サリーナ、奔走する 後編
リスクを覚悟で動くと決めたその日、サリーナは医務室に向かった。
医務室には、怪我だけではなく生徒の悩みなども聞いてくれる頼もしい医師が数名常駐している。
その中の1人である女性医師は、実は「王家の影」と呼ばれる王家直属の諜報員である。
「王家の影」とは、王家の人間・国家にとって不利益なことや仇をなすことを調べ、それを王家に伝えることである。
場合によっては、暗殺も行う組織だ。
二度目の人生でのサリーナは、王妃となって戦友でもある王と共にこの国を導いた。
その人生で知ったのが「王家の影」の存在である。
噂では聞いていたのだが都市伝説状態で、全く全貌がわからない組織だったが、実は実在したし、しっかりと活動していた。
女性医師の役割は、医務室にいることを利用し、それぞれの生徒の悩みや情報を把握、何かあれば王家に情報をあげることである。
王家の影にとって重要なのは「王家にとってどんな存在であるか」であり、個人的な悩みや事情などには興味がない。
彼らの気を引くには、王家にとって不利益なことがあり、そのことにより民が苦しんでいることを伝えねばならない。
「先生、私、心配で仕方がないんです……」
きっかけは、悩み相談からでいい。
その中で、侯爵令嬢の非常識な行動を伝え、侯爵家の教育についても触れる。
不審がられてはいけないので、タイミングと情報は順番をよく考えて、小出しにする。
相手は優秀な王家の影なので、さらっと匂わすだけでも感じ取るはずだ。
侯爵令嬢は格上の侯爵家の令息に対して強引なアプローチをしたこともあることは彼女も知っているはずなので、不安ということにして伝えておく。
加えて、違法な魔道の使用についても「気がかりだ」という一言で、ほのめかすことも忘れない。
実際に侯爵家の領地には人の精神を左右する魔道具があるし、強い媚薬も取り扱っている。
それを侯爵令嬢が持ち出して使用する可能性もある。
女性医師は苦笑しながらもサリーナに寄り添うように話を聞いてくれているが、話の合間にサリーナのことも確認してくる。
彼女の気を引けていることはわかった。
だが、間違ってもやりすぎないようにしなければならない。
王家の影に違和感や不信感を持たれれば、王家から目をつけられることにつながる。
変に勘づかれてしまったら、サリーナだけの問題ではなくなるだろう。
また、サリーナは侯爵令嬢の取りまきともいえる、周囲の集団にも目をつけた。
基本的に、貴族とは言え身分が低い者が集まるので、話はしやすい。
その中でも、彼女に不満を持っているだけではなく、素直で口が軽そうな令嬢に近づく。
男爵令嬢の彼女は、最初こそサリーナを怪しがっていたが「何もわからず、不安なのです」とそっと泣きまねをすると、早かった。
侯爵令嬢に不満をまき散らすように話し出す。
男爵令嬢は随分と振り回されているものの、今さら離れることもできずにいるようだ。
サリーナに対する態度も内心申し訳ないと思っていたようで、謝られてしまった。
「そんな、お気になさらないでください」
サリーナはゆるゆると伝える。
弱々しい雰囲気を出しておいて、「まさかとは思うのですが」と、魔道具の使用についても触れる。
男爵令嬢はそんな可能性は全く考えたことがなかったようで驚き慌てていたが、サリーナはしおらしく「可能性として考えてしまうのです」と言う。
彼女が少しでも疑惑を持てば、十分だった。
あとは、口の軽さから「違法魔道具の使用」の可能性を広げてくれるだろう。
数名に伝わればそこからはさらに早くなるし、噂もよりあちこちに飛ぶだろう。
そこまでくれば噂が歪んでいき、尾ひれも背ひれも加わり、どこまでが真実なのかわからなくなる。
ただし、その噂があまりにも現実とかけ離れているような物だった場合のみ、消しておいた。
それだけではない。
王家の影でもある女性医師を慕う女子生徒数名に伝わるよう、そっと誘導した。
