ルシオ、動く
椅子に座っていたルシオは、机に肘をついたまま、もう一方の人差し指で魔法石を転がした。
小さなクズ石はころころと転がり、別の石へぶつかって止まる。
「……駄目か」
広い机の上には、大量のクズ石がこんもりと積まれている。
空いたスペースには、大量の書類が散らばっており、雑多だ。
「やっぱり、難しいなぁ」
嘆きながら、遠くにおいてあるカップを手に取る。
冷えたお茶を一気に飲んだ。
サリーナがプレゼントとしてくれた、疲れたときに飲む用の茶葉で入れたお茶である。
空になったカップを手前において、机の上に頭を乗せた。
視線はカップに向ける。
「サリーナ、大丈夫かな」
口から出た言葉が他人事のように聞こえて、ぐっと手に力がこもる。
思い出したくないけれど、そういうわけにもいかない。
「あー、ホント」
自己嫌悪とはこのことか。
加えて罪悪感が襲い、項垂れる。
今日は植物園に行く予定だっただけなのに。
すべてが狂ったと思いながら、目を開ける。
ルシオにとって誰よりも大切な婚約者であるはずのサリーナを、自分で傷つけた。
押さえつけて、くしゃくしゃになるまで泣かせた。
目を真っ赤にさせて震えるサリーナを思い出すだけで、吐き気がする。
一緒に蘇るのは、押し倒したときに抑えた腕の細さと、ただ驚きでいっぱいだった大きな瞳だ。
髪が解けるように広がり、ベッドの軋む音にすら息を飲んだ。
マズイと思っても、サリーナは柔らかくて温かくて、恐ろしいほど甘かった。
あそこで止まれたのは、サリーナが決して口元から手を離さなかったことと、暴れなかったからに過ぎない。
ルシオの理性が働いたわけでもなく、守ったわけではない。
サリーナ自身が自分を守り、そのおかげで、ルシオの方まで助かっただけだ。
ゆらりと体を起こしたルシオは、右手を見つめた。
あのときサリーナがぎゅうぎゅうと握りしめた指は、根元に少しだけ傷が出来た。
恐ろしかっただろうに、あの状況ですがったものが自分右手なのかと思うと、より苦しくなる。
ルシオは机の上におかれてある、平らな魔法石を見つめた。
サリーナは帰宅する頃には落ち着きを取り戻し、手渡したタオルを絶対に持ち帰ると譲らなかった。
相変わらずベッドの上に座って「洗ってお返ししますから」と言うサリーナに、ルシオは言葉をかけられなかった
サリーナの邸宅までは馬車を使うような距離でもないので徒歩になったが、ルシオが「手、繋ぐ?」と聞けば、嬉しそうに手を出してきた。
負い目があることをバレたくなくて、震えないように強がって手を出しても、サリーナの小さくて暖かい手がすべてを飲み込んでしまう。
ルシオは、苦しくなって力いっぱい目を閉じた。
あがる呼吸を整えて、目を開ける。
そのまま、机の奥におかれた通信機を睨みつけた。
サリーナを邸宅まで送り届け、自己嫌悪に陥っていたルシオは、小さく反応する魔法石に目を剥いた。
いくら私室だからとはいえ、サリーナを一人にするわけがない。
ルシオは何かあったようにと、監視用に魔法石をおいていたのだ。
嫌な予感の通り、そこに映し出されたものは、ルシオをさらに底へと突き落とした。
それからずっと、ルシオはぐだぐだとしている。
こうなってしまった原因の最たるものは、わかっている。
そこに至るまでの経緯が、自分にあるということも。
ぎりぎりと拳を握りしめた。
自分の力が及ばず、考えが甘く、それが結果として今日につながった。
「くそっ……」
舌打ちが漏れた。
情けなくて悔しくて、腹が立つ。
時間が足りない。
人手も、何もかも足りない。
自分の力を過信した。
これ以上は、絶対にサリーナを巻き込むわけにもいかない。
ルシオは肺の中の空気をすべて絞り出すように、息を吐き切った。
これが結果ならば、受け入れないと仕方がない。
わかっていても、苛立ちが募る。
沸き上がった怒りの勢いで、通信機を引き寄せた。
ぐい、と起動させてから、ダイヤルを父親に合わせる。
繋がったことを確認してから、ルシオは短く告げた。
「俺だけど。明日、何時でもいいから、時間取って」
