サリーナ、歩いてそれから
植物園は、とても静かだ。
王都という場所のおかげか入園料はお手頃なので、貴族だけではなく平民も多く利用している。
絵を描く人もいれば、ただ散歩する人もおり、すれ違ってもそれぞれの目的は違う。
ルシオはといえば、咲いている花一つ一つの香りを魔法石で集めていた。
咲いている花に顔を近づけて実際に嗅いでから、小さな魔法石を近づける。
どう見てもクズ石であるが、役目は十分なのだろう。
話をしながらも「休憩」と道の脇に置かれてあるベンチに座ったルシオが深呼吸をする。
「嗅ぎ過ぎて、頭が痛くなってきた……」
「結構集めましたからね」
「ちょっとリセットしないと、無理かも」
ルシオは鞄を漁って、小さな瓶を取り出した。
中に入っている茶色の粉は、コーヒーだ。
「サリーナも、どうぞ」
「ありがとうございます」
実はサリーナもルシオの真似をして、顔を近づけてみて、あれこれと匂いを嗅いでみた。
全体的に甘い香りがしている花が多かったからか、奥で混ざっている気がする。
コーヒーの香りはありがたい。
ルシオが瓶の蓋を開けると、コーヒーの香りが広がる。
軽く手で仰いでくれたので、サリーナもゆっくりと息を吸い込む。
気持ちが落ち着いていく。
頭がスッキリしてきた気がする。
そうしながらも、考える。
ルシオは何故、こんなことをしているのだろうか。
どう考えても何かある。
ルシオが明らかに動き出したのは、フェアスーン王女が接触してきた頃だったと思う。
最初は、商会から生花を売り出そうとしているのかと思っていたが、どちらかと言えば香りを集めているので違うらしい。
香水でも作るのかな、と思いながら、サリーナは視線を奥の木々へと向けた。
落ち着いたのか、ルシオが瓶の蓋を閉めた。
「サリーナが一緒に来てくれて、助かったよ」
「お役にたてたのなら、良かったです」
「俺一人でこんなところにきて、あちこちで花の匂いを嗅いでいたら、怪しまれたと思うよ」
「それは、その。お声をかけるのにも、戸惑ってしまいそうですね」
周囲から奇妙な目で見られているルシオを想像してしまって、少し笑いが漏れた。
確かに咲いている花に近づいては匂いを嗅いでいるような人がいたら、ちょっと怖いかもしれない。
「サリーナはさ、気にならないの?」
突然の言葉に顔を向けると、ルシオが小首を傾げる。
不思議そうな顔をしているルシオは、いつもよりも柔らかい。
「何でこんなことをしているのかとか、何のためなのかとか。何もきかないよね」
「ルシオ様が何もおっしゃらないことが、答えかと思っておりました」
ルシオは、驚いたように目を丸くした。
瞬いたサリーナこそ、不思議だった。
「私は、いつでもお聞きしますよ」
ルシオはコンラード商会の後継ぎで、すでにいろいろと関わっている身だ。
本格的に動き出す前の話や、サリーナが知らないこと、口に出来ないことも多々あるだろう。
そんなことは十分承知のサリーナからすれば、ルシオが言わないことこそが、答えだと思う。
機会があり、必要があればルシオから声がかかると思っているし、機会がなければ一生知ることもないまま過ごすだろう。
気にならないと言えば嘘になるが、サリーナが首を突っ込んでいいことではない。
「どうしても気になる場合は、お尋ねしますね」
決して、不満を感じているわけではない。
ただ聞いたからには、ルシオの力になりたいとは思う。
ルシオは困ったように笑う。
「サリーナはさ。本当に俺を甘やかすよね」
「ち、違いますよ!」
その言い方だと、サリーナがルシオを幼い子供のように扱っているように聞こえる。
誤解をされては困ると、片手を振った。
「信頼しているという意味です」
「……信頼、ねぇ」
考えるように呟くルシオは、結局のところ理由をサリーナに話す気はなさそうだ。
