ルシオ、サリーナの秘密に触れる 前編
コンラード商会の書斎で、会頭である男は唸った。
思った以上に、大変なことになっている現実に頭を抱える。
さすがにここまでとは予想もしていなかった。
「まさか、こうなるとは」
読み終わった書類を机に投げ、天井を見上げた。
脳裏に息子の顔が浮かぶ。
隠しておくわけにはいかないが、伝えたときにどうなるのか想像できない。
ちらりと机を見下ろすと、投げた書類の文字が目に入る。
サリーナ・シュベルグ
彼の大切な息子の婚約者である彼女の名前を見て、諦めて目を閉じる。
逃げるわけにはいかないのであれば、さっさと対策を練るに限る。
少しでも遅れれば、さらに状況が悪化する可能性もあった。
体を起こし立ち上がった男は、秘書の男を呼びつけた。
授業が終わった後、ルシオは素早く荷物を片付けて廊下に出た。
今日は、婚約者であるサリーナと、最近話題になっている新作のパフェを食べに行く予定である。
この日のために、あれこれ調べたのだ。
魔法科にはレポートなどの提出物もないし、彼女の予定は真っ白だ。
何かにつけて入り込んでくる大親友すら押しのけて、無理やり予定をねじ込んだのには訳がある。
サリーナの様子がおかしいのだ。
元々無理を押し通すサリーナなので、何かがあるのだろうと思っているが、それとは違う。
怯えているようにも不安そうにも見え、違和感が付きまとう。
だからこそ、彼女が楽しそうに語っていたパフェ食べに行く今日を、ルシオはとても重要な日だと考えていたのだ。
サリーナとの待ち合わせは、学院の門前だ。
彼女を待たせるわけにはいかないと駆け足で向かったルシオを待っていたのは、父親からの命で彼を迎えに来た秘書の男だった。
ルシオは、思わず秘書の男を睨んでしまった。
急なキャンセルとなったにも関わらず、サリーナは気にしていないようだった。
申し訳ないと謝る秘書とルシオに「パフェは逃げませんので」と言って笑うが、ルシオはもどかしくて仕方がなかった。
約束をしたとき、サリーナは本当に嬉しそうにしていたのだ。
何に怯えて何に不安を感じているのかわからないから、今は側にいたかったのに。
それでも、ルシオは秘書の男と馬車に乗った。
座るなりため息をついたルシオは、口を開きかけた秘書の男に対して右手をあげる。
「わかってるから、何も言うな」
イライラしている、落ち着きそうにない。
それでも頭の奥の冷静な部分が回りだす。
秘書から言われたのは「お父上から、至急とのことです」の一言だけだった。
通常であれば、鳥を飛ばして「至急、帰宅」と知らせればいい。
ルシオは連絡用の魔道具も持っているので、そこからの連絡でも可能である。
それをせずに秘書にわざわざ迎えに来させたのは、傍受される可能性を考えたからだろう。
鳥を使わないのは、鳥を捕まえて情報を盗まれる可能性を考えたか。
もしくは、鳥を使っていることを知られたくない可能性もある。
「何にしろ、ロクな話じゃないだろ」
「ルシオ様」
秘書の男が心配そうにしている。
そのフォローをする気にもなれず、ルシオは「あー、くそ」とソファに背を預けた。
サリーナとの時間はつぶれるし、父親の呼び出しは厄介な予感しかない。
聞きたくないが聞かざるをえない現状に、ルシオは大きくため息をついた。
目の前に座る不機嫌丸出しの息子を見て、コンラード商会の会頭である父親は口を結ぶ。
本日の予定を知っていた上ででいきなり呼びつけたのだから気持ちはわかるが、こちらも急ぎだったのだと声をあげたい。
だがそれを今口にしてもやり合うだけになるのはわかっていたので、さっさと要件に入ることにした。
息子の怒りを感じつつ、書類を取り出す。
このお怒りモードを切り替える言葉など、とっくに知っている。
「お前の婚約者殿にも、関係ある話だぞ」
ルシオの顔から不機嫌さが消えた。
今から二ヶ月ほど前、とある侯爵家からコンラード商会へ招待状という名の脅迫文が届いた。
要件は、商品を買いたいから来訪しろという命令であり、その対応にルシオを指名した。
この侯爵家は、表は魔道具の研究一族として有名だったが、その裏では違法魔道具を使い、人を操り、媚薬まで使ってやりたい放題していたロクでもない一家である。
厄介な相手ではあったが、ルシオは何事もなく来訪して帰宅。
その数週間後、悪事はすべて暴露され、侯爵家は取りつぶしとなった。
父親と確認するように話をしながら書類を読んでいたルシオは、顔をあげた。
「やっぱり、取りつぶす気だったんだな」
「王国用の新聞社は大衆ネタも扱うからな、うまく食いついたぞ」
王国専用の新聞社は、庶民向けに娯楽用の新聞も発行している。
一般大衆向けとはいえ有益な情報も含まれており、人気は高い。