すっかり日が落ちた時間である。
私的な時間だということで録音しかされない向こう側を思い、ルシオは乱暴に通信を落とす。
「予定、変えないとな」
ルシオはため息をつきながら、袋を手に取る。
袋の口を開けて積み上げたクズ石を押し込みながら、散らかった思考をまとめ始めた。
父親からの返信は、早かった。
学院でその知らせを受け取ったルシオは、早々に帰宅する。
とりあえず、サリーナが元気そうなのも確認が取れたので、気持ちを切り替えなくては。
自室に戻ったルシオは私服に着替えて、いろいろと入ったカバンを手にする。
頭上によく知る鳥が飛んでいたので、父親はすでに待っているだろう。
カバンを肩にかけてから、ドアの前に立った。
深呼吸をしてから、ドアノブ引っ張った。
そのまま手首を捻り、カチカチと音がなるのを数え、反対に回す。
何度か繰り返した後、ドアノブ押し込んだ。
「行くか」
小さく呟いて、ドアを開けた。
良く知るレンガ作りの壁と、すっかりと馴染みとなっている煙。
奥のレンガの色が見えないほど煙が立ち込めているので、相当炊いているようだ。
「タイミング、ぴったりだな」
煙をかき分けて進むと、ソファにはすでに父親がいた。
にやりと笑った父親の手には、ティーポットがある。
「見てただろ、わかってるからな」
「お前の帰る時間に合わせただけだ、他意はない」
ソファに座ると、父親がお茶をおいた。
どろりとした深緑色の茶と立ち込める匂いに、ルシオは顔を顰める。
「……人に振舞うようなお茶じゃないだろ」
「そう言わず」
肩を竦める父親を無視して、ルシオはカップを脇へと追いやった。
動かしただけで、残り香が凄い。
「これ、まっずいねぇ。売れないわけだ」
一方で飲んだ父親は、顔を歪めながら笑っている。
何で今、このお茶を持ってきたのか、その辺りから問い詰めた方がいいかもしれない。
予想外の始まりに、ルシオは舌打ちしそうになる。
このお茶は、隣国で栽培されている薬草から作られた薬草茶だ。
フェアスーン王女がサリーナを通じて、コンラード商会から売り出そうとした茶葉である。
「どれだけ体に良くても、これじゃあねぇ。後味も凄いな、うわ、苦っ!」
慌てて水を飲んでいる父親を見る、ルシオの目は冷ややかだ。
こうやって、こちらの出鼻を挫くやり方は相変わらずのようだ。
この茶葉こそ、昨日ルシオが緊急と呼びだされた原因である。
いきなり王女殿下と取り巻きがやってきて、支店は大混乱に陥った。
これまでは約束を取り付けた上で、王宮に近い本店での対応しかしたことがなかったので、近所の家からも王女殿下一目見たさに人が溢れる結果となった。
サリーナが気づいていないのは、ルシオの私室に余計な音が入らないようにしているからだ。
思い出すと、うんざりしてくる。
それでも顔をあげた。
「父さん、昨日、支店に来たんだろ」
この茶葉を持っているということは、王女殿下が来訪時にはいたことになる。
さらりと問いかけると、父親が平然と頷く。
「視察に寄っただけだぞ。あの後は不動産屋との約束もあったし、お前は忙しそうにしていたから、声はかけなかったけどな」
「ふーん」
頷きながら、ため息をついた。
部屋中に充満している薬草の匂いに、とにかく思考が散らかる。
くそ、と舌打ちをしてから、端に寄せたカップを手に取った。
この薬草茶の味は知っているので心底飲みたくはないが、父親の様子を見る限りは飲まないと話は進まない。
息を止めてから、一気に喉の奥に流し込む。
舌を抉るような苦みが痛いし、どろりとした喉越しが辛いが、無理やり飲み込んだ。
げほげほと咳き込みつつよろよろとしながら、空になったカップを、机の上に戻す。
「ま、ず」
「水あるぞ」
コップに注がれた水を一瞬にして飲み切ったルシオは、父親を睨みつけた。
息をするだけでも、苦みがせり上がる。
「飲んだよ」
「お前、凄いな。さすがに一気に飲み切るとは思ってなかったぞ……」
表情を引きつらせながらも、父親は空になったものの、どろりとした液体が残るカップを片付け始める。
