サリーナ、引っかける
一日の授業が終わり、サリーナはチェルシーと別れて、自習室へと向かった。
学院には放課後も勉強ができるよう、いくつかの部屋を自習室として開放している。
鞄と本を抱え、サリーナはとある一室へと入る。
人気は全くない。
この世の中の本は、一度は読み切ったサリーナではあるが、今日はあえて茶葉と魔法石に関する本を手にしている。
積み重ねと、周囲へのアピールは大事だ。
席は決まっている。
迷うことなく席につき、周囲からよく見えるように、魔法石に関する本と茶葉に関する本を分けておく。
読みながら、ペン先についた魔法石で時間を確認した。
王家の影の動きは把握している。
監視が外れた今、この自習室という閉鎖空間にまでは管理が及ばない。
サリーナは、視線を下げた。
そろそろくるころだ。
白い紙を取り出し、魔法石のついた水色のペンを取りだした。
そのまま紙にペン先を滑らせる。
だが、書けども書けども白い紙には何も写らない。
それでもサリーナは、気にした様子もなくペンを走らせる。
「君は、何をしているんだ?」
上から降ってきた声に、サリーナはぱっと顔をあげる。
机を挟んだ向かいに立っている男の姿を確認し、サリーナはさっと紙を隠した。
「特に何も、ございません」
ぎこちなさを見せながら、サリーナは紙の上に本を乗せた。
サリーナのあからさまな動きに、男が不審そうに首を傾げる。
「怪しいな。何を隠している」
「個人的なものです」
サリーナが静かに返すと、男は向かいに座って名前を名乗る。
侯爵家を名乗った男の視線から逃れるように目を伏せたサリーナも、名前を名乗った。
同じ魔法科に通っているのだから当然名前と顔は把握しているのに、この茶番である。
わざわざ身分を確認させる当たり、相変わらずの男だ。
「では、その紙を見せてもらおうか」
「重ねて申し上げますが、これは私の個人的なものです。お見せする必要があるとは思えません」
手を差し出した男は、まさか断られると思っていなかったようで目を丸くした。
その奥にいら立ちが見える。
「隠すということは、何かあると思われても仕方がないぞ」
挑戦的な物言いに、サリーナは口の端をあげた。
表情を隠そうともしないこの男は、サリーナが三度目の人生で結婚した相手である。
家名を何よりも大切にし、遥か空の上まで高く伸びるプライドを持った男だ。
気を引くやり方は、知っている。
「では、無理やりにでも取り上げられますか?」
そう言いながら、サリーナは重ねた本の上に両手を乗せた。
綺麗に組んだ両手に、男の表情がさらに険しくなる。
それをゆっくりと眺めた後、サリーナは手をのけた。
重ねた本を丁寧にどけて、下に引かれていた紙を取り出す。
「どうぞ」
手渡すと、男の眉がぐっと寄る。
見せられるのであれば、最初から見せればいいだけなのだが、このひと手間が男の気を引くためには必要だった。
真っ白な一枚の紙を、男は裏にして表にして確認している。
どうやったところで、何も書かれていない。
「本当に、この紙か?」
「まぁ! お疑いになるのですか?」
大げさに驚いたふりをして、サリーナは本をよけた。
机には何もなく、男はむっと黙り込んだ。
サリーナは気にしたそぶりも見せずに、にっこりと笑った。
「ご満足頂けたでしょうか」
「いや、まだだ」
男は不敵な笑みを浮かべる。
紙を折りたたんで、制服のポケットに入れた。
「これは預からせてもらう。何も書いていない紙を隠すことほど、おかしなことはないからな」
「そうですか」
頷いたサリーナは横においてあった鞄からノートを取り出し、何も書かれていないページを開く。
それと魔法石のついていない普通のペンを、机に乗せて男の方へと押し出した。
「何だ?」
「一筆、お願い致します」
「はぁ?」
「個人的なことだと申している紙を、無理やり取り上げ、お持ちになるのです。その責任の所在は、はっきりとさせておくべきかと」
「お、お前」
「侯爵家へもご連絡させていただきます。どうぞ、存分にお調べくださいませ」
男の口元が歪む。
子爵令嬢にいいように言われるなど、プライドが許さないだろう。
サリーナは薄く笑ったまま、男から視線を動かさない。
男は震える拳を握ったが、深呼吸をしながら椅子に座る。
何とかギリギリのところで、耐えたらしい。
ポケットから紙を取り出した。
「これは、返そう」
「よろしいのですか? 気になることがおありのようでしたが」
白い紙を受け取りながら、サリーナはわざとらしく小首を傾げた。
この男にとって、何をどう見せれば不快なのかはよく知っている。
「俺は、諦めんぞ」
「まぁ、怖い」
絞り出すような怨念めいた言葉にも、サリーナはころころと笑うだけだ。
男の肩が小さく震える。
ここが学院の自習室でなければ、子爵令嬢のサリーナなど、とっくに罵られていただろう。
頑張って我慢をしている男だが、短い堪忍袋の緒がそろそろ切れそうになってきたなと、サリーナはペンケースに手を伸ばす。
