サリーナ、ワガママになって甘えてみて 中編
ワガママを言って、甘えてみて。
そうやって、明らかにサリーナが言葉にしたのは、初めてだ。
『何だろうねぇ』
魔法石の向こう側で、ルシオが喉を震わせて笑っている。
もっと笑いたいのに堪えたような、少し高い声が聞こえる。
『顔が見えないのに、サリーナが近い気がする』
近い、だろうか。
顔が見えないということは、物理的な距離は空いている。
今、真っ赤に染まるサリーナの頬も何もかも、ルシオには見えていないのだ。
その事実のおかげで、顔を赤くしても心音を大きく鳴らしても、ルシオと向き合っていられる。
目の前にルシオがいたら、恥ずかしすぎて慌てふためいて、まともに考えることもできない気がした。
だからなのかもしれない。
「私は。ルシオ様への気持ちを再認識しました」
とても顔を見て言えないようなことが、自然と口から漏れた。
どれだけ恥ずかしくて情けない格好になったとしても、ルシオからはわからないのだ。
話をするのなら顔を合わせた方がいいと思っていたが、通信機越しの方が言えることもあるのかもしれない。
紫色の魔法石の向こうで『えー?』という平淡な声が響いた。
『何それ、詳しく聞きたいなぁ』
「え、く、詳しく!?」
『どんな気持ちを再認識したの?』
あまりに直球すぎる質問に、サリーナは唇を震わせる。
確かに言い出したのは自分だが、そこまで掘り下げなくても、と目を泳がせる。
「それは、その。ご遠慮、頂きたい、です」
『駄目?』
「駄目……では、ないのですが。あの、えぇと」
サリーナは繰り返しながら、へなへなと項垂れた。
何を言えというのか。
感じたことをそのまま口にできるほど、サリーナは恥を捨てきれない。
通信機を使っているとはいえ、さすがに口にできそうになかった。
恥ずかしさから体が熱いし、心臓はうるさいし、頭もくらくらしている。
ルシオが笑いだした。
『サリーナ、顔、真っ赤でしょ』
「……鏡がないのでわかりません」
『何それ、可愛い』
からかわれているのがわかり「むぅ」と口を尖らせる。
恥ずかしくて仕方がないのに、ルシオのことが好きだと思ってしまう自分は、おそらく空気に呑まれている。
サリーナが何も答えないのに、ルシオは一人で笑っている。
楽しそうな声を聞いていると、思わずサリーナも口角もあがってしまう。
やっぱり「可愛い」と言われると、目の前にルシオがいなくても嬉しいし恥ずかしい。
「ルシオ様、からかわないでください」
『だって、本当に可愛いって思ったからねぇ。しょうがないよ』
「かっ、可愛くないですから」
『俺がどう思うかは、俺の勝手です。否定するのは、よくないと思います』
「え、あ」
一瞬にして低くなったルシオの声に、機嫌を損ねたかと動きを止めると、吹き出す音が聞こえた。
『やっぱり、可愛いよ』
「ルシオ様!」
距離は遠いのに、ルシオの言葉の一つ一つが響く。
ルシオの言う通りかもしれない。
実質的なものではなく、心が近い気がする。
「やっぱり、からかってますよね?」
『からかってないよ、本気だよ』
「んぅ」
堪えた何かが、変な音となった。
楽しそうな声なのに、ルシオの瞳が真っすぐに向いているのが想像できた。
通信機越しに、ルシオが息の根を止めようとしている気がする。
項垂れているサリーナの耳に、ルシオが小さく笑うのが聞こえた。
『最近、直接会うことが多かったけど。通信機もいいかもね』
「時々で! 時々でお願いします」
強調したのは、これが頻繁だったらサリーナの気持ちがもたない気がしたからだ。
毎回こんなに言葉が漏れ出ていたら、恥ずかしすぎる。
見えていないという問題ではない。
『えー? 俺はもっと活用していきたいなぁ』
「ルシオ様、おもしろがってますよね?」
『まさか』
わざとらしく驚くような声。
一瞬止まったルシオは、少しだけトーンを下げる。
『顔が見えない方が、サリーナのガードが緩むなと思っただけだよ』
「……ガード、ですか?」
『だって、サリーナが初めて会いたいって言ってくれたし』
「そ、れは。今日、偶然です」
『そうなの? じゃあ、今日だけってこと?』
「そうです!」
