サリーナ、ルシオとボードゲームをする 前編
真っ赤になった頬を両手で包み、サリーナがじとっとした目でルシオを見上げている。
怒っているらしいが、そんな顔をしたところで「可愛いな」としか思えないことをわかっていないらしい。
「フィゲロしましょう、今すぐに!」
繰り返すサリーナに、ルシオは仕方がないなと気持ちを切り替える。
時間が限られているのもまた、事実だ。
「私、フィゲロを持ってきたんです」
「わざわざ? あったのに」
鞄から白い箱を取り出したサリーナに合わせて、ルシオも茶器を横へと移動させる。
サリーナの手のひらサイズほどのフィゲロは、ルシオが使用しているものよりもかなり小さい。
「ここにおけるかな」
「大丈夫です、小さいので」
サリーナが真ん中を押すと、鈍い音がして箱が展開していく。
白い駒と黒い駒が立ち上がっていくのを見て、サリーナは顔をあげた。
「お相手、お願いできますか?」
「喜んで」
優しく笑ったルシオが、自分側にあった黒い駒を手に取った。
サリーナは、動けなかった。
動けなかったというよりも、固まっていた。
「……ルシオ様」
かろうじて口を動かしたものの、どうしていいやらわからない。
駒を手に取ることもできず、ボードを見つめた。
「強すぎません?」
「サリーナは、素直すぎますね」
少しだけおもしろがっているような声が返ってきた。
それすらサリーナの耳を通り過ぎる。
想像以上にルシオが強い、強すぎる。
何回やっても、同じ戦力からのスタートとは思えないほど、あっという間にやられてしまう。
サリーナの父とて、数分も持たないだろう。
ルシオの父親の腕前を考えただけで、恐ろしい。
どこかの人生で大人のルシオとフィゲロで何回も勝負をしたが、基本的に負けたことはなかった。
フィゲロに全く興味がなかったので魔法の重ね掛けでズルをしまくった結果、何も考えないまま過ごしていた。
今思えばとんでもないことである。
ルシオが新しいお茶を机においた。
「サリーナは、わかりやすいんだよ」
「先ほどは正面を開けて隙をつくり、右から攻めようとしてみましたが」
「罠を張るなら、犠牲覚悟でやらないと。あと責めるならこっちから回ったほうがうまくいったよ」
「え」
「こうやってさ。俺が後ろに駒動かしたから、隙間ができたでしょ」
「そうなると、奥から駒を取られてしまいませんか?」
「それは尊い犠牲。その分、手数二回で敵陣まで辿り着ける」
どんどんと動く駒を見ながら、確かに、とサリーナは息を吐く。
本当に難しい。
そして、奥が深すぎて頭がパンクしそうである。
「休憩しようか」
「ありがとうございます」
先ほどまでの一戦を思い出しながら口をつけたサリーナは、ぱっとルシオを見た。
この匂いは知っている。
先ほどプレゼントした、茶葉だ。
目を丸くしたサリーナを見て、ルシオが口の端をあげる。
「おいしいよ」
「……良かったです」
「疲れていると思うので、こちらもどうぞ」
「ルシオ様!」
小皿に乗せられたナッツに、思わず叫んでしまった。
ルシオに食べて欲しかったのに、まさか自分の口に入るとは想像もしていなかった。
「一緒に食べようよ。疲れたときにいいんでしょ?」
穏やかにそう言われてしまうと、何も返せなくなる。
言葉が出ないサリーナは、ゆっくりとナッツを口に入れた。
カリカリとして香ばしくて、おいしい。
さんざん悩んだのだ、お茶にも合う。
穏やかな雰囲気を感じ取り、姿勢を正した。
尋ねるなら、今だ。
サリーナは深呼吸をして「お尋ねしたいのですが」と口を開いた。
「お父様は、どのような方ですか?」
「え、父さん?」
ナッツを手にしたルシオが、小首を傾げた。
もてあそびながら「そうだなぁ」と嘆く。
「一言で言えば、やっかいな人だよ」
一言すぎて、いまいちわからない。
瞬くサリーナに、ルシオが続ける。
「俺から見ても、わかりにくいんだよね。指示もポイントでしか出さないし、すぐに回してくるし大体ロクでもないけど、方向性はあってたりする」
「ルシオ様のことを気にかけていらっしゃるのでは」
「それはまぁ、息子だからね。でも本来はそんなに情のあるタイプじゃないよ」
ルシオが嫌そうに言う。
サリーナは小首を傾げる。
「ルシオ様のことも商会のことも、とても大切にされているようにお見受けします」
