サリーナ、ワガママになって甘えてみて 後編
たくさんの気持ちが沸いて出る。
その一つ一つをとても消化できそうにないけれど、そのうちの一つでもルシオに届けばいい。
痛い心臓を押さえて、息を吐く。
顔が見えなくて、本当に良かった。
『サリーナ』
柔らかな声だ。
穏やかな、落ち着いた雰囲気が伝わってくる。
『ありがと』
ふわりと温かくなり、自然と笑みがこぼれた。
ちゃんと、伝わっている気がした。
力を抜いたサリーナに『だけどねぇ』とルシオの言葉が続く。
『やっぱり俺は、会いたいって思うけどなぁ』
「う……」
それを言ってしまったら、サリーナだって本当は会いたい。
それでも、ルシオに無理はしてほしくないので、ぐっと堪えてここは黙っておく。
『考えたら、結構頻繁に会ってるよね』
「そうですね。本当にお世話になっております」
「何それ、お世話した覚えなんかないよ」
二人でくすくすと笑い合う。
いつからかなんて覚えていないけれど、いつの間にか顔を合わせる機会が増えた。
始めは王家への牽制のためだったと思うが、放課後に遊びに行くことが本当に多かったと思う。
行き先が商会関係のところばかりだったので、サリーナの両親からも、特に何も言われることもなかった。
そのうち、学院でも遠くにルシオを見つけると嬉しくなるほど、ルシオの存在が日常に溶けて混んでいった。
王家のためとか商会のためとか言いながら、結局はルシオに会いたいだけだと思う。
二人で歩いて、二人で過ごすことが、最早当たり前のようになっていた。
『ずっと忙しくなるわけでもないからさ。どこかで時間取らせてよ』
「お時間があるのなら、休まれた方がいいのでは?」
『一緒にいることが多かったのに、いきなり全然会わなくなったら、おかしいんじゃない?』
「それは、確かに、そうですが」
『周囲に、変に思われるかもしれないよ』
ルシオの言うことは、間違っていない。
何だかんだ噂好きな人たちが多いので、おかしな憶測を持たれても困る。
『一緒に帰るぐらいできるし、支店に入れば自由がきくよ』
それは、魔道具を使って時間を歪めるという意味だろうか。
そこまでしてもらいたいわけではないので、サリーナは先に矛先を変える。
「私、大人しく一人で待っておりますので、お気になさらないでくださいね」
『え、何それ』
「お邪魔にならないよう、気を付けます」
『まさかとは思うけど。サリーナを一人にしておいて、俺に仕事しろって言ってるの?』
「……お忙しいんですよね?」
『それはまぁ、そうだけどさ。サリーナは、それでいいの?』
「もちろんです」
ルシオの言葉に、サリーナは首を傾げた。
必要なのは、ルシオとサリーナが会っているという周囲への実績のはずだ。
「私は、足手まといになりたくはありません」
支店の隅にでもおいてくれれば、学院の課題をやってもいいし、本を読んでもいい。
一緒に支店に向かう間でも、話はできる。
頑張れば、手もつなげるのではないだろうか。
サリーナは、ルシオが何をしているのかを知らない。
ルシオが何も言わないのだから、サリーナにできることがないのだろうと思っている。
だったら、せめてルシオを煩わせることのないようにしたい。
「ルシオ様が無理をされる方が、嫌です」
考えてみれば、支店からサリーナの邸宅まで送ってくれそうな気がする。
本音を言ってしまえば、それも遠慮したいぐらいだ。
サリーナに時間を割く余裕があるのなら、ルシオに休んでほしい。
魔法薬は、肉体の疲れを回復させる効果はあっても、精神的な疲れには効かないのだ。
サリーナに出来ることなどない。
精神的な疲れに効果があると言いながら、そばにいることぐらいしか浮かばない。
何もできないと、わかっている。
だけど、本当は。
「何かあれば、いつでもおっしゃってくださいね」
ルシオの役にたてたらいいなと思う。
本当に、そう思っている。
通信機の向こう側は、とても静かだ
小さく「ルシオ様?」と名前を呼ぶと、『うん』と声が帰ってくる。
『わかってるよ、ありがとう』
落ち着いた声に、ホッとした。
笑みが零れる。
その小さな笑い声を聞き、何だかなぁと思いながら、ルシオは目を閉じた。
嬉しそうなサリーナは、いつだってルシオのことばかりだ。
『サリーナさ。さっき、抱きしめてほしいって言ってたよね』
「え、あ、はい」
『ワガママだから、って』
「……はい」
ルシオの言葉に、小さな声でしか返事を返せない。
わざわざ改めて確認してくれなくてもいいのに、と声が震えた。
恥ずかしくなってきて、また体温があがっていく。
『それさ。俺が満足するまででもいい?』
「満足、ですか?」
『そう。俺が満足するまで、抱きしめたいなと思って』
「んぇ!?」
楽しそうな、少しだけ笑った声。
未だに体温があがり続けているサリーナは、返事が出来ずに口をぱくぱくとさせていた。
「あ、の」
抱きしめて欲しいと言ったのは、サリーナの方だ。
だから、すぐに頷こうと思ったのだが。
満足、とは。
ルシオの言う、満足するまで、とは。
具体的に、どれぐらいなのだろうか。
「え、えぇと」
いつも抱きしめるといっても、数十秒ぐらいだと思う。
そこから考えると、長くても一分ぐらいだろうか。
一分とは、六十秒である。
え。
六十秒?
