ルシオ、うだうだする
支店にある自室に戻ってきたルシオは、ぐらりと揺れた視界に思わず目を閉じた。
ゆっくりと目を開けて、深く呼吸をする。
「……疲れた」
近くにあったベッドに倒れこむ。
ごろりと姿勢を変えて天井を見つめた。
父親のこと、サリーナのこと。
第一王子のこと、フェアスーン王女とザイードのこと。
考え出すと止まらなくなるので、無理やり目を閉じた。
目の奥が痺れたように痛い。
父親が関わると言った以上、何らかの動きがあるだろう。
大変に腹のたつことだが、その辺りに関しては信用している。
頭の中で、父親とのやりとりが浮かんでは消える。
せり上がってくるものを無理やり飲み込んだ。
ぎゅ、と目元に力を入れる。
迷惑をかけたこと、心配をかけたこと、手を貸してくれることに関して、謝罪と感謝の気持ちはあるのに、それはどうしても言葉にならなかった。
こういうところが、子どもなのだろう。
ルシオは、のろのろと目を開ける。
「くそ……」
嘆いた言葉には、力がない。
自分の考えが浅く、子どもだと思い知らされ、腹の底からふつふつと湧き上がってくるのもがある。
憤激と悔恨、自責の念すべてが、自分に向かって襲い掛かってくる。
体を起こすと、ふらついた。
魔法薬を飲めば一気に回復するのにと、苦々しい気持ちが止まらない。
体力を回復させる魔法薬は、口直しのように、がぶがぶと飲んでいた。
元々体力がある方ではないルシオが、あれこれこなせるようにと飲みだしたのが始まりだ。
それが、いつの間にか平常使いとなってしまっていたのは認める。
当たり前になってしまっていただけに、ついつい手が伸びる。
今更、禁止となるとやっかいだ。
自分の今の体力の限界を、ルシオは知らない。
今日だけでも、すでにこの有様だ。
このままでは、無理をすればすぐに倒れてしまうだろう。
魔法薬を飲む前は体力をつけるために走っていたのだが、今はそれすらしていない。
何かあったときのために鍛えてはいるし、ストレッチも続けているけれど、同世代の男子に比べると体力はない。
それは、どうあがいても覆せない事実だ。
「面倒だな」
無理ができないとなると、早めに動かないといけない。
いくつも案を考えて動くルシオにとって、体力と時間に制約がかかることは、目的に順位をつけて後に回していくことと同意だ。
後に回してしまえば、その分取り掛かりが遅くなる。
その間にも、処理すべきことは増える。
とにかく、考える時間が足りない。
ゆっくりとベッドから降りたルシオは、重たい体を引きずり、お湯を沸かす。
とりあえず今できることは、サリーナからもらったお茶を飲むことぐらいか。
「何、してるんだろ」
ぽつりと呟きが漏れた。
執務机に手をかけ、椅子を引っ張り出す。
どさりと腰を下ろしながら、自分の右手を見つめた。
無意識に、サリーナが小さくひっかいた傷を撫でる。
会いたい。
昨日、自分が何をやらかしたのかわかっている。
思い出すと苦しくなるのに、それでも会いたいと思ってしまう。
触れることが癒しになると、サリーナは言った。
ルシオよりも暖かくて柔らかくて、優しい手。
その手だけで満足できなくなる日が、すぐそこまで来ているのがわかる。
ぞくりと背中に走ったものは、よく知っている。
浅くなる呼吸を押さえる方法も、同じだ。
媚薬を飲んだ日を辿るように、体を丸めた。
呼吸を整えたルシオは、ぎゅっと手を握りしめる。
余計なことまで蘇りそうな思考を、力で振り切る。
立ち上がって、お茶を淹れた。
引き出しからナッツを取り出して、ぼりぼりとかじる。
足で椅子を回転させて向きを変え、乱暴に座る。
一口お茶を飲んで顔をあげると、奥の通信機が目に入る。
自然と視線が尖る。
落ち着けと、染み渡らせるようにお茶をゆっくりと飲む。
ゆっくりと息を吐きながら、椅子にもたれかかった。
「サリーナが甘えてくれたら、早いんだけどなぁ」
そこだけは、父親の言葉に同意だった。
サリーナを送って帰宅してから知った、父親とサリーナの接触。
父親が思いっきりサリーナを焚きつけたのは、ルシオに対する嫌がらせでしかない。
父親の言葉を素直に受け取ったサリーナが、結果として何をして、どうなったのかを父親は知らない。
ルシオがやらかしたことは、とても口にできない。