だからといって、それを酷いとも思わない。
気にかけてくれていることがわかっただけで、嬉しかった。
立ち上がったルシオが両手を高くあげて、背を伸ばす。
くるりと振り返って、手を差し出した。
「では、もう少しお付き合い頂けますでしょうか」
「喜んで」
くすりと笑って手を取ると、優しく引かれた。
この植物園に、ルシオが何の目的で来たのか知ることよりも、サリーナには重要なことがある。
ルシオが隣にいること。
サリーナの手を引いてくれていること。
そしてとりあえず今は。
ルシオが笑ってくれていればいい。
植物園は場所によってテーマが決められている。
花が多く咲いている花壇を抜けた先にあるのは、道の両端に木が並んでいる広い道だ。
思わず首が上を向く。
「立派ですね」
「樹齢、どれぐらいだろう」
何となく、二人して近くの木に近づいてみる。
太くてどっしりとした幹は、力強さを感じる。
「ごめん、ちょっと」
小さく呟いたルシオが、するりと握っていた手を離す。
そのまましゃがみ込んだので、サリーナもスカートを手で折り畳みながら足を曲げた。
木の隙間に、何かがいる。
ふさふさの毛が見えているので、小さな生き物か。
じっと見つめていると、ひょこりと小さな顔が飛び出した。
「リス、ですね」
小さな体をしたリスが飛び出してきて、こちらをじっと見ている。
やがて、身をひるがえして走り出した。
「冬支度をされていたのでしょうか」
冬が来ると、餌となる食べ物が少なくなる。
その前に食料を集めているのだろうかと考えるサリーナの隣で、しゃがみ込んでいたルシオが立ち上がる。
「ルシオ様?」
「……あー」
ルシオが大きなため息をついた。
乱雑に髪をかきあげて、「最悪」と言いながら、もう一度大きく息を吐く。
「どうか、されましたか?」
「呼び出された。支店に戻らないと」
呼び出し。
どこからそんな話が、と首を傾げそうになったサリーナは、息を飲んだ。
リスか!
動物を子飼いにするコンラード商会である。
その範囲がどこまでに及んでいるのかをサリーナは知らないが、先ほどのリスは子飼いの一匹なのだろう。
こんなところにまでルシオを呼びに来たということは、相当大きなことがおきたということではないだろうか。
落ち着いたかと思っていたが、王家との間に何かがあったのかもしれない。
「えぇと、出口は。確か、戻った方が近かった気が……」
ポケットに折り畳んでいた地図を取り出して、出口と方向を確認する。
やはり、このまま真っすぐに行くよりも、少し戻ってから曲がったほうが早い。
「ルシオ様?」
「何も、きかないんだね」
顔をあげたサリーナを、じっとルシオが見ている。
ぞくりとするほど澄んだ紫色の瞳に、何故かたじろいでしまう。
何があったのかを、聞いていいのだろうか。
でもルシオが何も口にしない限りは、聞くつもりはない。
それは先ほども伝えたと思っている。
「それが答え、か」
「え」
「行こう。戻った方が、出口近いよね」
軽く肩を竦めたルシオが、自己完結してしまった。
サリーナと違い、地図が頭に入っている様子のルシオは、サリーナの手を取る。
あまりに自然に手を取られたので、サリーナは場違いだとわかっていても焦った。
「ルシオ様、私は一人で戻りますよ」
「何言ってるの。そんなことさせるわけないでしょ、ちゃんと送ります」
「ですが、お急ぎなのでは?」
「うん。だから、サリーナには申し訳ないけど、まずは支店に一緒に行こうと思って。その後、送るよ」
手を引いたままのルシオは、先ほどと変わらない。
歩く速さも、手を引く力も変わらず、急いでいる様子もない。
それはおそらく、貴族令嬢のサリーナを気遣ってのことだ。
ルシオ一人だったら、さっさと走って植物園を飛び出していける。
