サリーナ、やってみる
サリーナは、ルシオの部屋で一人、お茶の入ったカップに口をつける。
先ほどルシオの父親が入れてくれた茶葉とは違う、一般的な市販の茶葉だ。
「よく、考えられているわ」
心を落ち着かせるため効果があるお茶に、サリーナは苦笑する。
カップを机の上においたサリーナは、まだドアに視線を向ける。
何度目かわからない。
ルシオは大丈夫だろうか。
先ほどの父親との会話を思い出す。
ルシオは、目的のために加速していると言っていた。
目的とは、何だろう。
王家との話はひとまず終わったはずだが、そこから何か他のことが起きているのだろうか。
原因がサリーナだとすれば、商会の関係ではなくもっと身近な何かだ。
王家の話が続いているのだろうか、わからない。
「心労の心配をしている場合じゃなかったわ」
先ほどまでの自分の平和すぎる思考が、残念すぎる。
他に気にしなければならないことが、あったというのに。
だが、まだ救いはあった。
サリーナは、自分の手を見下ろした。
訳もなく握って開いて、指先だけ組んだ。
思い出すのは、ルシオの父親の言葉だ。
自己責任という重さと共にある、サリーナにできることがある。
「方法は違っても、着地点は同じ」
サリーナは、左手を開いたまま、宙にかざした。
先ほどルシオと繋いだ、左手だ。
見つめていると、頭の中がスッキリしてきた。
思考がまとまっていく。
いろいろと言われても、最終的には変わらない。
「……そばに」
光があたって影になる手に呟いたそのとき、ノック音が響く。
ぱっと顔をあげた。
「はい」
「待たせて、ごめん」
入ってきたのはルシオだ。
心音が大きく鳴り、思わず息を飲んだ。
ルシオは何事もなかったかのように、サリーナの前の椅子をひいて、座る。
「暇だったよね」
「本当に、お気になさらないでください」
慌てて手を振ったサリーナは、ちらりとルシオを見上げた。
おかしな様子はないだろうか。
「もう、よろしいのですか?」
「うん。ちょっと面倒事が起きただけ」
面倒事。
それがどんなことなのか、サリーナは聞くことができない。
商会のことならば、サリーナに口を出す権利はない。
ただ、王家に関わることならばサリーナにだって関係があると思っている。
どちらだろうか。
そのどちらでもない、無関係の話かもしれない。
考えてもわからない以上、結局口を閉ざしてしまう。
「今日はせっかく時間があったのに。巻き込んじゃってごめんね」
「私は気にしておりません。植物園にご一緒できて、楽しかったです」
「でも、全部回れなかったなぁ」
「またご一緒させてくださいね」
「うん、また行こう」
サリーナが頷いたのを確認し、ルシオは自分でお茶を入れだした。
慌てて手を伸ばしたが「いいよ」と言われてしまった。
「お疲れ、ですか?」
そろそろとサリーナは尋ねてみる。
お茶を飲んだルシオの表情は特に変わらないように見えるが、実際にはわからない。
「うーん、どうだろ。そんなつもりはないけど」
カップを机の上においたルシオは、瞬いている。
特に嘘をついているようには見えないが、サリーナにはその奥が読めない。
ルシオが振り返る。
「疲れているように見えるの?」
「え、と。見えるかどうかというよりも、心配になりました」
ルシオの問いかけに、乗ってみる。
正直に言えば疲れているようには見えてはいないけれど、方向性を変えてみた。
ずんずんと突き進む、ルシオの目的を探れないだろうか。
「王家の方は落ち着きましたが、茶葉のことや魔法石のこともありますし、学院の課題もありますよね。お忙しいのではないかと思いまして」
事実、どう考えても多忙でしかない。
サリーナよりもはるかに忙しい身の上で、本当によくこなしているものである。
「ご無理なさっていませんか?」
