サリーナ、気づく
ルシオが口にした十日間。
その十日で何があるのか、最後までサリーナは知らないままだった。
否、知ろうとすればできたのだが、あえてそっとしておいた。
必要があればルシオが教えてくれるだろうと、考えを押しやった。
十日間の間、直接会ったのが三回。
支店まで一緒に歩いて行くものの、そこからルシオとサリーナは別行動だ。
ルシオはサリーナを私室に案内した後、お茶など準備してから、どこかへ行ってしまう。
ドアノブを何度も捻って回しているのがどういうことか、サリーナはわかっている。
そうやって空間を繋げている姿を、ルシオはサリーナに隠さない。
それが、本当に信頼している証のように思えて、嬉しくなった。
一人になったサリーナは、学院の課題をしたり、本を読んだり、フィゲロに取り組んだりと、のんびり過ごしている。
帰りは一人で帰ろうとしたのだが「俺がサリーナのご両親から、常識がないと思われるよ」とルシオが言うので、しぶしぶと送ってもらった。
「抱きしめる約束は、いいの?」
一度だけ、ルシオがそう確認してきたことがある。
瞬いたサリーナは、こくりと頷いた。
「落ち着いてから、お願いしたいです」
「そっか、わかった」
そう言ったルシオは、目を細めて笑う。
その笑みが少しだけ意地悪に見えて、サリーナは身構えた。
「まぁ、俺としても、区切りがついてからの方がありがたいかな」
「え」
「好きなだけ抱きしめていいって、約束したよね?」
「んん!?」
「だったら、時間の制約がないときの方がいいからさぁ」
顔を一瞬にして赤く染めたサリーナを、ルシオは優しく見つめる。
机に片肘をついて、本当に嬉しそうに笑うのだ。
「いやぁ、凄いご褒美だよね」
「ご、ご褒美になります?」
「当たり前でしょ。俺、それを糧に頑張ってるのに」
そう言われてしまうと、サリーナは黙ることしかできなかった。
疲れているルシオにできることがあるのなら、サリーナの恥ずかしさなど些細な問題である。
「それでしたら、いい、です……」
恥ずかしいから問題なのであって、サリーナだってルシオに抱きしめてもらうのは好きだ。
しおしおと声のトーンが落ちたサリーナを見て、ルシオが吹き出した。
「何でそんなに可愛いのかなぁ」
「もう、やめてください!」
だんだん涙目になってきたサリーナは、とにかく早く落ち着きたくて、ルシオを仕事へと追い立てた。
声を上げて笑うルシオはサリーナに一言も文句を言わずに、別室へと向かっていった。
何だかんだ、忙しいのだろう。
通信機越しに話をしたのは、四回だ。
サリーナは、何となくルシオに連絡するのを遠慮してしまっていたのだが、それをわかっているかのよういルシオの方から連絡をくれた。
紫色の魔法石が淡く光るのを見て、嬉しくなる。
だからといって、たいした話はしていない。
今日何をしたのかに始まり、おもしろかったこと、楽しかったことを話すだけである。
他愛もない話をするのは、出会った頃の裏庭での時間に近く、懐かしい気さえした。
十日ほど忙しいと言いながらも頻繁に連絡を取っていたこともあり、直接会っている頃よりもルシオの存在を近くに感じていたので不思議である。
十日間、ルシオのことを、気をつけて見てはいたものの変わりはない。
忙しいと聞いてはいたが、始終元気そうに見えるのでホッとしていた。
サリーナをからかって、軽口をたたいて、笑ってくれていたのだ。
「というわけで、十日が過ぎました」
ルシオの言う十日が過ぎた翌日、つまり十一日目、サリーナはルシオの私室にいた。
前もって「放課後は絶対に空けておいて」と言われていたので、時間までのんびりである。
いつものようにお茶を淹れてくれたルシオは、サリーナは一息ついたのを見計らって口を開いた。
カップを机においたサリーナは、ぺこりと頭を下げた。
「お疲れさまでした」
「ありがと」
この十日が一体何だったのか、サリーナはわからない。
机の上に重なった書類は減っているようには見えないどころか、増えている気がする。
それでもルシオがそう言うのなら、サリーナは信じるだけだ。
「あ、そうだ。サリーナ、ネックレス見せほしいんだけど、後ろ向いてもらえる?」
「は、はい」
