ルシオ、サリーナの秘密に触れる 後編
サリーナ・シュベルグが何者か。
この問いを、ルシオも考えなかったわけではない。
サリーナは、高い魔力を持つ、ごくごく普通の子爵令嬢である。
学院での成績は、学科も実技も悪くはないものの特筆すべきことはない。
ただ彼女と向き合って知ったが、時々とてもおかしくて、ちぐはぐになる。
例えば愛読する本の内容。
ジャンルは幅広く、ルシオよりもはるかに高難易度の物が多い。
言語にしても、数ヵ国語は話せるだろう。
行ったことがない国のこともよく知っており、その知識は多岐に渡る。
彼女の理解度は学院の授業内容などはるかに超えているだろうに、実際の成績との差はどういうことか。
わざと手を抜いているにしては、毎回誰にも気づかれずうまくやりすぎている。
精神的に疲れ切っていたルシオに「よく休めるように」とかけた魔法は、上級者のものだ。
実技の方も、すでに学院でのレベルは超えているのではないかと思う。
おまけに熊を捌いて食べたことがあるようだったが、子爵家では無理な話だ。
まず、熊をどこで手に入れたのかがわからない。
一つ一つの小さな違和感が、ルシオの中に溜まっていく。
「サリーナ、は……」
ルシオが口を開く。
ふいに、彼女を抱きしめたときの柔らかさを思い出した。
「俺の、婚約者だよ」
自分で言いながら、言葉がストンと落ちてきた。
ルシオは顔をあげて、サリーナのことが書かれた報告書を机に投げた。
こんな報告書、読んだところで何とも思わない。
「サリーナが、俺の婚約者であることに変わりはない」
結局のところ、そこだけの話だと思った。
「それが、お前の答えか」
父親は声音を変えない。
変わらないならば、コンラード商会の会頭として、確認しておかないといけないことがある。
後継者であるルシオがこれから背負うものが、あまりに大きい。
「サリーナ・シュベルグは、鬼にも蛇にもなりえるぞ」
サリーナの天性とも言える未知の力は、ルシオも父親も計り知れない。
彼女の気持ち一つで、ルシオを含めたコンラード商会全体が危険に晒されることもあるかもしれない。
ルシオすら気付けないところで起こってしまえば、取り返しのつかないことになるだろう。
危険だからとつぶしてしまうのは簡単でない相手だし、取り込むにはその能力は大きすぎる。
それを理解したうえで、それでもサリーナを選ぶのか。
サリーナの扱いをどうしたらいいのか、正直父親は迷っている。
将来のためにと婚約を解消してしまうのなら、今が一番いいタイミングだろう。
コンラード商会を危険に晒したくない一方、息子の気持ちも大切にしたかった。
黙り込んだ息子の答えをじっと待つ。
「……父さんは、勘違いしてる」
しばらくして、ぽつりとルシオが漏らした。
顔をあげたルシオは、幼い子供のようだった。
「俺が、サリーナじゃなきゃダメなんだ」
苦しくて落ち込んだとき、誰よりもサリーナに側にいてほしいと思った。
媚薬に振り回されても正気を保てていたのは、彼女がいたからだ。
声を聴くだけで痺れて、触れたらおかしくなりそうな中で、覚えているのは温かさだけだった。
黙って側にいてくれるだけで安心できる存在は、彼女だけだろう。
「だから、サリーナが鬼になる前に俺が鬼になるし、先に蛇になるよ」
サリーナが鬼になるよりも前に自分が落ちる。
蛇になるならば、先に行ってその手を引くだけだ。
今回、父親が王家の影に目をつけられたのは、噂に気付かなかった自分のせいだ。
いくら肉体的にも精神的にもギリギリだったとはいえ、あのときもう少し余裕があれば、いくらでも手はうてた。
父親の手もサリーナの手も煩わせることになってしまったことは、一生胸に刻み込む。
二度と同じ過ちは繰り返さない。
覚悟を決め真っすぐに自分を見るルシオを見て、父親はがっくりと項垂れる。
息子の覚悟が思った以上に、重たい。
「そうかもなーとは思ったけど、そうかー」
「良かったな、想像通りで」
「いいわけあるか、むしろやっかいだわ」
王家の影といい、サリーナといい、やっかいすぎる。
対応事が増えたと頭を抱える父親に「ところで」とルシオが声をかけた。
「王家は、サリーナのことはどこまで気づいて調べてる?」
「俺のカンと報告書の感じだと、今は何も。今後はわからん」
「……第二王子か、第三王子か」
だんだんと雰囲気がおかしくなっていくルシオを見て、父親は話を切り上げたくなった。
サリーナが噂が広がるのを操っていたとは、今のところはまだ王家は気づいていないだろう。
だがもしも目をつけられたら、今度はサリーナを王家に抱き込もうとするだろう。