上流貴族の足の引っ張り合いはすさまじいので、噂だけでも致命的になるはずだ。
彼らの親にまで話が伝われば、貴族同士の話になってくる。
証拠があるわけではないので表立っては誰も動かないだろうが、裏では格好のネタだろう。
少しずつコソコソと広がる話を、決して侯爵令嬢や侯爵家に伝わらないように注意を払った。
発端になってくれた男爵令嬢との関係も、付かず離れずの距離を保つよう意識した。
彼女は、この機会にサリーナと仲良くなって、コンラード商会と懇意になりたい目的が透けていたので、とっとと切り離すことにした。
辺境とはいえ伯爵令嬢のチェルシーも、大活躍だった。
侯爵令嬢の婚約者である伯爵令息に、彼女の普段の様子を尋ねたりしているようだった。
伯爵家としても、爵位は高くてもおかしな噂のある令嬢を妻として迎えたいとは思わない。
違法魔道具の取り扱いについても話を出し、何かされている可能性はないかを問う。
精神に作用する魔道具は、使われても本人はなかなか気づけないものだ。
伯爵令息は顔色を変えていたので、思うところがあったのかもしれない。
あの様子では、両親にまで話が届くだろう。
その後は、王家にまで伝わる可能性がある。
自分に魔道具が使われた可能性を残したまま過ごすことほど、怖いものはない。
これまでチェルシーが動かなかったのは、サリーナが止めていたからに過ぎない。
そのサリーナが「ルシオのために、できることをしたい」と漏らしたのだから、親友としては動くのは当然のことだった。
少しずつ少しずつ実っていくのがわかるが、時間が足りない。
ルシオは「忙しい」と言いながらも、サリーナとの時間をとってくれる。
申し訳ない思いもあったが、ルシオの様子がわかる貴重な時間である。
疲れ切っていた様子のルシオだったが、その理由をやはりサリーナには言わなかった。
ただ、抱きしめられて気が付いたが、すっかり痩せていた。
食事も取れていないほど、忙しいのだろうか。
誤魔化しているが、休めていないのだろう。
サリーナは、ルシオに魔法をかけることに決めた。
人生をやり直しまくって手に入れた魔法は、使わない。
ただ、学院で習う魔法は別である。
今はまだ習っていないがいつか習う魔法だから、と自分自身に言い訳をする。
握ったルシオの冷たい手に、そっと魔法をかける。
何もできない自分の代わりに、何か役にたてたらいい。
サリーナは必死にあれこれ画策したものの、結局ルシオが侯爵家へ行く日が来てしまった。
ルシオが来訪するよりも先に、侯爵家の悪行をさらけ出したかったのだが、さすがに一か月では吊るし上げるまでには至らなかった。
魔法が使えないと途端に無力になる自分が、歯がゆくて仕方がなかった。
願うことしかできないということは、こんなにも苦しいのかとサリーナは項垂れた。
ルシオが侯爵家に招待されているその日、サリーナは自室で大人しくすることしかできなかった。
気になってしまい、とても出かける気持ちにもなれない。
何もなく、無事でありますように、と両手を握りしめる。
魔法を使えば、ルシオの現状がわかる。
何かあれば、助けることができる。
今すぐにでも侯爵家から連れ出すことができる。
だがそれはすべて、今この世界で個人が使える魔法ではない。
サリーナが使えば、世界がまた変わるだろう。
辻褄合わせのように、世界の理が狂っていく。
「ルシオ様……」
人生をやり直しまくって、神にでもなった気で遊んでいた自分は、何と愚かなのだろう。
やり直しができない人生を精一杯生きているルシオに、会いたくて仕方がなかった。
連休明けの日、学院に登校したサリーナは、無理やり用事を作って教養科まで向かった。
あえて遠回りをして視線を走らせる。
遠くに黒髪がぴょこんと見えた。
思わず目を見開く。
ルシオがいた。
遠くからだが、表情がわかる。
普通にクラスメイトと話をできるぐらいには、元気なのだろう。
胸の奥から湧き上がってくる感情を、サリーナは必死で押さえ込んだ。