頷くと、ルシオが立ち上がった。
外してくれようとしているのがわかり、サリーナは急いでルシオに背を向ける。
髪が引っかからないようにまとめて右へと流し、金具を首の後ろに回す。
「素直だねぇ」
苦笑しながら、ルシオが後ろに立つ。
ルシオのひんやりとした指先が首筋に触れた。
軽い金属音がした後、ネックレスが外れる。
もらってからずっとつけていたので、不思議な感覚がする。
「何かありましたか?」
「石を入れ替えておこうと思って」
ネックレスを持って向かいに座ったルシオが、手際よく魔法石を台座から外している。
取り外した魔法石を、光かざす。
傾けながら、ルシオが目を細めた。
「やっぱり、色が抜けてる」
「す、すみません! 使い過ぎました!」
サリーナは、慌てて謝った。
魔法石の魔法は、有限ではない。
石に込めた魔法は使っていけばどんどんと力を失っていき、最後は消えてなくなってしまう。
最近通信機として使いまくっていたので、そのせいだろうか。
通信機としての魔法はそこまで魔力が必要はないのだが、この魔法石は防音の魔法もかかる。
重ね掛けした場合、魔力の減りは早くなる。
「サリーナは悪くないでしょ、連絡したのは俺だし」
「私が話を長引かせてしまったように思います」
「そうだっけ?」
とぼけているのか、ルシオは気にしていないようだ。
魔法石に魔力を込めるだけならば、早々難しいことではない。
だが、ルシオがくれた魔法石にかかっていた魔法はとても高度に圧縮されているはずなので、誰しもができるようなものではない。
相当な技術が必要なので、その分の作業費が加算されているはずだ。
むしろ高額だ。
その価値を正しく理解しているサリーナは、平然と身に着けて使っていたことに震えてきた。
サリーナの使えるお金は限りがあるし、とても足りるとは思えないのだが、少しでも返したい。
だが、ルシオが絶対に受け取らないであろうことも予想がついてしまう。
ルシオの総資産などわからないけれど、確実に食いつぶしている気がしてきた。
元々ドレスを含めて準備してくれている中での追加分と考えると、出費が恐ろしい。
「よし、できた」
悶々とサリーナが考えている前で、ルシオがネックレスを確認している。
新しい魔法石も、ルシオの瞳によく似た紫色だ。
「サリーナ、後ろ向いて」
「は、はい」
サリーナはやや俯きながら、きゅっと唇を結んだ。
胸元で金属音が聞こえる。
視線を向ければ、新しい魔法石がついたネックレスが見えた。
大きさといい、付与されているであろう魔法の数とレベルを考えると、どう考えても高額だろう。
以前にルシオは、値段や価値を言わずに受け取ってほしいと言っていた。
だからサリーナは黙って受け取ろうと思う。
しかし、だからといって心がもやもやしてしまうのは止められない。
迷惑を、かけてしまっているのではないだろうか。
サリーナのせいで、ルシオの財を食いつぶしてしまったらどうしよう。
「お手数をおかけしてしまい、申し訳ありません」
視線を合わせられなくて、サリーナは俯いたまま告げた。
ネックレスをつけ終わったルシオが後ろから動かないので、そろそろと振り返る。
ルシオが立ったまま、サリーナを見下ろしている。
「サリーナ」
「……何、でしょうか」
返事が遅れたのは、少しだけルシオの雰囲気が変わったからだ。
伺うように下から顔をあげると、ルシオが目を細めた。
「これはね、俺がしたいからやってるんだよ。俺が、勝手に、やってることだからね」
「はい」
訳も分からず頷くと、ルシオが困ったように笑った。
サリーナの頬にかかっている髪を指先で横に流して、そのまま首まで下りてくる。
ネックレスのチェーンに当たって、音がなった。
「忘れないでね」
「はい……」
もう一度頷いたけれど、ルシオはやっぱり困ったように笑うだけだ。
ぱちぱちと瞬いていると、指先が離れる。
「ルシオ様?」
思わず声をかけると、正面まで戻ったルシオがこちらを向いた。
先ほどまでの困ったような顔ではなく、落ち着いた表情に戻っている。
「よし、じゃあ次だね」
そう言ったルシオは、椅子を持ち上げる。
そのまま、椅子ごとサリーナの横に移動してきた。
思わずサリーナも椅子を持って引こうとしたが、その腕を取られる。
