サリーナ、ルシオと向き合う 前編
サリーナは、とても憂鬱だった。
本を手にしても、中身が頭に入ってこない。
本当は今頃、ルシオと共に、カフェで新作のパフェを食べているはずだった。
約束を覚えてくれていたルシオが「行こう」と誘ってくれたときは、本当に嬉しかった。
それがいきなりキャンセルとなり、ルシオは迎えに来た馬車に乗っていってしまった。
手配された馬車に揺られて帰宅したサリーナだったが、そこからやる気がでない。
予定が当日キャンセルになったことは、気にしていない。
問題は、その理由の方だ。
お茶を一口飲み、本を机においた。
下がる前に入れてもらったお茶とはいえ、まだ温かい。
「今日はここまでにした方がよさそう」
ぽつりと零したサリーナは、窓から外を眺めた。
よく知っている鳥が、横切った。
「王家の影」が使う、伝書用の鳥だ。
見張られている。
その対象が自分だと、サリーナにはすぐに気づいた。
子爵家全体を調査対象としていることから、王家がどれほどこの件を重要視して動いているかがわかる。
サリーナを見張る理由として考えられる可能性は二つ。
一つ目は、コンラード商会後継者であるルシオの婚約者だから。
二つ目は、サリーナ本人が「噂」をコントロールした張本人だと知られたから。
一つ目の理由であればまだましだ。
考えると苦しくなるが、コンラード商会を取り込むためにサリーナが邪魔なのだろう。
婚約解消を促される可能性がある。
二つ目の理由であれば、かなりの一大事である。
ただの何も知らない子爵令嬢であるサリーナが「王家の影」を使ったことは、子爵家全体に影響が出る可能性がある。
子爵家を取り潰しにかかり、サリーナ自身も危ない。
学院に入り込む王家の影の存在を知りながらも、サリーナは精一杯いつも通り過ごした。
婚約者でもあるルシオとの接触も、うまく避けるようにした。
結果として、最初こそ子爵家全員を調査対象にしていたようだったが、すぐにサリーナのみに切り替わったようだ。
とすれば、可能性は一つしかない。
コンラード商会を、王家に取り込みたいのだ。
引き入れたい相手を前にした王家がどうするのか、王妃を経験したことがあるサリーナは良く知っている。
王女、もしくは王子と結婚させ、血縁関係を結ぶのだ。
ルシオの相手は年齢的には、第二王女だろう。
公爵令息との婚約は続いているようだが、サリーナが知る限り仲は良くもなく悪くもないような状態だ。
婚約が解消されたとしても、侯爵令息にはすぐに別の女性が名乗りをあげるだろう。
あとは、ルシオ次第だ。
ルシオはサリーナを大切にしてくれていると思う。
学院とは違う素のルシオは、サリーナしか知らない一面だ。
抱きしめられたことだってあるので、お互いの気持ちはまちがっていないはずだ。
それでも、心の奥でもやもやとうごめくものがある。
おそらくコンラード商会全体にも、すでに王家の影がついているだろう。
サリーナは。本棚から熊が描かれた本を取り出した。
ルシオがプレゼントしてくれた本である。
いかつい熊が襲い掛かってきそうな絵面なのに、笑いが漏れる。
「きっと、いつか露呈するわね」
サリーナはやり直しまくった人生の中で得たものを、特に隠してこなかった。
いちいちどこまでがどうだったかを考えるのが面倒だっただけだが、おそらくルシオは感じ取っているだろう。
それを追求しなかったのは、ルシオの優しさでしかない。
隠し事をしまくっている自分を、ルシオはどう思うだろう。
責められて、軽蔑されて、婚約を解消される未来が浮かび、サリーナはぎゅっと唇を噛んだ。
そのとき、部屋をノックする音が聞こえる。
顔をあげたサリーナは、慌てて笑顔を作った。
心配させるわけにはいかない。
入ってきたメイドは「急ぎでお持ちしました」と、一枚の手紙を手にしている。
受け取ったサリーナは、そこに押された封蝋に目を見開いた。
メイドにお礼を伝え、彼女が下がった後、封蝋に触れる。
よく知る、コンラード商会のものだった。
翌日、サリーナはそわそわする気持ちを抑え、しっかりと席に着いていた。
知り尽くしている授業だが真面目に受け、ノートも取り、精一杯頑張った。
午前中の授業が終了する合図を聞き、さっと立ち上がる。
「チェルシー、行こう」
「待って、サリーナ。ペンがっ……ペンの調子が悪くて」
「大丈夫、ゆっくりでいいわよ」
「使いにくいったら! 今日は絶対に最高のペンを買うわ」
チェルシーが力業でペンと格闘している。
彼女が愛用しているペンは、書き心地は最高なのだが古くなってきており、片付けに一苦労である。
今日の放課後は、さすがに新しい物を購入すると決めたチェルシーと、文具店に行く約束をしているほどだ。
「できたわ、おまたせ」
「気にしないで」
教科書やノートを片付けてから、学院内のカフェへと向かった。
学院内には食事が提供されている箇所がいくつもあり、生徒が分散するようになっている。
