ルシオ、友とアレコレ(色欲)相談する 前編
サリーナを邸宅まで送り届けたルシオは、そのまま支店にある自室へと戻った。
朝からサリーナを連れ出してしまったので、早めに返したこともあり、まだ日は暮れていない。
椅子に腰かけたルシオは、襟の裏につけていた小さな魔道具を取り出す。
小さなボタン程のサイズの魔道具は、真ん中を押し出せば服に着けられるようになっている。
手に乗せた魔道具の中心を、ルシオは力任せに捻った。
『ルシオ?』
小さな雑音が聞こえた後、若い男の声が聞こえる。
この小さな魔道具は、通信機だ。
ルシオは音量を調整しながら、椅子に背を預けた。
「聞こえてる。悪い、遅くなった」
『そんなこと気にしてない。ってか、さっき警報鳴らしたのってルシオ?』
「そう、俺」
若干疲れの滲む間延びした声を返すと、向こうで笑い声が聞こえた。
通常ならバカにされていると反応するところだが、相手が彼ならばそれもない。
通信機の向こうには、ルシオにとって最も頼りになる男がいる。
幼少期から仲が良くバカもアホもやってきた幼馴染という間柄で、兄弟というよりも相棒に近い関係性が今でも続いている。
ルシオがコンラード商会の後継者と決まったときには、ルシオの力になりたいとその下についてくれた。
サリーナのことを調べ上げた一人が、この男である。
『俺、めっちゃビックリしたんだからな。いきなり緊急通信が開くんだもん』
「悪かったと思ってるよ」
『すぐにルシオから合図が来たから動かなかったけど、突撃しようとしてたわ』
「だから悪かったって」
ため息をつきながら繰り返す。
自分がやらかしたとはいえ、真面目に仕事をしようとしてくれている彼には申し訳ないことをした。
サリーナに渡したネックレスには、護身用の魔法がかかっている。
本人が危険を判断した時に、その相手に電流が流れるようにしてあるのだ。
ただ万が一を考え、手動の場合は目の前の相手に電流を流れるようにしておいた。
そしてどちらにしても使われたときは緊急と判断し、ルシオとこの男にすぐさま連絡がつくように設定してあるのだ。
ルシオが手動とはいえ作動させたため、男には「緊急」として連絡が入った。
サリーナに何かあったと動こうとした男を止めたのもまた、ルシオから入った通信だった。
『おかしいとは思ったんだよなぁ。今日、親父さんと対面って言ってたし。無事に終わった?』
「無事かと言われると悩むけど、まぁ一応」
『なぁんだよ、歯切れが悪いな。何があったんだよ』
「詳細は知らない。ただ、父さんが何かしたのは間違いない」
苦々しく言いながらも、父親に対する怒りが再燃してきた。
サリーナの瞳がうるんでいたからだけではない。
着ていた服の胸元に、不自然なほど皺が寄っていた。
その中心に何があるのかわかった瞬間、頭に血が上った。
不安で心細かった中頼れるものがネックレスしかなかったサリーナの気持ちを思うと、父親にやり返さないと気が済みそうにない。
その一方で、サリーナが父親に感謝しているのが解せない。
父親がサリーナに何か言った結果、彼女は気持ちを強く持とうとしているらしい。
いろいろと突き詰めたいことが多すぎるが、この辺りは濁しておいた方がいい気もしている。
あの父親があんなに爆笑していたことを考えると、飛び火しそうで嫌だった。
「本当に本当に、一応ってところだな」
『一応でも、とにかく終わったなら良かったじゃん。お疲れ』
「どうも」
口調は軽いけれど、気にかけてくれていたことは知っている。
相棒であり友人であり、信頼のおける男なのだ。
けらけらと笑った男は『んん?』と止まる。
『ってことは、ひとまずこれ以上はしなくていい感じ?』
「……とりあえず、王家が絡む案件が終わるまで凍結だな。父さんが会頭の方が動けるし」
『面倒なことは親父さんに押し付けりゃいいんだよ。その方がルシオも楽じゃん』
「凍結とはいえ、準備は続けるからな。いつ必要になるかわからない」
『そんなもんかねぇ。ま、ルシオがそう言うのなら、やるよ』
ルシオは目を細めた。
男に頼んでいることは、コンラード商会の根幹に関わることだ。
実のところ、父親から商会を奪ってやろうかと本気で画策していたりする。
すべてはいきなり無理だとしても、おいしいところだけは根こそぎ移せる手はずは整えておきたい。
いざとなれば、父親と対立することも考えて、男には手を回してもらっているところだ。
男はコンラード商会の人間ではない。
彼の雇用主はルシオであり、ルシオの父親ではないのだ。
コンラード商会にとって良くないことでも、ルシオが頼めば動いてくれる。