「してないよ、大丈夫」
けろりとした顔は、本当に大丈夫そうに見えてしまう。
ルシオが本気で隠してしまえば、サリーナではわからないだろう。
「商会関係のことは、魔道具を使って時間ずらしてるから。結構ラクしてるよ」
「それは、大丈夫とは言いませんよ!」
時間を歪めて仕事をこなすのは自由だが、体には負荷がかかる。
疲れは溜まる一方だ。
その体の負担も、薬でどうにかしてしまっていることは、聞かなくても想像がつく。
何のために、そこまでするのだろう。
もう少し、自分を大切にしてほしい。
加速するルシオも心配だし、疲れも確実にたまっている気がした。
そこまで考えて、サリーナはやっぱり、と思う。
ルシオの父親の言葉が本当ならば、どちらにせよ同じことにつながる。
「あ、の」
自分の声が震えそうなのを押さえ込んだ。
緊張からか、口の中がカラカラに乾いている。
顔をあげたルシオの瞳を見つめた。
ルシオの、そばにいたい。
この瞳が届くところにいたい。
サリーナの脳裏に、ルシオの父親の言葉がよぎる。
やり方は自由だが、その結果は自己責任だと言っていた。
例え結果がどうなろうと、サリーナの気持ちは変わらない。
だったら、ルシオのブレーキが、壊れる前に動く。
疲れて倒れでもしたら、どうするのか。
「ルシオ様」
話を聞こうと待ってくれているルシオに、ゆっくりとサリーナは言った。
ルシオに気づかれないようにと思うと、心臓が痛くなってきた。
「お隣に、行ってもいいでしょうか」
そう言うと、不思議そうな瞳がサリーナに向けられた。
恥ずかしくなってきたが、許可が出ないのでもう一度。
「ご迷惑でなければ、椅子を動かしてもかまいませんか?」
「あぁ。うん」
ルシオが立ち上がった。
サリーナも立ち上がり、座っていた椅子を両手で抱える。
簡易な椅子なので、サリーナでも持ち上がった。
「貸して、俺がやるよ」
「お気遣いなく。言い出した私が、やります」
「いいから、ほら。手、離して」
笑いながら言われてしまい、しぶしぶ手を離す。
ルシオは椅子をひょいと持ち上げて、隣に並べてくれた。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
「それで? 何かあった?」
カップをサリーナの方に寄せながら、ルシオがおもしろそうに言う。
この余裕を感じられるところが、いつもサリーナを振り回す。
「えぇ、と。その」
座ったサリーナは、椅子ごとルシオに体を向けた。
ルシオも椅子を動かして体を向けてくれたので、二人して向かい合うことになってしまった。
「手を。お借り、しても?」
「手? いいけど、はい」
サリーナの手の上に、ルシオの手が乗った。
相変わらずひんやりとしているなと思いつつ、左手をさした。
「左の方も、お借りして良いでしょうか」
「……どうしたの?」
さすがに不審そうなルシオだが、それでも左手をサリーナに出してくれた。
サリーナは何も言わず、出された両手を自分の手で包み込んだ。
心臓が痛いし、顔をあげられない。
「サリーナ?」
「お疲れ、を。少しでも、癒せないかな、と、思い、まして」
言葉がカタコトになった。
少し冷たいルシオの手に体温が移るように、そろりと撫でた。
ルシオの身長はサリーナの親友のチェルシーと同じぐらいだが、触れた手の甲は骨ばっていてサリーナよりもしっかりとしている。
「傷を手当する、と言いますし」
頑張って喋り続けていると言うのに、ルシオが何も言ってくれない。
自分の手を見つめたまま動けなくて、冷や汗が流れた。
「手で触れることは、疲労の回復には、効果が、あるか、と」
声が震えてきた。
ここからどうしたらいいのか。
「ルシオ様」
ルシオが一言も口を開かないので、もう少しだけ。
