サリーナ、ルシオの疲れを癒したい
人生をやり直しまくり令嬢サリーナは、寝ようと毛布を口元まであげて息を吐く。
つい先日まで王家にやきもきする日々だったのだが、ついにやっと解放されたのである。
ルシオ曰く「後始末はこれから」と言うことなので、本当に落ち着くのはまだまだ先だと思う。
それでも、感じていた不安や焦りはなくなった。
落ち着けば、学院に通うだけの日々が戻ってくる。
今までは周囲へのアピールのために、わざわざルシオと人気の多い所に出かけていたのも数を減らす話になっている。
いきなりなしにはできないが、お互い用事を重ねていけば、少しずつ減らしていけるだろう。
しかも社交界が近いからと、放課後のカフェ巡りも控えているので時間もある。
穏やかに過ごせそうな今、サリーナはルシオについて考える時間が増えた。
ルシオ・コンラード。
サリーナの婚約者である。
優しくて頼りになる婚約者のことを、サリーナはとても大切に想っている。
人生やり直しまくり令嬢のサリーナにとって、これまでの中でも一番といっていいほど影響がある。
そのルシオが、サリーナのためにと手をうち時間を割いてくれているのに、自分は何も返せていない。
そもそものルシオは、学院に通う学生である。
学院での課題も決して少なくない中、商会のことや王家のことやサリーナのことまで考えてくれているのだ。
「魔法薬を飲んでいるでしょうけど」
ごろりと寝返りをうった。
どう考えても、時間も体力も精神力も削られると思うのだが、ルシオはサリーナに疲れた様子など全然見せない。
むしろ、距離が近くなるし、真っ赤になるサリーナを見て笑っているぐらいの余裕がある。
いや、違うなと、サリーナは思い出す。
まだ婚約したばかりの頃、ルシオがやつれた姿を見せたことがあった。
元々細身のルシオが、さらに痩せた姿を思い出し、サリーナはぎゅっと毛布を握りしめた。
あのときは、原因が取りつぶしとなった侯爵家にあるとわかっていたけれど、なかなか声をかけられなかった。
だが、今は違う。
あれから日々重ねてきたのだ。
「私は、何ができるかしら」
ぽつり呟いた。
胸元のネックレスを引っ張り出した。
薄い紫色の宝石は、ルシオの瞳の色と同じだ。
魔法薬は体力を回復させることができる。
魔道具は、時間を歪めることができる。
だが、精神力だけは別だ。
精神力を回復させるような魔法薬も魔法も、今のところない。
「……だったら」
サリーナは、ネックレスを弄ぶ自分の手を見つめた。
出来ることなんて、本当に少しだけだ。
社交界まではカフェ巡りを控えているサリーナは、ルシオと出かける場所は限られている。
一番多いのが本店・支店を含めた商会であり、次が商会と取引のある店だ。
ただ、今日は植物園に行くことになっていた。
ルシオが作成したお出かけリストの中から、サリーナが選んだ結果である。
学院での授業が早く終わる予定だったので、ゆっくりと回れそうだ。
最近やたらと馬車に乗っていたサリーナだが、本来は王都であれば歩いて移動することが多い。
特に植物園は学院から遠くはないので、今日は二人で歩いていくことになっていた。
そう、歩いて。
少し前を歩くルシオに笑いかけながら、視界の端にルシオの手が入り込む。
動きに合わせて揺れる手に意識を向けながら、どうしたらいいのだろう、と考える。
精神力を回復させるような魔法薬も魔法も、今のところないのだ。
だったら、こここそが、サリーナの役目ではないだろうか。
隣を歩くルシオが、空を見上げた。
「晴れて良かったねぇ」
「本当ですね」
ちらりと横目でルシオを見る。
特に疲れた様子もない。
やつれたようにも見えず、元気そうに見える。
ルシオの精神力の強さなど知らないが、影響を受けているようには見えない。
一瞬、自分一人で空回っているかもと思わなくもない。
でも、とサリーナはぐっと拳を握る。
心労は、本人の気付いていないうちにたまるものだ。
サリーナに何も言わないルシオ相手だからこそ、本当に辛くなるよりも前に何とかしたい。
とりあえず、ここ最近のルシオが忙しかったことには間違いはないのだ。
多少なりとも、心労は重なったはずだ。
サリーナは王妃教育を受けた、人生やり直しまくり令嬢だ。
とりあえず、多方面への知識はある。
その中で、肌に触れるという行為が、疲れを癒し、元気づけるには効果的だと習った。
ルシオに抱きしめられてほっとしたことがあるサリーナからすれば、納得の事実である。
だが、サリーナがいきなりルシオを抱きしめるのは、いろいろと無理がある気がした。
そもそも女性から抱きしめるのは一般的ではないのはさておき、ルシオを抱きしめるなんて、想像しただけで発狂しそうである。
これは、サリーナにとっては難易度が高そうなので投げ捨てた。
あれこれ考えた結果、手を繋いではどうかと思い立った。
一気にレベルが落ちたようにも見えるが、手をつなぐとはいっても、握手のように仲良くつなぐだけではない。
実は手をつなぐといっても、やり方は多くあるのだ。
指先を引っかけるやり方もあれば、指を絡ませるものもある。
くるりと回して、手首まで巻き込む方法もある。
信頼している人との触れ合いは、手だけだとしても癒しになる。
手をつなぐことが、少しでもルシオの助けになればいい。
そう、信じたい。
王妃教育のおかげで無駄に知識だけはあるサリーナは、内心首を傾げた。
それにしても。
一体、どうやって?
