ルシオ、友とアレコレ(色欲)相談する 後編
男はルシオの友人であり相棒であると自負している。
そんな男でも、ルシオの婚約者であるサリーナには直接会ったことはない。
女性関係に関心のなかったルシオが婚約者にと言いだした女性なので、男もサリーナの素性は調べたのだ。
目を引くような美女か才女を想像していた男は、実際のサリーナを見てそれはそれは驚いた。
サリーナはごくごく普通の貴族令嬢で、特筆すべきところがあるかと言われると苦しい。
顔立ちは幼いので可愛い部類に入ると思うが、特に目立つわけでもなく、気を引きそうな覚えはない。
魔力は高いようだがそれだけで、学院の成績も平凡だ。
ルシオが気にかけるようなところが何一つ見当たらず、男が首を捻って悩むほど、サリーナは普通の御令嬢だったはずだ。
だからこそ、ここまでルシオに影響を与えるとは思わなかった。
『あのお嬢さん調べたときにはわからなかったけど、そんなにアレだったっか?』
「何が?」
『いやほら。オトコを誘うような行動するタイプだったっけ?』
「違う、誘ってるわけじゃない」
『はぁ?』
「あれは、煽ってるんだよ」
『お、おぉ?』
「しかも本人に自覚がない。本当に無自覚だ、わかってない」
恨みが籠ったように、きっぱりとルシオが告げた。
手に力がこもる。
今日久々にサリーナと一日過ごして、実際に何度も危ない機会はあったのだ。
久しぶりに会えたことに加え、何かと距離が近かったからかと思ったが、それだけではない。
サリーナが無意識にルシオの地雷を踏みぬくので、その都度ルシオは理性を戦うはめになった。
「何でわかんないのかなぁ……」
シュベルグ家の異性教育はどうなっているのか、本気で心配になってきた。
あれを思い出すと、ハニートラップが可愛く思えてくる謎の現象に襲われる。
ルシオにとって恐ろしいのは、サリーナが自分の置かれている現状を、全くわかっていないことにある。
貴族令嬢だからか基本的には距離があるのだが、気を許した相手には驚くほど素直になる。
フィゲロで対戦すれば、納得である。
言葉や態度、視線がストレートに好意を伝えてくるので、ダメージをくらうはめになる。
おまけに受け入れ幅も深く広いうえに謎の博愛精神も持ち合わせているため、こちらが抱いているどろりとした感情に気付く様子もない。
ルシオの言葉や態度に真っ赤になるほど慣れていないサリーナを見ている裏で、ルシオが何を考えているのかなんか想像もしていないのだろう。
『えーじゃあ、どうすんの。俺、緊急回線開いたらお嬢さんを助けに行くよ』
「だろうね」
『だったら何とかしろよな。助けに行ってルシオが襲い掛かってたら、俺はどうしたらいいんだよ』
「俺を殴ればいいだろ。優先はサリーナだ」
『おぉい! 俺は『そんなことするか』ぐらいのセリフを期待したぞ!』
「そんなこと言われても、可能性は否定できないな」
『だったら、対策考えろ!』
ごもっともすぎる叫びである。
だが、ルシオとて自分の理性を信じられるほどの自信はない。
あんなものは、いざというときにはたいして頼りにならない。
電流の方が、よほど自我を取り戻すのには有効だ。
「やっぱり、制約を緩めるしかないか……」
『俺が受け入れられるレベルにしろよ!』
「わかってるよ」
媚薬を飲みまくった経験上、自分の理性の振り切れ具合は知っているので、この手のことで悩む羽目になるとは思わなかった。
媚薬に対しての耐性をつける方法は、コンラード家では二つある。
一つ目は、そのまま欲望のままに過ごす方法だ。
これは欲望に忠実になればいいだけなので、ある程度対応可能である。
頭の中がふわふわとするし疲れるし、やりたくはないがそのうち何とかなってしまう。
問題は二つ目で、こちらはひたすら耐えて過ごす方法だ。
目の前に何がきても、どんなことが起きても手を出さないで過ごせるよう、ただただ我慢して堪えるだけだ。