「……良かったです」
目元が熱くある。
何事もなかったかのように始まった一日に、どれほど感謝したらよいのだろう。
サリーナは、ルシオのにばれないように体を小さく丸めながら、廊下を静かに歩きだした。
その数日後に裏庭で会ったルシオは、何事もなかったようにけろりとしていた。
思わず笑顔になるサリーナに、ルシオが「あげる」分厚い本を手渡してきた。
表紙にいかつい熊がどーんと大きく描かれている。
ふあ、と欠伸を一つしたルシオが座り込む。
「興味があるんじゃないの、熊」
「……熊」
熊は強いし逞しいし迫力もあるし、可愛いところもあって、おいしくて好きだ。
しかし何故今プレゼントなのか、それも熊が描かれた本なのかわからずにいると、ルシオが小さく「子熊」と言った。
ほら、と落ちた葉を指すルシオを見て、その真意に気づく。
始めて抱きしめられた、あのときのことか。
真っ赤になったサリーナを見て、ルシオがさらに笑う。
その顔がとても楽しそうに見えて、からかわれているとわかるのに嬉しくなる。
プレゼントの本を、胸元で抱きしめた。
元気そうだし声にも張りがあるルシオだったが、やっぱりいろいろと大変だったようだ。
普段なら絶対に言わないだろうに、眉を下げたルシオが弱音を零す。
そんな自分に戸惑っているようで、瞳に不安が見えた。
「……抱きしめていい?」
その言葉に、サリーナの胸はぎゅっと潰れそうになった。
ズルイ人だな、と泣きそうになる。
いつもはサリーナの言葉など無視して近づくし、触れるし、抱きしめてくるくせに、こういうときはわざわざ許可をとるのか。
サリーナよりもずっとずっと人の気持ちに聡いだろうに、こんなときだけ確認してくるところに、ルシオの不安を感じ取った。
「はい」
頷いて、その頭をルシオに寄せた。
視線の先にルシオのネクタイが見えて、恥ずかしくなる。
それにも耐えてじっとしていると、のろのろとルシオがサリーナを抱きしめた。
ゆっくりと込められる力を感じながら、目を閉じる。
ルシオ様だなぁ。
温もりと香りが、サリーナを包み込む。
まだ少し痩せたままのルシオが切ない。
涙が出そうで、額を押し付けた。
きっと、わかっていないんだろうな、と思う。
口にする勇気がなかっただけで、本当はずっと抱きしめてほしいと思っていた。
恥ずかしくて仕方がないのにもっと近づきたくて、ルシオの服を握りしめる。
このまま抱きしめていてほしいだなんて、どうかしている。
心音がうるさくなり、体温も高くなり、だんだん訳がわからなくなってきたサリーナの耳に「サリーナは」と、ルシオの声が聞こえた。
「俺を甘やかしてどうするつもりなんだか」
「え」
心外すぎて、言葉が出ない。
甘やかされているのは間違いなく自分では、と思うのに、驚きすぎて思考が追いつかない。
せめて「そんなつもりはない」と言いたいのに、ルシオが楽しそうに笑うから黙り込んだ。
その少し高めの声が、もっと聞きたいと思ってしまう。
柔らかく力がこめられた腕の中で、サリーナは甘えるように胸元に頬を寄せた。
ルシオは元気になり日常生活に戻ったようだが、サリーナは侯爵家をそのままにしておく気は全くなかった。
学院を数日欠席しただけで、何事もなかったかのように登校してきた侯爵令嬢を見るたびに、静かな怒りがわく。
王家の影である女性医師の元には、ルシオの無事を報告する名目で顔を出した。
種まきの様子見と、自分に対しての評価を探るためである。
恥ずかしそうに「あのときは見苦しい姿をお見せしてしまって…」としょんぼりと告げる。
彼女は「気にすることはないわ」と笑っていたが、最後に初めて「またいつでもいらっしゃい」と言った。
その笑顔の裏で、王家の影が動き出していることを察した。
サリーナに対しては純粋な気づかいしか感じなかったので、今のところは関心はもたれていないだろう。