お茶を飲んでいるうちに、頭がスッキリしてくる気がした。
サリーナが、ルシオのためにと時間をかけて選んでくれた茶葉だ。
カップを両手で包みこみながら、ルシオはずるずると椅子に沈んだ。
二人で一緒に出かけたところで、目的地を決めるのはルシオであり、サリーナではない。
それも商会がらみの場所が多く、思えばここ最近、気兼ねなく出かけたことなどない。
ルシオと出会う前のサリーナは、親友という令嬢とカフェに行くことも多かったようだが、現在社交界へ向けてカフェ巡りはお預け状態だ。
二人で学園の裏庭で話をしていた頃が、随分と昔のことに感じる。
貴族の御令嬢が地面に腰を下ろすことも厭わずに、枯葉を集めて笑っていた姿が蘇る。
懐かしい気さえしてきた。
頭に葉をつけたサリーナに触れたとき、自分は何を考えていたのだろう。
「……何が、甘やかせだ」
自然と声が低くなった。
父親の言葉の続きを思い出し、笑いたくなる。
「もう。今でも十分に、甘やかされてるよ」
くるりとカップを回して、沸き立つ香りを吸い込んだ。
わかっていないのはサリーナで、予想をしているのは父親かだろう。
枯葉を頭につけたサリーナ。
言い訳に便乗して抱きしめても、ルシオの言葉を素直に受け止め信じ、サリーナは顔を真っ赤にしたまま、そばにいてくれた。
あの頃からずっと、サリーナはルシオに甘い。
本当に恐ろしいほどに甘くて、ルシオはいつもそこに付け込んでしまう。
本人は無意識だろうけれど、ルシオは甘やかされていると常々感じている。
ルシオがサリーナを押し倒したすぐ後でさえ、サリーナはルシオのそばにいる。
激怒することもなく罵倒することもなく、怯えることも恐れることもない。
罪悪感と嫌悪感で死にそうになっているルシオを前に、「悪いのは自分だ」と本気で言うのだ。
押し倒されてもポロポロと涙を流して引きつっても、サリーナの首にかかったネックレスは何の反応もしなかった。
その事実がルシオをどん底に落とし、同時に痺れるような甘さに浸す。
その甘さが心地よすぎて思わず手を伸ばしても、躊躇なく手を握り返してくれる。
変わらず笑って、そばにいてくれる。
離れることなく、ルシオのそばで手をつないでくれるのだ。
さすがのルシオでも、直後に触れるのは戸惑った。
そんな気持ちを飛び越えて、サリーナは近づいてきてしまう。
まるで何もなかったかのように力を抜くので、結局ルシオはその温もりにしがみついた。
あのときサリーナが受け入れてくれたからこそ、ルシオは躊躇なくサリーナを抱きしめることができた。
そうやって、サリーナはルシオを赦してしまう。
ルシオの身勝手さが引き起こしたことを「自分が悪い」と、はっきりと言いきってしまう。
気にすることなく、本気で。
ルシオは目を伏せた。
父親の言葉が蘇る。
「彼女を使わない理由は何だ?」
当然の質問だろう。
ルシオだって、サリーナに協力してもらうことを考えなかったわけではない。
それほどサリーナの持つ情報は、広くて深い。
全てを伝えなくても、必要なことは聞き出してしまえばいい。
否、サリーナ自身が、すでに王女殿下の秘密について知っている可能性すらある。
時間がないと嘆く中、サリーナを頼ることは当たり前だろう。
本来なら、迷うことなくそうしたはずだ。
しかし、ルシオは線を引いた。
この件は、ルシオだけではなくサリーナの成果にもしなければならない。
世間にそう見せかけるためにも、いつかはサリーナに協力してもらう必要がある。
だが、それは今ではない。
そのたった一言で、ルシオはサリーナとの間に壁を作った。
茶葉と魔法石に関してサリーナを表に出しているのは、言い出したのが彼女の方からだったからだ。
元侯爵家の弟という店主を見つけたのもサリーナで、茶葉を調合したのもサリーナ自身だ。
ルシオが何かしたわけでもなく、サリーナ本人がやったことだ。
ただそこに乗っかっただけに過ぎない。
一方で、フェスーン王女殿下については別だ。
サリーナは、ルシオが何をしようとしているのかを知らないので、こちらから話をすることになる。
父親の読み通り、サリーナは気にせずに協力してくれるだろう。
すべてを伝えたとしても、部分的にしか説明しないとしても、同じことだ。
ルシオの質問を嫌がることなく、丁寧に答えてくれる姿は、想像できる。
