サリーナ、ルシオと一息つく
ルシオとその父親と三人での話は、サリーナにとってはとても有意義なものだった。
何よりも驚いたのは、サリーナに伝えられた内容が幾重にも準備されていたことである。
話の内容は多岐にわたった。
王家のとのこと。
ルシオとサリーナのこと。
コンラード商会のこと。
そのどれもが、いくつも案がある中で練られ、調べられていた。
魔道具を使っているとはいえ、正確で詳細なデータには圧倒されてしまった。
ルシオにも父親にも声をかけてはもらったが、口を挟む余裕などない。
剛速球で会話のやり取りが繰り広げられる中、サリーナはそれについていくだけでも必死だった。
レンガ作りの部屋から出てルシオの執務室へと戻ってきたサリーナは、ソファに腰かけて息を吐く。
実際の時間はほとんど過ぎていないが、時間を歪める魔道具の中に長くいたせいか、頭の奥が重い。
ルシオがティーセットを持ってきた。
「はい、温かいよ」
「ありがとうございます」
「これ、俺のオススメの茶葉。ちょっと癖があるけど」
そういえば、ルシオの好きなお茶は聞いたことがない。
お茶は少し苦いけれど、温かいお茶は体に染みる。
いくつか茶葉が混ざっているな、とサリーナは香りをかぐ。
無意識に茶葉の種類を考えてしまい、慌てて首を振った。
ルシオは座らずに、そのまま立ち上がる。
「サリーナ、甘い物は控えてるんだっけ」
「え」
「俺としては、疲れただろうし食べて欲しいんだけど」
特に甘い物を控える話などした覚えはない。
その言葉の意味を考え、サリーナはさっと顔を赤らめた。
以前にチェルシーと話をした、社交界に向けての話のことか。
社交界の季節が近づいているので、甘いものは控えていこうと思っていたのだった。
顔を赤くするサリーナを見て、ルシオが噴出した。
「待ってて」と言って奥へと向かい、小皿を持ってきた。
「これ、ケーキだけどそんなに甘くはないから。食べなよ」
「……ありがとうございます」
恥ずかしくなって、小さく頭を下げた。
ソファに座ったルシオも、ケーキをもぐもぐと食べている。
そういえば、甘いものは平気なのか。
サリーナも、ケーキを小さく切って口に入れる。
控えめな甘さと滑らかな舌触りに、顔がほころぶ。
「男がこういうことを言うのってよくないのはわかるけど、気にしなくていいと思うけどなぁ」
「……いろいろあるんです」
「ほどほどにね。体調崩したら、意味ないよ」
「はい」
あっさりと引き下がったルシオは、それ以上は何も言うつもりはないようだった。
あまり追及されたくないことは聞かずにそっとしておいてくれるのは、ルシオの優しさなのだろうとサリーナはほほ笑む。
「じゃ、遊びに行く先を考えないとね」
「は?」
「甘い物を控えるなら、カフェはやめておいて……学院終わりに行けるところとなると、どこがいいかな」
ケーキの欠片を飲み込んだサリーナは「えぇと」と口を噤む。
話の展開が早い。
「先ほどのお話の続きですね?」
「うん、そう。放課後時間作るから、いろいろ行こう」
「ルシオ様こそ、無理をなさらないでくださいね」
先ほどの話の中で、ルシオが結構な割合を仕事に割いていることがわかった。
じとりと見あげるが、ルシオは気にせずに笑うだけだ。
ルシオの父親を交えた話の中で、サリーナとルシオの仲を周囲に知らしめる必要があるという結論に至った。
王家が入り込めないように、二人の婚約がうまくいっていることをアピールするのだ。
特に平民向けの店に行き声をかけて仲の良さを見せつけ、簡単に婚約の解消につながらないようにすることが狙いである。
ちなみにこれは、すでにサリーナの実家には将来のための時間として話済みだというから恐ろしい。
話がすんなり通ったのは、これまでのコンラード家の信頼の賜物だろう。
