サリーナ、報告を受ける 後編
魔法をかけた契約について話したルシオは、そのまま「それでねぇ」と姿勢を変える。
ぱちりとサリーナが瞬く。
「サリーナに、協力してほしいことがあるんだ」
「もちろん、喜んで」
即座に答えるサリーナに、苦笑した。
底抜けの信頼が眩しくて、サリーナの頭を優しくなでる。
「俺ねぇ、サリーナのご家族と親交を深めたいんだ。特に、お兄さんと」
「兄、ですか?」
サリーナは首を傾げた。
シュベルグ家は全員、ルシオに対してかなり好印象を持っているし、信頼している。
とっくに学院を卒業して、今は子爵家を継ぐために修行中の身の上であるサリーナの兄も同じだ。
だた、ルシオはあくまでサリーナの婚約者なので、個人的な付き合いなどはない。
その言葉の意味がわかっていない様子のサリーナに、ルシオは告げる。
「俺の、大切な人の範囲を広げたいんだよ」
その一言で、みるみるサリーナの瞳が丸くなる。
大きな瞳が、ふにゃりと緩んだ。
「兄を、守ってくださるおつもりなんですか?」
「そんな大げさなことじゃないよ」
そんなことはないと、言葉も出ないサリーナは、首を横に振った。
ルシオは軽く言うが、その言葉の裏は決して軽くない。
サリーナの兄は、次期子爵だ。
王家の秘密である、巨大な魔法石を管理するシュベルグ子爵の名前を継ぐ。
機密事項を守るために王家に従い操られる未来が、サリーナの兄には待っているのだ。
それをルシオは、止めようとしてくれている。
考えもしていなかったことに震えるサリーナの前で、ルシオはため息をついた。
「本当は、子爵ごと引き離したかったんだけどね……」
「そんな、こと」
「サリーナさ。王家とお父さんの関係、気にしてたでしょ?」
ルシオの声が優しくて、サリーナの胸の奥が痛くなる。
確かにサリーナは、父親が王家にいいように操られていたことは知っていたし、辛く思ったこともある。
ただやはり貴族令嬢だからか、それをどうにかしたいとは思っても、手を出したことはなかった。
どうしたらいいのかすら、思いつかなかったということもある。
それなのに、ルシオはサリーナの一つ一つを気にかけて、拾おうとしてくれる。
どうして、こんなにも情をかけてくれるのか。
「あり、がとう、ござい、ます」
息が詰まって、言葉が途切れる。
ルシオの視線が絡み、何か言わなくてはと言葉を探すのに、胸の奥が熱い。
「え、サリーナ!?」
ルシオが、ぎょっと声をあげた。
その手が瞳に伸びる。
「な、何?」
「ふ、うっ……」
触れた指先が温かくて、そこから何かが溶けていくようだった。
目を閉じた途端にぽろぽろと零れる涙を、ルシオが指ですくう。
「どうしたの?」
声を出すと嗚咽が漏れそうなので、サリーナは首を振って、頬に触れるルシオの手を取った。
ぎゅっと握りしめる。
「サリーナ?」
心配そうなルシオの声に、さらに苦しくなる。
どうして涙が出るのか、サリーナにもわからない。
「大丈夫?」
「る、しお、様がぁ……」
握りしめた手に、おでこを寄せた。
「あまり、に、お優しい、のでっ……」
「は、俺?」
ぽかんとしたルシオまで気が回らず、サリーナは握りしめた手ごと、ルシオに頭を寄せた。
頭がルシオにぶつかったが、そのまま押し付けた。
「な、んで。そん、なにっ……お優し、い、ですかぁ」
「俺が?」
「そう、ですよぉ」
サリーナの兄のことなど、ルシオには関係ないだろう。
危険を冒してまでサリーナを守ってくれただけではなく、わざわざ時間を作ってまで兄に関わろうとしている。
隙さえあれば、サリーナの父親まで助けようとしてくれる。
どれもこれも、サリーナのために。
「俺、別に優しくないけど」
困ったような声で、ルシオがサリーナを引き寄せた。
温もりの中で、サリーナは首を振る。
「お優しい、ですっ……」
「そうかなぁ」
不思議そうなルシオは、本当に自分が優しいと思っていないようである。
こんなにサリーナのことを考えてくれているというのに、自覚がないのだろうか。
溢れた涙が治まってきそうだったので、サリーナはごしごしと目をこする。
「ルシオ様は、絶対に、お優しいと。わたし、は、思います」
小さく呼吸を繰り返しながら、断言するように力強く言った。
絶対に、これだけは譲れないとばかりに熱が入った。
「そんなこと言うの、サリーナぐらいだよ」
ルシオは笑ってしまった。
泣きながら主張することのほどでもないだろうに、サリーナは一生懸命である。
ルシオは、自分のことを優しいなどと思ったことがない。
どちらかと言えば、むしろ薄情なはずだがどうしたことか。
「初めて言われたなぁ」
「皆様、の。見る目が、ないん、ですよぅ」
つん、とした言い方に、思わず吹き出してしまった。
サリーナは本気でルシオを優しいと思っているようなので、それに乗っておくことにする。
