ルチア、説明する 後編
ルチアは、失態を犯した。
自分の手の中で収まるレベルならば良かったが、今回に限っては漏れた。
隙を見せたのは自分のせいだとわかっているからこそ、父親の行動が解せない。
「どうして、何も言わずに手を貸すんだよ」
「何だよ、おかしいか?」
「何も課してないのも含めて、おかしすぎるだろ」
「わぁ。お前の中の俺のイメージ、どうなってんの」
瞬いた父親が、乾いた笑いを漏らした。
そんな様子の父親を見ても、ルチアとしては、素直に「お願いします」とは頼れそうにない。
黙っていてくれるならば、本当はそのまま流してしまいたい。
だが、ここで問い詰めておかなければ、いつか手酷く反撃をくらう。
一人で勝手をした挙句、最終的には商会を巻き込むことになったのだ。
それにも関わらず、父親が何も言わないのは違和感しかない。
情報は渡したがそれだけで、手数料を要求してこないのも意味がわからない。
独断への反省として、何かしら課せられると思っていたルチアからすれば、裏を疑うのは当然のことだった。
「俺、これでも父親のはずなんだけど。息子からの信用、なさすぎない?」
「これは、親子の話じゃないだろ」
「へぇ、よくわかってるな」
父親は肩を竦めて、ソファにどっかりと座り直した。
四人の子どもがいる中で、後継ぎであるルチアとの関係は、特に難しい。
親子であり、同性であり、商人としてのプライドが、複雑にさせてしまう。
父親は口元に手を当てた。
「んー。細かく説明する気はないが、とにかく。変に、何かを要求するつもりはないぞ」
「借りを作る気はないんだけど」
「そんなギリギリの状態で何言ってんだ、お前。これはな、先行投資ってヤツだよ」
やっぱり、とルチアは苦々しく拳を握る。
何が「要求するつもりはない」だ。
王女への陶酔した相手を正気に戻せるのなら、いくらでも活用法方はある。
発案はルチアだが、その後は父親に流れていくだろう。
もやもやと考えるルチアの様子を見ていた父親が、ため息をついた。
「お前、何か勘違いしてるだろ」
「してない」
「してるだろ。俺は、何かを要求するつもりはないって言ったぞ。この件は商会として引き受けるが、すべての成果はお前にやるよ」
「……え」
今度はルチアの口から、擦れた呟きが漏れた。
目を見開いたルチアは、困惑したように「じゃあ」と声を出す。
「先行投資って、何に対してだよ」
「そりゃあ、人材の育成に決まってる。存分に金をかけてやるから、しっかりと返せよ」
くるりと返した右手を向けられ、ルチアは息を飲んだ。
途端に、顔を顰める。
父親はにやにやと笑いながら、それを眺めた。
この経験は、必ずルチアにとって利点になる。
これからのルチア人生に、必ず生きる。
ルチアは元々、淡泊な人間だった。
それは父親の目から見ても明らかで、ある意味ルチアの強みの一つだった。
コンラード商会は、表は小さく見えるかもしれないが、裏事情は広くて深い。
法のギリギリどころか、グレーの部分まで攻めるようなことは多々あるし、やってきた。
だからこそ、ルチアの容赦のなさと、すっぱりと切ってしまえる冷静さは、後継ぎとしては有利に働く。
ところが、サリーナだけはその枠の外にいる。
物事にもお金にも人にさえ執着がなく、異性にもたいした興味がなかったルチアが、唯一理屈を飛び越えて動く相手だ。
それはルチアにとって初めてのことで、感情も感覚も何もかもが手に余るだろう。
ルチアにとっては、苦しいはずだ。
だからこそ、ここをどうにか越えてもらわなければ、先はない。
いつまでも、突っ走って振り回されてもらっていては、困るのだ。
経験を積み重ねることが、ルチアだけではなく商会の安定につながる。
ついでに言えば、どうせここで止めたところで、ルチアは勝手にするだろう。
魔道具を使わなければいいという問題でもなく、手を出している内容が危ないので、父親の監視下にある方がまだ安心だ。
