サリーナ、ルシオの父に会う 前編
サリーナとルシオがコンラード商会の本店に到着したのは、約束の時間よりもかなり早かった。
当然待つこととなり、ルシオの部屋へと案内される。
初めて案内される部屋に、挙動不審になってしまう。
支店のルシオの部屋とは違い、生活を感じるものはない。
本当に商会の裏を見せてもいいと判断されたのか。
ソファのある大きな机が目に付く。
奥にも机があり、壁にはドアのついた棚が並んでいた。
今からルシオの父親に会うかと思うだけで胃が痛いのに、これまでと扱いが違いすぎて戸惑ってしまう。
「サリーナ、座って」
ソファに座ったルシオが、自分の隣をぽすぽすと叩いている。
ゆっくりと座ったサリーナの手を、ルシオが握った。
「冷たい」
「……すみません」
「何で謝るの」
いつもはサリーナよりも体温が低いルシオの手が、温かく感じた。
温めようと撫でてくれるルシオの手を見つめた。
ここで背を向けることは、尽力してくれたルシオの思いも踏みにじることになる。
ルシオの父親が何を求めているかはわからないけれど、彼のスペースの中に足り得る人物だと示したい。
サリーナは、ルシオの手を握り返す。
「ご心配をおかけしていますよね」
「……何言ってるの、そうじゃないでしょ」
眉を下げたルシオの顔が切なくゆがむ。
それもそのはずだろう。
先ほどの一戦で見せた失態は酷いもので、ルシオに心痛を与えてしまった。
自覚はある。
だが一方で、気づいたこともあった。
そのことにはきっと、ルシオも気づいていない。
ゆっくりと口を開く。
「ルシオ様、聞いてください」
ルシオが顔をあげたので、ほほ笑んだ。
うまく伝えられるだろうか。
「お父様にご自分の受け入れ範囲があるように、私にもあるんです」
そう、人には誰しも人に対しての距離感や受け入れの幅がある。
ルシオの父親だけではない、サリーナもまた同じ。
「そして、ルシオ様はそのスペースの中に入っています。ただ、お父様は私にとっては外側なんですよ」
ルシオが軽く目を見開いた。
サリーナの言いたいことが伝わったのだと感じる。
「外側の方は、私にとって他人と変わりません」
サリーナにとって、ルシオの父親はその辺の他人と変わらないほど遠い。
互いに顔は知っているが、話をしたことがなければ知り合いよりも遠くに位置している。
社交界で挨拶を交わし、情報を探り合いチクチクやり合う人たちと、何も変わらない。
「先ほどの醜態からご不安を抱かれたのかと思いますが、それは相手がルシオ様だったからに過ぎません」
先ほどは相手がルシオだったから、どうにも恥ずかしさと嬉しさが入り乱れてしまったからこその失敗だ。
サリーナの大切な相手だからこそ、どう返事していいのかわからずに慌ててしまった。
ある意味、それがサリーナの隠していない素の部分になる。
「お父様相手とは訳が違います。第三者がお相手なら、いくらでもやり方はありますよ」
サリーナは貴族令嬢だ。
人生やり直しまくりなので、王妃にだってなったことがある。
魔法を使いまくったので堂々とは言えないが、それでも表面上の付き合い方はそれなりに経験してきた。
令嬢たちとの間でも、ルシオの話が話題に上がってきたことだって多々ある。
特にルシオが平民なのもあり、興味を引く話題ということもあるからだ。
彼女たちとはお互いの引き際がわかっているので、そこを引きずることはなかったが、そこがルシオの父親とは違うところなのだろう。
だが切り替えてしまえば、サリーナだって負けてはいない。
サリーナからすれば、相手が御令嬢かご夫人だったのが、ルシオの父親に変わるだけだ。
安心してほしいという気持ちを込めて、もう一度握る手に力を込めた。
ルシオが小さく呟く。
「……醜態なんかじゃないよ」
瞳が柔らかくなる。
