サリーナ、ルシオとボードゲームをする 後編
サリーナに考える暇などないので、すぐに再戦である。
時間も限られているので、さくさくと一戦が始まった。
おかしい、と気づいたのはすぐだった。
ルシオの黒い駒が、全然攻めてこないのだ。
先ほどまでは容赦なく攻め立ててきたのに、今はサリーナの様子を伺っているのがわかる。
ぎゅ、と拳を握りしめたサリーナは、白い駒を数コマ先まで進めて攻めてみる。
これでいいのか不安しかない。
「サリーナ」
「え」
「俺が好きな色、黒だよ」
いきなり言われて、ぽかんとしてしまう。
ルシオの顔を見つめたまま瞬くサリーナの目の前で、ルシオが視線を下げる。
「一番無難と思って黒ばかり選んでたら、そうなった感じ」
「……そうなんですか」
「今は黄色というか、琥珀色も好きだよ。サリーナの瞳の色」
「う、え!?」
駒を動かしたルシオが顔を上げた。
紫の瞳を見ることができない。
「ル、ルシオ様?」
「ほら。サリーナの番だよ」
「え? あ、はい」
慌ててボードを見るが、心音があがっていく。
瞳の色の話なんて、これまでしたことがない。
自分の目の色を綺麗等と思ったことがないので、返答すら返せない。
サリーナは震える手で白い駒を掴んだ。
落とさないように、慎重におく。
これで大丈夫、と顔をあげると、ルシオと目があった。
「サリーナ、知りたいんでしょ。俺のこと」
「そう、です…」
「何が知りたいの?」
何故今それを、とはとても言えない空気だ。
訳が分からなくなったが、ルシオの視線がボードに落ちた瞬間、気づく。
ルシオが言った「仕掛ける」とはこれか。
サリーナは背筋を伸ばした。
ルシオは父親とのゲームを前提にしている。
だったらこちらも、その気で挑まねばならない。
サリーナは口を開いた。
「お好きな料理を知りたいです」
「んー、何だろ。グラタンかなぁ。あ、ポテトサラダも結構食べるよ」
黒い駒を置いたルシオが顔をあげる。
初めて聞く単語に目を丸くしていると、指でボードを示された。
自分の番だと、慌てて駒を確認する。
「辛い物は苦手だけど、何でもおいしく頂きます」
「そう、なんです、ね」
「自分が食べるものは適当だけど、料理もするよ」
ルシオの言葉が頭にガンガン入ってくる。
必死に盤上を見渡すのに、頭の中で「グラタン」と「ポテトサラダ」が居座っていて、邪魔だ。
辛い物が苦手なのも、初めて知った。
料理もできるのか、器用だろうから何でもできそうだ。
攻められるように、と選んだ駒を手に取ったとき「だからね」とルシオが言葉を切った。
「結婚したら、俺がサリーナの分も食事作るから」
「けっこ…え!?」
「子爵家みたいなコース料理は無理だけど。学院での昼食の様子を見てる限り、大丈夫かなと思って」
「あ、あの……」
「誰か雇ってもいいけど、入り込まれるのは好きじゃないから、それでいい?」
「えぇ……?」
怒涛に言われた挙句、にっこりとほほ笑まれて、顔が引きつる。
これは、かなりどんでもない状況だ。
ゲームの方も考えたいのに、降ってくる矢の殺傷能力が高すぎる。
「サリーナ、顔が赤いよ」
頭が混乱してくる。
それを感じながら「落ち着け」と繰り返した。
息をつめて、駒を押し込む。
「ルシオ様の番です」
自分の口から出た声が震えている。
盤上を見るルシオの額を見ながら、サリーナは懸命に息を吐きだす。
落ち着かなければ飲まれる。
ルシオは「負けないでね」と言った。
勝負には負けても、気持ちでは負けるわけにはいかない。
大きく息を吸い込んだ。
「私も料理は一通りできますので、食事はお互いに準備するというのはいかがでしょうか」
「シュベルグ子爵家では、御令嬢に料理を教えるのが家訓か何かなの?」
笑いながら言われ、思わず詰まる。
返答を間違えた。
子爵家とはいえ貴族令嬢が料理を一通りできるなど、一般的なことではない。
サリーナだって、人生一回目のときは料理なんてできなかった。
人生をやり直しまくった結果でしかない。
「りょう、りは、興味があったものですから」
「そうなんだ」
「グラタンも作れますよ。腕を磨いておきますね」
気にせず押し通す。
落ち着いてきた、とサリーナは白い駒を動かす。
大丈夫だ、落ち着けば道筋も見える。
「うん、楽しみにしてる」
「はい」
頷いたサリーナの眼科で黒い駒が動く。
一歩引いた動きは変わらない。
「他に、知りたいことない?」
「えぇ、と。お気に入りのブランドとか、こだわって使っていらっしゃるものはありませんか?」