あれこれ出かける場所を口にしていたルシオが、言葉を切る。
その視線が、机のおいた空になった小皿に向かう。
「ケーキ、食べ終わった?」
「はい、おいしかったです。ありがとうございます」
甘さ控えめとはいえ、疲れていたので染み渡った。
満足だと頷くサリーナを見て、何故かルシオが立ち上がる。
そのまま「奥行ける?」と、隣に座ってきた。
「何かありましたか?」
「うん、約束守ろうと思って」
そう言ったルシオが、サリーナの手を引いた。
いきなりことで体を固くしたサリーナを、ぎゅっと抱きしめる。
「お疲れさま」
「いいい、いきなりですね」
「さっきのサリーナよりマシじゃない?」
耳元で低く言われ、動きを止めた。
ルシオの父親の前で、あんなにはっきりと言うセリフではなかった。
思い出して恥ずかしくなり、一気に体温が上がる。
しかし、聞いてほしい。
あれは、本当にあのとき抱きしめて欲しかったわけではなく、気を反らしたかったのだ。
方向性を間違えただけなのだ。
「ああ、あれ、は。その」
「わかってるよ、俺を止めようとしたんでしょ?」
「う……」
あっさりと言い当てられ、もごもごと口を動かす。
ルシオの手が、サリーナの髪をすいた。
「別に、父さんなんか気にすることないのに」
「私は気にします」
その言い方が結構本気だったので、サリーナは慌てて言い返す。
サリーナの背中に回された手に、力がこもった。
「どうして?」
「え?」
「何で庇うの、何言われたの?」
首筋から、ルシオのくぐもった声がする。
恰好は甘いのに、低い声は何か怪しい気配を感じる。
これはよくない、とサリーナは必死に考える。
一瞬ルシオの父親が浮かんだが、頑張って打ち消した。
今は、サリーナしかいないのだ。
「サリーナ」
「つっ……」
首筋にルシオの吐息が触れて、震えた。
これは大変だ。
あちこちに意識が向いて、頭が回らない。
「えぇ、と。あのですね!」
とりあえず、息を吸い込む。
別にやましいことはない、きっぱり告げればいいのだ。
「わ、私はお父様には感謝しているんですよ」
「はぁ!? 何で!」
珍しく声を荒げたルシオが、体を起こした。
向き合って気づくが、ルシオの瞳が揺れている。
そろそろ手を伸ばして、その頬に触れる。
紫色の瞳が少しだけ丸くなったので、思わず目を細めた。
サリーナからこんな風に触れたのは、おそらく初めてだ。
「ルシオ様が、私にとってとれほど大切か気づかせてくださったんです」
口にすると、ぎゅっと胸が痛くなった。
ルシオの丸くなった瞳が可愛いなと思って、小首を傾げて覗き込む。
「私、もっと気持ちを強く持ちますからね」
「……何それ」
「おそばにいたいので」
声高に言うと、ルシオの眉が下がる。
力が抜けたのがわかり、サリーナは微笑んだ。
心配してくれたんだろうと、申し訳ない気持ちになる。
けれど、ここははっきりと伝えたかった
ルシオはこれからも平気な顔をして無茶をするだろう。
決して言わないだろうし認めないだろうが、その根本にあるものがサリーナなのだとすれば、止めなければならないこともあるはずだ。
ルシオに過酷なことをさせないためには、サリーナ自身も身の振り方を考えなければならない。
強くありたいと、心から感じる。
決意をもって、ルシオの頬に触れる親指を滑らせる。
その手の上に、ルシオの手が重なった。
「父さんを前にして、俺がいいって言ってたしね」
可笑しそうに笑う瞳が、意地悪だ。
いつもならここで詰まってしまい、顔を赤くしてからかわれるサリーナであるが、今日は違った。
先ほど父親にやられまくったサリーナは、いつもより少しだけ気持ちが強い。
口の端をあげて、その瞳を見返した。
「そうですよ。ルシオ様、多分逃げられませんよ」
虚をつかれたルシオが、息を飲んだのがわかった。