自然と握った手に力がこもった。
「どうか、ご自分を大切になさってください」
そう言うと、ルシオの手に力が入る。
言葉が届いているのがわかり、サリーナは訳もなく泣きたくなった。
「私に、できることがありましたら。おっしゃってくださいね」
そこまで言って、息を吐く。
サリーナにできることなんて、たいしたことはない。
ルシオの役にたてそうなことなど、今でも浮かんでこない。
だが、ルシオの父親だって言っていた。
例えルシオのブレーキが壊れても、サリーナの声は届くだろう、と。
それは隣にいることを許された、サリーナだけの特権のようなものなのだ、と。
「私は。ルシオ様の、婚約者、ですから」
ルシオのそばに、いたい。
客でもなく友達でもなく、婚約者として。
心で呟くと、顔が赤くなっていくのがわかった。
繋いだ手も震える。
必死に言葉を練り出したサリーナだったが、いくら待ってもルシオが何も言わない。
こんなにたどたどしいことしか言えず、怪しいと思われているのではないだろうか。
「サリーナ」
「はいっ」
いきなり名前を呼ばれ、驚いた。
視線をあげると、じっとこちらを見ているルシオがいた。
「あの?」
「今日、やけに手を繋ごうとするね」
「あ、う」
「俺のことが、心配だったの?」
ルシオの透明にも見えるこの瞳が、サリーナの心を見透かしてくるような気がする。
心配も、した。
忙しいルシオが疲れているのではないかと、心配した。
でも今は、それだけではない。
ルシオの父親から話を聞いた以上、加速するルシオをこちらへと引き寄せたい。
このまま勢いで押し通す、とサリーナは決意を込めて「はい」と頷いた。
「そっかぁ」
ふにゃと表情が崩れたルシオに、父親と会ったことを隠している罪悪感が湧いた。
だが黙っておくと、決めたのだ。
ゆるく微笑んだサリーナは、するりと指を抜けた感覚にぴくりと震えた。
ルシオがくるりと手首を回して指が絡む。
「え、と」
「癒してくれるんでしょ?」
「そう、です」
ルシオが笑う。
その瞳が優しいので、サリーナも力が抜けて笑みがこぼれた。
「お役にたてれば嬉しいです」
「おかげさまで」
「それは、良かったです」
ほっとする。
緊張感が溶けていくようで、サリーナは嬉しくなってくる。
「ルシオ様」
サリーナはこてりと首を傾げて、ルシオを見上げた。
紫色の瞳が自分を映すのが、たまらなく好きだ。
「手ぐらい、いつでもつなぎますから」
少しだけ瞳が見開かれた。
先にそう言ったのはルシオだが、サリーナだって同じだ。
「ワガママ、おっしゃってくださいね」
伝わればいい。
そばにいると、知っておいてほしい。
ルシオのことが、好きだ。
「そ、っか」
じっと見ていたら、ルシオが息を吐いた。
下を向くと前髪がおりて、表情が見えない。
絡めた指に力を込めて、サリーナは身を乗り出した。
忘れないでほしい。
「おそばに、おりますので」
そう言いながら、サリーナは、ルシオの父親との会話を思い出す。
あのとき笑って「着地点は同じですよ」と言ったルシオの父親は、両手の人差し指をたてた。
目を丸くするサリーナの前で、父親は右手を真ん中へと寄せる。
「まず一つは、あなたがルシオに甘えること」
「ああ、甘え!?」
変な声が出た。
気にせず父親は、今度は左の人差し指を真ん中に寄せる。
「もう一つは、あなたがルシオを甘やかすこと」
呆然としたサリーナの口からは、言葉は出なかった。
ただ、真ん中でくっついた両手の人差し指を見つめる。
「どちらも同じことです。あなたの存在を、ルシオがしっかりとわかればいい」
「あ、甘えたり甘やかしたりすることで。わわ、わかるものでしょうか」
「わかりますよ、特別なことですから」
父親は、平然と答える。