『じゃあ、本当に今日だけなのかどうか、検証しないとね。俺、ここ二週間ぐらい忙しくなるし』
「え?」
『会えなくても、これなら話ができるでしょ?』
笑いながらさらりと言われた言葉に、サリーナはがばりと体を起こした。
今、聞き逃せない発言があった。
「ルシオ様。お忙しくなるんですか?」
『実際には、あと十日間ぐらいだけどね』
どくん、と別の意味で心臓がなった。
元々感じていた違和感を思い出す。
ルシオが何も言わないということは、そういうことなのだろう。
だけど、加速しているルシオの今の状況がわからないサリーナは、不安になる。
「ルシオ様」
『ん?』
サリーナは、手で触れていた毛布を握りしめた。
ルシオが言わないことを、無理に聞こうとは思っていない。
その気持ちは、今でも変わらない。
本気でルシオが隠してしまえば、サリーナにはわからないと思う。
ただ、こうやって少しとはいえ話を漏らしてくれる限りは、サリーナにも余地があるのだと信じたい。
そばにいる。
ルシオのそばにいたい。
「何かあれば、おっしゃってくださいね」
聞き出そうとは思っていないけれど、話を聞きたいとは思っている。
何かできることがあれば、嬉しい。
いつもの癖で、胸元を握りしめた。
ネックレスはないけれど、それだけで安心する気がした。
くす、と小さな音が聞こえた。
「ルシオ様?」
『サリーナ、父さんと話したでしょ』
「ぅえ!?」
思ってもいなかったところから、攻撃が飛んできた。
震える口元を片手で被ったサリーナは、目の前にルシオがいなくて良かったと瞬く。
対面では、とても誤魔化せる自信がない。
とりあえず、白を切ってみる。
「何の、ことでしょうか」
『隠さなくていいよ、父さんから聞いてる』
「え、と」
本当、だろうか。
素直に肯定できないのは、ルシオが鎌をかけている可能性もあるからだ。
父親と話をしたことは、ルシオには言わないと約束しているので、慎重になってしまう。
ここで頷いてしまったら、父親にも迷惑がかかってしまうかもしれない。
それは、申し訳ない。
と同時に、ルシオに嘘をつくのも嫌だった。
人生をやり直しまくっていることを黙っている身としては、ルシオの前では出来る限り正直でありたい。
だからこそ、ルシオがサリーナにきいてきたことには、正面から向き合うようにしている。
サリーナが言いよどんでいることなどわかっているルシオは、口を開く。
『本当に大丈夫だから。父さんとは話済みだよ』
「そう、でしたか」
そういえば、ルシオの父親も「こちらでも引っ張りますので」と言っていた気がする。
ルシオがはっきり言い切るということは、きっとうまくいったのだろう。
さすが、ルシオの父親だなと思ってしまう。
何もできていない自分とは、大違いだ。
ただ、一体どこまで話が伝わっているのかはわからない。
少なくとも、父親からの助言のことだけは黙っておかねば。
『サリーナに迷惑かけたよね、ごめん』
「迷惑だなんて、そんな!」
『本当に、ごめんね』
「い、いえ! 私は何もできませんでしたし」
『そんなことないでしょ……』
何となくルシオの声が、遠くなった。
表情が見えない分、声音から焦ってしまう。
「私は、何もしていませんよ」
『えー?』
「気にしていませんからね、本当ですよ」
『いやもう。どうしてそういう認識なんだろうね』
どうして、と言われても。
特に何か迷惑をかけられたとは思っていないので、仕方がない。
乾いた笑いと共に告げられた言葉に、サリーナの方が慌ててきた。
信じてもらえていない気がする。
むしろ、ルシオが突っ走った原因がサリーナであることに、申し訳なさを覚えているほどだというのに。
何かできることがあれば良かったけれど、結局サリーナは何もできなかった。
「ルシオ様、どうか、謝らないでくださいね」
『……何で?』
「何でと申されましても。謝って頂くようなことは、ありませんから」
魔法石に向かって言い切るサリーナの声を聞きながら、ルシオは遠くを見つめていた。
サリーナのが、本気でそう思っていることはわかっている。
父親がわざとサリーナを巻き込んだことは知らないにしても、本当に気にしていないらしい。
だが、ルシオからすれば話は別だ。