してやったり、とサリーナは笑みをこぼす。
いつもいつも、からかわれて赤くなるばかりではないのだ。
以前にルシオがサリーナに対して口にしたセリフを、忘れたわけではない。
あのときはいまいちわからなかったけれど、今なら返すことができる。
「ずるいな、その言い方」
「え? だ、駄目でしたか?」
「そうじゃなくてさ」
ぎゅうと、重なった手が握りこまれた。
そのまま俯いたルシオの表情が隠れて見えなくなる。
「どうしたらいいのか、わからなくなる」
小さく擦れた声は、震えて聞こえる。
苦しそうに手を引かれ、片手が腰に伸びて引き寄せられた。
抱きしめられるわけでもなく、謎の距離があいたまま、ルシオが動かない。
「あの?」
何かやらかしたつもりはないが、うまく伝わらなかっただろうか。
放してもらえそうにないし、ルシオが口を開くこともない。
どうしたらいいやらわからずに、サリーナはそわそわと体を揺らした。
「ちょっと、ごめん」
「へ、え?」
やがてがばりと体を起こしたルシオは、サリーナの首元に触れる。
慌てるサリーナを無視してネックレスを引っ張り出した。
「ルシオ様!?」
トップの紫色の魔法石を、ルシオがぎゅっと握る。
かち、と小さな音がした。
「つっ、ってぇ!」
「えぇ、え!?」
ルシオがびくっと跳ねた。
反動で握られていた手も離され、ネックレスが音をたてる。
ソファから立ち上がったルシオは、顔をしかめて歩き回る。
首もとをさすっているが、何かあったのだろうか。
「あー、痛っ……」
「だ、大丈夫ですか?」
「大丈夫、平気。これ、結構響くな……」
ゆっくりと顔をあげたルシオの表情がよく知るものだったのでホッとする。
大きなため息をつきながら、髪をがしがしとかく。
戻ってきたルシオが、音をたててソファに座った。
「今、何をされたんですか?」
首元で揺れるネックレスが原因なのはわかっていても、一体何が起きたのかわからなかった。
一瞬口を噤んだルシオは、ため息をつきながら魔法石に触れる。
「ここに、相手に電撃流す仕掛けがあるんだよ」
「何でそんなものが!?」
「護身用。サリーナが危険を感じたときに反応するようにしておいたんだけど、一応手動でも動くようにしておいたんだ」
サリーナは初めて知る情報に、唖然とした。
そんな危ない物を身に着けていたとは、驚きを通り越して若干怖い。
手動で電流を流す方法を説明するルシオは、全然気にしていないようである。
「サリーナに危害は加えないよ」
「そ、そういう問題でしょうか……?」
「大丈夫。石を下にずらさないと動かないから、握りしめたぐらいじゃ変わらないよ」
「えぇ……?」
どれぐらいの危険で相手に電流が流れるのかわからないが、気持ち次第というのも恐ろしい。
引きつったサリーナはネックレスをそのままに、視線をあげた。
「ルシオ様は、大丈夫なんですか?」
「うん、一瞬押しただけだったから」
「あの……今、何故使用されたんですか?」
口をついて出たのは、本当に疑問だったからだ。
わざわざ自分から痛い思いをしたルシオの行動が、読めない。
特に危険な様子はなかったはずなので、余計に気になってしまった。
そろそろと問いかけてみたつもりだったが、ルシオの目が据わる。
「……それ、どうしても知りたいの?」
「いえ! ルシオ様がご無事なら、結構です」
ルシオの背後に良くないものを感じ、サリーナは背筋を正す。
きゅ、と握ったスカートにしわが寄った。
ぴしりと口を結んだサリーナを見たルシオが、ふっと笑う。
その手がサリーナの胸元に伸びた。
「ホント、壊れたかと思うぐらい、全然反応しないんだもんなぁ」
ネックレスに触れると、ちゃり、と金属が擦れて音が鳴った。
紫色の宝石を親指で撫でて、ゆっくりと手を離す。