そういう関係なのだ。
「助かる」
『おぅ、まかせなさーい』
言葉は軽いが優秀なので、問題ないだろう。
今日の様子からすると、ルシオの父親は大変腹がたつことにサリーナを気に入ったようなので、ひとまず害になることはないだろう。
だが何かあれば、表に立つのは自分だ。
『他に報告ある? 親父さんと話して何か増えた?』
「増えたよ。いろいろと試したいことがあって、意見を聞きたい。時間は?」
『もちろんあるよ。どうした?』
当然のように言ってくれるし、受け入れてくれる。
ルシオは椅子を引いて、頭の中をまとめながらメモを取り始めた。
向こうも向こうで真剣に聞いてくれているだろう、意見交換は重要である。
ルシオは学院に通っており、その中でも友人と呼べる人物はいる。
ただルシオからすると本音で話せる相手ではなく、商会のこととなると話は別だ。
そういった意味では、この男はルシオにとって気の置けない友人である。
一通り確認して手はずを整え、ある程度の方向性が見いだせたところで、男が『ルシオさぁ』と声がかけてくる。
『何か、変だよ』
「……そうかな」
『やめろよ、俺にまで隠すのはなしだって。何だよ』
幼いころからの仲である。
通信機越しでのやり取りも数えきれない。
ルシオだって、通信機を通しても男の様子は手に取るようにわかるほどだ。
大きく息を吐いて、項垂れた。
「今日、いろいろとあって。本当にいろいろあって、まだキツイ」
通信機の向こうが一瞬静かになった。
目を閉じたルシオは「本当に、きつかった」ともう一度嘆く。
『それって。警報ならしたことと関係あんの?』
「…………あるから、こうなってる」
投げやりな低い声が漏れた。
自分でも荒れているなと思うけれど、言葉にしてしまえば止まらなくなりそうだった。
言われて気づくが、自分自身で結構なダメージがあったのだとわかる。
「俺、いつかサリーナに手を出す気がする……凄い嫌だ」
「はぁ!?」
「久々に一日一緒にいたけど、何回も危なかった」
『え、そんなにヤバいの?』
「ヤバくなかったら、警報装置に触ってない」
思わず納得してしまうほど、もっともな発言である。
「あー、自分が嫌だ。最悪だ」
駄々をこねるような言い方に、男は言葉を返せない。
ルシオは元々とても淡泊な男である。
商会の後継ぎにルシオが選ばれたのも、この性格が理由の一つだ。
こだわりもなければ、何においてもたいした興味もなく、ただやることを淡々とこなすのだ。
思春期になり異性を意識しだす年頃になっても、ルシオは完全に遠くから眺めているだけだった。
むしろそこから何か耳寄りな話がないかと聞き出そうとするほど、そっちには興味がなかった。
そのルシオが、何とも言えない声で項垂れている。
「ネックレス渡しておいて良かった、手動で動くようにしておいて良かった。本当に危なかった」
「お、おぉ」
「媚薬飲んでおいて良かったー。あの経験がなかったから、多分今日やらかした気がする」
「そ、そうか!」
これは大変だ、と男は声をあげた。
ギリギリで保っているようだが、振り切れたルシオは恐ろしい。
あっという間に行動に移すので、ここは何としてでも頑張ってもらわないと、大変よろしくないことになる。
相手がただの平民のお嬢さんなら「やっちまえ」と一言足すだけで終わりだが、ルシオの相手は貴族令嬢なので、不用意なことは口にできない。
げっそりとしたルシオの声が、掠れている。
「俺、危ないヤツだったんだなー」
『偉いぞ、ルシオ! お前は男の中の男だ、よく我慢した!』
「早く結婚したい。そうすればこんなに悩むことないのに……」
『凄いぞ、さすが! 頑張ったな!』
男は精一杯考えたのだろうが、謎の応援が飛び出した。
通信機の向こうで必死な様子がうかがえたので、ルシオは少しだけ笑ってしまう。
『ルシオ大丈夫だ! お前はやればできる男だ!』
「何だよ、それ」
熱の入った訳の分からない声援に、吹き出す。
へにゃりとした声に、男も笑ったのがわかった。
和やかな空気が流れたところで、男がホッとしたように口を開く。
『つか。ルシオって性欲あったんだなぁ』
「……何言ってんの」
『んー、だからさぁ。ルシオって、素っ裸の女みても平然としてるじゃん。だから、ソッチ方面はあんまりご興味ないのかと』
「興味がないわけじゃない。面倒なだけだ」
『お前なぁ……』
ルシオは、女性経験がないわけではない。
年頃になれば周囲でもそういう話は出るし、平民であるがゆえ貞操観念なんてものは口だけだったりする。
