サリーナ、ルシオと向き合う 中編
早く放課後になってほしいと思うときこそ、なかなか時間は過ぎない。
やっとの思いで放課後を迎えたサリーナは、はやる気持ちを押さえて門へと向かう。
すでに馬車を前に、ルシオが待っている。
チェルシーは「素敵なペンとの出会いがあることを願っていてね」と元気よく繰り出していった。
それを見送ったサリーナとルシオは、二人して馬車に乗る。
馬車は、コンラード協会のものだ。
カーテンを閉めたルシオは、壁の奥に手を入れてひねる。
魔道具が発動したのがわかった。
王家の影への対策だろうか。
「……大丈夫?」
正面に座ったルシオが、心配そうに見ている。
サリーナは「はい」と頷いて、そっと笑った。
何が大丈夫なのか、自分でもわからなくなってきた。
ただ、遠く感じていたルシオが、少しだけ近くなった気がしてホッとする。
「隣に座ってもいい?」
「もちろんです、どうぞ」
ルシオが座れるように左端による。
片方だけに重みがかかり、馬車が少しだけ揺れる。
サリーナの右側にルシオがいる。
学院の裏庭で話す時の位置と同じで、安心する。
ずいぶん昔のような気がした。
サリーナはカーテンを眺めながら、ぼんやりと考える。
商会についたら、おそらく話があるだろう。
ルシオが何をどこまでわかっているのか、それによって内容も変わる。
人生をやり直しまくっていること。
噂をまき散らしたこと。
王家の影を含む、王家とのこと。
何をとっても、あまりいい結果になりそうにない。
最近いろいろと考えすぎまくって眠れていないからか、頭がぼんやりしてきた。
胃が痛くなってきた。
「サリーナ、手握ってもいい?」
「……え?」
ぐったりするような内容を考えていたサリーナの耳に、訳の分からない言葉が飛んでいた。
ぎょっとして振り返ると、ルシオがこっちを見ていた。
久しぶりに、近い。
ただ、それを恥ずかしいと思うよりも先に、頭に疑問がわいた。
「あの……今はそういう雰囲気ではなかったかと思うのですが」
「そう? 俺はそうかなと思ったけど」
「どこにそんな雰囲気が!?」
平然と返されて、言葉が切れた。
そういう雰囲気だった、だろうか。
自分が考えすぎているだけなのか、いやでもそんな。
「ま、いいや」
サリーナがうろたえている間に、ルシオが簡単にサリーナの手を握った。
ルシオの少し低い体温が伝わって、息を飲む。
何か言わねば、と思うよりも早く、ルシオの頭がサリーナの肩に乗った。
サリーナの頬にさらりとした黒髪が触れ、あわあわと唇を震わせる。
ルシオが近すぎて、香りまで伝わってきてパンクしそうだ。
「るるる、ルシオ様?」
「はい、何でしょう」
「こ、これはその、どうされたんですか?」
「んー。本当はこんなつもりじゃなかったんだけど……」
表情の見えないルシオの声が、途切れた。
黙って待っていると、つないだ手をルシオの親指が撫で、サリーナは小さく飛び上がった。
「サリーナが可愛いから、考えるのはやめた」
「い、意味がわかりません」
すでに泣き言だ。
どこに可愛い要素があったのか。
ルシオの発言の意味がわからず、サリーナは目を白黒させてしまう。
それすらもわかっているルシオは、声をたてて笑った。
サリーナの体は、緊張しているからか固い。
それでもルシオを優先してくれているようで、動かない。
「……ホント。可愛いなぁ」
ぽつりと漏らした言葉は、緊張して動けないサリーナまでは、届かなかった。
サリーナの負担になっていることを自覚しながら、ルシオは目を閉じる。
甘い香りが鼻をくすぐった。
馬車は揺られ、コンラード商会の本店に到着する。
時間にして三十分ほどだったが、サリーナからすると数時間の拷問である。
半分泣きたい気持ちで固まっていたら、ルシオが静かにしたまま動かなくなってしまった。
まさか寝たのだろうか、と信じられない気持ちで瞬くが、動けない。
どこに眠るようなことがあったのかわらず、サリーナはぎゅっと手を握る。