サリーナとチェルシーは、毎週二人でこのカフェを利用すると決めていた。
チェルシーは悲しそうにため息をつく。
「そろそろこのカフェ生活も我慢しないといけないわね」
「本当ね。あっという間だわ」
まだ大分先になるが、社交界のシーズンが見えてきた。
貴族にとっては、とても重要な季節である。
基本的に学生の身分であるサリーナもチェルシーも積極的に呼ばれることもないし、参加はしないけれども、長期休暇や連休に重なると出席せざるを得ない。
特に、すべての始まりである王族が主催するパーティーには、貴族は基本的に全員参加だ。
チェルシーは、眉を寄せた。
「お肉がね。本当に、元気いっぱいなのよ」
「そんなことを言ったら、私もよ」
「お肉貯蓄しちゃったから、頑張らないとドレスが入らなくなるわ」
「来週からは、我慢しよう」
女性のドレスはどうやっても体のラインがわかってしまうので、死活問題である。
貯蓄した柔らかさと戦うのは来週からだ、と二人で言い訳をして、カフェに入った。
カフェにはすでに多くの生徒で賑わっている。
先に席を取っておこうかとチェルシーが横を向いたとき、紙ナフキンを片手にしたルシオと目があった。
「ご無沙汰しております」
先にルシオが頭を下げる。
伯爵令嬢のチェルシーの方が上の立場なので、当然だった。
気づいたサリーナも一歩前に出る。
「ルシオ様も、今日はカフェをご利用なんですか?」
「友人にパンケーキがおいしいからと誘われたものですから」
学院内での距離が、少し寂しい。
それでもサリーナは「そう聞くと、パンケーキが食べたくなってきました」と笑った。
ルシオがチェルシーに視線を向ける。
「お席はお決まりですか?」
「それは今から考えようかと思っています」
「私たちの隣の席が空いておりますが、お取りしておきましょうか?」
ルシオが目を向けた方向に、少しだけスペースが見えた。
チェルシーがお礼を伝えているので、了承となったのだろう。
ルシオの紫色の瞳と目があったサリーナも、お礼を告げた。
ルシオが案内してくれた席は、大きな机の端だった。
人の流れをぬった奥にあり、少し遠い。
二席だけ空いているのだが、椅子が奥に押し込まれ、スペースもかなり狭い。
サリーナとチェルシーには広い席を案内したルシオは、友人と共に奥の狭い席へと移動する。
サリーナの隣には、ルシオが座った。
「パンケーキにされたんですね」
「はい」
さりげない会話をしながら、フォークとナイフを手に取った。
切りながら、さっと周囲に視線を巡らせる。
これらの会話、行動すべて、王家の影に見張られているはずだ。
だからこその、このうすら寒い芝居が必要だった。
発端は、昨日のルシオからの手紙だった。
メイドから持参されたものと聞いたので、影の目は入っていないだろう。
だが万が一と言うこともある。
サリーナは「ルシオ様かしら」とわざとらしく大げさに喜び、机につきそっと封を開けた。
さりげなく机の上におかれた魔道具のスイッチを入れる。
王家の影が手紙を盗み見るときには、大体魔法か、魔道具が使われる。
手紙は気密性が高い可能性があるので、貴族であれば読み取れないように防御用の魔道具を持っている。
怪しまれることはないはずだ。
封筒に手を入れたサリーナは、瞬間、違和感に気づいた。
だが知らぬ顔をして手紙を取り出し、開く。
そこには、ルシオの筆跡で、本日の急なキャンセルへの謝罪が丁寧に書かれてあった。
キャンセルになった理由は書いていないが、サリーナと出かけることを楽しみにしていたことがわかり、思わず顔が緩む。
ルシオの手紙のサインは、少しインクが滲んでいた。
インクをこぼした様な跡がある。
サインをした端は少しだけ水をこぼしたかのように皺が寄っていた。
手紙を封筒に戻した後、その手紙を持ったままサリーナは廊下に出た。
ルシオの返答をするための紙を書斎に取りに行くふりである。
そうしながら、さっと手洗い場に駆け込んだ。
流し台に水をため、手紙を取り出す。
ルシオの謝罪が書かれた手紙の後ろに、薄い紙が入っていた。
それを広げて水の中に突っ込んだ。
じわじわと浮き出てくるのは、文字だ。
明日、学院のカフェ
たったそれだけだったが、サリーナにはわかってしまった。
逃げていた現実が、目の前にやってくる。
ルシオは、すべてを把握している。
だからこその、この手紙だった。
ルシオの返答には、気にしていない旨を伝えながら了承の意を伝える。
ルシオと同じように、サインをにじませた。
その横に、こぼしたように一滴のインクをこぼす。
これだけで、彼は気づくだろう。
サリーナには、ルシオが何を考えてこの場にいるのかわからない。
元々サリーナはチェルシーとカフェで昼食を取る予定にしていたので、特に予定を変える必要もない。
ルシオが合流したところで、何があるとも思えなかった。
目的がいまいちわからない。
ただ、こちらの行動をルシオが把握しており、サリーナの隣に座れるよう算段をたてたことはわかる。
