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人生をやり直しまくる令嬢、サリーナ  作者: 高杉 涼子
おまけ(婚約後のルシオとサリーナ)
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サリーナ、パンクする

力いっぱい目を閉じたまま、湧き上がる感情と戦っていたサリーナは、肩を震わせた。

先ほどまで襲っていたぞくぞくとする感覚が消え、ただ頭を撫でられている。

頭を何度も往復するその手つきが優しくて、サリーナはそろそろと目をあけた。

知らず涙がこぼれていたらしく、眩しい。


「ふっ……」


息を吸い込むと、喉が引きつった。

必死に目をぱちぱちと瞬かせた。

相変わらず口元に手を当てたまま、視線を上へと向ける。

黒髪が、ぼんやりと見えた。


「る、しお、さま」

「…………うん」


小さな声の後、目元に柔らかな物が触れた。

むぎゅっと目を閉じて開くと、涙が零れたからか視界が広がった。

もう一度閉じて、見開いた。


「るしお、さま」


再度一度繰り返すと、ぼやけていた人影がもぞりと動く。

目元をこするのも忘れて息を吐くと、濡れた視界の向こうがはっきりとしてきた。

紫色の瞳と黒髪が見えて、ルシオが体を起こしているのがわかる。


「ごめん」


ぽつりと声が聞こえた。

答えることはもちろん、頷くことも否定する事さえもできず、サリーナは息を吐く。

ルシオの手が伸び、サリーナの髪に触れた。


「体、起こせる?」

「は、い」


サリーナが頷くと、ルシオの手が肩に回った。

絡めていた左手がほどける。

支えられて、よろよろと起き上がった。

力も入らず、目の端に残っていた涙が頬を滑る。


「ちょっと、待ってて」


一言告げて、ルシオがベッドから降りた。

軋む音すら大きく聞こえて、サリーナは身を小さくさせる。


体が、熱い。


口元を覆っている右手に左手を重ねて、息を吸い込んだ。

頭がくらくらして、痛い。


「被せるよ」


上からルシオの声が降ってくるのと同時に、ふわふわの物が体を包んだ。

真っ白なタオルだ。

口元をふさいでいた右手に、タオルの上からルシオが触れた。


「大丈夫だから」


強張った手を包むルシオにホッとして、息を吐く。

そろそろと手を外すと、汗や唾液でべっとりとしていることが気付く。

慌ててタオルに顔を押し付けた。


「……ごめん」


聞こえてきた声にハッとする。

タオルでごしごしと顔を拭いてから、目元だけ覗かせる。


「ごめんね」


ベッドの端に腰かけ、背を向けたままルシオが呟いた。

ルシオが遠い。

肩を落とした背中を見ていられなくて、サリーナは視線を下へと向ける。


「驚き、まし、た」

「……うん」


ルシオはこちらを向いてはくれない。

サリーナは、少しだけ丸くなった背中を見つめた。


「申し訳、ありません」


小さく呟くと、ルシオが勢いよく振り返った。

その目が見開かれている。


「何も、気がつかな、くて」


心を占めていた言葉を、必死に口にする。


いつか、ルシオに「煽ってる」と言われたことがあった。

サリーナがわからずにいても、笑ってくれていたルシオだったのに。


「ごめ、なさい」


嗚咽が漏れる。


危機感を持ってほしいと、ルシオは言っていたのに。

何度も危なかったことがあったとしても、それだけ待ってくれていたのに。


それをわからない、と叫んで勝手をしたのは、サリーナだ。


「サリーナ、待って」


サリーナの一つ一つを気にかけてくれるルシオが、サリーナを傷つけることを是とするわけがないのだ。

寄り添って、手を引いてくれる人が、こんな方法を取るなんて、普通ではない。

ルシオの気持ちを踏みにじったのは、サリーナだ。


「待って、サリーナ。違う」


苦しくなってタオルに顔を押し付ける。

柔らかいタオルに、涙も堪えた声も吸い込まれる。


「違うから、サリーナ。違うんだよ」


慌てた様子のルシオの声に答えたいのに、ずるずるの思考では言葉すら選べない。

ぶんぶんと首を振っていると「サリーナ」と、懇願するような声が聞こえた。


答えたいのに、声が出ない。


息を整えるのに必死なサリーナは、ルシオが押し黙ったことに気付かなかった。

もう一度「サリーナ」と、名前を呼ぶのが聞こえる。


「……触っても、大丈夫?」


その声音が、酷く弱く聞こえて、サリーナはがばりと顔をあげた。

タオルから顔を出して、喉を震わせる。


「いいに、決まってます!」


サリーナは、ぎゅっとタオルを握りしめた。

もう、頭の中が焼き切れそうだ。


「何、です、か!」


ルシオに押し倒された。

驚いたけれど、ルシオにそうさせてしまったのは自分だと、申し訳ない気持ちが溢れた。

大混乱している中で、湧き出た震えを抑えるのに必死だった。


今でも気持ちの整理がつかない。

そんな中で、ルシオが弱々しく、距離をあけてくるなんて、もうどうしたらいいのかわからない。