緊張で頭がおかしくなりそうだ。
「ふわぁ」と、何とも気の抜ける声がしたのは、馬車が完全に止まってからだった。
タイミングよく声をあげたルシオはそのまま体を起こす。
肩にかかっていた重みがなくなったサリーナは、離れた温もりに震えた。
寂しいなんて、思っていない。
自分だけこんなにどぎまぎしていることがわかり、恨みの一言でも言いたくなる。
「ルシオ様、寝てましたよね」
「うん」
あっさりと認めるルシオに唖然とする。
何故あの状況で眠れるのか、サリーナにはさっぱりわからない。
何かを言い返そうと頑張っているサリーナの口元に、ルシオは人差し指をあてた。
「聞かれるよ」
サリーナはその瞳を見開き、黙り込んだ。
誰に、とは何も言わずとも、ルシオの視線が動いただけでわかった。
真っ赤だった顔が一瞬で反応し、呼吸と共に落ち着いていく。
その姿を見て、ルシオはひっそりと口の端をあげた。
さすがだな、と言うほどの変わり身の早さだった。
ルシオの手を支えに馬車から降りたサリーナを、そのまま専用のドアから商会へと案内する。
表面上の会話を途切れさせないのは、気を使ってのことだろう。
以前に案内された書庫ではなく、さらに奥の部屋まで案内される。
商会の中は、外の建物からは想像もできないほど複雑になっている。
そのドアの一つに手のひらを乗せたルシオは、ドアをあけた。
「どうぞ」
「失礼いたします」
サリーナは部屋へと入る。
レンガ作りの壁の中に、白い箱が乗った小さな机一つと二人がけのソファが二つおかれている。
何故か一つの部屋の中に、いくつものドアがある。
レンガ作りの部屋だというのに暖かく、不思議な部屋だった。
サリーナをソファに案内したルシオは、部屋の隅におかれていた魔道具を起動させる。
この中の会話や状況がわからないようにしてしまう、商人がよく使う魔道具だ。
「本当にいちいち面倒」
本当に面倒くさそうに言って、ルシオがソファに腰を下ろす。
いつもの良く知るルシオだ。
「あ、そうだ」とルシオは机におかれていた白い箱を持ち上げた。
魔方陣が一瞬光った蓋を取ると、ティーセットが一式入っている。
白い箱は、中身をそのままの状態が保管ができる特別な箱なので、新鮮だ。
「この部屋は誰も入って来れないから、お茶を準備しておいたんだ」
「そんな、わざわざすみません」
「気にしなくていいよ、こんなこと。俺が入れてもいい?」
「嬉しいです」
小さな机は、ティーカップ二つ並べただけでギリギリだ。
向かい合ったルシオが、触れられるほど近くて緊張する。
ルシオが入れてくれたお茶は、温かい。
サリーナ好みのお茶を準備して、こうやって部屋に案内してくれたことが嬉しい。
だからこそ、今から何を言われるのかが怖い。
自分から口を開くこともできず、どうしたらいいのかわからないサリーナは俯いた。
指先が冷えていく。
あれだけ重ねて魔道具を使うルシオのことを尋ねなかった時点で、王家の影の存在の認識は共通だろう。
加えてサリーナは、人生をやりなおしまくってやらかしたという秘密もある。
ルシオに責められたらどう答えたらいいのか、考えても答えがでない。
沈黙に耐えられなくて、サリーナが何度目かのお茶を口にした時だった。
サリーナがカップを置いたのを見て、ルシオアが口を開いた。
「サリーナ、俺のことを避けてたでしょ」
「え……」
「それって、王家の影のせい?」
爆弾が投下されて、ぎくりと固まった。
ルシオの口から「王家の影」の言葉が出たのは、初めてだった。
誤魔化そうにも、目の前にいる状態でルシオ相手には無理な話である。
「……やっぱり、そっか」
ルシオの声が一段と低くなった。
何やら不穏である。
サリーナは慎重に言葉を選ぶ。
「この場を選んだのは、盗聴されないためですね」
「サリーナの邸宅じゃ、万全な対策ができるかわからなかったからね」
学校にも王家の影が目を光らせていて、落ち着いて話もできない。
やはり王家の影に見張られていること前提だ。