「は、走ります?」
「御令嬢を走らせる気は、ありません」
「皆さん、お待ちなのでは?」
「……どうかな」
ルシオの視線が、道の脇に向く。
何かが動く音がした。
「待たせたらいいんじゃない?」
「そんな!」
何が起きているのかサリーナにはわからないけれど、人を待たせるのは良くないと思う。
少しだけ足を速めて、ぐいぐいとルシオを引っ張った。
通常男性の少し後ろを歩く女性の立場であるサリーナが前に出たことに、ルシオが笑い出した。
「何でサリーナが、そんなに急いでるの」
「逆に、ルシオ様は、何故そんなに落ち着いていらっしゃるんですか?」
急ぐように急き立てても、ルシオは特に歩く速さを変えない。
サリーナは、むぅと唇を尖らせる。
呼び出されたにも関わらず、一向に焦る様子もなければ、急ぐ様子も慌てた様子もない。
この平常心を保てるルシオが、ある意味羨ましくなるほどだった。
本当に少しだけ歩く速度をあげたルシオと手をつないだまま、サリーナは支店まで歩いた。
ルシオが「裏から入るから」と言うので、従う。
手を引かれながら入ったのは、どう見ても倉庫だ。
「俺の部屋に案内するから、そこで待っててくれる?」
「申し訳ありません」
「謝るのは、俺の方でしょ」
二人で廊下を抜け、ルシオの部屋へと入る。
突然来たというのに、部屋の中はすっきりとしている。
部屋の中に置かれてある机と椅子は、簡素な物だった。
「ちょっと待ってて。ちゃんとした椅子、持ってくるから」
「お気遣いなく。それよりも早く行かれた方がいいのでは?」
「じゃあ、お茶だけでも入れるよ」
「大丈夫ですから!」
細々と気遣ってくれるルシオに、叫んでしまった。
少し不服そうなルシオを見なかったことにして、何とか部屋から押し出す。
「優しすぎるのよ、もう」
ドアが閉まり静かな部屋の中、サリーナは思わず呟いた。
サリーナは行儀よく椅子に座ったまま、瞬いた。
本店の執務室とは違い、こちらは完全にルシオの私室である。
ある意味、周囲を見てはいけない気がして、下を向いた。
「何事もないと、いいのだけれど」
声が出てしまうのは、不安だからだ。
ちらりとドアを見つめる。
何も声が聞こえないからわからないが、大丈夫なのだろうか。
やっぱり、忙しいのだ。
今日だって、無理にサリーナとの時間を取ってくれたのかもしれない。
休んでもらった方が、ルシオのためになったのではないだろうか。
一人でいると、嫌なことばかりを考えてしまいそうになる。
思わず胸元に手が伸びた。
瞬間、ノック音が聞こえる。
「は、はい!」
驚いて声がひっくり返った。
心臓が大きな音を立てる中、「失礼します」と顔を出したのは、まさかのルシオの父親だった。
「お邪魔しております」
ぱっとサリーナは立ち上がり、お辞儀をする。
条件反射のようなものだ。
「そんなこと、なさらないでください」
ルシオの父親が、苦笑しながら入ってきた。
手には、ティーセットを持っている。
ルシオの父親は、基本的には本店にいると聞いている。
支店にまで来ているということは、本当に何か大変なことが起きたのではないだろうか。
「そんな顔をなさらなくても、大丈夫ですよ。私は、たまたま視察に来ていただけですから」
「そうでしたか」
「本当にお気になさらずに。ルシオとは無関係です」
そう言って、父親は手にしていたトレーを机の上においた。
カップが二つ。
「ルシオが対応中ですからね。代役です」
「そんな、わざわざ」
「こちらこそ、せっかくの時間を奪ってしまい、申し訳ありません」
ゆるりと首を振るサリーナの視線を受けながら、父親は「どうぞ」とカップを差し出す。
そのまま、向かいの椅子に座った。
すぐに出ていく様子がないということは、本当に何もないのだろうか。