「自分のスペース内に入れたらいいんだけどね。範囲外にはヒドイもんだよ」
ナッツを口に入れたルシオの言葉は止まらない。
両手で小さな円を作る。
「そもそものスペースが狭いんだよ、これぐらいしかないから。そこに商会全部突っ込んだから、ほぼなくなった感じ」
話を切ったルシオを、サリーナはじっと見つめた。
ルシオの父親に会う話を聞いたときから抱いていた違和感が、ぴたりとはまっていく。
「ルシオ様」とサリーナは口を開いた。
「お父様に、何をされたんですか?」
ゆっくりとルシオがこちらを見た。
その瞳を真っすぐに見返して、さらに問う。
「お父様は意志に反して、その狭いスペース内に私を入れてくださったんですね?」
ルシオが目を見開いた。
すぐに顔をしかめて、視線を反らす。
黙ったまま、盛大な溜息をついた。
「…………最悪。浮かれてたかも」
地を這うような低い声で嘆いたルシオを見て、サリーナは小さくほほ笑んだ。
考えてみればわかることだった。
今こうやって、この部屋にサリーナがいること自体が答えだろう。
サリーナが父親の範囲に入ったからこそ、商会の裏になるルシオの部屋にも立ち入ることが許されたのだ。
それなのにルシオ抜きで話がしたいということは、それが父親の望む形ではなかったからだろう。
意志に背いてまで、何故父親がサリーナを範囲内に入れたのか。
何かがあったとしか考えられない。
やってのけることができるのは、ルシオしかいないだろう。
婚約者はサリーナだとルシオが譲らなければ、会頭である父親はそれを込みで対応するしかなくなる。
迷惑をかけてしまうのは、サリーナの方だ。
ルシオのことだから、きっとサリーナには知らせずに事を運ぼうとしたに違いない。
気づかないようにと、心を砕いてくれた結果が今なのだ。
ルシオはゆるりと首を振る。
「何もしてないよ。ただ話をしただけ」
「ただの話ではないですよね?」
話をしただけとは言っても、世間話とはわけが違う。
ただでさえ狭い父親のスペース内にサリーを入れることがどれほど難しいことなのか、想像しただけでもわかる。
ルシオが何かしていたとしたら、サリーナのせいだ。
平気で危険スレスレのことをやってのけるので、言葉だけでは信じられない。
だがルシオは少しだけ口を尖らせる。
「人聞きの悪いことを言うなぁ。俺は、利益をチラつかせただけだよ」
「利益……?」
サリーナは考える。
父親の狭いスペース内にサリーナを入れることに、利益などあっただろうか。
ルシオが小さく息を吐いた。
「やっぱり。わかってないのか」
「コンラード商会に、利益をもたらした記憶はないです」
確かにサリーナは、あの文具店の存在をルシオに伝えた。
だがそれは父親の決定の後なので、そのことが利益にはつながらない。
首を傾げるサリーナを見て、ルシオがお茶を飲んだ。
「サリーナは、そのままでいいってこと」
何がいいのかさっぱりである。
そんなに価値があるものがあっただろうか。
商人であるならば交渉は基本だろうが、一体何に価値を見出したのかサリーナにはわからなかった。
「よく、わかりません……」
「うん、だからね。そのままでいいんだよ」
「…………」
ルシオがこれ以上、何も言うつもりがないことを感じ、口をつぐむ。
わからないことは不安だが、答えは出ない。
これ以上は諦めて、もう一つ。
「お父様は、私についてどれほどご存じでしょうか。基本的なことは当然ご存じですよね」
「そうだね。付け加えるなら、王家の影を含めて、王家については詳しいと思ってるはずだよ。あとは……ごめん、魔法のことは俺が言った」
「謝らないでください、何も思うことはありません」
「でも、許可は取るべきだった。今度はちゃんと確認する」
「ルシオ様の判断におまかせしますので、いりませんからね」
ため息をつくルシオに慌てて手を振った。
ルシオに告げたことを、いつまでも隠しておけるとは思っていない。
必要があれば使えるものは使ってほしいし、その相手がルシオの父親なら間違いはないだろう。
その辺りのことは、信用している。
「ありがとう」と言うルシオに、サリーナの方が安心してしまった。
良かった、とお茶に口を付ける。
サリーナは本当に気にしていないのだから、ルシオが謝る必要はない。
話を変えることにする。
「もしも。私がお父様のお眼鏡に叶わなかったら、どうなると思いますか?」