父親に煽られたサリーナが、結局ルシオに何をされたのか、忘れたわけではないだろう。
ぼろぼろと涙を零した元凶を、サリーナは気にも留めていないのか。
ルシオはそっと息を漏らす。
温かい。
甘くて、痺れてしまう。
『そっかぁ』
そうやって、サリーナはルシオを甘やかす。
なかったことにはできないはずなのに、何事もなかったかのように、ルシオを赦してしまうのだ。
この甘さの元を、どうしてくれようか。
『サリーナ』
「何でしょうか」
『……ありがと』
「え、あ、はい!」
小さな声に、嬉しそうな元気な声が帰ってきた。
にこにことしているサリーナの顔が浮かび、ルシオは苦笑した。
離れていて、良かったかも。
これを目の前でやられたら、やっぱりいろいろと危ない気がする。
サリーナは、危機感については頭でわかってはいるようだが、理解はしていないだろう。
にこにことした笑顔で、ルシオの地雷を踏み抜くだろうことは予想ができる。
そうなってくると、結局はルシオの役にたちそうにない理性しか頼れない。
早く、どうにかしなきゃなぁ。
サリーナが見ていないのをいいことに、雰囲気を隠そうとしないルシオは薄く笑う。
何が湧きだしても浮いたとしても、声音だけではサリーナにはわからない。
こちらの考えなど、声には乗せない。
それぐらいのことは、動作もないことである。
「ルシオ様」
そんなルシオの様子に全く気付くこともなく、サリーナの方はほこほこと温かい気持ちになっていた。
ルシオの状況がわからなくて不安になっていたが、ルシオの父親まで出てきたということは、突っ走っていたルシオにブレーキがかかったということだろう。
それなら、良かった。
ネックレスを両手で包んで、大切に持ち上げる。
「どうか、ご無理をなさらないでくださいね」
ルシオが、はっきりと十日間と言った。
魔法薬も魔道具も使うルシオが、忙しくなると、サリーナに言ったのだ。
これまでルシオが、そんなことを口にしたことはない。
わざわざ口にしなければならないほど、何かあるのだろう。
『うん、大丈夫』
「それから、えぇと。あの、先ほどの言葉を訂正します」
『訂正?』
「はい」
忙しいルシオの足を、引っ張りたくはない。
ルシオはサリーナの気持ちを一つ一つ汲もうとしてくれるので、先に言っておかなくては。
「お会いしたい、のは、本当、です」
『うん』
「お顔が見られないことを、寂しいとも、思いました、けれど」
サリーナは、口を開きながら、自分の顔が赤くなっていくのがわかった。
何だか、凄いことを言っている気がする。
恥ずかしくてたまらない。
体温がみるみるとあがっていくのを自覚しつつも、サリーナは言葉を止めない。
ルシオから見えていないのだから、自分が今どうなっているかなんて、今更気にすることはない。
表情が見えない分、最後まで言い切ってしまいたい。
「通信機越しでも、お話してくださると嬉しいです」
『それ、って』
「お顔が見えなくても、大丈夫ですから」
大丈夫。
直接会わなくても、大丈夫。
「お声だけでも。確かに、ルシオ様を近くに感じますから」
会いたいと思うけれど、同時に真っ赤な今の顔を見られたくないとも思う。
会えないからといって、気持ちが離れるわけではない。
サリーナは変わらず、ルシオが好きだ。
「まずは、ご自身のことを優先させてくださいね」
わかってほしくて、ゆっくりと告げる。
しっかりと言っておかなければ、ルシオは忙しい時間の隙間を縫って、サリーナとの時間を作ろうとする気がする。
先ほど「寂しい」「会いたい」と言ったサリーナの言葉を、ルシオがそのままにしておくとは思えない。
だからこそ、ここで釘を刺しておかなくては。
「それで、その。落ち着かれた後で、かまいません、ので。お会いできたらと、思います」
言い切ったと、サリーナはきゅっと口を結ぶ。
うるさい心音を押さえつけて、ゆるゆると息を吐く。
きっと、離れているからこそわかることもある。
だから大丈夫。
次に会ったときに、手をつなげばいい。
抱きしめて欲しいと思うし、サリーナも同じように気持ちを返せたらいい。
無理だけはしないでほしいと、それだけを願った。