「期待してるぞ、ルチア」
「……うるさい」
言いたいことと思いを押さえつけたような、低い声だ。
父親に転がされて、さぞ悔しい思いをしているだろうが、それもまたルチアにとってプラスになると信じている。
笑いを堪えていた父親は「あと、アレか」と両手を合わせた。
半眼のルチアに目を向ける。
「お前、今日から二週間、魔法薬禁止な。魔道具の使用も認めない」
あっさりと言われた言葉に、ルチアはぎょっとした。
魔法薬を禁止ということは回復薬も使えないし、魔道具も使えないと言うことは通常の時間でしか動けない。
反論したいのに口を開かなかったのは、父親の口調が有無を言わせないものだったからだ。
父親は「そんな顔しても、駄目だぞ」ときっぱりと言う。
「自分の限界をわかってないだろ、お前。薬に頼りすぎなんだよ」
「仕事量、わかって言ってるんだよね」
「勝手してるお前の仕事総量なんか、知るわけないだろ。大分こっちで持つんだ、後は自分で何とかしろ」
父親はすぱっと切り捨てた。
王女殿下関係のことを引き受けたとしても、ルチアが相当忙しいことは知っている。
空いた時間で休もうとせず、別のことに手を出そうとすることもわかったうえでの、無視である。
直接聞いていないので、父親としては何も知らぬ存ぜずで押し通す。
禁止期間は二週間、譲るつもりはない。
「お前ね。さっきの説明の中で、大切なことが抜けてたぞ」
「な、に」
「どれだけ魔法薬で体の疲れを取って、時間を引き延ばしたところで、精神に余裕がないと思考力は低下する。わかってるだろ」
ルチアは詰まる。
考えたことをは伝えた以上、父親の言っていることに反論できない。
「王女殿下のことだけどな。俺だったら、違うところから手を付ける」
「何だよ、それ」
「気づいてないってことは、鈍ってるんだよ」
父親は大きく息を吐く。
「お前、今、余裕がないだろ。見直せ」
短くもないこの期間、ルチアは自分の貧弱な体力と仕事量を計算して、動かなくてはならない。
そうして、自身を顧みたらいいのだ。
大切な物を取りこぼす前に。
「いいか、ルチア。頭を回転させろ。出し抜け」
父親は笑顔を消して、静かに言った。
ひゅ、と息を吸い込んだルチアの瞳をひたりと見据え、口を開く。
「サリーナ嬢の存在を強みできなければ、この先いつか破綻するぞ」
「……経験談かよ」
絞り出われたルチアの言葉に、父親は思わず瞬いた。
少しだけ言葉を切って、考える。
こちらを見たまま黙っているルチアに、そっと笑う。
「そうだよ、ルチア」
正面から答えるとは思っていなかったのだろう。
ルチアの少しだけ驚いた顔を見て、思い出が蘇る。
「そうやって、俺は今、ここにいる」
薄ら寒い父親の笑顔を、ルチアはじっと見つめた。
脳裏に浮かぶのは、いつも笑顔の母親だ。
「……そうですか」
ルチアの力が抜けたのがわかり、父親は目を細めた。
失敗して後悔して、がむしゃらになって、それでも手放せないからと無茶をした。
危ないことも、肝を冷やしたことも数えきれないほどあるけれど、手に入れたものがある。
そうして大切にした結果、目の前にはルチアがいる。
「お前に何かあれば、サリーナ嬢が悲しむぞ」
とりあえず、歯止めになるかと思い名前を出しておく。
ルチアは目を丸くした後、は、と軽く笑った。
悲しむのがサリーナだけだと言ってしまうあたり、父親の気持ちが知れる。
「それを父さんが言うの? サリーナを泣かせたこと、許してないからね」
「うわぁ。お前、まだ言ってるのか。しつこい男は嫌われるぞ」
「その言葉、そっくりそのままお返しします」
「馬鹿だねぇ、そういうのは気づかれないうちにやるんだよ」
「言ってることが、クズすぎるな」
「お前と違って、俺はもう、逃げられる心配ないんで」
にっこりとした笑顔で、恐ろしいことを言いきる父親に、さすがに眉を顰める。