魔法石のついた水色のペンを取り出して、男に見えるようにおいた。
「何だ?」
「魔法石付きの、ペンです」
そんなものは見ればわかる、と訝しげにサリーナを見る男に、今度は先ほどの白い紙を差し出した。
「このペンで書いたのです」
サリーナは、男をじっと見た。
きゅっと唇を結んだまま紙とペンを見つめる男は、おそらくこれで仮説をたてる。
「魔法か」
小さく呟いた言葉に、サリーナは笑みを浮かべた。
力の抜けたような顔の男は、探るようにこちらを見ている。
サリーナは男の視線を誘導するように、指先をゆっくりとペンから紙へと滑らせる。
「私が書いておりましたのは、何度も申し上げている通り、個人的なことです」
「では、何故隠したのだ」
「私は、ルシオ・コンラードの婚約者ですので」
男の目を見てはっきりと告げれば、その目が見開かれた。
さっと視線を反らし、サリーナの机に積まれていた書籍に目を止める。
一目で魔法石と茶葉に関する本だとわかるよう選び、見えるようにおいたのだ。
しっかりと確認してもらわなければ困る。
侯爵令息なのだ、コンラード商会のことぐらい耳に入っているだろう。
このペンは商品として売り出しておらず、あくまでサリーナの私物である。
商会の名前を出して個人的なことと言えば、これ以上は男には踏み込めない。
さらに踏み込もうとするならば、商会の名前を出してしまえばいい。
「……そうか」
小さく嘆いた男は、視線を戻す。
視線は穏やかになったが、態度は変わらない。
ペンを見つめ口を開く。
「書いている本人には、何が書かれてあるのかわかるのか?」
「もちろんです」
サリーナは頷く。
それ以上は何も言わず、笑みを浮かべるだけだ。
男は眉根をよせるが、笑顔で返す。
「どのように、使用するのかを、教えてもらいたい」
男から、何ともカタコトな言葉が出た。
サリーナは、思わず笑いそうになるのをぐっと堪えた。
プライドが山のように高いこの男にとって、格下の子爵令嬢に教えをこうなど、本当は心の底から嫌に違いない。
どうしたものか、とサリーナは表情を崩すことなく考える。
学院での動きはサリーナに一任されているので好きにしていいのだが、あまりやりすぎると男の怒りをかってしまう。
サリーナは、水色のペンを手にしてくるり回して魔法石を男に向かう。
「ここを押すことにより、魔法がかかります」
魔法石付きのペンは、基本的に常時魔法がかかったままの状態だ。
だがサリーナが持っているペンは、あくまで必要なときに、必要な魔法がかかるようにしてある。
だからこそ長持ちする。
「この状態で書くことにより、魔法をかけた人間だけが、書かれていることを認識できるようになるのです」
「周囲には、わからないということか」
「基本的には、そうなります」
あくまでも「基本的には」を強調しておく。
男が顔をあげた。
「共有する手段はあるんだな?」
「人数は問わず、可能です」
魔力を細かくコントロールする力さえあれば、どこまででも可能だ。
男は興味深そうにペンを眺めた。
「ふむ。見られたくないことなどを書くときに、役に立つということか」
「えぇ、そうです」
口元だけ笑みを浮かべたサリーナは、視線を反らさず男の目を見据える。
「書いたものを見られたくない際に、とても便利なのです」
「なるほどな。第三者にはわからないが、書いた人間だけがそれを見れるわけだな」
「追加するならば、条件をクリアした相手も読むことができます」
「相手、か」
「はい。秘密の連絡手段といったところでしょうか」
自分で言っておきながら、サリーナは目を丸くして「あら!」と小さく叫ぶ。
指先を頬にあて、笑みを深める。
「思わず口から滑り落ちましたけれど、秘密の連絡手段だなんて。素敵な宣伝文句になりそうです」
男に微かに聞こえる程度で嘆いて、ふふっと小さく声をたてて笑う。
下から男をじっと見上げた。
「秘密の連絡手段……必要な方がいらっしゃるかもしれませんものね」
問いかけるように言うと、ゆっくりと男の目が見開かれていく。
息を飲んでこちらを見ている。
「お前、は…」
「どうかされましたか?」
優しく問いかけているというのに、男の顔色が悪くなる。
口元まで、少し震えてきた。
「何、の、話だ」
「ただの、一般的なお話です」
サリーナは、手を伸ばしてペンと紙を引き寄せた。
男は、侯爵令息としてはプライドの高さが鼻につくもの、真面目な男だった。
いずれは侯爵になるのだと日々ストレスがかかる中、婚約者である自分との関係も決して疎かにはしなかった。
そうやって気を張って生きてきたからこそ、癒しを別の相手に求めた。
三度目の人生で、この男と結婚した日のことを思い出す。
婚約者であるサリーナに求める物がなかったからか、男は数名の愛人を作った。
「お前は、形だけの妻だ」
男がそう言う度に、サリーナも「存じ上げております」と返したものだった。