「あの?」
「約束、守らないとね」
サリーナが息を飲むよりも早く、ルシオが腕を引いた。
何か言おうとしたのだが、喉奥に吸い込まれる。
驚くよりも、よく知る体温が伝わってきてホッとしてしまう。
「サリーナ」
背中に回った腕に、力がこもった。
くぐもった声は小さいけれど、はっきりと聞こえる。
「待っていてくれて、ありがと」
久しぶりにルシオに抱きしめられた気がする。
サリーナはほわほわとした気持ちで、ルシオに頭を寄せた。
「こちらこそ、お気遣い頂きありがとうございます」
ルシオは忙しいのに、サリーナのことを気遣って、毎回お茶とお菓子を準備してくれていた。
お茶もお菓子も同じものが重なることがなく、ルシオが考えてくれたのだろうと思う。
ほんの少しの気遣いが嬉しかった。
「本当に、お疲れ様でした」
そう言いながら、サリーナはルシオの背に手を伸ばす。
こちらからもぎゅっと力を入れると、ルシオの体が近くなった気がした。
瞬間、気づいた。
「る、ルシオ、様?」
慌てて名前を呼びながら、サリーナはルシオの背中をぽすぽすと叩く。
驚いたように力が緩んで、ルシオが顔を起こす。
「……何、してるの?」
上から声が降ってくるのも気にせず、今度はルシオのシャツを見つめる。
ネクタイを避けて、制服のジャケットを握りしめた。
「サリーナ?」
「ルシオ様」
目を丸くしたサリーナは、へにょりと眉を下げる。
ぱちりと瞬いた瞳は、泣き出しそうだ。
「え、何」
「おおお、お食事、取られていました?」
「食事?」
「顔色は悪くはないようですが。お体は問題ありませんか?」
ルシオの腕の中で、ふるふるとサリーナが震えている。
訳がわからず、ルシオは首を傾げる。
「いや、特に問題ないけど。何、どうしたの?」
「どうかしたのは、ルシオ様ですよ」
「俺? どういうこと?」
「だっ!」
嘆くと、引きつるように叫んだサリーナが目を見開いた。
緩やかに視線が落ち、ぽすんとルシオの胸元に頭がぶつかった。
「サリーナ?」
ルシオにしては珍しく、本当に意味がわからなかった。
サリーナが心配そうにしていることはわかるが、何がどうしたのを掴めない。
サリーナは、ルシオの胸元に頭を押し付けてそっと息を吐く。
「……ルシオ様、痩せましたよね?」
「え」
「痩せましたよね、お食事はしっかりと取られていましたか?」
「ちゃんと食べてたけど。痩せたかな」
不思議そうなルシオの声に、サリーナはショックを隠せない。
まさか、本人は無自覚だというのだろうか。
抱きしめられるだけではわからなかったが、体を寄せたルシオは細かった。
元々細身ではあるが、ルシオの体つきはしっかりとしていて、抱きしめられると安心してしまう。
だが、今日のルシオは触れた瞬間、力を入れるのをためらいそうになるほどだった。
絶対に、痩せている。
ルシオがちゃんと食べていたというのなら、それ以上に忙しかったということだろう。
いつもいつもサリーナのことを気遣ってくれると言うのに、自分のことにはこんなにも無頓着なのか。
その事実に、胸が苦しくなる。
「お疲れではありませんか?」
「うん、大丈夫だよ」
平気そうにしているものの、多忙だと言っていたルシオである。
優先順位を考えると、食事や休憩、睡眠などが跡に回ってしまう可能性は十分にある。
本人が気づかないうちに痩せたのも、忙しさ故だろうか。
たった十日ほどで、触れてわかるほど痩せたとなると、大問題だ。
もう少し、自分を大切にしてほしい。
サリーナと婚約してから、一度だけルシオが明らかにやつれて、痩せたことがある。
触れるよりも前に、見るからにおかしいと感じた。
もう、随分と昔のように感じるが、あれだってほんの数か月前だ。
それは元侯爵家の屋敷に呼ばれる前のときのことで、表情もぎこちなかった。
今日は顔色も悪くはないし元気そうなので、そのときよりは、まだ余裕があるのだろうか。
ルシオの右手が、サリーナの腕に触れる。
「サリーナ、俺は本当に大丈夫だから」
「すみ、ません」
一人、声をあげてしまって恥ずかしい。
震える吐息を漏らしながら、ルシオの右腕に触れたサリーナは、そこに見えた薄い痕に目を見開いた。