長い、気がする!
サリーナは、小さく首を横に振った。
六十秒は、思っているよりも体感としては長い。
そんなに抱きしめられていては、サリーナの心臓がもたない気がする。
せめて、数十秒ぐらいでお願いいしたい。
「三十秒ぐらいなら……」
『これね、俺のワガママだよ』
「えぇ!?」
被せるように言われて、思わず悲鳴があがった。
今ここでそれを言うのは、とてもズルイのではないだろうか。
ワガママを言って欲しいと言ったのは、サリーナだ。
そう思っているし、その気持ちに嘘はない。
ただ、何もこんなところで言わなくても!
「あ、う」
『駄目かな?』
まさかの追撃が来た。
こちらの様子を伺う様な不安が伝わってきて、サリーナはぎゅう、と魔法石がはまっている台座を握りしめた。
ズルいと思うし、卑怯だと思う。
ここでそう言われてしまって、どう断ればいいのだろう。
サリーナは、目を閉じてへなへなと力を抜く。
「駄目、では、ない……です」
『そっかぁ』
本当に嬉しそうにルシオが笑うから、息もできなくなりそうだ。
うぐ、と唸ったサリーナは、顔を上げた。
「ルシオ様! こういうときにワガママおっしゃるのは、よくないと思います!」
『何で?』
「だっ……こ、こ、断りにくいからですよ!」
『サリーナ、本当は断りたいってこと?』
「え」
『俺が抱きしめたら、嫌なの?』
「んん?」
いつ、そんな話をしただろうか。
話がずれてきている、ような。
だって、抱きしめて欲しいといったのはサリーナで。
そこに満足いくまでと付け加えたのが、ルシオだ。
このままではルシオのペースに巻き込まれる、とサリーナは慌てて「違いますよ!」と声をあげた。
「る、ルシオ様が満足いくまでというのが、問題です」
『どこが?』
「え、えぇと。実際に、どれぐらいなのかわからないじゃないですか」
『そんなの、今は、俺でもわからないよ。そのときになってみないと』
「もも、もしもですよ! いいいい、一分とかだったら、長いですよ!」
『え、それで長いって言ってるの?』
驚いたような声に、サリーナの方が目を丸くした。
あれ、と思いつつもそろそろと問いかける。
「長い、ですよね?」
『どうかな。俺はそうは思わないけど』
のんびりと言われて、サリーナは引きつった。
先ほどは同意してしまったが、これは想像以上に恥ずかしいことになってしまう気がする。
「あの、ご提案なのですが。時間を決めませんか?」
『一応聞くけど、何の?』
「で、ですから! その」
サリーナは言葉を切った。
たった一言「抱きしめられる時間」というのが、恥ずかしくて口から出ない。
どうにか誤魔化そうと、言葉を探す。
「えぇと。満足いくまで、だとわかりにくいですし」
『俺が抱きしめる間の時間を、決めたいってこと?』
「そ、うです」
『何で? 俺、ヤだよ』
一蹴である。
何となく断られそうだなと思ってはいたものの、しょんぼりだ。
『どうしても決めたいのなら、長めにしておくけど』
「え」
『とりあえず、二時間とかにしておく?』
「ににに、二時間!?」
単位が、分どころか時間にまで繰り上がった!