ゆっくりと息を吐いて、首を傾げる。
「可愛いって言ったと思うけど」
「受け止め方は、それぞれ違います」
あの慌てっぷりは醜態と呼べるもので、完全に失敗だったとサリーナは思っている。
恥ずかしすぎたので無表情で答えると、ルシオが笑った。
「だったら。あんなにサリーナを動揺させられるのって、俺だけってこと?」
「えっ……んん?」
そんな話をしたかったわけではないのだが、あながち間違っていない気もする。
近くで見つめられて、心臓が大きく音をたてる。
「それは、いいこと聞いたかも」
「え?」
ぎゅ、と抱きしめられて息を飲む。
肩に頭を寄せたルシオが、回した手に力を込めた。
「無理だけはしないで」
「はい。応援をお願いいたします」
「それはもちろん。あとは、父さんが失態を犯すように呪っとく」
どこまでもサリーナを優先し、自分の父親に容赦のないルシオに笑いが漏れた。
サリーナも、甘えるように力を抜いた。
「お父様とのお話が終わったら、もう一度抱きしめて頂けますか?」
「……そんなの、言われなくてもいつでも大歓迎だよ」
サリーナの体温が、ゆっくりとあがっていく。
気付かれないように頬に唇を寄せたルシオは、目を細めた。
サリーナを父親がいるという部屋まで案内する役は、ルシオだった。
迷路のような道を抜けてたどり着いたのは、例のレンガの部屋だ。
「お忙しい中ご来訪いただき、ありがとうございます」
ドアの前で立っていた父親が、サリーナに深々頭を下げる。
ルシオの父親とはいえ、立場の方は貴族であるサリーナの方が上だ。
サリーナは、案内してくれたルシオの手に少しだけ力を込めた。
「直接お話するのは初めてですね」
父親は頭を下げたまま、名乗りを含めて型式だけの挨拶を告げる。
サリーナも同様である。
「では、ご案内いたします」
ドアを開けて中に入るため、サリーナはルシオを見上げた。
一瞬だけその瞳が揺れる。
「戻る際も、案内をお願いしますね」
「……もちろん、喜んで」
答えたルシオが、ぎゅっとサリーナの手を握った。
熱のこもる手が離れていく。
大丈夫だ、と呼吸を整え、薄暗い部屋に足を踏み入れた。
冷えた空気は、前回と大して変わらない。
「どうぞ、おかけください」
「失礼致します」
肌を触れる空気が痛い。
あえてゆっくりとした動きで、サリーナはソファに腰をかけた。
「どうぞ」
出されたティーセットを見て息を飲む。
ルシオが睡眠導入剤を仕込んだという、二重底のティーポットがある。
温かな湯気の立つカップを手にし、唇だけを濡らす。
とてもではないが、飲む気にならない。
「お好みに合えばいいのですが」
「お気遣い、感謝いたします」
サリーナはカップをおいた。
目の前に座ったルシオの父親は、人のよさそうな笑みを浮かべてこちらを見ている。
ルシオと似た雰囲気を感じ取り、親子なのだと感じた。
背後の空気が変わるのがわかる。
おそらく時間を歪める魔道具が、作動した。
両手を腹部にのせて、サリーナは息を吐いた。
「時間は限られていますので、手短に」
話しかけるのは、貴族であるサリーナからだ。
ルシオの父親が細めたのを確認し、首を傾げる。
「何とお呼びしたらよろしいでしょうか」
「お好きなように呼んで頂ければ、十分でございます」
「では、お父様と」
そう言うと、少し驚いたようだった
気にせずにサリーナは口の端をあげる
「ここでは立場も何もかも、問いません。私も同様に致しますので、サリーナと呼んで頂ければ」
「かしこまりました、サリーナ嬢」
「立場は問わないと言ったと思います、お父様」
じっと父親の目を見て、サリーナは告げる。
笑顔を忘れない、気持ちだけは負けない。
父親はサリーナの人となりを知りたいようだが、それはこちらも同様だ。
どちらも動かず、ただ視線が交差する。