友人を誘導し、奥の席のパーソナルスペースを奪い、避けるようにした。
椅子が見えにくいように片付けられていたことも、おそらくルシオの仕業だろう。
ルシオは友人とチェルシーを巻き込んで、話を続けている。
悲しそうにため息をつく。
「昨日は私の急な事情により、サリーナ様とご一緒できなかったんです」
「まぁ。昨日はご一緒と聞いていたのですが、そんなことがあったんですね」
「お気になさらないでくださいね、ルシオ様。パフェは逃げませんから」
話は、チェルシーが教えてくれたという新作のパフェについてだ。
サリーナは笑いながらも、周囲から意識を反らさない。
ルシオの友人も混ざりながら、白々しい会話が続く。
影に見せたいことがあるのか、何かを引き出そうとしているのか、狙いはどこにあるのだろう。
最後のパンケーキのかけらを口にしたチェルシーが、嘆息する。
「私はしばらくの間は甘いものは控える予定なので、パフェの感想は後日聞かせてくださいね」
「かしこまりました」
「調子でもお悪いんですか?」
ルシオは頷くが、もりもりとサンドイッチを食べていたルシオの友人は不思議そうだ。
先ほど甘いパンケーキを完食したチェルシーの言葉の意味が、つかめなかったらしい。
さっとルシオは友人を睨んだが、彼は気づかない。
問われた伯爵令嬢チェルシーは、そんな二人を見て、口の端をあげた。
「社交界が近づいておりますので」
それで伝われば、苦労はしない。
未だに意味がわかっておらず口を開こうとした友人の足を、ルシオが蹴った。
「って!」と小さな声をあがったが、皆聞かなかったことにする。
ルシオが深々と頭を下げる。
「友人が大変失礼を致しまして、申し訳ありません」
「気になさらないで。それよりも、あなたは?」
チェルシーは、ルシオをじっと見る。
社交界では、婚約者がいる女性は基本的には婚約者と二人での参加となる。
ドレスを始めとした小物を送り、お互いの衣装を統一するのは、互いの仲の良さを周囲にアピールすることにつながる。
真正面から「そうですね」と視線を受け取ったルシオは、その瞳をサリーナに向けた。
「サリーナ様。お時間を頂いても?」
緩やかに細くなった紫色の瞳を見た途端、サリーナの背筋が伸びる。
その瞳を見つめ返して「もちろんです」と頷く。
この流れからすると、サリーナの婚約者として社交界に参加してくれるということになる。
サリーナと婚約解消する気はないということだろうか。
それとも、王家と新しく婚約をするための時間稼ぎの口実だろうか。
ルシオはほほ笑んだ後「お言葉に甘えまして」と言葉を続けた。
「合わせたい物が、丁度本日届く予定なんです。ご都合を合わせて頂ければ幸いです」
「わかりました。確認してみます。お伺いした方がよろしいですか?」
「お手数でなければお伺い致します。本店の方になりますが、商会にお越しいただいてもかまいません」
「では、お伺いします。随分とご無沙汰しておりますし、素敵なものも増えているかもしれませんもの」
「かしこまりました」
サリーナの返事に、ルシオの瞳が柔らかくなった。
普通、ドレスの採寸や衣装合わせは令嬢の邸宅で行う。
薄着になることもあるので、しっかりとした体制がとられることもある。
それをわざわざ伺った方がいいかを確認したのは、それがルシオの求めるものだと気づいたからだ。
サリーナの邸宅に来るのであれば、事前に親を通しておけばいい。
婚約者なのだから、訪問することに問題はない。
それをせずにここまで遠回りをしているのは、約束を取り付ける時間が惜しく、商会にサリーナを呼びたいのだろう。
「だったら、サリーナ。今日行けばいいじゃない」
チェルシーが思いっきり入り込んできた。
そのままルシオに話が向く。
「放課後は私と出かける予定だったんですけれど、ご予定が合うようでしたらお譲りしますわ」
「私はもちろん、喜んで。しかし本当によろしいのですか?」
「もちろんよ。私の所要にサリーナを突き合わせるだけだったもの。ね、サリーナ」
問いかけには「それはそうだけど……」とだけ答える。
余計なことは言わない方がいい。
この流れがルシオの計画の一部だとしたら、口出しは妨げになる。
ルシオとチェルシーの間で、どんどんと話が進んでいく。
頭を下げたルシオはチェルシーに感謝の意を伝え、サリーナを見た。
「では、放課後お迎えにあがります」
「……お待ちしております」
サリーナは声が震えないように必死だった。
話がルシオの乗せたい方向へと動いているのだろう。
王家の影には、ルシオがサリーナを婚約者として扱っていることが伝わった。
一方で、表向きは届いた品物を合わせるためということだが、商会に行く理由ができた。
それも元々の予定ではなく、あくまでたまたまチェルシーのおかげだということになっただろう。
覚悟を決めたはずなのに、サリーナの心は揺らぐ。
甘いはずのパンケーキの味が感じられず、紅茶で押し流した。