あわあわとしているサリーナを見ながら、何とも純粋な御令嬢だなと笑いが漏れた。
ルシオが囲って守ろうとしている気持ちも、わからなくはない。
「とは言っても、まぁ。私は、責任は取りませんからね。やりやすい方を選んでみてください」
父親はすっぱりと話を切った。
これ以上は話をするつもりはないと、投げる。
息子の情事など、父親が踏み込むところではない。
ルシオに知られたら、本当にシャレにならないことになる。
それでも助言をしたくなったのは、息子の婚約者の真っすぐな気持ちが微笑ましかったからだ。
あれは、自分が絶対に持つことのできないものだ。
きゅっと口を結んだサリーナを見ながら、父親は何とも言えない気持ちになった。
小動物がもやもやと浮かんできたので、とりあえず振り払っておく。
そして、もう一度繰り返す。
「あくまでも、自己責任ですよ」
あくまでも、自己責任。
そう言ったルシオの父親の言葉は、全くもってその通りである。
ルシオを甘やかすことも、ルシオに甘えることも、サリーナにしかできない。
それこそ、サリーナだけの特権だろう。
しかし、今すぐに「甘える」ことも「甘やかす」ことも、サリーナには具体案が浮かばない。
ただ「特別なこと」なのであれば、この距離と言葉とつないだ手は、間違いなくサリーナにとっては特別なことだ。
疲れたルシオに出来ることが、特別なことと重なっただけでしかない。
それでも、ルシオの父親から話を聞けたのがこのタイミングでとても幸運だったなと、サリーナは思う。
もう一度、繋いだ手にぎゅっと力を込めた。
これは、サリーナの甘えだと思う。
「サリーナは、さぁ……」
のろのろとルシオが顔をあげた。
光のせいか、瞳に影が映りこむ。
「何が、言いたいのかなぁ」
あれ、とサリーナは首を傾げる。
サリーナの予想では、ここは笑ってもらえると思っていたのだが。
優しく笑うルシオを想像していたサリーナは、口を開く。
「えぇ、と」
想像とは違い、実際のルシオは、こちらをじっと見ている。
全然笑っていないし、ついでに言えば癒されている気もしない。
雰囲気的には、むしろ冷ややかだ。
ルシオの父親の顔が浮かぶ。
自己責任、の言葉が大きく響いた。
「私、は」
視線から逃れるように、下を向いた。
ごくり、と唾を飲み込んだ。
体が強張る。
ルシオを、どうしたいのか。
どうしてほしいのか。
「私は、ルシオ様に。ああ、甘えて欲しいな、と思って、います」
「……甘え」
「そう、です」
ルシオに甘える具体的なイメージが浮かばないので、甘えてもらう方を選ぶ。
受け身で申し訳ないが、結局は同じことだとルシオの父親も言っていたので良しとする。
「ルシオ様は、その。学院のことも商会のこともあり、お忙しいですし。けれど、私との時間も取ってくださって……いえ、それはとても嬉しいのですけれど。お疲れではないのかとか、ご無理なさっていないのかとか、考えてしまいます」
一気に言い切って、サリーナはそっと顔をあげた。
加速しているルシオが、足を止めてくれればいい。
「おそばにいると、わかっていてくだされば」
ルシオの父親だって「サリーナの存在がわかればいい」と言っていた。
それが、とても重要なことなのだろう。
ルシオに何かあったときに、手を伸ばせるように近くにいたい。
先に行くルシオに置いて行かれないように追いかけるのではなく、戻るように引っ張ってしまいたい。
そのためにも、サリーナがそばにいることを、ルシオにわかっておいてもらわなくては。
一方で、ルシオが何も言わずとも、気づけるようにならなくてはと思う。
疲れたときや辛いときに、頼って寄り掛かってもらえる存在でありたい。
胸の中に、様々な気持ちと言葉が溢れる中、サリーナは伝わればいいと、手に力を込めた。