第二王女の顔が浮かんで、慌てて打ち消した。
「王家から。何か打診はありましたか?」
「ないよ。言っとくけど、私用に応じるつもりは、一切ないから」
サリーナはひゅ、と息を飲んだ。
紫色の瞳がじっと見ている。
考えていることも奥まで見透かされている気がして、思わず視線を落とす。
「サリーナ」
続く言葉が怖くて、サリーナはぎゅっと目を閉じた。
「俺、サリーナが好きだよ」
唐突に落ちてきた言葉に、思わず顔をあげた。
柔らかい紫色の瞳が、真っすぐにサリーナを見ている。
ルシオがこんな風にはっきりと言葉にしたのは、おそらく初めてだった。
何か言葉を返さないと、と思うのに言葉が出ずに、唇が震えた。
「俺の婚約者は、サリーナだよ」
机の上においた手を、ルシオがそっと握った。
簡単にふりほどけるほど優しく、温かい。
「で、も。あの……私」
「サリーナ」
声に力が入り、握られた手に力がこもる。
ルシオの頭が少しだけ下を向き、顔に髪がかかる。
サリーナを、黒髪の間から紫色の瞳が捉えた。
ぞわり、と背筋に何かが走る。
「この際だから言うけど」と言うルシオの瞳がかげる。
「危機感持ってね、サリーナ。自分でも自覚があるけど、俺、動くと早いよ」
珍しくルシオの言っていることがわからず、サリーナは瞬いた。
つまり、どういうことだろうか。
ルシオの手がサリーナの頬に伸びる。
そろりと撫でたその手が、唇に触れた。
「俺はもっと、手を回すよ。サリーナ、多分逃げられないよ」
「……え」
何やら空気がよろしくない気がしてきた。
危機感と言われても、ルシオが自分を傷つけることなど考えたこともないので、どう返せばいいのかわからない。
仄暗さすら感じさせるルシオは、ふ、と力を抜いた。
手を戻し、ゆるゆるとほほ笑む。
「だから、王家から縁談が来たら断ってね。その前に手は打つけど、万が一もあるから」
「来ませんよ、そんなもの!」
想像していなかった言葉に、悲鳴があがる。
だがルシオは納得していない。
「学院での噂、サリーナでしょ。医務室に通ってたんだって?」
「……そうです」
「そこから目をつけられるかもしれないよ」
ルシオは、やはり噂について裏があることを知っている。
加えて、医務室の女性医師が王家の影だとわかったうえでの発言だ。
ただ、王家の影の本質についてはサリーナの方が詳しい。
「王家の影は、私に興味がないと思いますよ」
「どうしてそう思うの?」
ルシオと視線を合わせたサリーナは、言葉を探す。
どう言えば伝わるのか、難しい。
「王家の影は、王家がすべてです。王家にとって良い物は取り入れ、悪い物は排除します。噂を流した本人だけであれば、たいした興味は持たず、情報はあがりません」
「サリーナにも、監視がついてるよね」
「それは、ルシオ様の婚約者だからです。もしも噂の裏に私がいると気づいたら、王家は私を殺そうとしますよ」
「は? 何で」
さすがに予想外だったのだろう、ルシオが反応した。
サリーナは、息を整えた。
「王家の影は、王家にとって都合の悪い相手を見つけた場合、その対象を排除する方向に動くんです」
「サリーナが、その対象になるって?」
「はい。ただの子爵令嬢が王家の影を把握していることは、王家にとって脅威です。拷問して出所を探り、殺すはずです」
「……その対象になった場合、すぐにわかるの?」
「はい、すぐにわかります。監視も体制も変わるので」
淡々と告げるサリーナを、ルシオはじっと見つめた。
わざとだろう、王家の影のメンバーを知っているその口調に、恐ろしさすら感じる。
父親ですら知らない王家の影の一面を語るサリーナは、王家にとってはどう考えても邪魔な存在だ。
サリーナの父親でもある子爵すら知らないであろうことを、どこでどのように手に入れたのか、想像できない。
子爵令嬢相手には取り込む方が楽だし早いと思っていたが、話は思った以上に物騒だ。
ルシオは唇を噛む。