「特にないなぁ。ただ、シンプルな方が使いやすいかなと思ってる」
サリーナが必死に考えて動かした白い駒がルシオに取られた。
失敗だった、と唸りながら、言葉を探す。
動揺すれば、そこをつつかれる。
必死に考えながら、白い駒を手に取った。
上からルシオの声がした。
「今じゃなくても。気になることがあれば、いつでも聞いてくれればいいよ」
サリーナと違い、ルシオは余裕なのだろうと思う。
それが悔しい。
「ルシオ様は、茶葉もペンも受け取ってくださりましたが、本当はルシオ様のお好きなものをお渡ししたかったんです」
「え。全部気に入ったけど」
「そう言っていただけるのは嬉しいのですが。今後のために、ご要望をお伺いしておきたいです」
「要望、ねぇ」
ルシオが考えるように、黒い駒を揺らす。
自陣に引いた駒が、大きく前へでた。
「サリーナが選んでくれたものなら、何でも嬉しいけどなぁ」
「答えになっておりません」
「そうかな。サリーナさ、プレゼントを一生懸命選んでくれたでしょ?」
「もちろんです」
ルシオがじっと探るように見てきた。
こちらを見透かすような瞳が鋭い。
だが、サリーナだって負けていられてない。
ぐっと頷く。
「朝緊張していたのは父さんのせいかと思っていたけど、プレゼントのこともあったからだよね」
「う、は、はい」
視線から逃れるように下を向く。
何もかもがバレている。
こんなことでは駄目だ、とうるさい心音を押さえつけ、ボードを睨みつけた。
大分攻められているが、まだまだ負けたわけではない。
白い駒を進める。
「俺としては、それだけでも十分なんだよ」
「何の形にもならないじゃないですか……」
「別に、形に残らなくても、時間には価値があるでしょ?」
「時間なんてかけてないですよ」
「プレゼントを選ぶのに全く時間をかけないなんて、あるかな」
「そ、れは」
「今だってそうだよ。サリーナの時間を独り占めだ」
少しだけ笑いながら、静かな声でルシオが告げた。
思わず固まるサリーナの耳に、黒い駒が動いた音が聞こえた。
「さっき俺の要望って言ってたよね。そんなの、基本的には一つだよ」
「え」
反射的に顔をあげて息を飲む。
光を帯びた紫色の瞳が、甘い。
瞬いて動けないサリーナを見て、唇が弧を描く。
「側にいて欲しいなって」
熱がこもる言葉に、ぎゅぅと胸が潰れそうになる。
物の価値を知り、それに値段をつける商人であるルシオが求めるものが、サリーナにとってあまりにも当たり前すぎて言葉が出ない。
「ホントに、それだけだよ」
その「それだけ」がどれほど難しいのか、サリーナにはわかっている。
王家が出てきてルシオの父親もいる中で、無理やり好きに進むのはとても難しい。
それでも希望はある。
「はい。お側に、います」
「……うん」
震えて擦れた返事になったが、ルシオが柔らかく笑う。
サリーナはルシオの側にいたいと思う。
ルシオがそれを許してくれているのなら、こんなに嬉しいことはない。
ほわほわと幸せに浸っていたサリーナの耳に、カツンと勢いのある音が聞こえた。
「じゃ。肩慣らしはこれぐらいでいいよね」
「え」
よくわからない言葉が聞こえて、首をかしげた。
にっこりと笑ったルシオが、口を開く。
「サリーナ、プレゼント選ぶ間、俺のことだけを考えてくれたの?」
「は、え!?」
「茶葉とナッツと、ペンと……全部一日で回ったとしたら相当かかるよね。その間、ずっと俺のことだけ考えていたんだろうなと思って」
「そんなことはっ……」
「サリーナ。駒、落とすよ」
ルシオに指さされ、転がっていきそうな駒を慌てて寄せる。
自分の番だ、とボードを見つめて引きつった。
いきなり、前に進めなくなった。
駒を取ろうとすると取り返される。
「えぇと……」
どこからどう動けば、と必死に考える。
唯一隙間のあった右側は詰められているし、厳しい。
「俺はねぇ、結構サリーナのことを考えてるよ」
「何、を」
「会いたいし、触れたいし、抱きしめたいし?」
「うぇ!?」
思考を妨害してくる言葉が、飛び出してくる。
楽しそうなルシオと目があった。
会話のスピードが速い。
考える間もなくルシオが笑う。
「早く結婚したいなーって思ってる、毎日」
「ひ!?」
ぎょっと身をひいた。
椅子が音をたてる。
「駒、動かさないの?」
「え、や。動かしますけど。お待ちください!」
「それは待つけど。ね、サリーナは結婚式はどんな風にしたいとか要望はあるの?」