いつどのタイミングで、手をつなぐのだろう。
しかも普通に手をつなぐのではなく、指を絡ませるようなつなぎ方はしたことがない。
そんなタイミングがどこで起こるのか、想像もつかない。
「寒くなってきたよね。サリーナ、寒くない?」
「はい、問題ありません」
瞬いて気づく。
間違えた。
少し震えて「手が冷えておりまして」等と言えば、自然と手をつなげたかもしれない。
いやしかし、サリーナの手はむしろ温かい。
どう考えても、寒そうな手ではない。
どちらかと言えば、冷えているのはルシオの方ではないだろうか。
サリーナは、唇を結んだまま考える。
もしもルシオが「寒い」と言えば、ルシオに近づいて手を握って、温めるふりをすればいいのではないだろうか。
そう、手を繋ぐためのきっかけになる。
「ルシオ様、は。あの、寒くはありませんか?」
「うん、平気」
平気だった。
撃沈である。
ルシオの基礎体温は、サリーナよりも低い。
元々体温が低いと、寒くても気にならないのだろうか。
気にして欲しかった。
しょんぼりである。
どうにか会話の糸口を見つけねば、と顔をあげたサリーナの目の前で、ルシオが笑っている。
何故か、右手を出しだされた。
「はい」
「え」
訳が分からず、ぱちぱちと瞬くサリーナを見て、ルシオが小首を傾げた。
「つながないの?」
「なっ、な、何故!?」
まさかの言葉に、唇が震える。
心の声が漏れていたのだろうか、それは大分よろしくない。
目の前のルシオの瞳を、真正面から見ることができない。
「その何故って、どういう意味?」
「え、あ」
「何故つなぐのかってこと? それとも、何故わかったのかってこと?」
おもしろそうに言われて「うぐ」と変な声がでた。
頭の中でいろいろな言い訳が浮かぶものの、どれも言葉にならない。
アワアワしている間に、ルシオがサリーナの左手を取った。
「後者なら、視線からとしか言えません」
「えぇ!?」
周囲にも人がいるので、声を抑えようと頑張ったが、悲鳴しか出なかった。
「あんまり叫ぶと、目立つよ」
「あ、え。そ、そうですけれども、あの」
繋いだ手から感じるルシオの体温は、やはり低い。
自分の方は体温がみるみる上がっていくのを感じながら、サリーナは必死である。
ルシオがぎゅ、とつないだ手に力を込めた。
「離そうか?」
「あ、い、いえ」
「なら、良かった」
良かった?
良かった、か?
手を軽く振ったルシオは、楽しそうである。
その横顔を見ることができそうにもなくて、サリーナはむぐむぐと唸ることしかできない。
それを見て、ルシオが笑う。
「俺が前に、ワガママになっていいって言ったこと、覚えてる?」
「ありました、ね」
そう言えば、そんなことを言っていたなと、記憶を引っ張り出す。
一時期あれこれ考えていたのだが、すっかりとどこかへ飛んで行ってしまっていた。
そんなサリーナの様子を見ながら、ルシオがつないだ手を振った。
「手ぐらい、いつでもつなぐよ」
「……はい」
返事の声は、小さくなった。
ルシオの言葉は、優しさだろうと思う。
だが、今のサリーナにとっては、その優しさが痛い。
返事をしながら、項垂れてしまった。
本当は、少しでもルシオの疲れが取れたらいいなと思ってのことだった。
毎日多忙なルシオの力に、なりたかったのだ。
それなのに、結局手を繋いでいる今、サリーナの方が嬉しいと思っている。
隣を歩いて恥ずかしくなっているのは、サリーナの方だ。
隣のルシオは、何も気にしていない様子である。
手をつなぐことに成功したものの、思っていたのと違う。
握手状態で触れてはいるが、ルシオの憂さを晴らせているのだろうか。
ルシオが楽しそうに笑っているので、多少は効果があったと考えてもいいかな、とサリーナは前向きに考える。
「ルシオ様。私、その。わかりやすかったでしょうか」
「うーん。どうかなぁ」
答えになっていない。
口を開くサリーナよりも早く、ルシオの親指がサリーナの手の甲を撫でる。
「な!」と小さく叫んで目を見開いたサリーナを見て、噴出した。
サリーナがやりたくても恥ずかしくてできないことを、さらりとするとは何事か。
「や、やめましょう、こういうことは」
「こういうことって? 具体的には?」
「具体的!? え、いえ。その、私が驚くようなことですよ!」
「サリーナがどんなことに驚くかなんて、俺にはわかりません」
「十分ご存じでは!?」
しれっとしているルシオに、サリーナは声を荒げる。
ルシオはやめる気は全然なさそうだ、それははっきりとわかる。
サリーナは、泣きたい気持ちになってきた。
違うのに、と叫びたい。
サリーナが嬉しくなって恥ずかしくなってしまっていては、意味がない。
サリーナではなく、ルシオに喜んでほしかった。
触れることで、心を休めてほしかったのに。
どの言葉をきっかけに、どこに、どう触ればいいのか、誰か教えてほしい。
「あ、見えた」
もやもやと考えていたサリーナは、顔をあげた。
白い柵の向こう側に、もっさりした緑が見えている。
一瞬、あの緑の葉に飛び込んでしまいたいと思ってしまった。
植物園は、平日だということもあってか人が少ない。
人生やり直しまくり令嬢のサリーナは、植物園だって何度も来たことがあるし、どこにどんな花や木が植えられているかはよく知っている。
だが、今世では学院の授業の一環として来たことがあるだけだ。
今は何が咲いていたかな、と考えを巡らせる。
入園料は、ルシオが払ってくれた。
にっこりと「経費です」と言われて、それ以上口を出せるサリーナではない。
離れてしまった手を遠く感じてしまうのは、きっと寒いからだ。
寂しいわけではない。
そう考えて、慌てて指先に力を込めた。
違う、そうではない。
手が離れたならば、つなげばいいのだ。
ルシオだって、ワガママになっていいと言っていたではないか。
そう、今度こそ!