じっとりと視線を向けても、父親は意に介さない。
母親の顔が浮かぶ。
何も知らず、幸せに笑っている姿が簡単に想像できてしまう。
今頃、この男のために料理の腕をふるっていることだろう。
「その本性を隠して、よく結婚できたな」
「褒めていいぞ。結構、苦労したんだからな」
「ろくでもない男に引っかかった母さんに、同情する」
「その言葉、そっくり返すぞ。裏工作、サリーナ嬢は知らないんだろ」
「知らなくてもいいことなんか、どうでもよくない?」
「……お前こそ、どうやって本性隠してるんだよ」
ため息を漏らしながら、父親は「あー、やだやだ」と呟いた。
ルチアが欲しいものは、何も変わらない。
最初からずっと、変わらずにそこにある。
父親は、脇に追いやられていた一枚の紙を手に取った。
「お前、この土地が欲しいって言ってたな」
「そうだよ」
「土地を買うのはいいが、その後は資金が足りないだろ。どうする気だ?」
「……出世払いは?」
「利子付きの借用書ありなら、貸してやろう」
父親の言葉に、ルチアが軽い舌打ちをした。
一応言ってみただけだろうが、根拠もない出世払いなど、受けるわけがない。
親子であろうとも、借金は借金である。
利子はつくし、当然期限も設けるし、返せなければ追徴もありうる。
ルチアはため息をついて、ソファの背もたれにだらりと沈む。
「法外じゃなければ、それで」
面倒そうに言うルチアに、父親は薄く笑う。
土地の購入代は払えるだろうが、そこから活用させようと思ったら資金は足らないだろう。
学生のルチアが一般でお金を借りられるわけもなく、結局は父親の出番だ。
ルチアとしては不服でしかないだろうが、他に手はない。
話は終わりだと、ルチアがお茶のお代わりを注ぐ。
それを眺めながら、父親は考えるように、口元に手をあてた。
「お前さぁ」
父親は、ここに至るまでの話を黙って聞いていたし、納得もしている。
手を出すことに関しては思うことはなく、父親の方の考えも入れて、詰めていくだけだと考えている。
だが、どうしても聞いておきたいことがあった。
ルチアが切り捨てていることを、あえて口にする。
「王女の件、何で最短の道を取らないの?」
「は?」
「魔法石で匂い集めて、いろいろと動くのもいいさ。でも、最善の方法は取ってないだろ?」
「何が……」
意味が解らない様子のルチアは、本気なのか。
父親は、澄んだ紫色の瞳を見つめた。
「サリーナ嬢」
静かな一言に、ぴくりとルチアが反応した。
すっと細くなった瞳を見返して、父親は手を組む。
「彼女を使わない理由は何だ? 俺たちよりも早く、答えに辿り着くかもしれないぞ」
「何も伝えてないのに、無理だろ」
「違うな、お前なら、伝えなくても聞き出せるはずだ。部分的にでも、彼女を使った方が効率はいい」
サリーナの知識や魔法、その幅の全体量を、父親は知らない。
ただ、あれだけ王家のことを知っている彼女であれば、王女殿下のこともよく知っていてもおかしくはないだろう。
例え王女の持つ謎の魅力について何も知らなくても、ルチアや父親が知らないことや、思いもよらない方向からのアイデアを出してくる可能性もある。
それを、ルチアが考えつかないはずがない。
時間も手数もないまま追い詰められて、苦い思いをしている中でも、ルチアはサリーナを遠くにおいたままだ。
「お前、何で避けてるんだ?」
父親の知るサリーナならば、喜んで協力しそうだと思う。
ルチアは、サリーナを囲おうとしている。
そして、その前に自分が立っていることを隠さない。
ネックレスと言う名の首輪をつけて監視し、彼女の耳に入る情報さえも調整している。
それは、プライベートはもちろん、学院の中でも同じだ。
そうやって檻に入れるのかと思いきや、ルチアは茶葉や魔法石のことでサリーナを前面に押し出して、商会の人間だと周囲に認識させている。
二人の仲を見せつけているというよりも、誰にも邪魔をされないようにと牽制している。