そんなリスクをとってまでサリーナが行動を起こしたのは、何のためだったか。
「……ごめん、俺のせいだ」
「違います! ルシオ様。違います、違いますから」
搾りだしたルシオの声に、サリーナは焦る。
違うのだ、そんなつもりじゃなかった。
「私は、あの侯爵家の裏を知っていました。とても許せるものではありませんでした、そのために王家の影を使った、それだけです」
ルシオのことで思い出したが、元々あの侯爵家は野放しにはできなかった。
人生をやり直しまくりのサリーナは、あの侯爵家が何をしていたのかわかっていた。
伝えなければ、とサリーナは覚悟を決める。
「ルシオ様」
静かにサリーナは言う。
「私は、ルシオ様の想像以上に、知識もすべも持っています。魔法も同様です。それは、この国だけではなく、世界中においてです」
一言一言をゆっくりと口にするサリーナに対し、ルシオは黙り込んだ。
こうやって、サリーナがその違和感について口にするのは初めてだった。
サリーナの言っていることは、本当だろう。
彼女はルシオも父親も想像できない何かを抱え、それを基にして生きている。
スカートをぎゅっと握りしめたサリーナが、決意したように顔をあげた。
サリーナはこれから何が起きるかどう世界が動き、他国で何があるのか、多くを知っている。
本当は、言いたくない。
人生をやり直しまくっていることを話せば、伝えないといけなくなる。
当初はザイードが好きだったこと、結婚したことがあるということ。
魔法をつかってやらかしまくったあれやらこれやら、今考えると恐ろしいことも多い。
それを知ったルシオがどう思い、どうするのかを考えただけで、吐きそうになる。
それでも体に力を入れて、前を向いた。
「私について、お話します」
「いいよ、サリーナ」
「……え」
「言わなくて、いいから」
ルシオは手を伸ばした。
指先ですぐ届く距離にある髪の先に触れて、もう一度告げる。
「俺は別に、隠し事はなしなんて思ってないよ。俺だってあるし」
「……それ、は」
「本当は、言いたくないんでしょ?」
サリーナの唇が震えた。
言いたくない、本当は言いたくない。
ずるくて卑しくて身勝手だとわかっていても、それがもたらす影響の方が怖い。
先ほどの決意が、すでに揺らいでいる。
このまま黙っておけるものなら、知らない顔をしていたい。
「俺がさっき言ったこと、覚えてる?」
黙り込んだサリーナに、ルシオの声は優しい。
どの話かわからない様子のサリーナに、もう一度言う。
「サリーナ、多分逃げられないよ」
当惑した様子のサリーナに、ルシオは薄く笑った。
わかってないな、と言い方を変える。
「サリーナが言いたいならもちろん聞くけど、無理に言わなくてもいいよ。聞いても聞かなくても、俺の気持ちは変わらない」
サリーナは、小さく息を飲んだ。
目を見開いてルシオを見上げたサリーナの瞳が揺らぐ。
きっぱりと言うルシオの言葉が、胸に刺さって痺れた。
変わらない、と言った。
王家が何を言おうとも、人生をやりなおしまくっていることを話さなくても、ルシオは婚約を解消する気がないのだと、それがはっきりとわかった。
引きつって言葉が出ないサリーナに、繰り返す。
「好きだよ」
喉が痛くて我慢しているのに、視界のルシオが歪む。
ぽろりと零れた涙をルシオの伸ばした手がすくい、反対の手が頬を撫でる。
必死で息を吸ったサリーナは、俯いた。
「わたし、もっ、好き、ですっ……」
たくさんの気持ちが混ざり、何を伝えていいのかわからなくなる。
それを絞り出した声は掠れていた。
感謝や嬉しさや安心を言葉にしたいのに、苦しすぎた。
俯くサリーナの肩に手が回り、引き寄せられる。
驚き目を瞠るが、歪んだ視界の中でルシオがつけているネクタイが見えて力が抜けた。
優しい温もりが、サリーナを包み込む。
「……知ってる」
柔らかな声が耳に響いて、余計に涙が止まらなくなった。
頭をなで、あやすように背中をゆっくりと叩くルシオの優しさが、たまらなかった。