「しょ、少々静かにして頂きたいのですが」
「ダメだよ、仕掛けてるんだから買ってもらわないと」
ひぃ、とサリーナは唇を震わせてルシオを見た。
先ほどまでとはレベルが違いすぎて、パンクしそうである。
口の端をあげたルシオの瞳は優しいのに、態度が全然優しくない。
「やっぱり、こっちの方が効くよね」
「何、を」
「可愛いなぁと思って。あ、動かし終わった?」
「まだです!」
「時間がかかるねぇ」
わざわざそう言うあたり、本当にあえてやっているのがわかる。
プルプロと震えるサリーナを、ルシオはのんびり眺めてるだけだ。
「できました」
「顔、また赤くなってきたね。涙目だよ、大丈夫?」
「だっ、大丈夫です」
「そうなの? 可愛いからいいけど」
誰のせいで、と叫びそうなのを必死で堪える。
震えながらも一生懸命サリーナが考えた一手を、ひょいと簡単にルシオが越えた。
白い駒を手にしたルシオが笑う。
「そういうところも、好きだよ」
「るる、ルシオ様!」
「本当だよ、嘘じゃない」
「これ以上、は」
「信じてないでしょ、嘘じゃないって言ってるのに」
「んぅ……」
笑っていても、平然と言うので言葉が出ない。
どうしてこうも簡単にいろいろと口にできるのか、本当にわからない。
ボードを見る視界が歪む。
頭が沸騰しそうだ、と目をつぶったとき、頭の上にルシオの手が乗った。
「ここまでにしておこうかな」
「……え」
「俺は楽しいけど、サリーナは限界かなと思って」
ルシオが白い駒を自陣において、ふっと息を吐いた。
思わずサリーナも力が抜ける。
「焦ったでしょ」
「それは……はい」
「一応加減はしたんだけど、やりすぎたかな」
「さすがに、ああ、あんな取り繕わなくても!」
「何も取り繕ってないよ、心外だなぁ」
ルシオの冷えた手が、サリーナの頬を撫でる。
ほてった頬には気持ちがいい。
「仕掛けたからってこともあるけど、全部本当のことだよ」
「んぐ……」
変な声が出た。
ルシオは苦笑いをしながら、目を細めた。
「動揺すると考えがまとまらなくなるよ。気づけば、全部引きずり出されて終わりだ」
最も過ぎて、とサリーナも唇を噛む。
本当はルシオに文句を言いたくて仕方がないが、それが狙いだったのだから仕方がない。
人生をやり直しまくっていることよりもずっと、サリーナの心を揺らした。
視線を落とすサリーナの頬を、ルシオの指先が滑る。
「不安にさせたかったわけじゃないんだけど。ごめんね」
「私こそ。すみ、ません」
ルシオが謝ることなどない。
悪いのは、サリーナの方だ。
ルシオは、父親の会うサリーナのために協力してくれたに過ぎない。
顔をあげた。
「お父様は、もっと多方面から揺さぶりをかけますよね」
「無視だよ、無視。耐えられなくなったら、一発殴っていいよ。息子が許可するから」
物騒な言葉が飛び出した。
さすがに、と目を丸くしたが、ルシオは真面目だ。
「ケガしても薬あるし、商会内ならもみ消せる。大体貴族であるサリーナの方が身分的には高いんだから、死ななければいいよ」
「よくは、ないような」
「大丈夫、そのときはまかせていいから。手だとサリーナが痛いと思うから、ボード使いなよ」
「何ですか、それ……」
思わず笑ってしまったサリーナの首元から、渡したネックレスの鎖が見える。
手を伸ばして少しだけ触れた。
「何かあったら、引っ張ってね」
「……お父様を何だと思っていらっしゃるんですか」
「え? 敵対したら真っ先に潰す相手だよ」
父親への警戒度が凄まじい。
サリーナを見つめる瞳が、緩む。
「必ず行くから。忘れないでね」
「はい」
「うん、じゃ。片付けよう、お昼食べないとね」
「では、駒は私が」
雰囲気を切って立ち上がったルシオに、サリーナも慌てて続く。
せっせと散らばった駒を片付けるサリーナをちらりと見て、ルシオは目を細めた。
同時に、父親が脳裏によぎる。
多分、おそらく。
あの父親なら、ルシオを使ってサリーナを引っ掻き回すだろう。
その効果を知らない父親ではないし、優しくないのでためらいもないと思われる。
サリーナを動揺させ、怒らせることができる格好のネタが自分になるとは、笑いごとではない。
ぎりぎりと拳を握った。
自然と目元が鋭くなるが、サリーナにわからないように背を向けた。
例え父親であろうとも、何かあれば容赦はしない。
コンラード商会の会頭は父であるが、そのすべての実権が彼にあるわけではないのだ。
締め上げる方法を考えながら、ルシオはティーセットを手に取った。