「驚かせたよね、ごめん」
「い、いいえ……」
何に驚いたのかわからなくなってきた。
何故こんなことに、と振り返ったサリーナは「あ」と口を開く。
「えぇと。お出かけの場所のご相談中でしたね」
「……そうだった? 父さんの話じゃなかったっけ」
「それは終わりましたよ、過ぎ去りました」
じっとりとした視線を向けられても、サリーナは楽しそうな声をあげて笑顔を見せる。
父親の話題はルシオの機嫌上よくないことがわかったので、避けておきたい。
だが、ルシオはサリーナの様子に見向きもせずに目をすがめた。
「俺、納得してないからね」
「う……」
「問い詰めたいのを我慢してるだけだからね、わかってる?」
「は、はい」
何を問い詰めたいのかを聞くのは、恐ろしくてできそうにない。
そう言ったものの実際は問い詰めてこないルシオは、やっぱり優しいなと思ってしまった。
ソファにズルズルと背を預けたルシオは「まぁいいけど」と投げやりである。
「サリーナ、行きたいところはあった?」
「どこも楽しそうだなと思っています」
「だったら、俺が行き先と予定を決めていい? 嫌だったら断って良いから」
気を遣うようなルシオのセリフに、思わず笑ってしまう。
「どうしたの?」とわかっていない様子のルシオは、やっぱりサリーナの気持ちが伝わっていないようだ。
「私、ルシオ様とご一緒なら、どこでも楽しめると思いますよ」
人生やり直しまくり令嬢なので、この世界のあちこちに行きまくった。
それでも一緒にルシオがいれば、より楽しいと思う。
身を引くルシオを見ながら、サリーナはルシオの父親を思い浮かべた。
父親はルシオのことを「重い」と表現していたが、サリーナだって大概重たい女になったものだと思う。
ルシオのそばにいたい。
一緒にいられることが、嬉しい。
にこにこ笑うサリーナに対して、何故かルシオは苦笑いだ。
「今日は、本当にどうしちゃったんだろうねぇ」
嘆きながらサリーナの頭をゆっくりと撫でる。
「何か……?」と言いながらも、ルシオを受け入れているサリーナはわかっていない。
わかろうとしているけれど、答えが出ない。
「困ったなぁ、と思って」
「え、と。何がお困りですか?}
「これが毎回だったら、ちょっともちそうにないなぁって……」
サリーナは目を丸くした。
ルシオが困っているとは知らなった。
「私にできることは、ありますか?」
何かできることがあれば、協力したい。
その思いで口にしたのだが、ルシオは何故か遠くを見つめた。
「そうだねぇ、サリーナにしかできないねぇ……」
「それは良かったです! 教えて頂いてもかまいませんか?」
「…………いや、いいよ。俺の問題だから」
「え、何故……」
やる気をだして問いかけてみたのに、ルシオ自身で納得してしまったようだ。
自分にしかできないと言われ張り切ったものの、断られてしまい消沈である。
ルシオが困っているのなら話ぐらい聞くし、できることがあれば喜んで手を貸すのに、突き放されてしまった気さえする。
とても寂しい気持ちになった。
「もしよければ、お話だけでも聞きますよ」
「うん、わかってる。整理つけるから、もうちょっと待って」
「もちろんです。いつでもおっしゃってくださいね」
そのための手段は、ルシオがプレゼントしてくれた。
首もとのチェーンを軽く触れると、ルシオが頷く。
「どうにもならなかったら、ちゃんと言うから」
「はい、お待ちしています」
頼りにされる存在でありたい、と頷くサリーナは、ふとルシオの瞳が柔らかくなったのに気付いた。
だが瞬いた瞬間、紫の瞳に熱がこもった。
「そのときは、覚悟してね」
その声がとろりとした甘さを含んでいて、サリーナの背に何かが走る。
反応できずに固まったその髪に指を通したルシオは、楽しそうに笑ったのだった。