時に一般人からの投稿等も、取り扱っている。
その理由は、ただのどうでもいい投稿に見えても、国を揺るがす情報があるかもしれないからだ。
ただのくだらない与太話であっても、何か隠れていないかを探る役目もおっている。
国による、国のためだけの組織。
「……王家の影か」
「室長は間違いないだろう。挨拶に来るぐらいだからな」
「挨拶ね」
「王家の影」は、王国の諜報員のことだ。
一般的に都市伝説扱いだが、実在する組織だということは二人とも知っている。
国の利益のために動く彼らは、どこの誰で何をしているかもわからない。
だが、一般人としてその辺にいることだけは確かだった。
元々侯爵家のネタは、馴染みの記者に軽く伝えただけだった。
それが「詳しく聞きたい」と、上司である室長がわざわざ名刺まで持って挨拶に来た。
馴染みの記者には、名前を決して明かさないことを条件に付き合ってきており、信用している。
「たまたま聞いてしまって」と申し家なさそうにしていたが、おそらく情報の出所を探ったのだろう。
出所を調べられてもわからないように巧妙に隠していたはずだが、どこからばれたのか。
ネタのやり取りの方法を見直そうと、父親は決意する。
室長は、その辺にいる一般的な男だった。
それでも話の仕方、誘導の仕方は一般人のソレではない。
王家の影だな、と確信した。
ルシオは「それにしても」と続ける。
「全容をつかむのが早い。王家の影は、そんなに使えるのか」
王家の影は、優秀である。
王国にとって脅威と思えば、すぐに動き出す。
だが、侯爵は領民を魔道具で操っており、証言を得ることは難しい。
個人所有を認めていない魔道具も効果の高い媚薬も「研究のため」と、購入することは認められている。
コンラード商会としても全力で情報を集めたが、証拠を見つけるにはいくつもの壁があった。
王家の影とはいえ、侯爵家を法の下に引きずり出すほどの証拠を集めるのは、大変だっただろう。
王家の影は、想像以上に優秀な人材の集まりらしい。
羨ましい限りである。
「……まぁ、それについてはまた説明するが」
一人納得しそうなルシオに、父親が小さく付け加える。
聞き逃すにはあまりに不穏な内容に顔をあげたが「それで!」と父親が強めに言葉を切った。
「おそらくというか、かなりの高確率というか。間違いなく王家に目をつけられたと思う」
「……はぁ?」
やや威張ったようにふんぞり返った父親は、開き直る。
ルシオの目が尖るのを無視し、視線を窓に向けた。
「商会も含めて、すべて見張られてる。どうやら商会全体を押さえ込みたいらしい」
「……ふざけんなよ」
「必要なメンバーにはすぐに連絡したが、かなり手数は減った。まぁ情報は限られるが、ひとまずどうとでもなるだろ」
コンラード商会には接客をする一般人の他に、新しい品物や仕入れ先を探しに行く営業職や荷物運び用の運送食、管理職など多くの職員がいる。
見張られているとわかってすぐに、それぞれの重要なメンバーには連絡をしたので、うまく動いてくれるはずだ。
ルシオの迎えに秘書を送ったのは、そのためだ。
魔道具も連絡用の鳥も、王家の影に見られるのは避けたい。
商会には秘匿義務があるので見えるところに魔道具をおいているものの、手の内はさらしたくない。
やけくそ気味に父親は「はっはっは」と笑うが、笑っている場合ではない。
うっとうしいしいな、とルシオはソファに沈み込む。
「で、何。俺も見張られてるって話?」
「お前、事の重大さがわかってないな。王家の影に命令してるのは、王族だぞ」
「王家に興味ない」
「お前はないだろうが、あっちはあるかもしれんだろ。第二王女がいるからな」
ぴくり、とルシオが反応した。
コンラード商会の後継者は、ルシオである。
すべてを引き継ぐルシオを、王家がどう思い、どう扱うかは別問題だ。
「……俺に、王家とつながれって?」
ルシオの声が低い。
王家がコンラード商会を引き込む方法は、実はとても簡単だ。
王家には、ルシオと年齢が合いそうな第二王女がいる。
お互いに婚約者がいるが、解消してしまえばいい。
コンラード商会としても王族の血を引く王女と結婚できれば、かなり有益となる。
まさしく両得、とても良い案のように思えた。
ルシオの頭にサリーナが浮かぶ。
ここで父親が「コンラード商会のために」等とぬかしたら、即内紛勃発である。
父親は、慌てたように手を振った。
「そんなこと思ってないから、落ち着け」
「確認しておくけど、俺の婚約者はサリーナだけだから」
「可能性を自覚しろって話だ」
「婚約者は、サリーナだから」
「知ってる、わかった」
「サリーナだけだよ」
「……しつこいなお前」
息子の気持ちなどとっくに知っているというのに、この言われようである。