サリーナは笑顔を崩すことなく、ぴんと張った背を伸ばした。
「……そうですか」
やがて、ルシオの父が小さく嘆息する。
視線を下げて一呼吸をした後、顔をあげた。
サリーナは笑みを深くする。
「わかって頂けましたか?」
「えぇ、わかりましたよ、サリーナ嬢」
「それは良かったです」
無邪気に手を叩いて、小首をかしげた。
仕掛けられるのなら、こちらから先に言った方がいい。
「フィゲロでしょうか、ルシオ様となさっているとか……そちらをご利用ですか?」
「よくご存ですね。予想されていたとはお恥ずかしい」
「私はほぼ経験がありません。それでもかまわなければ、お相手を致します」
「十分ですよ」
言いながらも父親は白い箱を取り出した。
展開していき駒が並べられていく。
サリーナの前に立ち上がったのは、黒い駒だ。
「色のご希望はありますか?」
「このままでかまいません」
黒い駒は、ルシオが使っていた駒と同じ色だ。
今横にいなくても、その存在はサリーナの心を支えてくれる。
先手は、貴族令嬢であるサリーナからだ。
「では、失礼致します」
一手目は決めてある。
黒い駒を持つルシオが動かした手を思い出しながら、サリーナは駒を手に取った。
わかっていたとはいえ、結果は惨憺たるものだった。
サリーナも自分の弱さはわかっているが、この力の差はどうにもならない。
たいした会話の一つもないまま、勝負がついてしまった。
「ご用はお済でしょうか」
特に抵抗することもなく負けたサリーナは、酷い有様になったボードをそのままにルシオの父親を見た。
勝負に乗るつもりなどはない、と態度で示すと父親は困ったように眉を下げる。
「いえ、これでは何とも」
「そうですか、私の実力のほどは分かって頂けたかと思ったのですけれど。もう一戦必要でしょうか」
「お願いいたします」
少し視線の下げたルシオの父親を、サリーナは息を潜めて眺める。
サリーナにはフィゲロの実力など皆無なので、もう一戦したところで勝負の結果は何も変わらないだろう。
特に何も気にせず、思ったまま駒を動かすと決めている。
聞きたいこと、知りたいことがあれば、父親がうまく誘導して引き出さなければ口を開く気はない。
サリーナが父親のお眼鏡にかなわなくても、立場は何も変わらないとルシオは言っていた。
その言葉を信じている分、サリーナは強気に出る。
「では、もう一戦」
サリーナは黒い駒を動かした。
様子を見ているだけのルシオの父親とは違い、サリーナの方がよほど攻めている。
ルシオの父親は、未だにサリーナを遠くから見ているだけに過ぎない。
父親の駒が、奥から動く。
「息子は、何かご迷惑をおかけしてはいないでしょうか」
「いいえ、全く。私の方がお手数をおかけすることばかりです」
「まさか貴族の御令嬢と婚約をすることになるとは思っておりませんでしたので、教育できていないところも多く懸念しております」
サリーナはほほ笑みながら黒い駒を動かした。
先ほどとは違い、明らかに白い駒の動きが鈍い。
「私たちは平民に過ぎませんから」
わかってはいたが、サリーナとの婚約に対して棘がある。
駒を動かし終わったサリーナが顔をあげると、ルシオの父親と目があった。
たっぷりと息を吸い込んで、サリーナは口の端をあげる。
「いずれ私も同様です。その際はご指導頂ければと思います、お父様」
語尾を強めて、きっぱりと言い切る。
婚約中の今は、貴族令嬢であるサリーナの方が、立場が上だ。
だがルシオと結婚すればサリーナは平民になり、ルシオの父親は「義理の父」になる。
「サリーナ嬢は、ルシオをどう思われますか?」
「婚約していることがすべてかと」
「ご不満などはないとおっしゃられますか」
「婚約者ですので」
抽象的な質問はかわす。
だが相手は貴族令嬢どころか高位貴族と交渉をしながら商売を続けている相手だ、気は抜けない。