王家には王子も数名いる。
第一王子はこの間学院を卒業したが、第二王子はサリーナの先輩だ。
第三王子は年下で、サリーナと一番年齢が近い。
サリーナの有益性に気付けば、アプローチをかけてくるかもしれない。
「ルシオ、落ち着いて聞け。気づいていないと言っただろ」
「俺は、落ち着いてる」
「顔が凶悪なんだよ! 鏡で見てみろ、怖すぎるわ!」
ルシオは思いっきり顔をしかめながら、第二王子と第三王子を思い出す。
サリーナに関心を寄せられてからでは遅いのだ。
とりあえず、王子どもがアプローチする機会など与える気はない。
王家の影が邪魔してきたときは、こっちも徹底的にやり合わねば。
王家の野郎などに絶対に取られてなるものかと、あれこれ考えているルシオを眺めながら、父親は「あのなぁ」と声をあげた。
まさか、絶対にサリーナを奪われない方法があることに、気付いていないのだろうか。
「婚約者殿が子爵令嬢なら、既成事実を作った方が早いぞ」
「は?」
「子供が出来れば、さらに手っ取り早く結婚できるだろ」
ついでに、かなりの高確率で離縁の可能性もなくなる。
心から「やればいいのに」と気持ちを込めて、のんびりと教えてやる。
子爵家とは多少揉めそうな気がするが、人が良いのでうまく丸め込めるだろう。
息子のためにはそれぐらいはしてやろうと思っているのに、ルシオが信じられない物を見るような顔で、こっちを見ている。
何故そんな目をしているのか、さっぱりである。
呆然としていたルシオは、やがて正気に返ったようで、音をたてて立ち上がった。
ゆらりと後ろに何か見えるのは、気のせいか。
「次にくだらないことを言ったら、その口を引き裂く」
「何だ、考えてなかったのか。一番良い案なのに」
「黙れ、その案は却下だ、二度と口にするな」
今すぐ口を引き裂いてきそうなルシオに、父親は口をつぐんだ。
何を言うかと思えば「黙れ」とは。
こちらからすれば、既成事実作ってしまうことを考えていなかったことに驚くばかりである。
そこに気付かない息子ではないだろうに。
どれだけサリーナが大切なんだ、と笑いたくなった。
父親はソファから体を起こして、両手を叩く。
「話は終わりだ。婚約者殿とのデートの約束を切り上げさせて、悪かったな」
「本当にな」
あれ、おかしいな、と父親は瞬く。
さぞ切れ味鋭い嫌味が飛んでくるかと思いきや、ルシオは渋い顔をしたままだ。
そこまで大切にしている婚約者との時間を取られた割に、怒りがいまいち戻っていない。
部屋に入ってきたときの「不機嫌丸出し」だったルシオと大分違い、戸惑った。
「……えーと。話を聞いた方がいいか?」
あまり弱音を吐かないルシオが、迷っているのがわかる。
どちらかといえば虚勢すら張る息子が、小さく口を開く。
「サリーナの様子が、おかしくて」
考えながら言葉を発しているようで、その瞳が父親すら通り過ぎる。
だが「婚約者の様子がおかしい」だけでは、何が何だかわからない。
「怯えているような、不安そうな……それで、それは」
ルシオの発言には脈略がないが、思考が回ってきたようだ。
手を回してあれこれ策を練れる婚約者であるサリーナが今、怯え、不安に感じることは、父親からすれば一つしか思い浮かばない。
その答えに全然たどりつきそうにない息子を見た。
いつになったら気づくんだ、と思いながらも耳を澄ましていた父親は、割り込んだ。
「お前、婚約解消するって思われてるんじゃないの?}
「はぁ!?」
ルシオが思わず大きな声をあげた。
何を言い出すんだこいつ、みたいな顔はやめてほしい。
ルシオはサリーナを切ることなどは一切考えていないようだが、父親は違う。
サリーナの持つものの大きさがわかったとき、引き離して抑え込むことを考えた。
「もしくは、すでに王家が接触してきているか」
「そんな気配はない」
「だったら、お前の方だろ。王家の影を知っている婚約者殿だ。王家がお前を取り込む可能性を考えないわけないと思うが」
息子の顔から、表情が抜け落ちる。
サリーナの不安や怯えを感じ取っても、その原因が自分にあるとは思いもしなかったらしい。
「で、も俺はっ……」
「婚約者殿は一度婚約解消しているから、余計にそう考えるのかもな」
黙り込んだルシオの顔色が白い。
婚約を解消する気などルシオには一切なかったし、考えもしなかっただろう。
だからこそ、気づけなかった。
その様子を、父親はそっと眺める。
短い間に怒ったりショックを受けたりと感情の振れ幅が凄まじいが、大丈夫だろうか。
そろそろ彼の情緒が心配になってくる。
