシオの腕もつかんで、その内側を見つめる。


どう見ても、薄い痣のようなものがある。

力を抜いたルシオの腕を握りしめて、震える指先でその痕をなぞる。


じんわりと、魔力を感じる。

これが何なのか、わからないサリーナではない。


離さないように服を握りしめて、サリーナは顔をあげた。


「……どう、されたんですか」

「えー? 今?」


乾いた言い方にカッとなる。

何が今なものか、今しかないだろう。


「契約痕ですよね? どうしてこんなものが」

「そりゃあ、魔法契約を結んだからだよ」


あっさりと言われて、サリーナは言葉が出ない。

そんなことは、わかっている。

聞きたいのは、何故ルシオにこんな痕がついているのかということだ。


魔法契約は、その人の生き方や価値観を縛る。

例え軽いものだとしても、簡単に結ぶものではないことぐらい、ルシオだって知っているだろう。


そして、通常ならば紙に落とし込むものだ。

物に刻むこともあるが、体に残すなんて聞いたことがない。

ただでさえ魔力を帯びた契約である。

どう考えても、体に負担がかかるはずだ。


サリーナは、基本的にルシオが言わないことには口を出さないつもりでいる。


ルシオは商人だ。

魔法契約書を結ぶこともあるかもしれないとわかっている。

それをサリーナにわざわざ言う必要もないと思っている。


ただ、契約痕が残るものは別だ。

魔力を帯びた痣が、ルシオの体に何の影響も与えないとは思えない。


顔色が悪いサリーナの手から腕を抜いて、ルシオが「あのね」と口を開く。


「誤魔化しても仕方がないから正直に言うけど、たいしたことじゃないよ」

「ほ、本気でおっしゃっているんですか!?」

「本気です」


肯定されてしまい、サリーナは言葉が出ない。

ゆるゆると首を振る。


「たいしたことですよ、こんな」

「魔法契約は、役にたつよ」

「そういう問題ではありません!」


サリーナだって、魔法契約の意義はわかっている。

だが、それにしても。


「体に刻むような、残し方だなんて」

「サリーナがどう思うかは、わかっているつもり。でも俺は、必要があれば魔法契約だって結ぶよ」


ルシオの言葉を聞くサリーナの顔色は、青白い。

血の気の引いた頬が震えている。


ルシオが、一つも悪いと思っていないことが伝わってきた。

全く後悔している様子もない。

必要があれば、右手首だろうと他の部位だろうと、ルシオは平気で差し出すだろう。


サリーナは、そろりと視線を向けた。


「消える目処は、立っているのでしょうか」

「これ? 消そうと思ったら、多分すぐに消せるよ」

「えぇ?」


ルシオが、改めて右手首をサリーナに見せてくれる。

光の下で改めてみると、痕は本当に薄い。

この薄さは、契約の内容が曖昧だからか、内容がくだらないかのどちらかしかない。

ルシオがくだらない内容の契約を結ぶとは思えないので、おそらく契約内容が曖昧なのだろう。


「でしたら、早く消しませんか?」

「まぁ、それでもいいんだけどねぇ」


ルシオは歯切れが悪い。

体に負担がかかるのなら、早く契約を切ってしまう方がいいだろう。


何故そんなものを体に刻んだのか、本当にわからない。

くだらない内容ならば、別に紙に落とし込んでしまえばいいだろうに。


焦るサリーナとは違い、ルシオは考えるように口元に手をあてた。


「今後の為に、残しておきたいというか」

「何か理由がおありでしょうか」

「牽制のためというか。脅しには丁度いいんだよね」


脅し。

それはおそらく、契約を結んだもう一方の相手に向けてのことだろう。