学院内の変な風評は知っているだろうが、その出所がサリーナだとはわかっても、それ以上は興味がないはずだ。
噂も歪みまくり、捩れまくりながら、どんどんと広がっているようだ。
あくまで噂なので、侯爵令嬢の耳には直接届かない。
明らかに周囲の様子がおかしいのだが、侯爵令嬢は気づいていないようだった。
今でも、ルシオを手に入れることができなかったことへの不満で、頭がいっぱいらしい。
尚更、このままにはできない。
学院の頭上を、見知った鳥が飛んでいく。
サリーナはその影を、じっと見つめる。
王家の影の連絡手段である、特別に訓練された伝書鳥だとすぐにわかった。
連絡用の魔道具は傍受される可能性があるため、王家の影は連絡手段として鳥を使う。
鳥には特別な魔法がかけてあり、例え何かあったとしても連絡内容はわからないようになっている。
王家の影は、侯爵家を徹底的に調べ上げるだろう。
その情報の正確さと速さは、サリーナ自身がよく知っている。
噂はもう、サリーナの満足いく形で十分広がっている。
サリーナが侯爵家の耳には届かないように人を選んでいたからか、未だに侯爵家は知らないようだ。
万が一にでも侯爵の耳に入れば、証拠を隠滅するおそれがある。
そのことを誰よりもわかっている王家の影は、何よりも最優先で動くはずだ。
今の王ならば侯爵家の非道な行いに怒り狂い、一族もろとも取り潰すはずだ。
サリーナが伝書鳥を見かけて二週間ほど過ぎた頃、侯爵家は取り潰しとなった。
やけに早かったな、とベッドに入りながらサリーナは不思議に思う。
疑惑の種はまきまくっていたとはいえ、王家の影が本格的に動き出したにしても早すぎる。
これだけ早いと別の力が働いた可能性が高い。
侯爵家の実情を調べあげられるだけの人物がいただろうか。
そして、王家の影がその情報を拾い上げられるような場所にいる人物。
「……あ」
ふ、と頭にルシオの顔が浮かんだ。
正確には、ルシオの父親を含めたコンラード商会だ。
あの侯爵家に宿泊までしたルシオが無事であることが、コンラード商会が持つ情報量を示している。
会頭でもある父親が、ルシオを害そうとした相手に、容赦するはずもない。
「だとしたら……」
王家の影が、コンラード商会に興味を持った可能性がある。
最近名が知られてきたとはいえ、一介の商会に過ぎないとはずのコンラード商会が持つその情報を、王家はどのように感じただろうか。
有能な人物は、とにかく人出不足である。
敵であれば暗殺対象にあがるが、取り込めるならば喉から手が出るほどほしい人たちだ。
ルシオはサリーナの婚約者だが、その立場は簡単に変わるほど弱い。
そう世界を変えたのは、サリーナだ。
国王にはすでに婚約者がいる娘が数名いるが、そのうち誰かをあてがうかもしれない。
コンラード商会としても、サリーナとは婚約解消してでも、王家とのつながりが持てる方が有益だろう。
ベッドの中で、サリーナは体を抱きしめた。
ルシオの側にいたいと思う。
だが、もしもルシオが婚約を解消したいと言ったら、それを止めることはできない。
元婚約者のことを思い出す。
王女を思い、ずっと一途に彼女を思っていた彼を好きだった。
振りむいてほしいと思い頑張った日々は、決して報われることはなかった。
目を閉じたサリーナの脳裏に、ルシオの顔が浮かぶ。
もしも本当に婚約解消となったら、反射的に魔法を使ってしまうかもしれない。
世界すら変えてしまうような魔法を意識せずとも発動させるぐらい、その言葉に動揺しそうな気がした。
魔法で変えた世界のルシオは、今のルシオとは違う。
過去も未来も変えてしまうほど、理を変える魔法の影響は大きいのだ。
サリーナは、力を入れて目を閉じた。
もしも、を想像するだけで震える。
ルシオの隣が自分ではないと思うだけで、とても苦しい。
「お会いしたいです…」
不安を少しでも誤魔化そうと、サリーナは小さく小さく体を丸めた。
額に枕を押し付け、そっと息を吐く。
とても眠れそうになかった。