「先日は、サリーナ嬢のおかげで本当に助かりました。ありがとうございます」
「そんな」
深々と頭を下げられて、サリーナは慌てて首を振る。
こちらが申し訳ない気持ちになってきてしまった。
「お役にたてたのなら、良かったです」
「お礼をお伝えしたいと思っていたのですが、遅くなってしまい申し訳ありません」
「本当にお気になさらずに」
体を小さくしながらカップを手にしたサリーナは、目を見開いた。
カップが少し冷えている。
「珍しい茶葉が手に入りまして」
「そう、ですか」
持ち上げると、ふわりとした香りが鼻をくすぐる。
これは。
視線を父親に向けそうになるのを堪えて、口をつけた。
キレのあるスッキリとした味だが、後から柔らかさも感じる。
息をつくと、奥から香りが抜けていくようだ。
王家の御用達のお茶。
二度目の人生で王妃だったサリーナにとっては、身近な茶葉の一つ。
誰しもが簡単に手に入れられるような、茶葉ではない。
どうして今、この茶葉がサリーナに振舞われているのか。
一口だけ飲んだカップを、サリーナはゆっくりと机に戻す。
腹部で手を組んで、目の前に座っている父親を見つめた。
「絶品ですね」
「それは良かった」
父親が目を細めた。
サリーナは微笑みながら、組んだ指先に力を込めた。
いろいろと、おかしい。
コンラード商会の支店は学院には近いけれど、王宮に近いのは本店の方だ。
本店の周囲には貴族の邸宅が多く、支店の周囲には平民の住居が立ち並ぶ。
客層が違うのでおかれている商品も、単価も違う。
この王家御用達の茶葉をおくとしたら、支店ではなく本店に置くべきだ。
貴族との商談を行う本店にこそ、この茶葉はふさわしい。
サリーナは、机に置かれたカップに視線を向ける。
このお茶は入れた後、少し冷まして飲むと味わいが深くなる。
つまり、サリーナが飲む時間を逆算して入れられている。
サリーナが支店に到着してから、父親が入ってくるまでの時間は数分しかなかった。
到着するよりも早く準備をしておかなければ、こんなにも早く提供できるはずもない。
思えば、ルシオが呼び出されたことも、おかしい。
会頭である父親の許可がなければ、こんな高級なお茶がサリーナに振舞われることはないだろう。
ルシオが呼び出されたときに、父親はこの場にいたことになるわけだ。
商会の会頭である父親が、この支店にいたのである。
ルシオよりも権限を持つ会頭がこの場にいるのに、わざわざ学生であるルシオを呼び出すようなことがあるだろうか。
サリーナの目の前に父親がいるのは異様だ。
ルシオが急遽支店に戻る必要に迫らせた結果、今サリーナは一人だ。
一人で、ルシオの父親と向かい合っている。
「私に何か、御用がおありでしょうか」
そう口にすれば、父親の口の端があがる。
楽しそうな顔は、ルシオに似ている。
その表情を見て、サリーナは確信する。
この状況は、父親が作った。
サリーナと二人きりで話ができるように、父親が周囲を巻き込んで動かした。
手をかけてまで、この場を設けた理由。
ルシオに聞かれたくない、何かがある。
やはり何かあったのだろうか。
不安に駆られながら、サリーナは組んだ手に力を込めた。
「先ほども申し上げましたが、特に不安になるようなことはありませんよ」
ルシオの父親が肩の力を抜いた。
軽く息を吐いて、顔をあげる。
「サリーナ嬢に、ルシオのことでお願いがありまして」
「……詳しくお聞かせ願えますか?」
これがただの要求だとしたら、サリーナはルシオの名前を出して時間を稼ぐつもりだった。
だが「ルシオのことで」の一言で、息をつめた。
サリーナの表情が、すっと変わる。
それを目の当たりにしたルシオの父親は、ほほ笑んだ。
この婚約者ではないと駄目な理由が、ルシオにはあるのだ。