手足は固定しておかないと、薬が抜けるまではとても耐えきれない。
幻覚が見え、幻聴も聞こえ、服が擦れるだけでも頭の中が狂うので、本当に本当に二度とやりたくないと思う。
その経験をふまえ、ルシオはサリーナに対して制約をかけた。
あのときの自分の頭の中を思えば、制約をかけないとサリーナを傷つけることになりかねないからだった。
彼女に触れるのもためらったことを思えば、ルシオからすると当然のことだった。
どこまで近づいて触れていいのか、場所や人数によっても可能な範囲は違う。
自分のスイッチがどのタイミングで切り替わるのかを細かく見極め、決してサリーナを傷つけないように決めた。
ルシオはそれを、今でもかたくなに守っている。
自分で決めた制約がある限り、サリーナに手を出すことはないはずだった。
それが揺らいでいる。
「どうするかなぁ……」
正直、制約を緩めてしまうのは簡単だ。
ただ、そうなればその分サリーナとの距離が近くなる。
触れる範囲が広くなるが、サリーナが嫌がることはしたくない。
そう思う反面、彼女は懐に入れた相手には酷く甘いので、押せばどこまででもいけてしまいそうで怖くもある。
自分が堪えられるかどうか、いまひとつ自信がない。
結婚できればそれが一番早いのだが、貴族は学院を卒業してから結婚するのが普通だ。
平民は家の問題や跡取りの関係で結婚することもあり絶対に駄目だと決まっているわけではないけれど、貴族相手となるとかなり難しい。
自分たちの場合、周囲を納得させるような理由が特にない。
『貴族って、あれだろ? 結婚するまでちゅーもしないんだろ?』
わりと真面目に考えていたルシオの耳に、どうでもいい発言が聞こえてきた。
思わず思考が途切れる。
「……ネズミ?}
『違う! ちゅーだよ、キス』
「え、何。くだらなすぎて突っ込む気にもならないんだけど」
『だからぁ。世の中の貴族様はすげーなって思ったわけよ。俺、無理だ』
「理性はどこへ」
『バカ、これぐらい普通だ!』
ルシオの残念そうな声に、思わずムッとする。
しょぼくれたルシオが心配で気にかけているというのに、この言われようは腹が立つというものだ。
反論してやろうと口を開いた。
『お前余裕かましてるけどなぁ、お嬢さんには元婚約者がいるってこと忘れてねぇだろな』
「はぁ?」
『お嬢さんが無自覚に男を煽るタイプだったら、元婚約者だって引っかかってたかもしれないんだぞ!』
「……何それ」
通信機からゾクリとする声が聞こえて、男は息を飲んだ。
マズイ、言い過ぎた。
ルシオの声音が冷えている。
「サリーナが。あの男を、煽ったって?」
『え、いや、違……』
「言ったよね」
『いや俺は、可能性を……』
「人の婚約者を、誰かれかまわず煽りまくる、節操のない人間だと言っているわけだ」
『そこまで言ってねぇだろ!』
思わず叫んでしまった。
だがルシオは冷ややかに「ふーん」と返してくるだけだ。
通信機越しで顔が見えないのが悔やまれる。
表情がわからないので、声をかけられない。
「だったら、お前も外さないとな」
『へぁ!?』
「サリーナの緊急回線から外す、組み替えるから通信機を返せ」
ルシオが、とんでもないことを言い出した。
思わず立ち上がりながら、男は声を荒げる、
『ま、待て! 何でそうなるんだよ!』
「俺は余裕がないので。次の便でよこせ」
『悪かった、そういう意味じゃない』
「別に気にしてない。お前がサリーナに煽られたら困るから、外すだけだ」
『ルシオの婚約者に手を出すわけないだろ!』
「サリーナがお前を煽る可能性がある以上、近づけられるか」
『俺を何だと思ってんだよ!』
緊急事態に駆け付けた挙句、友人の婚約者に手を出すような男と思われていたら心外すぎる。
さすがに聞き捨てならないと怒りを含んだ声をあげると、通信機の向こうでルシオが低く笑った。
「随分と、役にたちそうにない理性じゃなかったっけ?」