それを手早くまとめて、白い箱に入れた。
隣におかれていた魔道具を起動させると、一瞬にして匂いが消える。
澄んだ空気を思いっきり吸い込んだルシオは、ソファに背を預ける。
新しくお茶を淹れている、父親を見た。
「不動産屋との話は、うまくいったの?」
「まぁね。決めるのはもう少し先だろうけど」
父親は最近、不動産巡りをしている。
それは、新しい店舗を開こうとしているからだ。
支店から少し離れたところにある、集合住宅地が多いエリアを予定している
父親の台詞からするに、話はまとまりつつある。
だが、決めるのはもう少し先だと言うのなら、こちらの話が先だ。
「だったら」
ルシオはカバンの中から一枚の書類を出した。
向きを変え、父親に出す。
「この場所、俺の私用地にしたい」
「……は?」
受け取った紙を目にした父親が、顔を顰める。
そこには、新しい店舗にと考えていた建物があった。
候補地についてはルシオも調べていることは予想していたので驚きはないが、言っていることは意味不明である。
「お前、何言ってんの」
「私有地にしたいって、言った」
どうやら意味は通じるらしい。
繰り返すルシオは、本気で言っている。
コンラード商会が規模の割に二店舗しか店を構えていないのは、理由がある。
まず、新規出店の条件が、厳しい。
ルシオの父親は、本店はもちろん支店にも、数多くの魔道具を設置している。
打ち合わせや取引が外部に漏れないようにするぐらいであれば、他の商会と変わらない。
だが、ルシオの父親はこれに加えて、目くらまし用の魔道具を備え、音、影の一つ一つに制限をかける。
商会の裏にあたる部屋は、迷路のようにして、簡単にはたどり着けないようにもしてある。
そのために、土地は借地ではなく必ず買い上げて、細かな設計の元で店を建てる。
それは、子飼いである動物たちの通り道を作り、壁や床に色々な物を仕込むためだ。
そうやって自身の要求を重ねていくので、簡単に店舗になりそうな土地が見つからない。
それだけではない。
支店を任せられる人間がいないことも、問題だ。
商会を任せることとなれば、仕込んでいる魔道具のことを含めて裏事情に詳しくなってしまう。
そこまで信頼できる人間は早々いないし、秘密を知る人物は少ない方がいい。
そんな中、時間をかけて見つけた土地を、ルシオが私有地にしたいと言っている。
「何、お前。新しく店でも開く気か?」
「そんなわけないでしょ」
ルシオがすぱんと返してきた。
父親はゆっくりとお茶を飲みながら、味わうように息を吐く。
昨日の今日なので様子を見てみたが、いつも通りならば何よりだ。
カップを机の上においた父親は、ソファに深く腰をかける。
渡された紙を机に投げた。
「お前」
ルシオの表情は動かない。
父親は、馬鹿にしたように口の端をあげた。
「わざわざ人に時間を取らせた挙句、この程度か」
ルシオのために、この時間を取った。
魔道具を使っているので実質的に時間をかけているわけではないが、その魔道具だって本当は高価なものなのだ。
「それだけなら、さっさと帰れ」
鋭く言われ、ルシオは一度黙る。
どこからどう言えば一番話が通るか、それだけだ。
ルシオは答える代わりに、机の上に自分が持ってきた鞄を置いた。
じゃら、という鈍い音は、父親にも聞こえただろう。
「……何だ」
「ちゃんと説明する。全部」
ルシオはじっと父親の顔を見つめた。
ルシオは父親に、何も説明していない。
このことが、すべての始まりだと言える。
ある程度わかっている父親が何も言わないことをいいことに、随分と勝手をした。
手数が増えたからこそ、それができた。
そうやって勝手を繰り返した結果、今に至る。
「説明ねぇ」
父親がパンと手を打った。
嫌味たらしく肩を竦めて、ソファに肘を乗せた。
「報告・連絡・相談は基本だって、あれだけ言っておいたのにねぇ」
暗に出来ていないと示唆され、ルシオはぐっと黙る。
コンラード商会の会頭は父親であり、ルシオはただの学生に過ぎない。
ルシオと父親は、決して対等ではない。