恥ずかしがるだけではなく、サリーナから手を繋ぐ。
それで、ルシオが優しく笑ってくれたらいい。
「ルシオ様」
戻ってきたルシオに、サリーナは自分から走り寄った。
少し背の高いルシオの瞳を、じっと見つめてみる。
紫色の瞳が丸くて、とても綺麗だなと思う。
小さく息を吸い込んで、サリーナは自分から手を出した。
「手を。つなぎ、たいです」
口にして気が付いた。
何かが間違えている気が、しなくも、ないような。
堂々としすぎたような、やってしまったような気までする。
おまけに、こんな往来の場で手に触れたいなど、貴族の令嬢の発言ではない。
気づいた瞬間、かぁっと顔が赤くなったのがわかった。
自滅でしかない。
目の前のルシオの反応がないので、慌てて地面を見つめる。
伸ばした手がむなしすぎるので、そろそろと下げることにする。
「す、すみません、間違え、まし」
「間違ってないでしょ、どういうこと?」
「ひゃっ!」
手を引かれる。
繋いでいるというよりは、引っ張られていて動かせない。
そっと引いてみるが、びくりともしない。
「あの、手が……」
「それ、わざと?」
短く言われて、サリーナは固まる。
それ?
それ、とは。
どれだ?
混乱が酷い。
ルシオの口調が冷えていて、怒らせてしまったのかと焦る。
何も浮かばず、とりあえず「えっと」と口にしている間に、考える。
わざと。
一体、何が?
手をつなごうとしたことだろうか。
手をつなぐことに、わざとも何もない気がするが。
だがサリーナには、ルシオの心労を癒したいという、ある意味勝手で図々しく、後ろめたい気持ちがなくもない。
その気持ちがルシオにも伝わってしまったのだろうか。
ただ、純粋に手をつなぎたかった気持ちもあった。
それだけは、ルシオに伝えなくては。
「サリーナ」
決意を胸にしたサリーナの耳に、柔らかな声が聞こえる。
思わず顔をあげたサリーナの前には、優しい顔をしたルシオがいた。
先ほどの冷えた声音でもなく、怒っている様子もない。
「確認だけしておきたいんだけどさ」
「か、くにん?」
ルシオは強く引いていたサリーナの手をくるりと回して、今度は優しく手を取った。
それを、少しだけ高くあげる。
「手をつなぎたいっていうのは、本当?」
心臓が、大きな音をたてた。
口を開くよりも、サリーナの顔が赤くなる方が早い。
今更何も思いつかず、小さく「はい」とだけ頷いて、下を向いた。
恥ずかしすぎる。
ルシオが笑ったのが、気配でわかった。
「だったら、いいや」
目の前のルシオが、隣まで移動してくる。
間に落ちた手が、視界に入り込んだ。
「ほら、行こう。時間がなくなるよ」
「は、はい」
混乱していた頭が、そろそろ限界である。
ルシオの言葉の意味が理解できておらず、疑問符が山のように飛んでいる。
だがそれを口にできるほどの余力が、サリーナにはなかった。
サリーナは自分でもわかっているが、隠し事がうまくはない。
そんなサリーナの様子など、ルシオはとっくにわかっているだろう。
ただ、その目的がルシオにあるとまでは思っていないようだ。
問い詰めることもできるだろうに、そっとしておいてくれているのは、優しいからか、単に放置されているだけなのか、わからなかった。
これだけ人生をやり直しても、あれだけ王妃教育で教えてもらったことが一切役に立っていない。
サリーナは、未だに熱の残る顔のまま、ルシオを見上げる。
ルシオを理由にしているが、本当はただ自分が手をつなぎたかっただけなのかもしれないなと、右手で熱を持つ頬に触れた。