サリーナの返事に、口元に手を当てて考える仕草をしたまま父親は動かない。
ふ、と父親が息を吐いたのがわかった。
ゆっくりとした動きで、白い駒を手に取る。
「息子は手が早いでしょう、驚かれませんでしたか?」
カン、と盤上で音がなる。
サリーナが答えるよりも早く、口を開く。
「貴族の御令嬢をお相手にするのは初めてだったで、注意はしていたのですが……」
頭の中が、ぐわんとなった。
ルシオのこれまでの女性関係は、何も知らない。
どこかの人生で出会った大人のルシオは結婚もしていなかったし、付き合っている女性がいるわけでもなかったので気にしていなかったのだ。
ぎゅ、と組んだ手を握りしめる。
サリーナに、ルシオの女性関係に口を出す権利などない。
異性関係でいえば、サリーナの方がはるかにルシオに言えないことがある。
「驚いたことなど、ありません」
ルシオはいつだって優しい。
距離の詰め方はわかりあえないときがある気がしているが、それでも本当にサリーナが嫌がることはしない。
サリーナが駒を手にした瞬間、父親が言う。
「しかし、貴族の方々は婚約中でもキスすらしないとか。嫌ではありませんでしたか?」
ぴくりと黒い駒が揺れた。
ボードを見つめたまま、サリーナは息を飲む。
この質問は「はい」でも「いいえ」でも、サリーナを追い詰める。
かわすにしても、言葉を間違えるわけにはいかない。
ことん、と駒を置いた。
「ルシオ様は、私が嫌がることなど致しません」
「女性の扱いには慣れていますからね、どこかで冷ましているのかもしれません」
サリーナの喉が引きつった。
言外に他の女性の存在をにおわせておきながら、父親は白い駒を取る。
その手を凝視しながら、息を吐きだす。
ここで感情を乱してはいけない。
「……と。申し訳ありません、サリーナ嬢のお耳に入れる話ではなかったですね」
「いいえ、勉強になります」
ルシオに、本当にサリーナ以外の女性がいるかどうか、そんなことは知らない。
そんな訳がないとも思いたい。
だが、例えそれが本当だったとしても、ルシオならサリーナにわからないように隠し通すだろう。
とはいえ、本当だったらと思うと胸が潰れそうになるし、嫌だと思う気持ちはある。
湧き上がる気持ちを無理やり抑え込み、サリーナは手を伸ばした。
「つまり、お父様は」
だがそれは横に置いておく。
サリーナは、穏やかな声を意識する。
「ルシオ様が、欲を制御することもできないと? 貴族の婚約者がいるからと、その裏で発散なさっていると、親切にも私に教えてくださっているのですね」
ルシオの父親の目が丸くなった。
貴族令嬢が口にするような言葉ではないことは、わかっている。
それでも、サリーナは口を開く。
「随分と驚きました。コンラード商会の後継者ともあろう方が、そのレベルとは露知らず」
困ったように頬に手をあて、ゆっくりと笑う。
口にしたことで困るのは、どちらなのか。
「いえ、私は婚約を解消するつもりはありません。ただ……貴族社会は噂が大変好きな方々が多いものですから。いつか話題に上らないかと危惧しております」
「漏れるほどの隙があると?」
「さぁ、それは私には何とも。ただ煙の無いところからでも噂はたつものです。それは思わぬ形に変わっていくことがあると、ご存じでは?」
黒い駒を動かしたサリーナは、顔をあげた。
あのろくでもない侯爵家を潰した一旦は、サリーナが広めた噂にある。
きっかけは漏れたわけではなく、すべてを知っていたサリーナ自らが流した噂である。
そのことは、ルシオの父親も把握しているはずだ。
視線を反らすことなく、真正面からサリーナは言い放った。
今この目の前の父親は、ルシオを軽く扱った。
それがとにかく許せない。
怒りに燃えるサリーナの瞳を受け止めた父親は、白い駒を手に取った。