「もう、頭の中が、ごちゃごちゃですよぅ……」


何がしたくて何を言えばいいのかわからなくて、サリーナはしゃくりあげた。

泣いても泣いても、訳がわからない涙が溢れてきて、自分でも止まらなくなってきた。


無茶苦茶だ。

全部、ルシオのせいだ。

何もかも、ルシオに押し付けてしまいたい。


「ごめん」


ルシオの手が背中に回り、引き寄せられたのがわかった。

いつもよりも、はるかに弱い力で抱きしめられる。

それでも伝わる温かさに、また涙が零れた。


「大丈、夫? 離れた方が、いい?」


今更のようにそんなことを言われて、サリーナはこのまま飛び上がって、頭突きをしてしまいたい衝動にかられた。

かわりに、ぐりっと頭をルシオに押し付けた。


「……嫌じゃ、ない?」


ルシオの声が擦れているので、押し付けた頭を上下に振った。

タオルに顔を押し付けてから、息を吐く。


「驚いた、だけですよ」

「……うん、ごめん」

「それから、後は。その、いろいろと気づかず。申し訳、ありません」


そう言うと、ルシオがサリーナの頭を撫でた。

ゆっくりとした手つきに、自然と体の力が抜ける。


「それは、違うよ」


サリーナの頭にルシオが寄って、こつんと軽い音が鳴る。

首筋に、ルシオの震えた吐息が触れる。


「悪いのは、俺だ」

「え?」

「俺が、自分を制御できなかっただけだ。それを、サリーナに押し付けた」


ぎり、と堪えたような音が聞こえた。

小さく「こんなつもりじゃ、なかった」と口にしたルシオは、苦々しそうに舌打ちした。


「サリーナじゃない、俺だ」


ルシオの静かな声を聴きながら、サリーナはむぅと口を尖らせた。

その言葉も、ある意味そうなのかと思う。


「酷いことをして、ごめん」


酷いことと、ルシオは言う。

あれを酷いことと言っていいのか、サリーナにはわからなかった。


ただ、やはりそもそもの原因はサリーナにあったように思う。

ルシオの父親が自己責任だと言っていたことを、今になって思い出した。


「最初は、私、ですよ」


ルシオが何を言ったとしても、やっぱりサリーナは、自分のせいだと思う。

何度も忠告してくれたルシオの言葉を、何も理解していなかった。


「私ですよ」

「……どう、して」

「知らなかったことを、言い訳にはしたくないです」


タオル越しで、だんだんと落ち着いてきた。

もぞもぞとタオルを取り出して、顔に押し付けた。


大丈夫。

ルシオのことを好きだという気持ちに、変わりはない。


「バカ、だなぁ」

「えぇ!?」


頭の上から、まさかの暴言が降ってきた。

緩い腕の中から顔をあげると、ルシオが苦笑している。

その瞳が、くしゃりと歪んだ。


「バカは、俺か」

「え」


ぽかんと見つめている先で、ルシオが唇を噛んだ。


「俺は、嫌われるのを覚悟したよ」

「んぇ!?」


思わず奇声が出た。

まじまじとルシオの顔を見つめる。


「嫌いに、なんて。なりませんよ」

「また、そういうことを」

「ここは、大切なところです!」


まさかの発言に、声も大きくなる。

思わず、目の前のルシオの服を握りしめた。


「本当ですからね」

「俺、酷いことをしたのに?」


酷い、こと。

口を噤んだサリーナは「えぇと」と迷いながら、自分の胸の中の言葉を探す。

ルシオの言う酷いことを、自分はどう感じたのか。


「酷いことを、されたとは。思ってないです」

「えー?」


乾いたルシオの声を聞きながら、サリーナは必死に考える。

だが、もう一度振り返ってみても、やっぱり答えは同じだった。


だって。

ルシオは忠告してくれていた。

それも、何度も。

知らないからと踏みつけて荒らしたのは、サリーナだ。


ルシオは、口元を押さえることでサリーナを守ろうとしてくれていた。

思えば、下半身には一度も触れていない。

上半身だって、服から出ている部分しか触れなかった。

まるで、一種の脅しみたいだなと、サリーナは思う。


だが、それをルシオに指摘することもできず、サリーナはゆるゆると口を開く。


「私は。酷いことをされたとは、思ってないです」

「………そっか」


繰り返すサリーナに、ルシオが静かに言った。

信じてもらえているのかわからず、再度口を開こうとしたサリーナを、ルシオが抱きしめた。

先ほどまでとは違う、ちゃんと力の入った腕だ。


「ルシオ、様?」

「そうやって」


サリーナの肩に、ルシオの頭が乗った。

腰に回された手が、震えている。


「サリーナは……」


嘆いた言葉は、途中で途切れた。

ただ、ルシオは黙ったまま大きく息を吐いた。

何が言いたかったのかわからないけれど、問いかけることはせずに、サリーナはすり、とルシオに体を寄せた。


「押し倒して、ごめん」

「……私こそ、申し訳ありませんでした」


酷いことをされたとは思っていないとどれだけサリーナが言っても、ルシオは言葉を変えないだろう。

顔の見えないルシオは、大丈夫なのだろうか。


「今後は、気をつけますね」


そう言うと、ルシオがそっと笑った。


「お願いします。俺、本当に危ないときがあるから」