様子から涙は止まったようだが、未だに自分の手を握りしめているサリーナの頭に頬を寄せる。
サリーナは基本的に恥ずかしいのか、ルシオに対する気持ちをあまり口にすることがない。
いきなり大きな爆弾を落としてくることがあるけれど、言葉は少なめだと思う。
それなのに、その瞳や伸ばされた手や態度が、どれほどルシオに向けられているかがわかってしまい、ルシオはたまらない気持ちになる。
抱きしめると、今更サリーナが身震いした。
「ね、サリーナ」
耳元で囁くと、肩が跳ねた。
自分から近づいてきたはずなのだが、こちらから距離を詰めると焦るのは変わらない。
だが本当に焦ったのは、先ほどいきなり目に涙を浮かべた姿を見た、こちらの方である。
ルシオを優しいと繰り返すサリーナに、気持ちがかき乱されたのは事実だ。
サリーナから表情が見えないことをいいことに、ルシオはひっそりと笑う。
「俺、頑張りました」
「はい」
胸元で、小さくサリーナが頷いた。
それを確認して腕の力を緩めると、目元を真っ赤にしたサリーナが顔をあげた。
真っ赤になって潤んだ目も、少しだけしゃくりあげる肩も緩んだ頬も、以前のサリーナが隠して見せてくれなかった姿だ。
それだけ、自分に気を許してくれているのだと思うと、素直に嬉しいと思う。
同時に腹部から沸いたどす黒いものは、無視して押さえ込んだ。
ルシオはサリーナの頬に触れた。
瞬いた瞳から零れた涙を指先ですくう。
「ご褒美ってことで、お願いをきいてほしいです」
「私に、できることでしたら」
泣いたからか、幾分幼く見えるサリーナは、疑うことも、断ることを知らないらしい。
小首を傾げる姿が無防備すぎるので、ルシオは視線を反らして机の上にあったケーキを引き寄せた。
フォークで、クリームとその下にあるスポンジを削り取る。
それを、サリーナに差し出した。
「はい」
「……え」
口元に向けられたケーキを見て、サリーナの未だに潤んだ瞳がルシオを見た。
これは言わないとダメかな、とルシオは笑いをこらえて口を開いた。
「口開けて」
「な!? ん、え!?」
腰を引こうとしたサリーナよりも早く、ルシオが手を回した。
動けなくなったサリーナの顔が、真っ赤に染まる。
「ほら」
「わ、私は! ここ、子供ではない、ので」
「知っています、そんなこと」
こんな子供がいたら、ルシオがもたない。
「俺のお願い、聞いてくれるんじゃなかったの?」
「それ、は。そう、なのです、が」
「だったらほら。口開けてよ」
目元に負けず顔を赤くしたまま、視線を彷徨わせているサリーナの動揺が伝わってくる。
それがおかしくて楽しくて、ルシオは笑いがとまらない。
「あーん、って」
「わわっ、私は今、甘いものを控えております!」
「そんなサリーナのために、ちゃんと厳選しました」
「私より、疲れていらっしゃるルシオ様の方が、甘いものは必要かと!」
ぎゅっと目を閉じて叫んだサリーナは「へぇ」と低く聞こえた返事に動きを止めた。
あれ、と顔をあげると、じっとこちらを見る紫の瞳と目があった。
「あ、の」
「サリーナが、食べさせてくれるの?」
「ん、え!?」
「だったら食べてもいいけど」
「そ、んなことは、くくく、口にしておりません!」
「そうなの? じゃ、食べる?」
「え? い、いえ……」
「何、どっち?」
どっち、と言われましても。
少し口を寄せれば触れてしまいそうな距離のケーキと、ルシオの顔を交互に見る。
どちらにしても、とても平穏でいられるとは思えない。
何としてでも、第三の案を考えなければ。
「じ、自分で頂きますから!」
「却下です。これは、俺のご褒美という名の報酬でしょ?」
「えぇ、と。では、別のことでは」
「ダメ。今、この場だよ」
あまりに無慈悲な答えに「酷い」とサリーナは再び泣き出したくなった。
ルシオが意地悪だ。
完全にパニックになりつつあるサリーナを、ルシオはさらに追い詰める。
「じゃぁ、選択権はサリーナに渡しますので、十秒で決めてください」
「十秒!?」
「俺はどちらでもいいので」
「短すぎませんか!?」
どちらを選んだとしても、サリーナの心臓は恥ずかしすぎて止まりそうだし、考える時間も足らない。
何とかしなくては、と思っても無駄である。
こういうときのルシオは強い。
「では数えます。いーち、にー」
「ルシオ様、え、あの!」
もう、止められそうにない。
ここまできたら、選ぶしかない。
より精神的な負担が軽そうな方は、どちらだと必死に考える。
すでに涙目になって視線を揺らしていたサリーナは、ぎゅっと目を閉じた。
恐ろしいほどの音をたてている心音を無視して、フォークを持っているルシオの手を握る。
反射的に引こうとした手を引っ張って、ケーキを口に押し込んだ。
「……えぇ?」
頭上で声がしたが恥ずかしくて顔をあげられず、必死で咀嚼して飲み込んだ。
味なんて、全然わからない。
甘さすら感じない。
「もう限界、です。無理です、ごめんなさい」