『おい、喧嘩売ってんな?』
「何言ってんの。俺は買っただけだ」
カチンときて粗い口調で問いかけると、冷ややかな声が返ってきた。
こちらの感情も速攻で凍らせてきそうな静かな様子から、相当お怒りらしい。
確かに最初に言い出したのは男の方なので、ルシオの言っていることは間違っていない。
最初に喧嘩ふっかけたのは、男自身だと自覚している。
ただそれは、元婚約者の存在にルシオが焦ればいいという考えからで、決してサリーナに対してのものではなかった。
執着している婚約者の知らない一面を元婚約者が知っていたとすれば、さぞ慌てふためくだろうなどと思ってしまったのだ。
それなのに、ルシオは静かに淡々と告げる。
男が思い付きでサリーナを利用したからこそ、怒りを隠していない。
男は髪をかきあげながら、口を開いた。
決してルシオの婚約者を節操のない人間だと言ったわけではない。
『悪かった、言い過ぎた。思ってねぇよ、そんなこと』
「…………そう」
少し間が開いてルシオが答えた。
ため息交じりの声に、思わず肩の力が抜けた。
何の話からこうなったのか、わからなくなってきた。
男の話なぞ興味がなくなった様子のルシオは、小さく「元婚約者か」と呟く。
『あんな野郎のことは気にすんな! 所詮上辺だけの関係だ』
話を蒸し返されでもしたらたまらない、と男は声をあげる。
その声をどこか遠くで拾いながら、ルシオはサリーナの元婚約者の顔を思い出す。
隣国の王女に夢中な、サリーナの元婚約者。
王女が商会に来る際は、毎回王女の左隣をキープして離れない。
せっせと彼女に貢いでいる男だ。
今となっては、王女の好みも彼の好みも出せる金額も、把握してしまっている。
正直なところ、あの元婚約者の男とサリーナの仲を疑ったことは一度もない。
ただ、あの元婚約者は馬鹿真面目な男なので、婚約者としての役目はしっかりこなしていたと記憶している。
互いの家に遊びに行き、たまに二人で出かけ、社交界ではエスコートをしてファーストダンスを踊るのだ。
元婚約者は格上の伯爵家の令息なのでサリーナに手を出すことはないはずだが、触れたことがないとは思っていない。
『ルシオ、彼女はお前の婚約者だぞ!』
「知ってる」
サリーナの素直さは気を許した相手にしかわからないので、そこに元婚約者が入っていたかどうかが気になるところだ。
何故か元婚約者が思いを寄せる隣国の王女との仲を応援している様子だし、その割に何か手をだすわけでもない。
婚約解消後の様子を知っているだけに、大丈夫だろうと思うものの、確証はない。
記憶から抹消したいと思わなくもないが、かなりの売り上げに貢献していることから気前のいい上客として認識を変えた。
利用できるものはうまく利用することは、大切である。
「あいつ、王女とセットで役に立つからなぁ」
『え、何その不穏な表現』
「さっき言ったろ、試したいことがあるって。うまくいけば、サリーナの名があがる」
『はぁ!? そっち!? まさか、お嬢さんと会わせる気じゃないだろうな」
「できればそれがいいけど、サリーナ次第じゃないかな」
『お前はそれでいいのかよ。元婚約者だぞ』
「別に、二人きりになるわけでもないしね。それに、他にいい上客が思いつかない」
確かに、隣国の王女ほどの上客と同格の客はそうそういない。
あの王女をうまくつかえば、良い方向に向かうのならば、利用することに躊躇はない。
使えるものは使う主義なので、サリーナに影響がない限りは、元婚約者と王女はルシオにとって、ただの客にすぎない。
「サリーナ、気にしないと思うんだよね。あの二人にそこまで思い入れがあるようにも見えないし」
『それは確かに……あのお嬢さん、全然気にしてなかったな』
まだ二人が婚約中にも関わらず元婚約者が王女に付きっきりでも、サリーナは笑顔だったと記憶している。