今更だが、サリーナを婚約者から切り離していたら、ルシオの情緒がおかしくなったかもしれない。
決断したらさっさと行動する息子なので、サリーナを連れて国外逃亡していきそうな未来が見えてしまう。
「お前の仕事で急ぎの物は引き継ぐから、すぐに婚約者殿と約束を取り付けろ。影に見張られてるから、商会の空き部屋ぐらいしか話はできんだろうが」
これはよろしくない、と父親は頭の中で予定を練り直す。
商会の中は王家の影も入れないし、魔道具が設置してあるので話の内容も聞かれない。
一刻も早くサリーナと話をする時間を設けなければ、ルシオが暴走しそうだ。
これまでは、サリーナに対して「面倒な息子に好かれて大変だ」としか思っていなかったのだが、サリーナの方も大分手がかかりそうだ。
ここまで来たら、お互い様というやつだろう。
それでも、二人は大丈夫だろうという確信がある。
父親はどんよりした空気を変えるように、声をあげた。
「まぁ、何だ。彼女が不安を感じているなら、お前との婚約は解消したくないってことだろ。良かったな」
「二度の婚約解消が嫌なだけかもしれないだろ」
「暗すぎるな、おい……じゃなくて。行動を見ればわかるだろ」
「……何の話だ」
ルシオがのろのろ顔をあげた。
先ほどのショックがまだ尾を引いているらしく、げっそりして見えた。
父親は、思わず瞬く。
「え。お前、ホントに大丈夫か?」
これは、いろいろと問題発生である。
素の声が出てしまい、ルシオの瞳が剣呑な光を帯びた。
それでも何も言わないのは、自覚があるからだろう。
仕方がない、と父親は口を開く。
「婚約者殿が噂の黒幕だとして。一体誰のために動いたと思ってるんだ」
王家の影の存在を知っている彼女が、何も考えていないとは思えない。
噂を広げることがどれだけのリスクを背負うか、彼女はわかっていただろう。
特に何もしなかったら、サリーナが注目されることはなかったはずなのだ。
それでも彼女は、リスクを取った。
「ルシオ、お前の為だろ」
目を見開いて固まっている息子は、どうやら本気でそこまで考えていなかったらしい。
サリーナの行動を知った驚きのせいで、それ以上頭が働かなかったのだろうか。
王家との結婚の話といい、既成事実の件といい婚約破棄の件といい、自分の色恋沙汰には頭が回らないようだ。
そのくせ、王子がサリーナに近づく可能性には気付くのだから、偏りが酷い。
これは今後の課題だな、と父親は片隅で考える。
「愛されてるねぇ」
にやりと笑うと、ルシオが勢いよく睨みつけてきた。
だがすぐに視線がそれ、腕で口元を隠してしまう。
今頃自覚したようだ。
みるみるうちに真っ赤になっていく。
「そんなに大切なら、さっさと囲え」
「うるさい、黙れ」
隠しきれていない真っ赤な顔で言われても、特に何も思わない。
口調は強いのにどこか必死のルシオを見て、悪いと思っているのに笑ってしまう。
こんな一面、なかなか見れるものではない。
だが、会頭として一言足すことも忘れない。
「お前ね。自分のこととなると思考が鈍るよ。彼女の婚約者として隣にいたいのなら、先手を打て」
「………わかってる」
赤い顔を隠しながらも、ルシオが唸る。
本当に、全くもって意外である。
人の裏を探ろうとするし、相手の気持ちを読むことにたけているので、ハニートラップには強い。
だがその分、本気になった相手には嫌われたくない気持ちが先行するからか、判断が鈍くなるようだ。
とはいえ、自覚したのならひとまず大丈夫かな、と父親は立ち上がる。
「じゃ、さっさと急ぎの仕事を持ってこい。で、婚約者殿に会いに行け」
「どうせなら、全部持っていけば」
「急ぎだけだって言っただろ! ほら、行った行った」
未だに顔の熱が引かないルシオを無理やり立たせ、部屋から追い出す。
一人にすれば、後は自分で何とかするだろう。
それにしても、と窓から空を見上げる。
今すぐ自分に何かあってもルシオがいるから商会は問題ないと思っていたが、考えを改める必要がありそうだ。
少なくとも、自分の色恋沙汰にはもう少し慣れが必要だろう。
大切なものが出来たときこそ、そこが弱点とならないように守らなければならない。
その重要さと難しさを、父親はよくよく知っていた。
机の上に投げられた書類をまとめる。
それぞれ人数をかけて少しずつ調べさせたので、全体像を知っているのは自分とルシオと他数名だけだ。
その中から漏れることはないとふんでいる。
「さぁて。大人の出番ですかね」
二人の行く末は、平坦なものではないかもしれない
それでも、二人のためにできることはしてやろうと決め、父親は報告書に火をつけた。