一体誰と、どんな契約を結んだというのか。


問いたい気持ちを、サリーナは無理やり抑え込む。


「簡単におっしゃっておられますが、その分お体に負担がかかっていますよね?」

「この薄さなら、全然関係ないよ」


けろりとルシオは言っているが、魔法に詳しいサリーナからしてみれば、とんでもないことだった。


魔力は無限ではない。

生きていれば消費するように、知らない間に体力を削っていく。


特にルシオは魔力がない。

普段から魔力に包まれていないのだから、余計に負担がかかるだろう。


サリーナは、ルシオの手首を見つめる。

強くはないが、やはり魔力を感じる。

例え薄くても、これはしっかりとした魔力が込められた契約なのだ。


「ルシオ様……」


ぽつりと呟いた。


この契約は、いつ結ばれたのだろう。

契約内容は、何だろう。

どうしてこんな契約を結んだのだろうか。


ルシオが何も考えず、こんな契約を結ぶとは思えない。

本当に、必要があると判断して、結んだのだ。


考えたサリーナは、指先から血の気が引いていくのがわかった。

小さく開いた唇から漏れる息が震える。


蘇ったのは、大人のルシオだ。


大商人として、魔法を使いズルばかりして、好き放題していたサリーナの前に、同じく商人として現れたルシオ。

魔法が使えないのにサリーナと同等に渡り歩くルシオにムカムカして、サリーナはルシオの周辺を探った。

ルシオは幾重にも罠を張り、誘導して情報を隠していたけれど、この世の何もかもを探れるサリーナの敵ではない。


だから、知っている。


大人のルシオは、魔法契約など結んでいなかった。

体にその痕跡など、全く見受けられなかった。


それなのに、今はどうだろう。


サリーナは目を見開いた。

ぐわんと頭の奥が揺れる。


今世だから、こそだ。

今世だからこそ、ルシオは魔法痕が残るような契約を結んだ。

第一王子と魔法契約書を交わした。

コンラード商会は王家に目をつけられた。


今世だから。


サリーナが、ルシオと婚約をしたから。

学院の裏庭で、出会ってしまったから。


ルシオが無理をするのも。

痩せてしまうほど頑張ってくれるのも。

ブレーキが効かないほどに加速しているのも。


サリーナのせいだ。

サリーナのために、ルシオは無茶をする。


労力を使い。

金銭に糸目をつけず。

時間を惜しむことなく。


サリーナのために。


ぞわりと背筋が冷える。

自分が今、どんな表情をしているのかもわからない。


右手の人差し指がひくりと震える。


婚約を、していなければ。

ルシオと、出会っていなければ。


「サリーナ?」


訝し気な声に、サリーナは顔をあげた。

綺麗な紫色の瞳が、真っすぐに自分を映すのがたまらく好きだ。


優しい人。

大好きな人。

体に負担をかけてまで、守ろうとしてくれる人。


「……ルシオ、様」


人生をやり直している中で、こんなにもサリーナを大切にしてくれる人はいなかった。

だからこそ、やり直すことなく歩いてこれた。


けれど。


このままでは、ルシオはどんどんと自分を犠牲にしてしまう。

サリーナのせいで、ルシオの人生まで狂ってしまうのではないだろうか。

あの時出会った大人のルシオからほど遠い位置に、追いやってしまったかもしれない。


「あ……」


どくん、と心臓が音をたてた。

グラグラと揺れる思考の中で、魔力がせめぎ合う。


間違えた。

間違ってしまった。


サリーナの、せいで。


やり直しをしなくては。

巻き戻さなくては。

時間を。

時を。


やり直さなくては。


どこから?

どこまで?