人生をやり直しまくったサリーナだが、こんな羞恥心に晒されたことは初めてだった。
どうしたらいいのかわからなくて、体を小さくして両手で顔を覆う。
ここから何を言えばいいのか、思いつかない。
ルシオに喜んでほしいと思うのに、とてもではないが心が追い付かない。
「えー?」
若干乾いた笑い声に、サリーナはぎくりと固まる。
呆れられたらどうしよう、と不安になるのに顔の熱が引かない。
「ご、ごめんなさ」
「いや、そうじゃなくて」
優しい声が耳元で響く。
驚いて顔をあげようとしたら、頭ごとルシオの胸元に押し付けられた。
「むぐ」
「今、顔あげたら駄目」
ルシオがサリーナの頭を優しくなでた。
動けなくなったサリーナは、ただただ目を瞬かせる。
「すっごいねぇ、サリーナ」
「……え」
間延びしたルシオの声は、怒っているわけでも呆れているわけでもない。
少しだけ、笑っているようにも聞こえる。
「こんな風にやり返されたの、俺、初めてだよ」
「は?」
「俺はもう、本当にいろいろと心配です」
ぎゅ、と回した腕に力を入れられても、サリーナは首を傾げることしかできない。
顔を上げないように「意味が……」と告げる。
「ね、わからないよねぇ」
軽く笑ったルシオは、これ以上話をする気はないようだった。
両手を頬にそえられ、サリーナはそろそろと視線をあげた。
その瞳を覗き込んだルシオが、口を開く。
「サリーナが可愛かったから、十分です」
「そっ、そういうことは、口になさらなくても結構です」
「言わないと、伝わらないと思うけど」
「わかっていて、おっしゃられていますよね!」
「何のことでしょう」
恥ずかしいから、いちいち言わなくていいのだ。
平然としているルシオに、サリーナはむぅと口を尖らせた。
「そういうのは、意地が悪いと言うんですよ!」
「あれ? さっきは俺のこと、優しいって言ってなかったっけ」
そう返せば、素直なサリーナは震えながらも口を噤んだ。
気にせず言い返せばいいのに、ルシオを優しいと言ったことを否定したくないのか。
それが嬉しいだなんて、ルシオは絶対に口にはしないけれど。
「俺は優しいからね、一口でだけでも申し分ありません」
「ルシオ様!」
サリーナの顔がまた真っ赤になるので、ルシオは声をたてて笑った。
自分の言葉を真っすぐに受け止めてくれるサリーナが、どれほど自分にとって大切な存在なのかはわかっている。
だからこそ、間違えるわけにはいかない。
あの、第一王子と結んだ魔法契約書は穴ばかりである。
ルシオやサリーナに手を出せないような契約ではあるが、余地は多分に残してあるので、実は手をかける方法はある。
気づいたところで、どうにもならないだろうが。
一方で、王と王妃が魔法で言うことを聞かせようとした事実を、ルシオと父親は体験して知っている。
魔法が使えない平民に対する仕打ちを広げられては、王家としては困るだろう。
どちらを真実とするかではなく、その噂が立つこと自体が醜聞となり、支持率を下げる。
どちらにしても、証拠は出せない。
王と王妃は、魔法による圧力にも負けなかったコンラード家の持つ、魔道具の豊富さを身に染みて感じたはずだ。
その魔道具を、上記の話と共に貴族に売りつけられでもすれば、自分たちのいいように操れなくなる。
むしろ、違和感を持たれてしまうだろう。
数多くある防御の魔道具を、どう組み合わせて威力をあげたのか、彼らは知りえない。
販売を抑制しても、すり抜けるだろう。
知っている可能性がある人間を一気に消すのが一番安全だろうが、それも無理な話だ。
どこの誰が、どこまでを知っているかを王家が探る手立てはない。
コンラード一家だけでもと思っても、ルシオの兄と姉は、父親にすら居場所を掴ませないので、王家程度では追えないはずだ。
もしも失敗したら、一気に反転させることになるので、そんな博打のような手はうてないだろう。
そうやって迷って疑って手をこまねいている間に、王家の力は削がれていく。
サリーナが見つけてくれた、あの元侯爵の弟は優秀だ。
売り出したクズ石付きの文房具は、学院に通う学生にこそ売れている。
サリーナが売り出した茶葉も、手軽だからと貴族の身内での女子会に重宝されている。
いずれ爵位を継ぎ、その配偶者となる彼らとつながることが何を意味するのか、王家は気づいているのだろうか。
「ルシオ様、聞いていらっしゃいますか?」
「聞いてます。どっちがケーキを食べるかって話でしょ?」
「自分で、ですよ」
「念押しが凄いね」
貴族令嬢とは思えないほど表情をころころと変える婚約者は、疲れているからとルシオにケーキを食べさせようと必死になっている。
その様子を見ながら、ルシオは口元に手をあてひっそりと笑う。
頭の片隅に追いやった第一王子の姿を浮かべながら、思う。
どう考えても。
絶対に自分は、優しくはないな、と。