「どうって、どうにもならないよ。サリーナの立場は変わらない」
「やっぱり駄目だと、範囲外になる可能性があるのではないでしょうか」
「ならないよ、絶対に。そこは間違いないから、そんなことは考えなくていい」
ルシオはきっぱりと言った後、軽い溜息をつく。
「むしろ考えるとしたら……父さんとの会話内容かな」
「何か厳しく言われるでしょうか」
「いや、厳しくっていうか……。痛いところをついてくるから、そのまま引っ張られると筋を見失う感じ」
脳裏にルシオの父親が浮かぶ。
対面で話をしたことなどなく、イメージもわかない。
サリーナに挨拶をしたときは営業用だったとはわかっていたが、やっぱり一筋縄にはいかない相手だ。
人生やり直しまくったときにルシオの父親のことも調べたことがあるが、そのときはすでに引退していたので気にも留めなかった。
もう少し調べておけばよかった、と今更思う。
「私の痛いところとなると、その。お伝えできていないことでしょうか」
「そんなの全部、俺に振りなよ。前も言ったと思うけど、無視でも放置でもかわしてもいいから」
ルシオが本気でそう思っていることが、口調からわかる。
ならばそれもありなのかと、「わかりました」と頷く。
しかし、口元に手をやる。
「それ以外となれば……」
サリーナは人生をやり直しまくっていること以外、隠していることは特にないと思っている。
子爵家は特段裕福ではないが堅実な領地経営をしているし、母も社交界でしっかり頑張っている。
他の身内も含め、それぞれおかしな道にはそれていないと信じている。
「うーん、そういうことじゃなくてさ。例えば……げ」
いきなり言葉を切ったルシオが、途端に顔を歪めた。
眉を寄せて「あー」だの「うー」だの声をあげている。
「だ、大丈夫ですか?」
「うん、ちょっと。最悪な展開がよぎった。悪夢だ、ホント危ない……」
「そんな展開が!?」
物凄く嫌そうな顔をしているので、相当恐ろしい想像をしたらしい。
だが、ルシオの予想となれば引っかかってしまう。
聞いておいた方がいいことに違いない。
「ルシオ様」とそっと声をかけると、げっそりとしたルシオがのろのろと顔をあげた。
「俺とのことかも」
「え」
「俺とのこと、根掘り葉掘り聞いてくる気がする」
「そそ、そんなこと聞いてきます?」
「一番サリーナが動揺する話題だ。少なくとも、俺ならそうする」
思わず黙り込んでしまった。
ルシオの父親がいる前で、ルシオとのあれやらこれやらを口にするなんて、恥ずかしすぎる。
しかし一方で、自分の子供のあれそれをそんなに聞きたいものかと疑問に思う。
「えぇと。日頃から、そういったことにご興味があるわけではないですよね」
「当たり前でしょ、俺だって言ってない」
「ではただ、私を動揺させるためだけということですね」
「動揺させて、理性を働かないようにするんだよ。本性ってさ、怒らせたり窮地に陥ったりしたときに出るっていうでしょ?」
それは、その通りだと頷いてしまう。
貴族同士のチクチクしたやり取りは、相手の嫌なところをつつくことから始まる。
感情を保つことは、基本である。
そして、子爵令嬢のサリーナもその教育は受けてきた。
本来は動揺などすることなく笑顔でかわすことぐらいできるのだ、日常的なことであれば。
「……本当に、聞いてくると思われますか?」
「思ってるから、癪に障ってる」
ぎりぃと、ルシオがナッツをつぶす勢いで捻った。
恐ろしい顔をして、手にしたナッツを睨みつけている。
「一番効果的だと俺でも思う。あーくそ、考えたくない、腹立つな」
「…………」
そのままの勢いで固いナッツを潰しそうなほど、ルシオが恐ろしいことになっている。
だが、ルシオの言うことは当たっているだろう。
ルシオとのことは、サリーナが一番動揺する話題に違いない。
相手がルシオの父親であれば、尚更だ。
そっちの話題はサリーナにとって日常的なものではなく、心を乱さずにいられるかはわからなかった。
「ごめん、サリーナ。変なこと言った」
「あ、いえ……ルシオ様のおっしゃることは最もだと思いまして。その、どうしたらと考えていた次第です」
ナッツを口に入れたルシオが瞬く。
「だったら」と黒い駒を手に取った。
「もう一戦しよう。次は仕掛けるから、負けないでね」