今回のことだって、サリーナとルチアの二人の成果を求めてのことだったはずだ。
どのみち、最終的にはサリーナの協力が必要になる。
全体を伝える必要はなくても、ある程度は知っておかなければ動けない。
だったら、今からでもいいはずだ。
父親が見つめる先で、ルチアの口がゆっくりと開く。
「理由を」
低い声だ。
瞬くルチアの瞳から、光が消える。
「言うつもりはない」
背筋がすっと冷え、父親は目を見開く。
表情が消えたルチアは、ゾッとするような冷えた瞳で父親を見た。
「使わせる気も、ないよ」
圧があるわけでもないのに、足元から冷たいものがせり上がってくるような気がする。
ルチアの瞳が父親を射貫く。
「それは、誰でも同じことだ」
感情を揺らすことなく告げるルチアの声は、硬い訳でもないのに頷かざるを得ないほどの強さがある。
そろりと息を吐いた父親は、地雷か、と内心嘆いた。
「そうか」
父親は答えて、両手をあげた。
ルチアは、父親に対しても牽制してきている。
これ以上突っ込むと恐ろしいことになりかねないので、ここは引いておく。
それにしても、と父親はそっとルチアを見た。
何がここまでルチアを頑なにし、彼女を遠ざけるのか。
父親は、サリーナに関しては、何を言ってもルチアが出てくるとわかっているので、特に何かしているわけではない。
直接話をしたことも数えるほどしかないので、わかっていることなど知れている。
日々接しているルチアにしかわからないことが、きっとあるのだろう。
何とも面倒なことだ、の一言で、父親は思考を打ち切った。
そのまま「でも」と、一言付け足しておくことは忘れない。
「お前に隙があれば、俺は使うよ」
ルチアの瞳に鋭さが増した。
無表情だった顔に、うっすらと笑みが浮かぶ。
弧を描いた口が開いた。
「せいぜい、頑張れ」
「お前こそな」
こちらも紫色の瞳を正面から受け止め、挑発するように笑う。
息子のことだ、ここまで言っておけば、当分無茶はしないだろう。
手薄になれば、父親は容赦なくサリーナを利用する。
嫌ならば、ルチアが壁になるしかない。
チリっとした空気が肌を刺す。
絶対に引く気がなさそうなルチアを前に、父親は視線を反らした。
「さて、大筋は見えたな」
切り替えるように、父親は声をあげた。
二人してアレコレ、バチバチとやりあったところで、先はない。
「詳しく話を詰めておこう。認識に違いがあったら面倒だ」
がらりと空気が変わる。
盛大な溜息をついたルチアが、髪をかきあげる。
「詰めるほど、何かあるわけ?」
「お前ね。俺、会頭なの。役職つきなんだけど」
大量の魔法石を受け取りながら、父親は呆れた視線を向ける。
一つ一つを自分の隣におきながら「まぁ、面倒なことも多いけどな」と、顔をあげた。
「何年、会頭をやってると思ってんだ。お前とは、経験も信用度も、人脈も違うんだよ」
「ウザイ」
「誉め言葉だろ、それ」
吹き出すように笑い出した父親は、肩を竦めた。
「大人の出番だよ、こんなものは」
「……何とかなるのかよ」
「さぁな、確約できるものはない。ただ、子供には手が出せないところにも、大人ならいけるってことだ」
ルチアが頼りにしている相手がどれだけいるかは知らないが、その多くは同世代だというのはわかっている。
父親からすれば、あくまで子どもの集団だ。
にやつく父親から視線を外し、ルチアは残っていたお茶を一気に飲み干した。
冷えたお茶が、冷静さを引き戻す。
「……あっそ」
静かに相槌を打つと、父親が「じゃ、まず」と、話し始めた。
次々と進む話に区切りをつけて、細かく落とし込んでいく。
ルチアが私用にと言った土地の話も含めて、父親はしっかりと話を理解している。
そして、先ほど言っていた、ルチアの気付いていない方向性にも触れる。
父親の手を借りるのは、癪でしかない。
ただ、恐ろしいほどに魅力的なことだった。