婚約解消に至っても、スッキリした表情だったので、元婚約者に何の気持ちも残っていないのは、男でもわかる。
そこまで考えて、男は頭を振った。
いくら考えても、そこに口を出すのは役目ではない。
考えることを放棄して、肩を竦めた。
『俺としては、何かあったら連絡くれれば、どっちでもいいってことだな』
「動きがあれば、連絡するよ」
『……緊急回線だけはやめろよな。頭が切り替わるんだよ』
「とりあえず覚えとく」
『そこは頷けよ!』
「俺、自分の理性は信用してないけど、電流は結構効いたから信用してるんだよね」
『おい!?』
「何かあれば使うと思うから、そのときはすぐに連絡するよ」
『ルシオこそ、理性が全然役にたってねぇな! 堂々と宣言すれば使っていいとでも思ってんのかよ』
「これぐらいが普通って言ってなかった?」
『いちいち過去のセリフを持ち出してくんな!』
「もう少し、自分の発言には責任を持った方がいいと思いますが」
『嫌味が凄いな! 悩むぐらいなら、さっさと手を出せばいいだろ、それで終わりだぞ!』
通信機に向かって声を張り上げる。
途端、向こう側が静かになった。
ぜぃぜぃと息を乱す男は、返答がないので首を傾げた。
「そこまで言うなら、やってもいいけどね」
口を開くよりも早く、爆弾が落ちてきた。
ぽつりと投げられた言葉の威力に、男は目を剥いた。
『や、やめろ! 落ち着け、待て! 相手は貴族の御令嬢だぞ!』
「手を出せば終わりって言ったばかりだろ」
『本当にやったらマズイことはあるだろ!』
「…………何なの、どっちなの」
問われてもこちらが困るというものである。
通信機の向こう側で眉をひそめているルシオが想像できて、悲しくなってきた。
ルシオが息を吐いた。
「どのみち制約を緩めないと俺がもたないし、丁度いいかもね」
『やめろよ……俺は怖いぞ』
「お前の心情は横において。頼りにはしてる」
『勝手に頼るな!』
ルシオが言うと、本当に起こりそうで本格的に怖くなってきた。
突っ込みのような叫び声が泣き言に変わってきても、ルシオはけろりとしている。
「とりあえず、今度出かける計画立てないとなぁ」
『ルシオ、私室にお嬢さんを入れるなよ! 雰囲気を作るな、壊すんだ。いいな!』
「先にどっちがいいと思う? 打合せから逆算からするとさぁ」
『聞けよ! お嬢さんとの話はどうした!』
「頭が働いてきたから、そっちは後で考える」
『今すぐ考えろ! お前今、ヤバイから!』
全然話を聞きそうにないルシオに、男は必死で声をあげた。
先ほどまで唸っていたルシオが、よく知るいつもの声で「頭が働いてきた」と言っている。
長年付き合ってきているからわかる、つまりは振り切ったのだ。
考えをまとめて切った後のルシオの行動力は、恐ろしく速い。
それをよく知る男は大変なことになったと青ざめるが、ルシオは気にした様子はない。
通信機を両手で包み、何度もルシオの名前を呼ぶ。
一回立ち止まってもらわないと、サリーナにまで被害が及ぶ。
ムッとしたルシオの声が聞こえた。
「何だよ、うるさいな」
『聞け。お前は今、とてもよくない!』
「……文章力、酷いね」
『お前のせいだろ!』
着地点が見えないながら、男は何とかルシオの考えを聞き出そうと決意する。
何をする気か確かめなければ、とても安心できそうにない。
だが、面倒になった様子のルシオに通信機を切られそうになり慌てた。
『ルシオ、ルシオ! ちょっと待てって!』
「聞こえてる、声が大きい」
『とりあえず話を戻そう、何でそんなにスッキリした声になった?』
男は必死だったが、ルシオが当然答えることも、話に付き合うはずもなく時間が過ぎる。
男の様子に「しつこいな」と一言告げたルシオは、サリーからもらった茶葉でお茶を入れようと立ち上がった。
そのうち「俺たち、今すぐ会った方がいいんじゃないか!」等と男が言いだすまで、ルシオは通信機を机の端に放置したのだった。