口を開けたまま固まるサリーナは、そろそろついていけなくなってきている。
「なっ、長すぎません!?」
『サリーナ、時間を決めたいんでしょ? 二時間もあれば、さすがにいいかなと思って』
「そ、そういう、意味では、なく」
恥ずかしすぎて、気絶するかもしれない。
どうしたいいのかわからず顔色が悪くなるサリーナの耳に、ルシオのむっとした声が聞こえた。
『逆に、サリーナは、そんなに短い方がいいの?』
「……え」
『抱きしめて欲しいって、一瞬ってこと? サリーナは、それで平気なの?』
ルシオに言われて考える。
確かに一瞬だけ抱きしめられても、むしろ悲しくなりそうだ。
「い、いえ、そんな。一瞬とは思っておりませんが」
『ほら。どれくらいでいいかなんて、人によって違うでしょ。サリーナは、俺よりも短い時間で満足できるってだけじゃないの?』
そう、だろうか。
でも確かに、恥ずかしがるサリーナに比べて、ルシオは平気そうだ。
『どうして、そんなに時間にこだわるの?』
「恥ずかしいからですよ!」
不満そうなルシオに叫ぶ。
通信機越しだからだろうか、本音が飛び出した。
一瞬やってしまった、と思ったものの、今更引っ込められない。
「ル、ルシオ様は平気かもしれませんけど。私は、その。は、恥ずかしいんですよ!」
もう、ここまで来たら同じである。
涙目になりながら、サリーナは魔法石に向かって叫んだ。
「あまりに長くなりますと、た、耐えられるか、わから、なくて」
言葉が途切れ始めた。
もう、嫌になってくる。
通信機が間にあるだけで、理性がおかしい。
どうせ一緒だ、とサリーナは頬を膨らませた。
「ですから! せめて、一分ぐらいでお願いしたいです!」
本当は三十秒が良かったが、妥協した。
単位が時間になるよりも、はるかに短い。
サリーナは、ぜぃぜぃ、と息をつく。
伝わっただろうか。
この思いを組んで、納得してはもらえないだろうか。
恥ずかしくてたまらなくても、六十秒を頑張って数えようと思う。
そう思っているのに、ルシオは「うーん」と言うだけだ。
『やっぱり、通信機の方が、威力が凄いかも』
「え?」
『えーっと』
顔が真っ赤になっているサリーナと対照的に、ルシオは軽い。
どこか楽しそうにすら聞こえる。
『サリーナの話は、わかりました』
「本当ですか?」
『うん』
頷かれてホッとした。
思わず力を抜いたサリーナの耳に、とんでもない言葉が飛び込んでくる。
『ただ、俺は、譲る気はないかなぁ』
「え」
『俺としては、やっぱり満足いくまで抱きしめたいなと思って』
「え、えぇぇぇ!?」
まさかの宣告である。
全然、わかってないではないか!
「あ、あの、話が伝わっていませんね?」
『いや、サリーナの話はわかったよ。要は、時間の感覚が違うってことでしょ?』
「そんな話でした!?」
ぽかりと口を開けるサリーナだが、ルシオは平然としている。
慌てるサリーナとは対照的に『えー、だって』と、続ける。
『サリーナが恥ずかしかろうと、俺には関係ないよね』
「んん!?」
まさか『関係ない』と言われるとは思っておらず、叫んでしまった。
いつものルシオからは口に出そうにない言葉に、呆然である。
『だってこれ、俺のワガママだし』
「わが、まま」
『ワガママ言っていいって、サリーナが自分で言ったんでしょ?』
「え」
『違った?』
「違、い、ません」
違わない。
ルシオにワガママを言って欲しいし、できることなら叶えないと思う。
それなのに矛盾した気持ちが湧き上がり、サリーナは泣きたくなってきた。
これは、由々しき事態だ。
「恥ずかしくて、気絶しそうです……」
『何それ、可愛すぎるんだけど』
ぷは、とルシオが笑い出した。
笑っている場合ではない。
想像しただけで、本当に恥ずかしくて仕方がないのに。
「もう、やめてくださいよ……」
『そう言われても。俺は恥ずかしがってるサリーナも、可愛いと思うけどなぁ』
「そ、それは、少し、意地が悪いと思います」
『えー、そう?』
「恥ずかしがっているところなど、一般的には、可愛くはないですからね!」
『あ、わかってないね。違うよ』
楽しそうなルシオの声が、すとん、と落ちる。
囁くような、吐息が混ざった甘さの残る声。
『これはねぇ』
通信機越しに、ルシオの瞳が柔らかくなったのがわかる。
思わず魔法石に、顔を近づけた。
『惚れた弱みってヤツですよ』
ぶわ、と背中が粟立った。
一瞬ペンダントが手から滑り落ちそうになる。
『だから、諦めてね』
結んだ口から悲鳴が出そうになるのは、何とか堪えた。
真っ赤になっているサリーナの状況なんて、お見通しなのだろう。
思わず、サリーナは口を尖らせる。
もう、もう。
言葉も何もかもが持っていかれて、残った言葉は一つしかない。
「ズルイですよぅ」
精一杯の反論に、通信機の向こう側で楽しそうな笑い声が聞こえた。