そうして重ねていって、どうなるのか。
王女殿下の取り巻きたちが正気に戻ったところで、純粋に喜んでいる場合ではない。
その方法を突き止めようとする者は、確実に現れるだろう。
もちろん、王家も含まれる話だ。
うまくいけば、魔法石を使わなくても、強力な心棒者を作ることができる方法である。
そんな魅力的な術を、王家が見逃すはずがない。
第一王子と情報提供の契約を結んでいるルシオにとっても、全く無関係とはいえなくなってくる。
サリーナを巻き込まないといけないのは、わかっている。
しかし、伝えるタイミングと内容は、ルシオの判断で決めたい。
「……そうじゃ、ないと」
サリーナは、決して何もわからない令嬢ではない。
ルシオが言わないから何も聞かないだけで、情報さえ集めてしまえば組み立てることができる。
ただ今は、責めることなく、信頼という大きな言葉で受け入れてくれているだけだ。
彼女の行為に甘えているに過ぎない。
最終目的まではわからないにしても、少ない情報の中から、ルシオが何をしようとしているのかまで、辿り着くかもしれない。
そんな状態になったとしても、サリーナはルシオを赦してしまう気がした。
文句の一つや二つ、口にして、怒って、心配してくれて。
案外涙もろいので、泣いてしまうかもしれない。
それでもルシオのそばにいて、笑って、受け入れて。
温かく甘やかして、すべてを赦してしまう。
あれは。
あの、考え方は。
ルシオは、サリーナの首から見えるネックレスを思い出す。
サリーナが動くたびにちらりと見える、首にかけたネックレスのチェーン。
それだけでは、足りないのならば。
「枷を。かけなきゃ駄目かな」
ぼそりと、感情のない声が漏れた。
自分の思考がどれほど酷いものなのか自覚がある分、笑ってしまう。
バレないように。
決して、気づかれないように。
つけて、縛ってしまおうか。
つけられたことすら気づかない方法なんて、いくらでもある。
どろりとした感情が腹部から沸いて出るのを、ルシオは止めなかった。
静かな呼吸と共に全身を包んでいく感情に、身を任せる。
サリーナは魔法を使うとき、ゆるりと指を振る。
魔法を紡ぐ、右手の人差し指。
その指から、するりと手を伸ばす。
押さえつけた手首は、細かった。
あそこさえ押さえてしまえば。
握りこめれば、閉じ込めることができるのだろうか。
「それも、いいかもね」
言葉にすれば、それがとんでもなく魅力的なことのように感じた。
湧き上がるどす黒い感情と、欲望のまま膨らむ想像は、どこまでも包み込むように広がっていく。
「……最悪だ」
深い暗闇まで落ちたところで、ルシオは大きく息を吐いた。
疲れているせいか、思考がおかしな方向へと向かっている。
一気にお茶を飲み切って、机の上におく。
机に項垂れたルシオは、指先で空になったカップをつついた。
かつん、と音がする。
「どろどろになればいいのに」
小さな声に隠れた思いが、瞳に乗った。
ワガママを言ってほしい。
甘えてほしい。
そうして溺愛してしまえるのなら、どれほどいいか。
ルシオの目すらかいくぐった知識と魔力を持っているところに興味を持ったけれど、それが今、邪魔でもある。
あの瞳が、ルシオしか写さなければいいのに。
柔らかく大切に包んで、とろけるような甘さで浸してしまって。
そうして溶けてしまえば、どれだけ幸せだろう。
「なんて、無理か」
父親の言葉を受けても、サリーナはルシオに「甘えたい」とは言わなかった。
手をつなごうとしたのだって、結局はルシオのためだった。
出会って間もない、学院の裏庭で話をしていた頃とは、全く違う自分がいる。
あのときはサリーナに触れるだけでも良かったと思えていたのに、今ではとても足りない。
欲張りになって、怖くなって、強情になった。
「疲れてるなー」
どんどんと沈んでいく思考が、あまりに貪欲で際限がなさすぎるので、ルシオは声をあげて体を起こした。
これは、大変よろしくない。
学院の課題も時間があるし、今日中にやらないといけないことはない。
手を伸ばしてナッツを一気に手にしたルシオは、口に入れながら立ち上がる。
こういうときは、さっさと寝るに限る。
とりあえず、明日もう一度考えようと、ルシオは大きく背伸びをした。