「ホント、今更だよねぇ」
父親の言葉は柔らかいけれど、その瞳は笑っていない。
口元を緩めたまま、ルシオを冷たく見下ろした。
「俺が、いつまでも何もせずに。黙っていると思っていたのか、お前」
思っていたわけではないけれど、甘えていたのは事実だ。
その甘さに乗っていたせいで、サリーナを巻き込んだ。
反論をしないルシオに、父親はため息をつく。
「俺は、使えるモノは使うぞ。サリーナ嬢でも、それは変わらない」
「……知ってる」
相槌を打つルシオの瞳が尖る。
紫色の瞳に怒りが浮かんだのがわかり、父親はふっと笑った。
ルシオは、昨日父親がサリーナと接触したことをわかっている。
それを真正面から指摘しないのは、サリーナを理由にしたくないからだろう。
「それから、一応言っておくけどな。別に俺は、やりたくてやったわけじゃないぞ」
父親は、サリーナに迷惑をかけないように口止めをしたものの、実を言えば、バレることは前提だった。
「原因はルシオ、お前にあるからな」
「わかってる」
「隙を作ったお前のせいだぞ、反省しろ。次は、もう少し責めるからな」
容赦はしない、と荒めの口調で念を押すと、ルシオの瞳が鋭くなった。
力が入ったのがわかる。
「ふざけるなよ」
「ふざけているのは、どっちかな? 俺がもしお前の敵だったら、今頃、彼女はお前のそばにいないよ」
ひやりとした瞳で笑みを浮かべる。
ルシオが唇を噛んで、こちらを睨みつけている。
普段のルシオだったら、サリーナに接触しようとする父親に気付いたはずだ。
あの後何が起きたかまでは知らないが、話をしたサリーナの様子から、何かするだろうことは予想できた。
裏に父親の影があることを知らない息子が、何を思いどう感じたのか、そこにかけた。
かけたとはいえ、目の前の息子の様子を見ると、サリーナが引き当てたのだろうことはわかる。
だから今、ルシオはここにいるのだ。
「俺が敵じゃなくて、良かったねぇ」
にっこりと笑っておく。
父親は、コンラード商会の後継ぎがルシオだと決まったときから、監視をつけた。
新興商会であるコンラード商会は、当時はまだ関係のない恨みを向けられることも多く、子供のルシオに危険が及ぶ可能性が十分にあったからだ。
だが、ルシオが学院に通うようになり、支店で一人暮らしを始めたころから監視は緩めた。
年齢を考えてのことだったが、それでも一応、緩いままの監視は続いた。
すべてを止めたのは、ルシオがサリーナと婚約したからだ。
さすがにルシオも嫌がったし、どう考えても野暮だろうと思ったからだ。
この頃になると、ルシオは学院内を把握しており、その人脈を使える状態にまで来ていたので、ある程度は任せても問題ないと判断したからでもある。
その結果、父親は後手に回ることとなった。
動き出すと早いルシオの行動力は予想以上すぎて、気づいてからではとても追いつかない。
だからといって、ルシオの行動に監視をつけても、一体何を考えているかがわからない。
商会にとって全く無関係であれば放置もしたが、ルシオは回復用の魔法薬は使うわ、時間を歪める魔道具も使うわで、金銭的に負担がかかる。
商会の仕事ならば見逃すが、私用目的であれば話は別だ。
決して使うことが悪いとは言わない。
あくまで、会頭である父親に話が通っていないことが、大問題だった。
だからこそ、父親はこれ以上ルシオが無理を通さないよう、立ち止まらせ、動かすために強硬手段に出た。
父親は息を吐くと同時に、真顔になった。
声のトーンを落とす。
「まずは、筋を通せ」
ここまで父親が言っても、ルシオは特に言い返してこない。
いつもなら正論をぶつけても嫌味を返してくるぐらいの元気はあるのだが、やけに大人しい。
自分の勝手がサリーナにまで向いたことが、そんなに響いたのだろうか。
眉を寄せたままだが、ルシオは父親を真っすぐに見ている。
その瞳には強い意志が感じられ、父親は口の端をあげた。
「とりあえず、話は聞いてやるよ」
圧をかけると、ルシオの視線が反れる。
小さく息を吐いた後、ルシオは背筋を伸ばして口を開いた。