男が特に気にかけていたのは、学院時代から懇意にしていた男爵令嬢だった。
学生時代から特別な仲だということは、知っていた。
結婚してから愛人を作ることは、相手が許せば認められているが、結婚前は話が別だ。
婚約者がいる状態で、他の女性と深い関係になることは、醜聞である。
有責で婚約破棄となってもおかしくない。
「お好きにしたら、よろしいのでは?」
それでもサリーナは、このセリフである。
当時は、性的な意味で男に興味がなかったので、放置していたのだ。
今世での彼の婚約者は、案の定、彼が求める癒される女性ではないようだ。
彼が女性に求めることは、男をたて、些細なことで喜び、反論せず受け入れてくれるという、大変都合良いものだ。
将来侯爵となる男の婚約者が、そんな女性で成り立つはずがない。
気を抜けば足を引っ張られる可能性がある貴族社会で生きていくためには、当然だった。
男の婚約者は、火遊び程度ならとある程度の行動を許しているようだった。
婚約者の矜持だろう。
だが彼女は、サリーナよりずっと男の行動に目を光らせている。
その目をかいくぐって、彼女と逢瀬を重ねるには連絡手段と場所が必要だった。
連絡手段用としての魔道具は値段も張り、連絡相手を互いに登録しておかなければ使えない。
男の小遣いではそこまで買えないだろうし、買ったとしても隠し通せる物ではない。
婚約者がいる中で堂々とは動けない今、小さなメモをさりげなく手渡してやり取りをしていることは知っていた。
このペンが誰よりも必要なのは、この男だろう。
固まっている男の前に、サリーナは手早くペンと紙を片付ける。
本をまとめて重ねてから、薄い黄色のペンを手に取った。
目の前の男によく見えるように、後ろについている魔法石を指で押した。
時間が浮き出たが、男にはわからないだろう。
そろそろ時間だ。
サリーナは、気づいたように前を向いた。
「では、私は次の約束がございますので。私は、お先に失礼させて頂きます」
「え」
掠れた声で嘆く男は、驚いたようにきょろきょろと周囲を見渡す。
ここから見える位置には、時計がない。
立ち上がろうとしたサリーナよりも早く、男が立ち上がった。
椅子が大きく音をたてたが、彼は気にしない様子で見を乗り出してきた。
「どこまで知っている」
直接訪ねてくる男に、サリーナは動きを止めた。
まさか、この質問に素直に答えると思っているのだろうか。
「何のことでしょうか」
「しらばっくれるな」
「怖いことをおっしゃらないで頂けますか。具体的なこともわからない以上、お答えの仕様がございません」
「お、俺の、ことだ」
サリーナは、知らず知らず息を止めた。
こちらが具体的にとは言ったものの、さすがに口にするとは思わなかった。
思っていた以上に、この年齢の男は、幼いようだ。
時間をたっぷりかけてから、探るような視線を向けた。
「後ろめたいことでも、おありでしょうか」
低い、強めの口調に、男の喉がひくりと震えた。
明らかに狼狽している。
サリーナは、困ったように微笑んだ。
時間切れだ。
「申し訳ありませんが本当に差し迫っておりますので、このまま失礼させて頂きます」
「ま、待ってくれ」
「商人は、決して時間を違えないものなのです。信用に関わりますので」
サリーナは、やんわりと言いながら眉を下げる。
サリーナは貴族令嬢なので、本来は時間について口にするようなことはない。
だが、コンラード商会の後継ぎであるルシオの婚約者であるならば、話は別だ。
「何か御入り用がございましたら、ご連絡を頂ければと思います」
「あ、あぁ……」
「お客様の個人情報は、必ずお守りすると約束します」
「それも、信用問題というわけか」
「商人であれば、当然かと」
優雅な仕草で、サリーナはカーテシーを披露する。
制服のスカートとはいえ、王妃仕込みのカーテシーの美しさに、男の目が見開かれた。
柔らかく微笑んでから、サリーナは鞄を手に歩き出した。
男の父親である侯爵は、一度だけコンラード商会にアポイントをとったことがある。
だがその一度きりで終わってしまい、継続的な物には繋がっていない。
ただの興味本位だったのだろう。
高位貴族は昔なじみの商人をお抱えとして雇っているので、その中にコンラード商会が割って入ることはできても、奪うことは難しい。
だが、息子は別だ。
侯爵は崩せなくても、息子の興味は引けた。
サリーナが男爵令嬢との関係にも気づいていることも、伝わったはずだ。
このまま黙って引き下がる男ではない。
あの男を引き込めれば、彼の周辺にいる貴族令息や、彼らの婚約者とも話が出来るかもしれない。
自習室を後にし、帰ろうと歩くサリーナの横を、一人の女子生徒が通り過ぎる。
よく知るその横顔を確認し、サリーナはそっと笑みを浮かべた。
ちらりと振り返ると、自習室へと入っていくのが見えた。
ドアの開閉の音がする。
「お待ちしていますよ」
ルシオに報告しておかねば、と頷いたサリーナは、そのままゆっくりと歩き出した。