大義名分はいくらでもあり、青少年の持つ興味と欲は底知れない。
ルシオの父親もハニートラップのことだけ教えた挙句に「変なのにひっかかるな。避妊だけはしろ」で終わりだったので、止める者もいなかった。
顔はさておき教養があり、家は商会で資金もあるルシオは、女性からの人気は大変高かった。
ただ本人がしれっとしていたので、女性関係は落ち着いていただけにすぎない。
相手が本気の場合に手を出すと、深刻な事態になりかねないことは、本人が誰よりも自覚していたからだ。
『そんなこと言うから、不全扱いされんだよ……』
「はぁ!? 誰が!」
『店に行ったときの話、忘れたのか?』
昔、通信先の男とお金を払って、そういう店にも行ったことがある。
大変満足した男とは違い「これは、全然割に合わない仕事だな」等と平然と語っていたルシオは、ただただ相手の仕事内容を聞いて過ごしていたらしい。
何とも魅惑的で、ローブを脱げば肌を覆うものなどほとんどないような布しか身に着けてない女性相手に「寒いなら、上に何か羽織れば?」と言い放ったのである。
『あれで、ルシオはソッチ系は不全じゃないかって噂たったろ』
「俺は、人に触られるのは嫌なだけだ!」
『触りもしなかったくせに、よく言う』
「……わざと作った声で喘がれて、楽しいか?」
『普通気にしないんだよ! あるだろ、ノリとか空気とか!』
男は叫ぶが、ルシオが「そんなものはなかった」と平然と言うので、諦めた。
いまいちこの話題に関しては、ルシオとはわかりあえそうにない。
結局不全だという噂も、広がるならば火消しに走らねばと見張っていたがすぐに消えたので、そのままである。
あれ以来、ルシオはこの手の店には行っていない。
そこからはルシオがコンラード商会の後継者として決まり、男も続くようにその道を歩いてきた。
通信機でのやり取りは頻繁だが、直接会うことは減ったので、男にはルシオの現状がわからない。
『ルシオさぁ……まさかと思うけど手つきがいるわけじゃないよね』
サリーナに手を出さない代わりに、他で処理をしていないかと心配になってきた。
さすがに貴族令嬢が婚約者なのにそんなことをしていると知れたら、婚約は破棄されるだろう。
専用の女性を囲っている可能性があるのではと、とんでもない発想まで飛び出してきた。
「お前……」
『いや、違う! 俺はただ、今どうしてんのかなーって心配しただけ! 同じ男として!』
呪いのような声が通信機を震わせる。
通信機越しに殺気が感じられ、慌てて否定した。
間違えた、これはさすがに言うべきことではなかった。
何とか誤魔化そうと、言葉をひねり出す。
『俺はさぁ、ほら。気にせずやれるけど、ルシオはそうもいかないじゃん? あんまり貯めるとよくないよ、我慢はよくない』
「よく我慢したとか言ってた口は、どこに行ったんだ」
『我慢も大切だけどさ、日常的に発散しておけばいいんじゃねぇのって話だよ』
「発散ねぇ……」
考えるそぶりをみせたルシオに、内心そわそわしながら返答を待つ。
これで「誰か紹介しろ」等と言われてしまったら、どうしたらいいのだろう。
とりあえず友としては止めようと決めた。
だが男の意に反して、ルシオは軽い。
「そういえば俺。何もしてないな」
『何も?』
「よく考えたら、何もしてない。いつも仕事して疲れて、そのまま寝てるな」
『お前何歳だよ、おっさんじゃん!』
「うるさいな、それどころじゃなかったんだよ」
学院の課題はたいしたことがないが、やりたいことと手を広げたいことが山のようにあるので、毎日時間がない。
学院に入ってからは、仕事の合間に貴族を含めて人間関係を把握するので精一杯だったし、あのときは自分のキャパも狭かった。
今はましになったものの、王家の動きも気になるし、父親の方も見張っておきたい。
今日の話の中で新しい動きも出たし、サリーナにも時間をさきたい。
時間を歪める魔道具があればとは思うがそう簡単には使えないので、結局限られた時間の中で必死である。
そうしているうちに、性欲はどこかにいっていた気がする。
「忙しければ、後回しになるってことか」
『違うだろ! そうじゃないだろ!』
「わかってるよ、それじゃどうにもならないことぐらい」
ルシオは大きなため息をついた。
結局のところ、自分次第なのだ。
黙り込んだルシオに対し、男は『うーん』と唸る。
問題なのは、ルシオの興味が婚約者一人に全振りしてしまっていることだろうか。
だからといって、他のことで反らすわけにもいかない。
男はため息をつくルシオの声を聞きながら、どうしたものかと首を傾けた。