サリーナは、ルシオがいつ魔法痕が残るような契約をしたのかを知らない。

巻き戻すなら、いっそのこともっと前の方がいい。

どうせなら、王家から目を付けられるよりも前に。


ルシオが公爵家に行く前に。

否、そもそもあれはサリーナが商会から購入した髪飾りをつけて宣伝したことで、目をつけられたのだ。

戻すのならば、それよりも前でなくては。


髪飾りを購入するよりも前。

始めて出会った、学院の裏庭よりも、前。


二人が、出会うよりも前に。


出会わなければ。

ルシオがサリーナのことを気にかける必要は、なくなる。


出会わなければ。

戻さなくては。

本来の、正しい流れに乗せなくては。


呼吸をしているのかもわからない。

ゆらりと、人差し指が持ち上がる。


「サリーナ!」


脳裏に響くような強い声に、サリーナは息を飲んだ。

驚いて肩震わすと、右手をぎゅっと握りこまれた。


反射的にあげた視線の先に、ルシオの瞳がある。

紫色の瞳の奥に、ゾッとするほど静かな怒りが見えた。


「……今、何しようとしたの?」


低い声。

握られた右手からルシオの指が抜け、サリーナの人差し指を握りしめた。


「サリーナ」


口調は決して荒れてはいないのに、静かな怒りが感じられる。

瞬いたサリーナは、答えようとしたものの、言葉が上手く出ない。

ひゅっと短く呼吸する。


紙のように真っ白になった顔色のまま、のろのろと視線がルシオに向けられる。

唇が震えて、吐息しか出ない。


「わ、たし。わた、し、今」


壊れたおもちゃのように、サリーナはたどたどしく呟く。

ルシオの握りしめた右手の人差し指の痛みも感じないのか、落ちた視線を揺らす。


「あ、の。私、は……」


何を。

何をしようとしていたのか。

一体、何をしようとしていたのだろう。


そこまで考えたサリーナは、大きく震えた。

色を無くした唇から、意味のない言葉が出る。


「あ、の」


今、やろうとしたこと。

右手の人差し指を、ふろうとしていた。


魔法を、かけようとしていた。


時を巻き戻す魔法。

時間を遡り、過去へ戻る魔法。


「あ」


使おうと、意識したわけではない。

完全に、無意識だった。


震えが止まらないサリーナを見て、ルシオがそっとほほ笑んだ。


「サリーナ、こっち向いて」


ルシオの左手が、サリーナの頬に触れる。

ぎこちなくも顔をあげたサリーナの顔色は白く、未だに小さく震えている。

ルシオの顔を見て視点が合うと、ひくりと息を飲んだ。


「サリーナってさ。すぐに、自分のせいにするよね」

「……え」

「何でも自分のせいで、自分が悪いって」


訳も分からずに狼狽えたように瞬くサリーナの瞳を、ルシオはじっと見つめた。

怯え、緊張、焦り、不安など、様々な感情が溢れている。


あぁ、とルシオは力を抜いた。

無意識ほど、恐ろしいものはない。


「俺はさ。それを口実にするし、甘えて赦してもらって乗ってるから、言うつもりはなかったけど」


薄く笑ったルシオは、何を考えているのかわからない。

痺れ切ったサリーナの頭では話についていけず、ただただ惹きつけられるように紫色の瞳を見つめた。


ルシオの瞳がきゅっと細くなる。


「サリーナは、何でも自分に置き換えるよね」

「そんな、こと、は」

「あるよ、サリーナ」


精一杯口にした言葉を、さらりとルシオが否定する。

困ったように眉を寄せ、頬を撫でる指先がするり滑る。


「俺が、どれだけ自分のためだって言っても、全然伝わってないし」


ルシオの雰囲気は柔らかい。

ただ、指先一つ動かせないほど緊張感が走る。


自分の表情すら、わからない。


「俺は、俺のためにしか動かないし、やりたいことしかやってない」

「る、しお様」

「そう何度言っても。結局は、サリーナのせいになる」


ぎり、と握りこまれた人差し指に力が入った。

一瞬顔を顰めると、ルシオが口の端をあげる。


「ねぇ、サリーナ」


静かな声だ。

顔を寄せたルシオの瞳が、一層近くなる。


見透かされるような澄んだ瞳は、影のせいか暗さが混ざる。


「そうやって、さぁ」


口から漏れる吐息ですら触れられそうな距離。

覗き込まれて目を丸くするサリーナの首筋に、指が触れる。


「何でも、自分のせいにして」


耳元から声が吸い込まれる。

それなのに、響くように聞こえてきて、うまく考えられない。


「自分を、悪くしてさ」


首元のネックレスのチェーンが小さく揺れた。

視線を外そうとしたが、ルシオが顔を持ち上げて視線が絡む。


ルシオは笑っているのに、声すら出ない。


「こんなはずじゃなかった、あんなはずでもないって言って」


声が、落ちてくる。

ゆっくりと言葉が重みになって、サリーナに沈み込む。


ルシオが小首を傾げた。


「それで、どうしようもなくなったらさ」


押さえ込まれた右手の人差し指が、熱を持っているようだ。

震えると、ぐいっと引っ張られる。


ルシオが、サリーナの前髪に触れる。

ゆっくりと流して広がった視界の先で、ルシオが小さく囁いた。


「過去に戻って。もう一度、やり直すの?」


掠れた声に、サリーナは息を止めた。


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