「あの。離れた方が良いですか?」

「ダメに決まってるでしょ」


ぎゅう、と抱きしめられて、サリーナはもぞりと動く。

危機感を持てということなので、離れた方がいいのかとも思ったが、そういうわけでもないらしい。


「今後は、あまり近づかない方がいいでしょうか」

「何で? 今だってこの距離なのに?」


その通りすぎて、サリーナは慌てて「そうですよね」と返す。

ルシオに抱きしめられるのは、安心する。


「では、手を繋ぐのは?」

「そんなことでは、危なくなったりしません」


呆れたような声に、それもそうかと頷く。

ということは、植物園でのことは特に問題なかったようだ。

そこまで考えて「あれ?」と首を傾げる。

倒されるに至った経緯を考えると、サリーナがルシオの両手に触れたところから始まった気がする。

まさかとは思うけれど、確認しておかねば。


「あのぅ。両手で触れても、問題ありませんか?」

「あるわけないでしょ!」


叫びと共にルシオの腕が緩んで、表情が見えた。

少しだけ渋い顔が見えて、サリーナは視線を彷徨わせる。


「あのね、物理的な話をしているわけじゃないから」

「そう、ですか」

「絶対に駄目なことなんて、ないから」

「……難しくないですか?」


サリーナの口調が少しつんとしたものになったからか、ルシオが小さく笑った。

それにホッとしてしまう。


元々距離の近いルシオなので、どの辺りで切り替わったのかはよくわからない。

ただ、あまり近づきすぎるのは気をつけようと思う反面、寂しいとも感じてしまう。

自分の気持ちとの調整が必要かもしれない。


気にするべきは、距離か、発言か、態度なのか。

どこに気を付けたらいいのだろうと考えているサリーナの耳元に「サリーナ」とルシオが囁いた。


「もうちょっとだけ。抱きしめていても、いいですか?」


その声が、少しだけ震えていたことには気づいた。

だが知らない顔をして、サリーナは足に力を入れて伸びあがる。


「もちろんです」


はっきりとした声に、ルシオが肩を震わせた。

その手が頭に回ったのを感じながら、頭を預けた。


体から、力が抜けていく。

それをはっきりと感じながら、サリーナは考える。


押し倒されたのは事実だし、焦ったのも間違いはない。

それでもルシオは、サリーナを本当に傷つけるようなことはしなかった。


それだけでも十分だと言うのに、ルシオは嫌われるのを覚悟していたというのだから、驚きである。

サリーナが、ルシオを嫌うようなことがあると思っていたとは、知らなかった。


きっとルシオは、どれほどサリーナがルシオを好きなのかを、わかっていないのだろう。

ルシオが好きだな、と改めて思う。


「何笑ってるの?」


ふふっと笑いが漏れたことを、ルシオは聞き逃さない。

少しだけ緩んだ腕の中から顔を出したサリーナの首元には、タオルが埋まっている。

そのタオルに、少しだけ吐息を漏らす。


サリーナを見る瞳は柔らかく、温かさが戻っている。

ルシオはサリーナを傷つけるようなことは、しない。

本当に嫌がることはしないと、何故かそう確信がある。


「大好きだなと思いまして」


笑うと、ルシオが息を飲んだ。

ゆるりと首が傾き、眉を寄せ、大きなため息をつく。


「え、ルシオ様?」

「あのねぇ」


そんなに嫌だったのだろうか、と慌てた声に、低い声が重なる。


「そういうところだよ、サリーナ」

「え」

「ほら、わかってない」

「い、今でした?」

「そう、今」

「えぇ!?」


今?

今、好きだと言ったことが、危なかったということだろうか。


ただ、好きだと伝えただけなのに?


「そんなことをおっしゃられてしまうと、何もお伝え出来なくなってしまいますよ!」

「何でそうなるの、台詞じゃないから」

「では、態度ですか? あの、タオルは洗ってお返しします」

「何の話?」


自分の腕の中で「あーでもない」「こーでもない」とごそごそしているサリーナを見下ろして、ルシオは思わず項垂れた。


「あーもー、ヤだ。全然わかってないし」

「ま、待ってください! ちょっと、今、何とかしますから、落ち着いてお待ちください」

「何をどうするつもりかわからないけど、これ以上は結構です。大人しくしてください」


これ以上何か言われたらたまらない、とルシオはサリーナを腕の中に押し込めた。

驚いたようで「にゅ」と変な声が聞こえてきたが、気にしない。


「……もう、ホント」


小さな頭に、自分の頭を寄せた。

ふわりと甘く湧いた匂いを吸い込んで、ルシオは自分の思考を一気に払った。


考えるだけ無駄ならば、さっさと捨てるに限る。

捨ててスッキリとした思考に余計なものが入り込まないようにと、ルシオは目を閉じる。


ホント、わかってないなぁ。


そう思いながら、ルシオは自分よりも少し小さなサリーナの頭をゆっくりと撫でる。

震えた目元に力を入れて、ルシオはゆっくりと吐息を漏らした。


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