ルシオはうっとうしそうに眉をひそめる。
「大体。目をつけられたのは、父さんが引き際を見誤ったせいだろ」
記者にネタを漏らしたぐらいでは、王家の影から目を付けられるとは思わない。
他にも何か仕かけて、そこからずるずる名前が表に出たのだろう。
ある意味、とても珍しいことだった。
これまでいろいろと引っかけてきた父親が、こんなところで押し負けるとは意外である。
さすが王家の影と言うべきか。
「……それについてはなぁ」
何か言い訳でもしてくるかと思いきや、父親が嘆息する。
体を起こしたルシオに「実のところ、本題はこっちなんだが」と、紙の束を渡した。
だるそうに受け取ったルシオだったが、目を掠めた文字に目を細めた。
そこから視線が動き出す。
「俺だって、まさかと思ったさ」
先ほどからため息が止まらない。
コンラード商会の総力をもって、侯爵家の悪事の証拠を集めていたのは間違いない。
領民と接触し、出入りの業者に紛れ、少しずつ少しずつ証拠を探して集めていき、それをしかるべき相手に流す予定だった。
記者にネタを渡したタイミングも、内容も考えてのことだった。
内部告発もできるよう手をうっておくなど、多方向から攻めていたのだ。
予想外だったのは、王家の影の動きがあまりに早かったことだ。
王家の影と思われる人物が確認出来てから、ばれないようにすぐに撤退しようと思ったが遅すぎた。
仕込みが途中になってしまうものもあり、結果として王家に目をつけられたのである。
こんなことは、初めてだった。
何をどこで間違えたのかと、父親は原因を探った。
結果として浮かび上がったのが、学院での噂だ。
かの侯爵令嬢は、わざわざサリーナに会いに来ては、嫌味言いまくっていたらしい。
ルシオが来訪すること、宿泊することも自慢しまくっていた。
そのことを、サリーナは第三者に相談した。
「不安だ」に始まったサリーナの相談内容が、侯爵令嬢の元々の良くない素行に重なりおかしな噂になり広がっていくのはわからないでもない。
問題は、その広がり方だった。
「複雑に絡み合っていまいち辿れない部分もあったが、噂は始終統率されていた。普通ではありえない」
魔道具の研究に長けている侯爵家が、裏でその魔道具を使い、人を操っていること。
媚薬すら個人所有し、用いていること。
個人が持つ噂は小出しで、あまりにも突拍子もないものになる前に修正され、ゆっくりとゆっくりと広がっていった。
噂はどれも事実を掠めており、全くの嘘ではないところもよく考えられている。
そして、それが侯爵令嬢はもちろん、彼の一族の耳に入っていないこともおかしい。
誰かが裏でコントロールしていなければ、ここまでのことはできない。
そんな風評が流れていなかったことに気付けなかったのは、学院の中の情報を仕切っていたルシオが戦線離脱状態だったからというのもある。
いつもならすぐにおかしいと気づいただろうが、このときのルシオは媚薬の耐性をつけるために体も精神もボロボロだったので、すり抜けたのだ。
一応、コンラード商会から人を入れてはみたが、あまりに急な出来事で後手に回ったことも大きい。
会頭としては、失態である。
その裏を探るのは、とてもとても大変だった。
複雑に絡み、途中で切れる情報を精査し、もう一度手繰り寄せ、微かな糸を何度も何度もを必死に手繰り寄せた結果、一人の名前が浮かび上がった。
「それが、サリーナだと?」
「人選から判断した結果だな。最初に接触したのは、お前が王家の影だと疑っている医務室の女だぞ」
ルシオが目をみはる。
医務室に常駐している女性医師は、王家の影だろうとルシオはふんでいた。
確かに彼女は生徒の悩みや相談を聞いているが、そこにサリーナは含まれていないはずだ。
これまでに接点のない彼女に、何故わざわざ最初に接触したのか。
都市伝説とされる王家の影の存在を、信じている人は少ない。
その中で、サリーナが意図的に女性教師に接触したとなれば話は別である。
王家の影の存在だけではなく、そのメンバーまで把握しているというのか。
「その女ですら、手のひらで踊らされていた。裏で糸を引いていたのは、おそらく」
ルシオは口をつぐんだ。
噂が誰から誰へ広がるか、どう伝わっていくか、内容はどこでどのように変化するか、その全てを操ったというのか。
王家の影が何のための組織で、どう動き、相手を追い詰めるかを知らないと、できないだろう。
そんなことができるのかすら信じられないが、渡された書類を紐解くとサリーナにいきつく。
「そこで、お前にききたい」
さすがに顔色の悪い息子に、父親は問いかけた。
この質問を、投げかけないわけにはいかない。
「サリーナ・シュベルグは、何者だ」
ひくり、とルシオの喉が動いた。




